こんにちは!
このブログにお立ち寄り頂き、ありがとうございます。
育児・仕事・人間関係に疲れたあなたの心を豊かで軽やかにする、アドラー心理学&マインドフルネスコーチ、ジュバ智子です。
今日はまた、「人間あるある物語」の宝庫、聖書からお話を紹介します。
前回の聖書からのお話記事はこちら
「あの人はxxな人」というレッテルを貼っていると、見えるものも見えなくなる、というお話です。
いつものように私の解釈で、どうぞ!
イエスが本格的に宣教を始めてからのこと。
行く先々で奇跡を起こし、人々を癒し、心に響く話で人気急上昇のイエス。
たとえ話を使って、一般の人の心をつかんでいきます。
波に乗っているそんな時、イエスは、弟子を連れて故郷に帰ることにします。
故郷の村の会堂で、他の村でしてきたように神の話をしていると、村の人は驚きます。
なぜか。
「彼はどこでこんな知恵と能力を得たのだろう!?」
「だって彼は、大工の息子だよ!」
「母親はマリアだろ?兄弟はヤコブ、ヨゼフ、シモン、ユダだよな?」
「親族っていったら、俺たちと一緒に住んでるじゃないか」
結局、村の人々はイエスの教えを信じませんでした。
イエスは「預言者が敬われないのは、その故郷、家族の間だけだ」と言って、
故郷ではあまり奇跡を起こさなかったそうです
イエスが奇跡を起こしたかどうかは別として。
この話は、キリスト教的に見ると、
「だから、キリストを信じようね、信じないと奇跡も起きないよね」となるのですが、
人間の物語をして読むと、
強烈なフィルタが邪魔をすると、人間は、目の前の人そのままを見れない
ということを教えてくれていると思います。
会堂で堂々と、素晴らしい、心を打つ話をする男。
でも、故郷の村の人たちの目には、その男は
「大工の息子」であり、
「マリアの息子」であり、
「ヤコブやヨゼフが兄弟で」
「その親戚がみんな俺たちの近所に住んでいるやつ」
としか映らない。
「だから、彼にこんな知恵があるなんて、あり得ない」
「大工の息子のあいつに、こんな話が出来るわけがない」
となるのです。
聖書には、イエス自身が
「預言者が受け入れられないのは、故郷と家族の間だけだ」と言ったと
書かれていますが、
言い換えると、故郷の人や家族の間のような、近い関係であればあるほど、
フィルターの力は強く、そのままを観ることが難しい、ということなのだと思います。
「うちの娘は算数が苦手だから(算数はどうせ伸びない)」
「うちの旦那は(奥さんは)すごく怒りっぽいから(対話なんて無理)」
「うちの息子はゲームしか好きなものはないから(勉強好きにはなれない)」…
現代を生きる我々も、イエスの故郷の人たちと同じように、
特定のフィルターで、目の前の人を見てしまいがち。
それって、大切な人の可能性を自ら封印しているようなもの。
同時に、その人と自分の間に生まれるかもしれない、新しい関わり方も封印してしまいます。
「今ここ」にいる、目の前の人の「今ここ」だけを見ていきたいですね!
マインドフルネスの実践で「今ここ」に気づく力が身につきます
次回のマインドフルネス・オンラインお話会は3/7(土)、4/18(土)です
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