2000年前からあった!ディスらない優しさ
今まで何度か、
聖書の中のストーリーを
ご紹介して来ました。
自分はキリスト教も仏教も好き。
私はどちらも、宗教ではなく、
「生きるための智慧の宝庫」と
捉えています。
世界的に多くの信者を持つ宗教の
創始者(イエス、ブッダ)が
言った・行ったと伝えられていることから
我々現代人が学べることって、
たくさんあると思うんです。
特に聖書は、ストーリーになっているので
「おお!これは」というシーンがいっぱい。
この機会に、今まで書いてきた
聖書のストーリーをもとにした記事を
一覧にしておきますね。
全て私独自の、しかも
ゆる~い解釈なのでそこはご了承ください
さて、今日ご紹介するのは、
「香油を注ぐ女」の話。
いくつかバージョンがあるのですが、
概要は以下のようなものです。
イエス・キリストが
ベタニアという町に滞在していた時のこと。
食事の席についていたところ、
一人の女性がとても高価な香油が入った
壺を持ってきました。
その女性は壺を割り、香油をイエスの
頭に注ぎかけます。
(当時、油を頭に注ぐということは
もてなしや祝福を意味しました)
部屋中は高価な香油の香りでいっぱい。
でも、その場に居合わせた人たちは
その女性を厳しくとがめます。
「何をするんだ?!そんな高価なものを!」
「売れば300デナリ(当時の通貨)
以上になる代物だぞ!」
「金に換えて、貧しい人達に施した方が
よっぽどいいじゃないか!」
それもそのはず。
300デナリね…すごい金額だよね…
当時の労働者が一日働いて得られたのが
1デナリと言われていますので、
彼女がその場で使った香油の価値は
一般労働者の年収に値するものでした。
それを聞いたイエスは、自分が近々、
逮捕されることを知っていたので、
こういいます。
「この人のするままにさせてあげて。
そんなことを言って、
この女性を困らせないで。
この女性は、
できる限りのことをしたんだよ。
貧しい人に施すチャンスは
これからもある。
でも、私は
いつまでもみんなと
一緒にはいられない。
お別れの準備をしてくれたようなもの。
今後、世界中どこでも、
この人のしたことは
語り伝えられると思うよ」
ああ、なんて優しいんだろ、イエスって人
人前でディスられるって本当につらい。
しかもこの女性の場合、
自分が信じてやまない、大好きな、
時の人「イエス・キリスト」の前で
ディスられることは
どれほど心痛むことだったでしょう。
そこをしっかりと察知して、
この女性の目的を理解し、
神対応をするイエス(…って、神だから当然?)。
そして、
他の人が勇気くじきをするのをやめさせて
女性に勇気(困難を乗り越える力)を与える
姿が最高にカッコイイ!
「ええ?」と思うことに出逢ったら、
その人の目的に注目する。
その人には必ずポジティブな目的があるので、
それを見つけて理解する。
他者の行動を理解する時に使う、
アドラー心理学の「目的論」です。
この女性の場合、きっと、
イエスの生き方に心打たれ、
何度も救われる思いをしてきたのでしょう。
自分の感謝の気持ちをどうにかして、
それが自分の年収金額に相当するものでも、
表現したかったのでしょう。
素晴らしい行動力。
熱い情熱を感じますよね。
このイエスの対応で、彼女はきっと、
自分の判断に自信を持ち、
自分の人生を生きていく勇気を得ただろうと
思います。
私も、勇気くじき、やめたい。
人の想いに敏感でいたい。
自分にも他者にも、勇気をあたえつつ
生きていきたい。
この逸話を読むと、そう思います。
あなたはこの物語から
何を想うでしょうか?
SNSやっています。フォロー大歓迎!
ブログでは書かないドイツの日常生活、日々の気づきを書いています。Facebook
Twitter