雨のあとのにおい -2ページ目

なにかが蠢いている

春が近づいてきて,花が咲き出している.

いろんな花がそこいらじゅうに.

今日は風が冷たかったけど,春の匂いがずいぶんと混じってきた.

なんとも言えない季節だ.


あちらこちらで虫たちが蠢きだしたように,

春は感傷的で,こころも落ち着かない.

ふとした瞬間にどうにもならない気持ちに支配されてしまう.

それがいつの間にか消えるとわかっていても,慣れることがない.



このところ,ひとりの時間を意識して持つようにしている.

じっくりと本を読んで考えに耽ったり,しっかりと音楽を聴いてみたり,

テレビを見たり,ごはんを作って食べたり.


そうしてみると,今までないがしろにしてきたいろんなことに気づかされる.

時間は思うほど早くは過ぎていかない.


静かなまなざしをこころのうちにたしかに持つことができたら,なんて思ってみたり.

夜は気が付いたらいつの間にか更けている.


このままでいいなんて思っていたとき,振り返ればそれは砂上の楼閣で夢を見ていただけだった.

砂は風に飛んで消えた.楼閣は簡単に崩れて夢だけが記憶の中でしぶとく生き永らえている.


夢の中で生きる幸せもあるのだと誰かが言う.

しかし夢は移り気で不確かだ.とても信頼が置けない.


春の夜,空に浮かぶ月は埃っぽい空気に霞んでいて,朧げな輪郭が静かに揺れている.

つまらない人生は過ごしたくない.

君の声

いつもより,ちょっと意識して声に耳を傾けてみる.


声は言葉の内容よりもなにかをはっきりと伝えるときがある.

同じ顔が2つないように,同じ声も2つない.

自分にとって耳障りの良い声,耳障りの悪い声.

その境界はあいまいでも,耳の感度に応じてそれははっきりと分けられる.

身の内から空中に響き漂う声,美しい響きの美しい言葉を求めるのは

この耳のせい.

ある人がいて,その人の声がしっかりとその人と結びついているとき,それは信頼できる.

はかない,ガラスのように透きとおった声,

こわれやすくて光に揺らいでいるその声.

声はその人のそのときの歩みに寄り添って変わっていく.

では求める声は変わっていくか.

この耳は際限なく要求する.

耳に入ったとたん,滑らかに溶けていくその柔らかな声を.

その声で静かな悲しみを歌ってほしい.

読書な夏

今年の夏はどうしてかたくさん本を読んでいる.

すいすいと字が読める.

ついつい本に手が伸びる.

この1ヶ月は異様なペースで読んでいる.

いつまで続くかわからないが,今日も読んで読みまくった.

よくわからないけども,いい徴候か.どうなのか.

しばらくした後,うんちみたいに何かがでてくるか.

どのみち,ゆっくり消化するのがよい.

ワークスペース


「書斎」という響きが好きだ。

その少し余剰な雰囲気と贅沢。静謐な空間。


いま住んでいる家はふたつの部屋と台所、風呂、トイレ。

ひとつの部屋にはベッドと本棚、ワークスペースがある。


ワークスペースは部屋のなかでも多くの時間を過ごす場所であり、

自分の好きなものばかりいろいろと並んでいる。

つい最近、ようやくアームライトを購入し、よりワークスペースっぽくなってきた。

あとは椅子。

色々と迷っているうちに何年も経ってしまった。

そろそろ座り心地がよく、作業に集中できる椅子が欲しい。

どれにしよう。

困った。


困っているけれど、これはうれしい悩み。

もうちょっと迷うことにする。

Do you like strawberry jam?


