ギター轟音
どうもこうも、どうにもならないときは
轟音ギターに身をまかせてみる。
歪みまくったその波に身をまかせてみると、
そこはなんて有機的な世界。
葉が茂って、緑にあふれ、
ザァザァ雨が降るそこはまるで熱帯雨林だし、
それでいて一定のリズムが繰り返すから、
なんだか安心してしまうんだ。
ときどき青い光が降ってきて、
爆発後、ホワイトアウトする。
そして、チル・チル・チル・・・・・・・・・・・・
爆音の中の静寂。
こうなるともう、細胞はとどまることを知らずに
波打ってもうどうしようもなくなってしまう。
ぼくは白い興奮につつまれて、
どうもこうもならないことを、
どうかしようとも思うことさえ忘れて白痴。
物悲しいのは
空気がひんやりとして、秋の風が吹いてくる。
空は高く、木々の葉も少しずつ色が変わっている。
夕方の光が柔らかくなって、またたくまに夜になる。
ぼくは、なんとなく何もする気が起きず、ソファに横になって
本をぱらぱらとめくっている。
体の横にぴったりとくっついて眠っているユキの体があたたかい。
ぼくは1ヶ月前北海道に帰って、秋をすこし先取りしてきたみたいだ。
しかも、とても強烈に。
まだこっちが暑い時期だったから、そのコントラストが大きかったのかもしれない。
それとも生まれ育った場所の秋の匂いは、つよく身体にしみこんでいるのだろうか。
なつかしさと同時に、色んな感情が溢れてきたのを覚えている。
久しぶりの感覚が心地よく、秋の物悲しさにどっぷりと浸かった。
でも、こっちに戻ってきたら、まだまだ秋は遠くて、こころと身体が追いつけなかった。
実際、2日間くらい食欲がなくて、軽い夏バテをしてしまった。
でも、このところ空気も冷えて、金木犀の匂いも辺りを漂いはじめ、秋が来ていることを知る。
でもその足取りは遅く、すでに秋を過ごしてきたこころと身体はくすぐったいような気分だ。
今年の秋を純粋に楽しめるだろうか。すこし心配になる。
北に行けないのなら、高さを目指して山にでも登ろうか。
すこし本気で考えてみる。
なんでもない日には
雨の前だからか、今日は湿度が高く、むしむししていた。
こんな日は土の匂いが強い。
そして樹々も何時になく甘い香りを漂わせている。
いろいろな計画を頭の中でイメージしながら、畑を歩く。
とても気持ちのいい時間。
想像が膨らみ、胸が高まってくる。
ここで実現したいことがたくさんあるんだ。
それは、たんじゅんにうつくしいと思う。
なるべくリラックスしてのぞまなければ、と肩に入った力を抜いてみる。
順調に、本当に順調にここまできたけれど、
困難なこともこれからたくさんあるかもしれない。そんなにないかもしれない。
ただ必要なのは、頭の中に見えている景色を何度も何度もイメージし続けることだろう。
それはほんとうにうつくしいと思う。
それが僕だけでなく、多くの人の共感のうちに(それが意識的、無意識的に関わらず)
あればいいんだけれど。
それには、自分の感覚をニュートラルに保っていないといけないと思う。
生活も仕事も全部ひとつながりの自分だろうに。
自分に嘘なくいたい。
なんでもない日には、やっぱり最初に戻ってくる。
さて、明日はしっかり雨が降るみたい。
何をしようかな。
旅をする木
- 9月半ば、北海道に帰った。
- すでに秋の気配が深く、半袖ではいられないくらい空気が冷たかった。
- 僕は、その道すがら、機内で星野道夫さんの本を読んだ。
- 出発の前の週末に買っておいた本だ。
- 北に向かうということがそれを選ばせたのかもしれない。
- ともかく、機内で読み始めた「旅をする木」という本は、
- どこまでも北の匂いのする本だった。
- それは自分が体験したことのないくらい北方の景色や生き物、ひとびとや生活なのだが、
- でも、なんとなくわかるような気もした。
- しかしながら、星野さんの言葉ときたら、美しいにもほどがある。
- こころに残る言葉もたくさんあった。
- 素直に感動した。
- 北海道に滞在している間中、星野さんの言葉が離れずにそばにいて、
- 僕はいつもより感傷的に星空を眺めたりしてみたんだ。
そして、星野さんの精神性に魅了されたぼくは、
いま、しばらく読まずに寝かしておいた「ノーザンライツ」を大切に読み進めている。
草のにおい、つむじ風。
- よく晴れた日曜日の夕方に、干していた布団を部屋に取り込む。
