この記事はシリーズ記事として、連載しています!

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フルタイムで働くのも、久しぶりのことでしたし、子どもは転校することになったので、親子ともに新しい環境に慣れるのが大変でした。

 

 

前の学校なら、保育園時代から知っている友達が親子ともにいるので、いろんな面で助かりました。

 

 

でも、新しい学校は知っている人はいないし、やり方も先生のキャラクターも全然ちがう。

 

 

ただ、障がいのある子のための支援を推進するために、市が力を入れているモデル校だったんですね。

 

 

だから、いい教育を受けられると思って入れたんですが、みんな考えることは一緒。

 

 

うわさを聞きつけて、障がいのある子があちこちからいーっぱい集中してパンク状態。

もうてんやわんやでした^^;

 

 

そのため、支援学級ではなく、普通学級に入れたせいで、いじめを受けて、不登校生活に突入したんです。

 

 

小学2年になったばかりの子どもを、ひとり家において仕事に出かけるのは、心配がつきなかった。

 

 

家にひとりにしている間に、何が起こるか分かりません。

 

 

このころ、よく停電があったし、雷がコワくて泣いて不安になりながらも、ひとりで過ごしていました。

 

 

仕事中、わたしの携帯が鳴りやまないくらい、家から子どもが電話するのです。

 

 

仕事にならないので、携帯を持たせていつでもメールできるようにしました。

 

 

元夫やわたしの友人も時間を作っては、様子を見にきてくれていました。

 

 

不登校のシリーズ記事にも書いているのですが、不登校中に転校した新しい学校の先生も、家を訪問してくれていたので、それもありがたかったですね。

 

 

家で火遊びをしたり、外に出たりしないように、それまで制限していたテレビを解禁。

 

 

実家の母は、有料チャンネルのディズニー作品をDVDに録画して、送ってくれたり、DSを買ってくれたりしました。

 

 

この経験で、息子が映画を大好きになり、ディズニーで働くことへの夢を育てるきっかけとなったんですね。

 

 

ほんと、人生なにが功を奏するか分かりませんね(笑)

 

 

さて、わたしはというと、銀行やその銀行の保険代理店を営業で回る仕事だったので、夜遅くなることや、出張もありました。

 

 

上司も認めてくれていたし、やりがいも感じていました。

 

 

その分、より成果を出すために、CFP資格を持つことが必要だと思っていました。

 

 

ですから、朝4時に起きて、勉強し、3食作ってから、仕事に行き、通勤時間などのすき間も勉強。

 

 

帰宅したら、洗濯、掃除、育児とへとへとになるまで努力していました。

 

 

つづく