休日の夕方、静謐がまどろむ部屋
今日はとても寒いいちにちだった。
でも、休みの日は何かと忙しい。
たまった洗濯物を片付けて、今日は衣類の入れ替えをした。
ついこの間まで半袖でいられたのに、11月に入ってからというもの、
季節はおおいそぎで冬に向かっているようだ。
それから、少し遅い朝ご飯を食べて、仕事場へ植物の水やりへ。
そのあと、近鉄百貨店へオリーブオイルとごま油を買いに行った。
それらを戸棚へ仕舞うとき、いつか、自分が使っている調味料を
写真つきでここに載せてみようかと思ったりした。
少し戸棚を整理した後は、園芸店をはしごして、明日仕事で使う予定の
マルチフィルムやイチゴ苗、ハーブ苗、たまねぎの苗なんかを買ってきた。
その後で、いくつかの食材を買って帰宅。
そうするともうずいぶん日は暮れて、いつしか夕方と夜のあいだだった。
ストーブに火をつけると、その暖かさにいつのまにかウトウトして居眠りをした。
ユキもゲージの中でいびきをかいている。
それはなんだか、とても幸福な時間に思えた。
ストーブの上に置いたやかんから湯気が立っている。
とても静かなまどろみの時間。
ぼくは、のろそろと起きだしてパンケーキを焼いた。
粉を牛乳と卵で溶いて、フライパンで焼いていく。
しばらくぶりなので、1枚目はすこし焦がしてしまったが、
2枚目は、上々の仕上がりだ。
バターとたっぷりのメイプルシロップをかけたパンケーキを頬張ると、
それは、そんな幸福な時間を舌の上にあらわしてくれているようだった。
ぼくは須賀敦子さんの本を読みながら、
静謐という言葉にふさわしく美しい、そんな素晴らしい時間をゆっくりと愉しんだ。
風が吹いた日、うわの空
夕暮れの高圧電線にカラスの大群。
鉄塔に吹きつける風が辺りに轟音を響かせる。
いつの間にこんなに寒くなったのか、
木々もずいぶんと葉を落としている。
人生のうちにたった一度しか経験しないこと、
たった一度必ず経験しなければいけないこと。
経験しない人も時にはいるのかもしれない。
それは準備して迎えるときもあれば、
青天の霹靂のようにふいに訪れることもある。
ふいにそれがやってきたとき、それはどういう気持ちだろう。
にわかに信じられない、現実味がない、まだそこにあるような、
そんなところなのか。
でもいずれ、とてもとても苦しい時期が訪れるのだろう。
なんとか踏ん張って歩めるだろうか。
少し考える。
たとえふいでないにしても、それは来る。
その時、ぼくは何ができるだろう。
風が強く吹いた日、
同情も共感もできないぼくは、
そんなことを考えた。
そして自分の中にある驕りがまじまじと見えてきて
少し疲れてしまった。
エジプト ノープロブレム
このところ、お買い物がしたくてどうしようもない。
といっても、高いものをたくさん買ってしまうわけでも、
まったく必要ないものをたくさん買ってしまうわけでもない。
きっと手に入れるべきものが、この時期に集中しているってだけのこと。
洋服を見ていても、このごろはシビれるものがガンガンあるんだ。
ピラミッドの図柄に「EGYPT NO PROBREM」って薄黄色いTシャツ。
意味分からないけど、一目見て最高にカッコイイって思ったよ。
小さいキツネの刺繍がついたねずみ色のカーディガンは
ちょっと大きいかと思ったらジャストサイズだった。
古着は一期一会だから、この出会いが嬉しい。
この1ヶ月で買ったものはかなりあるみたいで、
考えると、びっくりしてしまう。
でも、一番楽しみなのは、もう少ししたら来るであろう、
アラジン ブルーフレーム っていうストーブだ。
円筒状の石油ストーブで、丸い窓から青い炎が見える。
円筒の上部はやかんを置いたり、鍋を置いたり、
