天王祭り
津島の最大のイベントである津島天王祭りは、毎年7月の第四土曜日の夜に宵祭り、翌日の日曜に朝祭が行われます。大阪の天満天神祭、厳島神社の管弦祭と共に三大川祭と言われ、室町時代中期から続く伝統ある祭です。
平安時代、朝廷の政争で敗れ死んでいった貴人の怨霊が、様々な厄災、災害を引き起こすと信じられていました。その怨霊を鎮める儀式が御霊会(ごりょうえ)でした。御霊で有名なのが北野天神の菅原道真でした。
牛頭天王(ごずてんのう)もまた様々な疫病をもたらす厄神とされ、牛頭天王を祀る祇園社も、御霊と結びつき祇園天神と言われ、京の人々から畏怖されてきました。
その牛頭天王の荒ぶる神を鎮め、慰めるために行われたのが八坂神社の祇園祭であり、津島神社の天王祭りです。
疫病である伝染病は主に夏に発生します。無事、暑い夏を乗り切れるよう祈願するため、夏の祭礼として祇園祭や天王祭が行われます。
津島は古くは津島五ヶ村と言われ、米之座、堤下(とうげ)、筏場、下構、今市場の五つの村から成っていましたが、天王祭りの宵祭りでは、それぞれの村から五隻の巻藁船をだします。
天王川公園
会場となる天王川公園は、かつて、津島に繁栄をもたらした天王川の名残で、天王祭りの際には、周りに桟敷が設けられ、池にも何艘もの桟敷船が出ます。
車河戸(くるまこうど)
巻藁船は天王川公園の南東端にある車河戸(くるまこうど)という船溜まりで準備が行われます。二艘の船を横に並べ繋ぎ、その上に屋形を乗せます。そして如意という長さ九間半(約十七メートル)の真柱を取り付け、一年の月と同じ十二個の提灯を取り付けます。屋形の屋根に巻藁船の由来となる、麦藁で出来た半球形の巻藁台を取り付け、その巻藁台に一年の日数と同じ三百六十五個の、先に提灯を釣った長さ一丈(3メートル)の竹竿を刺していきます。屋台の前には一ヶ月の日数と同じ三十個の「なべつる」と言われる提灯を飾ります。軒幕には軒提灯、屋台の中段には赤絹の四十八個の絹灯籠を提げます。
手筒花火
巻藁船は午後八時四十五分に、天王川公園の北端にある御旅所に向かい動き出します。
その間、天王川公園では、中之島から池につきだした水上ステージで、火縄銃の実演、手筒花火、水上花火、打揚花火といったアトラクションが行われます。
巻藁船
暗闇の中を、五百近い提灯を点した五艘の巻藁船が、川面に提灯の明かりを照らしながら動く姿は、実に幽玄で幻想的です。
午後八時四十五分に車河戸を出て、御旅所に向かい、御旅所の神輿に参拝し、再び車河戸に戻ります。車河戸では一晩のうちに、翌日の朝祭で使われる車楽船(だんじり)に模様替えをします。