雨のあとのにおい -3ページ目

Music of spring.

CAJUN DANCE PARTY のアルバムを聴いている。
しばらく前から話題になっていたけれど、きっと何も知らなくても
ジャケ買いしてしまったであろうほどに美しいジャケット。

このところ、MGMTやLOS CAMPESINOS!など新しいジェネレーションの音楽を聴いて、
気持ちが盛り上がっていたけど、これも、とてもいい。
なんだろう、とても綺麗で美しいイメージがあふれてくるな。
繊細で、靄がかかった景色の中にいるような、
少しのけだるさとほんの少しのメランコリーで覆われているような。
背景には静けさがあり、どこまでも広がっているようだ。

美しい。

久しぶりに、大切に聴いてみたい音楽がやってきた。

日曜日、天気晴れ。


 今日は忙しい日曜日だった。

普段よりも早く、7時頃に起床して、昨夜炊いた筍ご飯の残りを温めて食べる。

その後、先週の出張の報告書を作成。1時間半ほどで書き終える。


次に明日の仕事で使う芝生や土をホームセンターで購入し、

職場に持っていく。職場で温室やビニルハウス、鉢物への水やりをする。

晴れた日曜日のガーデンはとても気持ちがいい。


パンと飲み物を買って帰宅。

今週中に提出しなければならないもろもろのものを力技で片付ける。

といってもほとんどがパソコンでの仕事。

少し肩がこる。


そうこうした後、ベランダで園芸を。

しばらく前に買っておいたバラの苗を植え替える。

バラは「プリンセスドゥモナコ」と「アイスバーグ」

MIKAの「Grace Kelly」なんか聴いたりしながら。

ついでに大好きな花、セイヨウオダマキの寄せ植えもつくった。


しばし昼寝。


夢を見た。が忘れてしまった。

ユキと散歩に行き、なぜだか絶好調な気分になる。


晩御飯は豚肉のしょうが焼き。

先日、注文から2年越しで届いた「魔法のフライパン

をはじめて使う。

フライパン自体のかたちもとても美しい。

驚いた。

火のとおり方や、肉のジューシーさが

半端ではない。

うまい。

まいった。

ちょっと、しばらくフライパン料理にはまりそう。



芋焼酎「五代目和助」の前割りを呑みながら、

今日はピアノ曲なんか聴いてみたり。


いつのまにやらもう11時。風呂にでも入って寝ることにする。

おやすみ。

春の遠足 後編


 疲れて眠ったわりには気が急いたのか、

朝早くから起きてあれこれ済ませた後、駅の本屋で竹光侍の最新刊と

吉田健一の「酒肴酒」を購入して津市にある三重県立美術館へ。

津に着くまでに竹光侍を読み終え、とんでもないなとしみじみ思う。

空もよく晴れ、あたたかい陽射しのなか、駅から歩いて美術館に向かう。

「液晶絵画 Still/Motion」展は最終日ということもあり、多くの人で賑わっていた。


森村泰昌からはじまり、やなぎみわ、イヴ・サスマン等、

液晶画面を使用したユニークな作品が続く。

その中でも目を引いていたのは

サム・テイラー=ウッドの2作品、「still life」と「little death」だった。

静物画と見紛う画面は液晶で、

置かれた果物や壁に立てかけられた兎の死骸が