焼きいもだってできるらしい。
このところ、急に冷え込んできたからストーブの暖かさが恋しくなってきたところ。
北国育ちだからか、ストーブの暖かさが本当に好きだ。
ハウス食品の北海道シチューのCMなんか、結構グッときてしまう。
ああいう感覚はとてもよくわかる。
だから、ファンヒーターなんかより、
炎が見えたり、コトコトなにか煮てみたり、
風邪の予防にニンニクをホイルで包んでのせて焼いて食べたり、
そんな楽しみのある、気持ちまであったかくなるような
そんなストーブが欲しかったんだ。
だから、とても嬉しい。
届いたらまだそんな寒くもないのにストーブ焚いてそうだよ。
いとしのアップルパイ
アップルパイを焼いたのは先週の日曜日。
金曜日は仕事の一区切りで先輩と飲みに行き、
焼肉屋、焼酎居酒屋、ラーメン屋をはしごして、
久しぶりに千鳥足で家路に着いた。
土曜日は意外にすっきりと目覚め、午前中家の片付けや洗濯をした後、
午後からの出勤で生垣用の樹や果樹なんかを買い付けに行った。
注文してあった60本のほか、10本近い樹を軽トラに積みこみ、積み下ろし。
仕事の後、勢いがあったため、友人を誘って家でグダグダ飲む。
日曜の朝、ゆっくりと起きて友人を送る途中で洋服屋のセールに立ち寄り、
意気高揚した我々は夕方にジャズドリーム長島行きを決定。
結局、水やりやその他の雑務で、のんびりとアップルパイを焼く時間と
読書する時間を取れなかったのは残念だったけれど、
美味しいパイが焼けたのは確かだった。
そして紅玉を煮詰めるときのあの匂い。
それは本当にわずかな時間。
なんて幸福なひとときだったろう。
誰かがそばにいたら抱きしめてやりたくなるような、
そんな気分になった。
そして、友人は焼きあがってちょうどよいころに訪れ、
ガプガプとパイを食べつくした。
ジャズドリーム長島はカップルだらけで、ぼくらはちょっとだけ
うらやましい気分になったかどうかはわからないけど、
ぼくら、帰りにカレーライスをやけ食いしたのは本当のことだったかもしれない。
そのせいでか知らないけど、ぼくはそのあとしばらくおなかを壊したんだから。
あんまり無理はできないね。
感傷的な甘い匂いに葉が落ちる
10月も終わりだというのに今日の暑さはなんだろう。
小春日和を通りこして、昼間は夏の雰囲気だった。
でも、朝夕はしっかり空気も冷たくて、やっぱり秋だってことを知る。
半袖でユキと散歩に行って、おなかが冷えかけてよく分かった。
でも、秋らしくない秋が深まってきて、りんごがよく目につくようになってきた。
りんごの皮をむくとき、またこの季節が来たかと思う。
みかんの皮をむくときの匂いは冬のイメージが強く、
自分にとっては雪景色が脳裏に浮かんでくるけれど、
りんごは秋の枯れ葉色が浮かんでくる気がする。
そしてこの時期、ぼくは毎年アップルパイを作ることに決めている。
たいていの人は少し驚くみたいだけれど、
パイシートは市販のものを使うし、大して難しいことをするわけではない。
お菓子作りは全然しないけれど、アップルパイだけはどうしても作りたくなる。
今回もいい紅玉が手に入ったので、この週末に作る予定だ。
天気もいいらしいので、やることはたくさんあるけれど、
ゆっくり読書をする時間をとって、ゆったりと取りかかろう。
自分にとって、アップルパイ作りは何か特別な時間かもしれない。
幸せな気分になれる気がする。
そしてきっと、いちばん幸せなのは、オーブンで焼いている時間でも、
焼きあがったパイを食べる時間でもなく(もちろんそれはそれで幸せだけど)
りんごを鍋で煮詰める時間だと思う。
シャキっとしたりんごを薄くスライスして砂糖と一緒に煮詰めていくと、