- 陽のにおいを吸い込んだそのふうわりとした布団は、熱がこもって少し暑い。
- やさしい匂いに包まれたまま、僕はいつの間にか眠りに落ちている。
- 遅い昼寝から目覚めると、辺りは薄暗くとても静かだ。
- ふと、昼間の出来事を思い出す。
- 幸せのかたまりともいえそうな、ふわふわの布団の中で、
- 干したての布団がこんなに悲しいこともあるんだってことを知る。
- どうしようもない気持ちになって、どうしようもなくて僕はイノトモをかける。
- 静かで、やさしくて、とてもなつかしく感じるその声が、夕方をいっそう夕方らしくする。
- 「消えないもの」が流れて、自分でも驚いたことに、自分が生きているということを実感する。
- いつの間にか涙が出ていて、胸の辺りがジンジンとしていた。
- そうこうしているうちに、夕方は静かに静かに夜へと姿を変える。
- 僕は、久しぶりに味わう自分の感情にすこし驚きながら、
- 一息吐いて、晩御飯の支度にとりかかる。
焼酎狂い
2005年度が終わり、2006年度が始まる。
別れ、そして出会いの季節。
やりきれないこともたくさんあるし、
心が躍ることもたくさんある。
そんな情動不安定なキセツに、
僕は焼酎に狂っている。
より自らの口に合う焼酎を求め、
焼酎ハンティングの旅路を彷徨う。
いい酒を飲むことで味のある人間になれると信じ、
あるいは思い込み、焼酎を求め歩く。
飲むのも楽しいが、並べた瓶を見るのも楽しい。
僕の台所の一角は焼酎に埋もれている。
うまい酒を並べ、愛でる。
その日飲みたいものを少しずつグラスに注ぎ、飲む。
ひとり焼酎バー気分で、とても気持ちがいい。
友人が訪ねてきた際は、店主さながらである。
飲んでいて、最近気づいたのは、紫芋系統の焼酎が口に合うということ。
「明るい農村 赤芋仕込み」は桑名の居酒屋で飲んだのだが、
びっくりするくらい美味しくて、一升瓶を購入してちびりちびりやっている。
「宝山 綾紫」も独特の甘さと香りがあって、美味しい。
しかしながら、焼酎を飲み始めて多少は酒に強くなったような気もするが、
いかんせん元は弱いため、いろいろな飲み方を楽しむ前に
ごろりと横になって眠っていることが多い。
実際、これを書いていた途中で一眠りしてしまい、夜中に起き出して続きを書いている。
まあ、そんなダレヤメぶりも楽しみつつ、
なんとなく忙しくなりそうな今年度、うまく過ごしていくつもりだ。
ほろほろ
沈丁花が咲いている。
僕の部屋で。
少しずつ大きくなっていく鉢植えの沈丁花。
この前、花が咲いているのに気づいて部屋の中に入れた。
僕は金木犀はちょっときついなあと思うけれど、
沈丁花はとても好きだ。
部屋の中に入れてすぐのときは驚いた。
玄関を開けると、家中にその香りが立ち込めていて、
なんだか僕の帰りを待っていたかのようで嬉しかった。
でもそれだけじゃない。
部屋に干してある洗濯物や、押入れの衣類にまで
その匂いがうつっていた。
シャワーを浴びて、まず拭くのは顔だ。
その瞬間、さりげない移り香が鼻をくすぐる。
自然と頬が緩み、僕はなんだかこころが満たされていくような心地がした。
この季節、辺りを歩くとこの香りが漂っていて、
夜中にふらっと路地裏を歩きたくなる。
素晴らしい偶然を求めて
今日は焼酎を求めて歩いていた。
名のある銘酒の名をべたべたとガラスに貼っている、
以前車で通りすがって気になった店に入ってみたが、
定価ではない価格で販売していた。
その2軒隣も酒屋だったが、いまひとつ。
色々行ってみたが、収穫なく、落胆していたところ
そういえば、と以前日本酒を探しに行ったことのある
「義侠屋」 という酒屋さんに行ってみることにした。
とても小さい店だったなあと、自転車でふらリ行ったのだけど、
そこは、垂涎の止まぬパラダイスであった。
日本酒の品揃えもさることながら、焼酎も素晴らしい。
そして、直接取引されているということですべて定価である。
西酒造、黒木本店のラインナップが豊富で、
くらくらしてしまった私は、「喜六無濾過新酒」「富乃宝山」を
手に取ったが、さりげなく置かれていた「天使の誘惑」を会計中に見つけ、
迷わず買ってしまったのであった。
そんな素晴らしい酒屋さんを再発見したことに、なんだかうきうきしてしまい、
鼻うた歌いながら自転車こいで帰宅。
早速開封して呑み倒し、呑み倒されて居眠って午前3時。いま4時。
もう一口呑んで寝る構え。



