月影
大学時代、親しくしていた先輩がうちに来た。
会うのはおよそ2年半ぶりだ。
その先輩は郡山に住んでいるので、なかなか会う機会がない。
今回は、休みが取れたから、といってバスや電車を乗り継いで、はるばるやってきた。
前日の朝に出て、昨晩は名古屋のマンガ喫茶で夜を過ごしていたという。
雨のなか、関ヶ原にもいってきたようで、「道に迷っただけで、何も見つけられなかった。」といって笑う。
そして、「おれ、昨日と今日で5万歩くらい歩いてっから。」と言って、万歩計を僕に見せてくれた。
わざわざ万歩計をベルトに付けてきた姿をみて思わず笑ってしまった。
とりあえず近くのスーパーかどうかわからんような小汚いわりに
かなり賑わっている銭湯へ行って汗を流す。
そして、ともかく飲んだ。
出てくるのは、学生の頃の話が多い。
先輩はなぜか、面白い場面に遭遇することが多かったようで、話のネタは尽きない。
「もう時効だろうと思うけど・・・。」と言いながら、数々の事件を面白おかしく話してくれて、
久しぶりに笑い転げてしまった。
僕は学生時代の頃を思い出すのは久しぶりだなあと思いながら、話を聞いたり喋っていた。
なんだか記憶も朧げになっていて、ずいぶんといろんなことが変わってしまったことに気付く。
全然ビールを飲めなかった僕が、今は好んで飲むようになっていることに先輩は驚いていて、
なんだかそういうことがいくつもあった。
変わったもの変わらないもの、それが話しているうちにちらほらと見えてくる。
次の日、とてものどかな日曜の午後の日差しのなか、
二日酔いで「くふぅ~。」とか言いながらぐったりして横になっている先輩を見て僕は、
やっぱりちょっとセンチメンタルだった。
部屋音楽 * 斉藤和義 「月影」
赤黄色の金木犀
秋らしい日がここ何日か続いたと思ったら、
辺りに金木犀の匂いが香りだしていた。
きっと、この匂いを嗅いで、いつかの秋の記憶なんかを思い出す人がたくさんいるんだろう。
だけど、残念ながら僕にはそれができない。
というのは、北海道では金木犀が育たないからだ。
もちろん家の中なんかでは育てられるだろうけど、
路地植えでは育たない。
僕は本物の金木犀の匂いをかぐ前に、トイレか何かの消臭剤から、このような匂いを知った。
だから、初めてこっちで秋を過ごしたときは驚いた。
どこもかしこも消臭剤をとりかえたのかな?なんて本気で思った。
それから3回目の秋。少しは慣れ、なんとなくこれが秋の風情なんだなあと実感できるようになった。
その辺の路地を歩くと、不意にこの匂いが漂ってくるのが嬉しい。
それにしても強烈な匂いとは思う。
春に咲く沈丁花の花の匂いは可憐でやさしくてすごい好きだけど、
金木犀は強い分、躊躇してしまう。
でも、今はそんなふうに思っていても、あと何年かすると、この匂いをとても愛しく思ったり、
この匂いを嗅いで、センチメンタルに浸ることになるのだろう。
車内音楽 * フジファブリック 「赤黄色の金木犀」
100s
Zepp名古屋に100sを観に行った。
正直なところ、少し物足りなく感じてしまった。
もしかしたら、自分の期待が大きすぎたということもあるかもしれない。
でも、なんというか、迫力がいまひとつなかったのと、構成に不満が残った。
楽曲のもつポテンシャルの高さは比類ないものがあるのだけれど、
なんというか、ガツンって感じじゃなかった。
ライブとしては、前の日のスパルタローカルズのほうが
完成度が高かったように思う。
ただ、流れはいまひとつだったけど、
それぞれの曲から受けるものは、
素晴らしいものがあり、最後の最後、
「キャノンボール」には興奮した。
次回、があればまた行きたい。
愛地球博
行こう行こうと思いつつ閉幕間近の23日。
愛地球博に行ってきた。
どこから出てきたのかと思うほどの人、人、人。
じいちゃん、ばあちゃん、子ども、お母ちゃん、お父ちゃん。
興奮してわめく子ども、怒鳴る母ちゃん、ベンチでぐったりしてるばあちゃん。
夜間入場で、行ってきたけど、それでもすごい人が多くて、
色んなところに行列が出来てた。