時間とともに経ていく変化を余すことなく映し出している。
とてもショッキングな映像でありながら、画面の美しさや、

えもいわれぬ魅力に引き入られるように、その場から離れることができない。


そのほかにも、さまざまな映像作品が展示されており、

映像表現のもつ面白さや気味の悪さを感じさせてくれた。


美術館の前の桜はまだ見頃であり、少しぼんやりとしてから駅方面に向かう。

駅前の鰻屋でちょっとタレが濃いめの鰻丼を食べて帰宅。


さっきまで天気がよかったのに、いつのまにか雨がぱらぱらと落ちてきたので、

急いでユキと散歩に行き、夕方の始まるころに昼寝した。

目が覚めると、すっかり夕方も終わって夜。

東京、三重を巡る旅がまるで夢だったかのように思われ、

確かめるようにパンフレットや買ってきたものをしげしげと眺めていると、

この旅の色々なものとの出会いが何か花の蕾のようなものになりそうな気がして、

なんだかとってもあたたかいようなうれしい気分になっていた。

春の遠足 前編



 土曜日、東京出張のついでに国立新美術館 に寄ってきた。

黒川紀章氏が設計した建築はスケールが大きかった。明るくて気持ちの良い空間。


展覧会は「アーティストファイル2008 ――現代の作家たち」を見た。

国内外のアーティストが参加していたけど、

個人的にはヘルシンキ出身のエリナ・プロテルスというひとの写真がとてもよかった。

なんだか懐かしいような、遠い世界のような、現実ではないような、

淡い世界のどれもがひどく美しくて。

地下にある「スーベニアフロムトーキョー」も品揃えが豊富で楽しかった。

ユトレヒト から野川かさね氏が出版した写真集「山と鹿」のコーナーもあり、

写真集とTシャツを購入。

そのほか、みやげ物も面白くて色々と買った。


そんなこんなで、本来の目的地へ向かい、シンポジウムに参加。

色んな人と話をした後、今度は帰りの新幹線までにちょっと恵比寿へ。


前から行きたかった骨董屋「アンティークス タミゼ 」を覗く。

どれもがとても大切にそこに置かれているような気がして、

いくつもの白熱灯と古臭いとてもいい匂いの中で、ぼんやりしてしまった。

ぼんやりとした頭で次は「limArt 」というお店に入る。

ここはアートブックと雑貨の店。大判の綺麗なアートブックがたくさんあって、

ここでは頭がくらくらしてしまった。

ジョセフ・スデックの「Sad Landscape」という写真集や、

アンドリュー・ワイエスの作品集があんまりにも好きな感じだったから。


もうおなかいっぱいの気分で帰路について、夜中に帰宅。


それでも、13日までという三重県立美術館で開催されている「液晶絵画 Still/Motion」展に

想いを馳せながら疲れた身体は眠りに落ちる。


春の遠足はまだ続く。まだまだ続く。

Don't look back


 月日が経つのは早い。光陰矢のごとし。

時々考える。

ごくあたりまえのこと。

あたりまえすぎて見過ごしてしまうこと。


長いことほったらかしだったこと、

もう一回やってみるかな。

昼間の星と夜の虹

そこにいるのにいないものは何?

そこにあるのにないものは何?


