昼間の星と夜の虹
そこにいるのにいないものは何?
そこにあるのにないものは何?
こたえは犬と梨。
なにかが分かるっていうのはどういう感覚だったろう。
法則を応用して問題を解く感じ、
さっきみたいななぞなぞの答えがすっと頭に浮かぶ感じ。
分からない事柄ばかりだった頃はいつも新鮮な驚きに満ちていて、
何かを覚えたり、物事を知るということがとても楽しかった。
少しでも身の回りの世界と親しくなれたような気がして、
自分の内側が広がっていくように感じていた。
でもずっとそれでは疲れるんだろう。
いつの間にか、知らない事柄でも
それまでの経験からある程度の憶測を立てて、
なんとなく知ったような気になって過ごしている。
出会うものたち、出会う人々、日々の出来事。
自分の作った枠の大きさで周りの世界を見回しているような気になって、
なんとなく窮屈な気分になる。
誰かのこと、分かったような気になっていてもきっと深くまでは理解していない。
ひとたびそれを忘れてしまえば、その人はそこにいるのにそこにはいなくなる。
そこには自分が作り上げたその人の姿があるだけ。
でも結局は自分が感受したその人が自分の目に映るのであって、
どれほどその人をわかりたいと思うか、その深度によって変わるのかもしれない。
昼間の星を見るように、月の光で生まれた虹を探すように、
そこにあるものをあるものとして、ぼくはいとおしく感じていたい。