次第にそれは綺麗に透きとおってきて、飴色になる。
そして、その頃には甘い香りが湯気になって鼻をくすぐっている。
それはあっという間にも感じられるし、とても長い時間にも感じられる。
そしてなんとなく感傷的な気分になってくる。
そんなふうに、日曜日の夕暮れ、ぼくの台所は色んな感情で溢れているだろう。
すくいとるもの
秋の風に樹々の葉がざわめいている。
いつもならば、それに呼応するかのように、
自分のこころも揺れ動いてしまうのだが、
このところ、やるべきことが多く、
そこに気を向ける余裕がないようだ。
しかしながら、ふと考えるときがある。
自分が本当にしなければいけないことは何か、
このままのスタイルで続けていいものか、
じっくりと振り返る時間が必要ではないか、
もっともっと、考えなければいけないことや、
知っていなければいけないことがあるのではないか、
果たして、自分の見据える先に自分の望むものがあるのだろうか、
自分の考えはどこまで理解されるだろうか、
自分が大切にしているものは何なのか・・・・・・。
夕飯で、枝豆を湯がいて食べた。
ぼくは食べる途中で、手を滑らせて豆粒を下に落としてしまった。
ぼくは、それを汚いと思って、殻と一緒に捨てた。
大粒のその豆は、確かに、ぼくに食べられるために存在していた。
でも、その直前、ぼくのちょっとした不注意で、それは叶わなかった。
それでも、食べるぼくが、ちょっとゆすいでやればそれは叶ったはずだけど、叶わなかった。
作り手の時間や手間が注がれて、きっと美味しかっただろうその一粒は、
ぼく次第でゴミにも栄養にもなる。
そういうこと、人生でもたくさんあるんだろう。
長い時間、努力を積み重ねても、叶えられないものもきっとたくさんあるんだろう。
どれだけ素晴らしいものであっても、理解されなかったり、
評価されない可能性もたくさんあるのだろう。
一粒の枝豆は直接的にはぼくの栄養にはならなかったけれど、
何か大切なことを考えるきっかけを与えてくれたような気がした。
ぶらり旅 滋賀・石山編 後半 「滋賀ないぼくの日曜日」
10月というのに、日差しがきつく、歩いていると暑いくらいだ。
はじめてひとりで京都に遊びに行った10月も、こんな日だったっけ。
石山寺から瀬田の唐橋まではおよそ2キロ。
唐橋が見えてきた辺りで、ドンドコドンドコ太鼓の音が聞こえてくる。
結構大きな祭りなんだろうか、胸が高まってくる。
瀬田の唐橋は間近で見ると、金属製でペンキの塗りも粗く、
気持ちよく晴れた日差しに少し恥ずかしそうだ。
橋を渡ると、そこは百足祭りに訪れた地元の方々、
じいちゃんばあちゃん子供、母ちゃん父ちゃん、おっさんおばさんでごった返していた。
フリーマーケットもたくさん出店、がらくた市には秋晴れがよく似合う。
目指す雲住寺の前ではおいなりさん、鮒寿司、味ご飯、わたがしなど、
いよいよ地元の祭り気分が盛り上がってきた。
それをすり抜け、早速境内に入ると、すでに椅子が並べられ、
オーディエンスは準備万端だ。
自分もすぐに席に着き、はじまりを待つ。
ステージは寺を背に、いかにも手作り。
看板も少し字が下手で、それを書いた人の人柄が溢れている。
このお祭り、正式には「第13回 俵藤太と百足供養会」という名で、詳しいことはよく分からない。
ともかく、その供養会の奉納ライブにバンバンバザールのゲストとしてイノトモさんが出演するのである。
しかし、バンバンバザールの音楽ははじめて聴くので、少しわくわくしてきた。
3人ともがたいの良い彼らは自分らでセッティングを行い、
とても自然にライブがはじまった。
(その前に、司会のおばさんのブッ飛んだ紹介が会場を盛り上げていたけれど…。)