こたえは犬と梨。


なにかが分かるっていうのはどういう感覚だったろう。

法則を応用して問題を解く感じ、

さっきみたいななぞなぞの答えがすっと頭に浮かぶ感じ。


分からない事柄ばかりだった頃はいつも新鮮な驚きに満ちていて、

何かを覚えたり、物事を知るということがとても楽しかった。

少しでも身の回りの世界と親しくなれたような気がして、

自分の内側が広がっていくように感じていた。


でもずっとそれでは疲れるんだろう。

いつの間にか、知らない事柄でも

それまでの経験からある程度の憶測を立てて、

なんとなく知ったような気になって過ごしている。

出会うものたち、出会う人々、日々の出来事。


自分の作った枠の大きさで周りの世界を見回しているような気になって、

なんとなく窮屈な気分になる。


誰かのこと、分かったような気になっていてもきっと深くまでは理解していない。

ひとたびそれを忘れてしまえば、その人はそこにいるのにそこにはいなくなる。

そこには自分が作り上げたその人の姿があるだけ。

でも結局は自分が感受したその人が自分の目に映るのであって、

どれほどその人をわかりたいと思うか、その深度によって変わるのかもしれない。


昼間の星を見るように、月の光で生まれた虹を探すように、

そこにあるものをあるものとして、ぼくはいとおしく感じていたい。

春雨道中

あたたかい雨が降っている。

ぱらぱらぱらぱら…

傘をささずに歩いても平気なくらい。


空気中のほこりをからめとって落ち、

地面で蒸発した雨が、土の匂いを辺りに充満させる。

こうして春の雨は春の匂いをいっそう強めている。


日曜日の昼間にそんな中を歩いていると、ある光景を思い出した。

それはある退屈な休みの日の午後。

その街に行くときは決まって曇り空だ。

食材などの買い物に行く両親に、暇だからついていく。

特に何かを買ってもらうわけでもないので、それほど楽しみがあるわけではない。

帰りに飲み物を買ってもらうくらいだ。

スーパーに入ると、いつもと違う場所にいることを強く感じる。

そして、そのスーパーから見える景色はいつも重苦しい。

灰色の空が、もうすぐ日曜日が終わることをそれとなしに伝えている。

いつもと違う、あまり知らない場所で、

時間だけが過ぎていくんだってことをなんとなく感じて、不安になる。

幼いぼくは、そんなことを言葉にもできず、もやもやを抱えて家に帰る。

甘い炭酸飲料を飲みながら。


そんな街よりもずっと遠く離れた土地に暮らしているぼくは、

あれからいったい何を感じ、何を考えてきたんだろう。

ぱらぱらぱらぱら・・・

やさしい雨音が、柔らかい匂いが、不意に記憶の扉をノックするから、

時間だけが過ぎていくことをまた、思い知らされてしまう。

明日にします

 今日、MTVを見ていたら、arctic monkeysのライブをやっていた。
そういえば新作がいつ発売か調べてなかった。ネットで見てみたら、国内版は発売中で、輸入版は21日らしい。
あすにでもタワレコに行きたい気分。ニューシングルの「brianstrom」をクリップで一度見たけれど、
最高にしびれる感じがする。やばいなあと、心底思った。

ちなみにKLAXONSも聴いているうちに、だんだんはまってきて、やっべえなあなんて思いながら、

車の中で大音量で聴いてみたり。それが気持ちいいんだなあ。

あー、それにしてもはやくアークティックモンキーズ聴きたいなあ。聴きたいなあ。聴きたいなあ。

明日の朝、納豆ご飯食べながらもう一度こころの中で唱えることにしよう。

すばらしいとき

すべてが大切で愛おしいものに思えたり、

すべてがくだらない無駄なものに思えたり、

とても安心した気分でいたかとおもうと

ふと不安な気持ちになったり。

音楽がこころにしみてきたり、耳障りに思えたり、

何かを思い出したとたん、何かを忘れたり。


久しぶりに感情の揺れを感じる。

春だから?

それとも素晴らしいできごとのせい?


それは日常のすべて、生活の天井を覆っている。

ぼくはそれを眺めてうっとりしたり不安になったり。

それを形容することばをいまは探したくない。


先週、北海道に帰った。

4月には珍しく20cmも雪が降った。

久しぶりに雪一面の真ん中に立ったら、

辺りはとても静かで、風だけが柏の葉を揺らしていて、

ここで生きてきた時間が身体の奥深くに染み付いていることを実感する。

それは何か大きなものに内側から守られているような気分だった。


甘い甘いスイートポテトを食べながら、

そんなこと、考えていたんだよ。

冷たい風に沈丁花が香り、発情した猫が騒がしい。

最近、KLAXONSを買ってみた。が、まだあまり聴いていない。

HARCOのベストを借りたのが聴きやすくてどうも、耳がそちらを求めているみたいだ。

長いこと車のオーディオが動かなかったこともあり、

音楽を聴く楽しみから遠ざかりつつあったのだけれど、

ちょっといじってみれば単なる接触不良だったみたいで、しばらくぶりに車で音楽を愉しんだ。

そのついでにタワレコ寄ってCD3枚買ったってところでKLAXONSが出てくるんだけど。

買ったのはKLAXONSとThe ViewとMIKAというイギリスの音楽ばっかり。

でも、チェンジャーに入ってたアナログフィッシュの「ROCK IS HARMONY」を聴いて、名盤だと思った。

ドラミングが気持ちよすぎて居眠り運転してしまいそうだよ。

このところ、音楽に限らず感受性が下がっているみたいだ。

調子がいいときは風の音でさえ音楽のようなのに、今はかつて好きで何度も聴いた曲が

耳障りに感じることがある。

うれしいもたのしいもどこへ行ってしまったのやら。

リハビリがてら、文章を書いてみることにする。

サンキュー。