写真は上から近藤重蔵墓、円光禅寺、瑞雪院です。
近藤重蔵は明和8年(1771年)に江戸、駒込に生まれました。幼い頃から学問優秀でした。
寛政2年(1790年)に隠居した父を継ぎ、御手先組与力として出仕、寛政6年(1794年)に松平定信が行った湯島聖堂の学問吟味では最優秀の成績を上げ、寛政7年(1795年)には長崎奉行手付出役などを歴任します。
寛政10年(1798年)に幕府に北方調査の意見書を提出し、蝦夷地に赴き、最上徳内とともに千島列島、択捉島を探検します。
幕臣であった近藤重蔵の墓が、どうして大溝にあるかというと、
近藤家は三田村槍ヶ先に広大な土地があり、息子の富蔵に管理を任せていましたが、文政9年(1826年)に土地争いで富蔵は町民七人を殺害してしまい、富蔵は八丈島に流罪。重蔵も連座で大溝藩に預けられました。
そして文政12年(1829年)に配流先の大溝で病のため死去。享年59歳でした。
墓が藩主分部氏の菩提寺である円光禅寺の塔頭である瑞雪院にあります。