 きれいに洗ったイチゴ。まっかっか。

砂糖をまぶして2時間後、火を入れる。中火。木べらでまぜながら。

大きく泡立ったら少しアクを取って、煮詰める。火を入れて20分くらい。

              とろみとつやが出てきたら火を止めて、レモン半分ひと搾り。



 熱いうちに煮沸消毒した瓶に入れて、それは保存用。

                  半端の分はすぐ食べる用。

                  ホットミルクか温かい飲み物をかたわらに、

                  できたてのイチゴジャムをバターたっぷりのブリオッシュにつけてひとかじり。

               


日曜の午後、気の抜けた光が窓から注いでいる。

耳に柔らかい音楽が流れてきて、どこもかしこもゆるい空気だ。

トーストしたパンの匂いが部屋中に漂って、

パン好きのうちの犬が鼻を鳴らして尻尾を振る。よだれを流して見つめている。 
               

それを横目にいただきます。

舌に触れたジャムはとてつもなく甘くって、

どうしようもないくらい甘くって、
でも、バターでこってりとしたブリオッシュとの相性は素晴らしく、とても美味しい。  

               

ひとつ息をついたら、からだ全体に日曜日のけだるさと美しさがしみこんでいく。

                

 好きだな、この感じ。


何もかもがいとおしい気持ちになって、これはほんとうに素敵な食べ物だなって思う。

HAPPY FOOD.

ちょっといいキーワードを見つけた感じ。

環水平アーク


昨日のこと。

水平の虹を見た。

太陽の向かい側じゃなく、太陽の方向にかかる虹。


前日は雨。

この日も朝はくもりだったが、昼頃から次第に晴れ間が見えてきた。

これはそんなき、ふと空にあらわれたもの。

水平の虹を見たのは二度目。


虹の七色が、リボンかテープのように空に貼り付けられている。

なんだかまぶしい。

光がつくり出す、つかの間の幻術。

きれいきれいきれい。

心の中で何度も繰り返しながら虹を撮る。


薄くなったり濃くなったり、

しばらくしてすーっと消えた。


残るのは青い空。

残るのは白く伸びる雲。

残るのはいつか同じ虹を見た誰かのこと。

残るのは淡い残像。


残らないのはただひたすら見入った時間とこの気持ち。

きれいな虹を見た後は、なぜだか少し悲しい。

安藤裕子とイノトモ

安藤裕子
を聴いている。

「shabon songs」は昨年発表されたアルバムで、
近々「chronicle」というアルバムが発売される。
かつて「水色の調べ」というシングルを聴いたとき、
その表現力と儚い歌声にいっぺんにやられてしまったけど、
「shabon songs」も素晴らしいアルバム。
透きとおる声、美しい音とメロディ、そして感情のかたまり。
それぞれの楽曲の持つ物語の中にいつの間にか引き込まれ、
どうしてか自分の感情も揺らいでしまう。
次の作品もとても楽しみだ。

新しいアルバムといえば、イノトモ も6月に新作を発表する。
「夜明けの星」というアルバムタイトルで、
ジャケットも素敵。
本当に待望のオリジナルフルアルバム。
新しい曲とその声を聴けると思うだけでとてもうれしい。
あの声にいったい何度泣かされたことか。
じんわりと、辺りの空気にしみこむようにイノトモの声が流れてきて、
夕闇は不意に懐かしい匂いを漂わせるし、
冬の星が温度をもって輝いてくる。

音楽のもつ、とてつもない美しさとどうにもならない儚さを、表現してしまうこのふたり。
それは体の芯にひっついて離れない。
惜しみない愛情を注がれた作品たちはどうしたって愛すべきもの以外にならない。
本当に大好き。

