すくいとるもの
秋の風に樹々の葉がざわめいている。
いつもならば、それに呼応するかのように、
自分のこころも揺れ動いてしまうのだが、
このところ、やるべきことが多く、
そこに気を向ける余裕がないようだ。
しかしながら、ふと考えるときがある。
自分が本当にしなければいけないことは何か、
このままのスタイルで続けていいものか、
じっくりと振り返る時間が必要ではないか、
もっともっと、考えなければいけないことや、
知っていなければいけないことがあるのではないか、
果たして、自分の見据える先に自分の望むものがあるのだろうか、
自分の考えはどこまで理解されるだろうか、
自分が大切にしているものは何なのか・・・・・・。
夕飯で、枝豆を湯がいて食べた。
ぼくは食べる途中で、手を滑らせて豆粒を下に落としてしまった。
ぼくは、それを汚いと思って、殻と一緒に捨てた。
大粒のその豆は、確かに、ぼくに食べられるために存在していた。
でも、その直前、ぼくのちょっとした不注意で、それは叶わなかった。
それでも、食べるぼくが、ちょっとゆすいでやればそれは叶ったはずだけど、叶わなかった。
作り手の時間や手間が注がれて、きっと美味しかっただろうその一粒は、
ぼく次第でゴミにも栄養にもなる。
そういうこと、人生でもたくさんあるんだろう。
長い時間、努力を積み重ねても、叶えられないものもきっとたくさんあるんだろう。
どれだけ素晴らしいものであっても、理解されなかったり、
評価されない可能性もたくさんあるのだろう。
一粒の枝豆は直接的にはぼくの栄養にはならなかったけれど、
何か大切なことを考えるきっかけを与えてくれたような気がした。