いかにも手拍子の似合う軽快なリズムと気持ちの良い歌声とギター。
人が行き交う騒がしい祭りの中に、とても心地よい。
とてもいいじゃないか、こういうの、と思って楽しい気持ちになった。
そして、イノトモさんの出番。
思ったとおりの雰囲気のひとだった。
いや、予想以上にふんわりしていたかもしれない。
でも、その歌声を聴いたぼくはゾゾーってしたんだ。ほんとだよ。
そして、ぼくの大好きなアルバム「やさしい手。」から「冬のにおい」という曲。
なんだか身体がじんわりしてきて、とても懐かしいような、嬉しいような、
泣きたい気持ちになってしまって、びっくりしてしまった。
でも、イノトモさんの出番は短くて、もっとその声を聴いていたいと思ったよ。
奉納ライブは午後2時からもあったんだけど、
ぼくは前日、仕事で植えるために買った樹木を受け取るために午後5時に
仕事場にいなければいけないという、きわめて、しかたのない状況にあり、
草津でとんかつを食べて午後の早い時間に帰ってきたのでした。
ぶらり旅 滋賀・石山編 前半 「それだったら、滋賀たがないね。」
今日は朝5時半に起床し、滋賀県に出かけてきた。
第1の目的は、雲住寺という瀬田の唐橋のそばにあるお寺で
百足供養会があり、その奉納ライブにでるイノトモさんの歌を聴きにいくこと、
第2の目的が石山寺に仏像を見に行くことだった。
石山駅には8時半過ぎに到着。
ライブは昼前からだったので、
まずは石山寺に直行する。
滋賀はみうらじゅん曰く、いい仏像がひしめく「仏ゾーン」らしく、
石山寺は見仏記の第4巻に登場し、
みうらさんが小学生のときにも来たことがあって…という
すこし印象的なエピソードが記憶に残るところである。
とても敷地の広いお寺で、仏像も多かった。
兜跋毘沙門や大日如来、弘法大師、如意輪観世音、不動明王…
見仏初心者の自分にも、見所満載であった。
少し歩きつかれながらも、裏手を歩いていくと、
無憂園という名の庭園がある様子。
しかしすごい名前。
「憂いの無い園」って。
しかし、そこは見事な苔で地面が覆われ、鬱蒼としてとても静かな場所だった。
さすがにちょっと不気味で、憂いが消えるかどうかは怪しかったが。
また本堂のほうに回り、もう一度仏像を見る。
大日さんの白眼の白さが薄闇のなかで浮かび上がっている。
そして大日如来が収められている多宝塔の形もユニークだ。
とても美しいと思いながらも、なんとなく「おでん」と思ってしまったのは、どうしたものか。
また、敷地内は四季折々の花が咲くようにと、植栽も考えられている様子だった。
いまは金木犀と秋明菊が咲いていた。
金木犀がほのかに匂うなか、石山寺を後にし、
ぼくは瀬田の唐橋に向かって歩いた。
(ぶらり旅~滋賀・石山編 後半につづく)
キイチゴ
ぼくが仕事でつくっている庭にキイチゴを植えようと思っている。
キイチゴは英語でラズベリー。
あまり保存がきかないので、お店では冷凍とかで見ることが多いけど、
甘酸っぱくて、とてもいい香りがする木の実。
ユーリ・ノルシュテインの「霧の中のハリネズミ」で、ヨージックが
コグマにお土産として持っていくのがこのキイチゴのジャムで、
きっと、紅茶にそれを入れて飲むんだろうね。
とくにコグマはたっぷりと。
モナン・シロップにもラズベリーはあって、
きんきんに冷やしたペリエに適量を注いでかき混ぜると、
それは素敵なラズベリー・ソーダができあがるんだ。
ぼくはそれを天国の飲み物かなんかかもしれないとひそかに思っているよ。
そんな宝石みたいなキイチゴの実をたくさん収穫して、
美味しく食べられる日をぼくはちょっと夢見ていて、
明日はそんな気持ちでみんなと苗を植えようと思っている。