いつ実る林檎、狂気の如く甘く美しくあれ


 昨日、三重県立美術館に行った。

「金比羅宮 書院の美 応挙・若冲・岸岱から田窪まで」という展覧会が

4月末から始まったばかり。

こんぴらさんに収められた障壁画などが運ばれて展示されるという画期的なもので、

どれもこれも素晴らしいものばかりだった。

そのうちのひとつ、椿書院襖絵を現在も制作中である、田窪恭治氏。

私は田窪氏がフランスの礼拝堂の再生に取り組んでいる様子を

10年ほど前にNHK「新日曜美術館」で見て以来、その名をずっと覚えていた。

時間とともに朽ちていた古い礼拝堂を、その美しさを引き出すかのように、

ガラスの瓦を葺き、壁面には幾重も重ねた絵の具から林檎を削りだしていく。

その真剣なまなざし、その行為と礼拝堂の影は、いつまでも自分のこころのどこかに残って

澱のようになっていた。その番組も、ビデオにとってまだ部屋のどこかに残っているはず。


そしてそんな中、思いがけず田窪氏にお会いすること叶った。


昨日は公開制作の前半の最終日であり、実際に見たいと思っていたものの、

その時間には間に合わず、制作の様子を見ることはできなかった。

しかし、観覧後にグッズ販売を見ていたら、関係者の方が、

書籍購入の方はサインを書いてもらえるということを言われ、即購入。

そのままの流れで田窪氏のおられる部屋まで連れて行ってくださり、

著書にサインしていただいた。

突発的な出来事に、大して話せなかったが、

最後に握手していただいた手がパステルで深緑色をしていたのを覚えている。


いまだ制作中の椿書院襖絵、その圧倒的な力強さと美しい様子を

今度はこんぴらさんに見に行ってみたい。

そして、フランスにある美しい林檎の礼拝堂にも。

Jewels in the garden.


4月の終わり、滋賀・近江八幡に向かう。

目的地は「アール・ブリュット/交差する魂」展が開催中の

ボーダレス・アートミュージアムNO-MA。


3月頃にNHK新日曜美術館で特集を見て、どうしても実際に行って見てみたかった。

製作中の彼らのまなざしや表情がすごくよくて。

ただただそれがしたくてたまらないだけの顔。

何のてらいも、ためらいもない。


実際に見ると、作者の息遣いがありありと感じられ、すごいエネルギーを持って迫ってくる。

作品のどれもが、まっすぐで、ひたむきで、驚くほど緻密。

個人的には辻勇二氏の描く、空想都市の鳥瞰図がとてもいいと思った。

番組を見たときから気になってはいたけれど、

線の歪みや物体のデフォルメのしかたがとても心地よくて、

うっとりと見とれてしまう。

それと、坂上チユキ氏の作品。

番組の中でも田口ランディ氏が「これは実際に見て欲しい」と強く語っていた通り、

呆然と作品の前に立ち尽くしてしまうほかないような凄みがあった。


NO-MAを後にし、街中をぶらぶら。

尾賀商店 」という古い建物をつかった店を覗く。

個性的な店が集まってつくった、新しくて懐かしい店。

置いてあるものや、そこにいる人たちの感じがとても良かった。


展覧会の第2会場、旧吉田邸を見たあとは、

日牟禮八幡宮を参拝し、クラブハリエのバウムクーヘンを買いに。

何度か頂いて食べたことはあったけど、

当日が賞味期限の焼きたてバウムは初めて。

少し並んで購入。やばいくらいにおいしそう。

併設のカフェにはガーデンがつくられ、とても綺麗に手入れされていて、

なかでもきらきらの石飾りは夕方の光を受けてとても美しかった。

そのほか、八幡堀沿いを散歩したり、佇んだりしてすごし、

とてもリラックスした休日だった。

でも近江八幡はまだまだ面白そうなところがありそう。

またいずれゆっくり尋ねてみたい。

アロイス・カリジェ


「フルリーナと山の鳥」 岩波書店


先日、図書館で「カリジェの世界」という本を借りてきた。

カリジェの絵と、安野光雅の解説がのっている。


カリジェの絵からは北方の匂いが強く漂ってくる。

アルプスの山々や針葉樹、シラカバの木や雪景色。

それだけでも十分に引き寄せられるのだが、

どれもが圧倒的に美しく、ため息さえでてしまう。


カリジェの絵に「窓辺のかけす」という一枚の油彩画がある。

開かれた窓の外は一面の雪景色。

雪はうっすらと青みがかっていて、シラカバの木が何本か立っている。

遠くには山なみと家がぽつん。

そして窓辺に一羽のかけすが佇んでいる。

聡明な表情のかけすの赤い羽根が、いっそう際立って存在感を示し、

見ていると、なんだか心が澄んでいくような気持ちになる。


本はまだ借りてきたばかり。

じっくりと味わいながら読むことにする。