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FPの学校に入ると決めて、申し込みをしましたが、開講までの数か月の間に、わたしはうつ病になっていました。

 

 

離婚や退職、せっかく建てた家の売却、引越し、転職。

これからの不安・・・。

 

 

子どもの障がい発覚から、2年あまりの数年で色んなことが重なっていたし、トドメに耐えきれないとあるできごとが起きて、心労が限界でした。

 

 

そんなとき、支えてくれたのが友達。

 

 

仕事が終われば、うちに寄って話を聴いてくれる子や、森林で一緒にバドミントンして、作ってくれたお弁当食べては、一日中話をしてくれた子も。

 

 

病院を探しては、予約して付き添ってくれたり、気功やエステなどいろいろ良かれと思うものを勧めて代金まで払ってくれた子もいる。

 

 

保育園に迎えに行ってくれて、夜ご飯食べさせてくれたり、いつも友達に囲まれていました。

 

 

人生で最も、人のお世話になった時期でもあります。

 

 

何度も死んでしまいたくなったけど、そんなときに血相変えて飛んできては、一緒に泣いてくれたり。

 

 

「もしものときは子どもをよろしく」、というわたしに、「ちゃんと育ててあげるけど、死んだらダメだ」と諭してくれたり。

 

 

読書家の友人が、家から大量に、本を持ってきて

「読めるようなら、読んでみて」

と自己啓発系の本を勧めました。

 

 

一行を読む、理解するというカンタンなことが、そのときのわたしには、ものすごく大変でした。

 

 

それでも、時間をかけて読みました。

泣きながら、同じ行をずっと目で追うことも、いっぱいあった。

 

 

でも、読むたびに、何らかの気づきがあって、疲れ果てていた心に染みていくのが、楽しいと思えるようになったんです。

 

 

こんな具合でも、この当時、年間200冊以上は本を読んでいましたよ。

 

 

とにかく、ぎりぎりのところを救ってくれた友人たちがいなければ、とっくに人生諦めていたかも。

 

 

だから、わたしは勉強しました。

 

 

生きていてほしいと思ってくれる人たちのために、生きていることで恩返しできる人間になりたかった。

 

 

ただこんな状態ですから、FPの資格試験を受ける勉強は、それはもうテキスト読むだけで、格闘でした。

 

 

FP資格には、国家資格の1・2・3級と、AFP・CFPという5つがあります。

 

 

スクールは、2級ないしは、3級合格をめざすものでした。

 

 

2級を受けようとするわたしに、友人が

「自分だったら、順番に3級から受ける」

と言い、さりげなく無理しないように勧めてくれました。

 

 

そして、無事3級に合格。

 

 

すぐに銀行に就職が決まりましたが、わたしの前任者がメニエール病になったと聞き、子どもと生きていくために、これ以上病みそうな仕事はさけたくて、辞退したんです。

 

 

つづく