こんにちは!
このブログにお立ち寄り頂き、有難うございます。
育児・仕事・人間関係に疲れたあなたの心に
暖かい風を送る、
アドラー心理学&マインドフルネスコーチ、
ジュバ智子です。
デジタル・デトックスをしていた
イースターには、
イースターの由来、つまり
「キリストの受難と復活」に
想いをはせました。
今日ご紹介する、
イースターに関連した
この聖書の中のお話は、
私の中では他に追随を許さない、
聖書逸話ナンバーワンです。
ぶっちぎりのナンバーワンだから、
皆様の心に是非届けたいのだけど、
私の下手な説明で
お話の深さが伝わらないのが不安。
でも頑張って書いてみますね。
テーマは「究極の信頼」。
皆さんはイエスという大工の息子が
最終的には当時の政治的な波に飲まれ
散々誤解を受けた挙句、
十字架につけられたことは
ご存知だと思います。
その後復活し、天に昇ったというのが
キリスト教の見解で、
イースター(復活祭)は
それを祝うお祭りです。
本当に「復活」したのかどうかという議論は
一旦置いておきましょう。
これから紹介するのは、
イエスが捕らえられた後、
ペトロという弟子とイエスの間に
起こったことです。
宣教活動を続けてきたイエスですが、
いずれ自分が捉えられ、
死刑になることを知っていました。
そこで弟子との「送別会」、
有名な「最後の晩餐」を開きます。
これはレオナルド・ダ・ヴィンチが
絵にしたので、皆さんもご存知でしょう。
その宴の際、イエスは
ペテロ(彼の最初の弟子)に
こう言います。
「ペテロ、よく聞いておくれ。
あなたが立ち直った時、
その時は、みんなを力づけてあげなさい。
(あなたが強くあるように)あなたの為に
祈っておいたからね」
ペテロはこう答えます。
「私はあなたと牢獄に入っても、
死んでもいい覚悟でいます!」
…ペテロは「立ち直った時」と言われて、
ちょっと心外だったのかも知れません。
この時は本当に死もいとわない覚悟で
いたのかも知れない。
でもイエスはこう言うんです。
「ペトロ、あなたは今日、鶏が鳴く前に
私を3回、知らないと言うよ」
さて、イエスが捕らえられ、
連行されると、ペトロはその後を
少し距離を保ちながらついていきます。
今まで従ってきた師が
捕らえられたのですから、
やはり心配だったのでしょう。
連行していった人たちの一部が
焚火をしていたので、ペトロはそれに
紛れ込みます。
するとひとりの女性が、
「あなた、イエスと一緒にいた人でしょ?」
と言います。
ペトロ
「いや、私はあの人を知らない」
しばらくして他の人が
「お前もあいつの仲間だろ!」と言うと
ペトロ
「ちがう、私はちがう!」
一時間ほど経ってからまた別の男が
「確かにこの男、イエスと一緒にいた!」というと
ペトロ
「違うって!君、何言ってんだかわからないな」
最後の「何言ってんだかわからないな」を
言い終わらないうちに、
鶏が鳴きます。
その時。
(ここからは聖書の記述そのまま)
その時、主(=イエスのこと)は振り向いて、
ペトロを見つめられた。
ペトロは、
「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度
私を知らないというであろう」と
主が言われたことを思い出し、
外に出て激しく泣いた。
この最後の
「ペトロを見つめられた」
のくだり。
あなたは、イエスがこの時、
どんな眼差しで
ペトロを見つめたと思いますか?
「だから言っただろ?」という軽蔑、
「お前、最悪」という叱責、
「やっぱり、私を見捨てたね」という恨み、
「やっぱり誰も信じられないんだ」という悲しみ、
でしょうか。
私は、
この時のイエスのまなざしは、
ほんっとうに優しくて、穏やかで、
ペテロの弱さを理解し、
受け入れ、赦し、愛し、
かつ、
「君は立ち直る」
「君は仲間を力づけることができる」
という絶対的な信頼で溢れていた
と思っています。
「君が立ち直ったら、
みんなを力づけてね」と
晩餐の時、イエスはいいました。
ペトロの弱さをよく知ったうえで、
ペトロがくじけ、折れることを
知ったうえで、
「君は必ず立ち直れるよ」
「みんなを力づけることができるよ」
と、自分を見捨てた男に対し、
死を前にしても勇気づけた。
こんな究極の信頼、
勇気づけが
他にあるでしょうか。
イエスから
叱責・見放し・恨み・悲しみの
まなざしを受けると思っていたのに
もらったのは勇気と愛だった。
だから、ペテロは、
外に出て激しく泣いた
のだと思うのです。
そして本当に、ペトロは、
生前イエスがつけた
「岩」というあだ名の通り、
イエスの死後、
強い心の持ち主になり、
優れたリーダーとして
弟子たちを引っ張っていくのです。
私にとってこの逸話は
宗教の話ではなく、
勇気づけ(困難を乗り越える力)と
信頼の物語です。
本当の信頼は、
信頼を受けた人の生き方を変えます。
本当の信頼は、
自分がどれほど傷ついても
相手を無条件に信じること。
だから、
信頼することは、時にとても厳しい。
でも、泣けるほど美しい行為です。
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