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銀行への就職を断念したわたしは、友人に誘われて、化粧品のアドバイザーになることにしました。

 

 

本当は、シングルマザー支援を専門にしたFPとして独立したかったんだけど、当時はまだ女性起業家というのが少なくて、ネットもまだよちよち歩きの時代。

 

 

スクールの恩師に、「シングルマザーに向けてFPするのはすごくいい仕事だと思うけど、それではあなたが食べていけない。FPは富裕層に提供することで、食べていけるのよ」と諭され、一旦あきらめることにしたんですね。

 

 

新婚のころ、某デパートの化粧品メーカーで美容部員として働いていたことがあったんです。

 

 

ですので、基礎知識はばっちり。

すぐに友達に勧めて、売り歩き、エステの技術も身に着けて、顧客はあっという間に広まりました。

 

 

でもね、友達相手にお金もうけするのは、気がひける。

 

 

どうしても、安くしてあげないといけない気がして、経費を引いたら利益なんて出てきませんでした。

 

 

いわゆる、お金のブロックですね。

 

 

頼まれてもいないのに、安くして、正当な対価を受け取れない。

こういう状態では、どんな商売もうまくいかないんです。

 

 

ただ、この仕事をしている期間にも、本を読み続け、病気は、薬ではもはや解決しないことをじょじょに感じていくようになりました。

 

 

病院以外への相談にお金を投じることを、忌みきらっていたわたしが、超高いセッションをする運命のメンターに出会うための心の準備ができたのです。

 

 

のちに気づいたことですが、自分のためにお金を払う覚悟を持てるようになったことで、受け取ることもできるようになっていったんですね。

 

 

化粧品会社の開催する研修のあった日の帰り、その近くでメンターのセッションを受け、2年連れ添ったうつ病とおさらばすることができたんですね。

この詳細はまた別の記事で、いつか書きます。

 

 

夜明け前が一番暗い、といいます。

 

 

わたしの場合も、回復の直前は、地の底を這うような気分で生きる1か月がありました。

 

 

このままの自分から卒業することを決心するほどつらかったからこそ、心理セラピーで必須ともいえる「閾値(いきち)を超える」経験をしたんですね。

 

 

こういう経験をしたからこそ、人の悩みに本気で向き合える土台ができたのだと、確信しています。

 

 

ともかく、長らく続いた病から解放されたので、ようやく就職することにしたのです。

 

 

最後のしんどい期間は、元夫の実家に息子を預けていましたが、大手損保会社に入社が決まり、息子と同居を再開しました。

 

 

このころ、すでに2級FP技能士とAFPを取得していたのが、決め手になりました。

 

 

安定してお金が入ってくることに、どれだけ心が安定するのか、身に染みたものでした。

 

 

と、同時に、次なる試練も待っていたんですね。

 

 

つづく