津島神社南入口のすぐ東側にあります。津島を代表する商家である、堀田理右衛門家の屋敷で、江戸時代中期、正徳年間(1711年~1716年)に建てられたと言われています。元々この場所から六〇メートル東にあったものを、県道の拡張工事に伴い、昭和48年に現在の場所に曳家されました。昭和53年に重要文化財に指定されています。
土曜、日曜、祝日に午前10時から午後3時まで内部を公開しています。入場料は300円です。
堀田家住宅
堀田理右衛門家は津島神社の神官番頭太夫之定の次男之理(1573年~1668年)が興した家です。之理は豊臣秀吉子飼いの武将で、尾張清洲城主、福島正則の中小姓として仕えていましたが、福島正則が関ヶ原の戦いで活躍し、その恩賞で安芸広島49万石に加増されると、広島に行かず故郷の津島に戻りました。五代の之仲(1675年~1628年)には雑貨商、質業、酒造業などを営む商人になりました。6代めの知之(1719年~1797年)には家業も軌道に乗り、新田開発なども手がけるようになりました。知之は神道や漢学などの学問、和歌や俳諧、茶の湯などを嗜む文化人としても知られ、老朽化した住宅の修復や、書院、茶室などの増築なども行いました。
堀田家住宅の母屋は桁行7間半、梁間7間切り妻造り重層桟瓦葺きで、屋根には防火のための袖壁である卯建や、忍び返しなどが設えています。大戸口を入ると土間、奥には台所が連なり、右側には店、店座敷が連なります。母屋の右には仏間や書院、茶室が建てられ、さらに蔵が三棟建っています。
茶室
書院に付属して茶室が建てられています。二畳台目の広さで、入り口の脇に竹製の刀崖が設え、江戸時代の建物であることを知ることが出来ます。
卯建と忍び返し
内玄関
台所
二階
蔵
奥が道具蔵である西蔵、手前が米蔵である東蔵。この写真では見えませんが間に小蔵が建って、西蔵と東蔵を繋いでいます。西蔵が最も古く、小蔵と東蔵は後に増築されました。