わざわざ、並ぶのも面倒なので、すんなり入れそうなところを
ぶらぶらと回った。
インド館でマンゴーラッシー飲んだり、
ビール飲んでふらふら歩き回ってみた。
ほろ酔いで歩く万国博覧会。
いろんな国のパビリオン行って、知らんことたくさん知った。
見たことない風景もあったし、文化があった。
いろんな顔した人がいた。
なかでも、小さい国々のパビリオンが印象深い。
そこでは、何かを誇示することもなく、ありのままを表現していたから。
夜の万博会場を歩いていると、かすかに虫の声が聞こえてくる。
結構な数の虫たちがいるみたいだけど、たくさんの人の雑踏にかき消されている。
風は草のにおいを運ぶけれど、食べ物の匂いが鼻をおおう。
万博前、ここはとてものどかなところだったのだろう。
フランス館のパビリオンでは、地球環境破壊への危惧をテーマとしたシネマを
上映していた。
その映像を見た人たちはいったい何を思っただろう。
この万博はいったい何をもたらしたんだろう。
帰り道、我先を争う人たちの中で、ぼんやり考える。
そして、無性に「風の谷のナウシカ」を読みたくなった。
スパルタローカルズ
スパルタローカルズのライブに行ってきた。
自分としては最高に盛り上がった。
なんていうのか、スパルタローカルズのリズムというか、
ノリというかが、自分にとってものすごいストライクなのかもしれない。
大いに踊りました。叫びました。気持ちよかったー。
それにしても、彼らの音楽って硬派だなあ、と思う。
音もビリっとして、かためではあると思うけど、全体として
なんかね、男くさい。
だから、てっきり会場は男子が多いのかと思っていたら、
意外に女の子のほうが多くて、内心びっくりした。
男くさく感じるのは自分だけなのかな。
なんていうか、その男くさい感じに、自分はとても憧れてしまうんだけどね。
ほんとかっこよかったよ。
また名古屋に来たときは絶対行くと思う。
今日はいい体験したわ。
さてさて、そしてとうとう明日は100sのライブです。
最高に楽しみです。
自分の中の何かが変わりそうな予感がします。
秋のにおい
なかなか風邪が治らない。
声は元に戻ったけど、咳がしぶとく残っている。
咳は嫌だけど、なぜか低音域しか出なくなった声は、
結構渋くて気に入っていた。
ひとには、「今頃また声変わりしちゃったのー?」なんて、
からかわれていたけれど。
面白いことに、声が変わるとなんだか性格も違ってしまうように感じる。
声が低くなった僕は、なんとなく安定感を感じて、余裕があった。
結構楽しかったけど、すぐに戻ってしまったな。
まあ、そんなこんなで、くすぶった毎日を過ごしている間、
秋がやってきた。
それは、はっきりと挨拶するかのように、やってきた。
先週のある朝、外に一歩出たとき、
「秋がきたんだな。」と思った。
それはにおいでわかる。
夏のむっとした空気が去り、少しひんやりして肌触りのよい空気が取って代わっていた。
そして、それはほのかに甘い。
空も高く、濃くなっている。
そして、僕はなんだか切なくなった。
毎年、秋の訪れに際して感じるこの気持ちはなんなのだろう。
夏との別れが悲しいのだろうか。
よくわからないけれど、なんとなく物悲しいこの季節を僕はとても愛していて、
どこか別の場所へふらっと行ってみたくなる。
空が眩しすぎる
今日の空は台風一過、鮮やかに晴れ渡っていた。
午前中なんか、雲ひとつなく、どこまでも青く、
その青さはすでに秋の空だった。
けれど、陽の光を浴びた植物たちはやたらと眩しく、
まだ夏の残像だった。
僕は、畑でその空を享受、
頭がスーッとする。
けれど、少し風邪気味の僕は
声が少しハスキーになり、まるで自分じゃないみたいで
変な気分。
銀杏BOYZ
前の日曜、銀杏BOYZ のライブに行ってきた。
素晴らしかった。凄まじかった。と言う他ない。
峯田和伸という人がいてよかったナァなんて、本気で思ってしまった。
ライブの最後、峯田がホールの真ん中に出てきて、
それをみんなが囲んで座って、「なんとなく僕たちは大人になるんだ」を
歌ったとき、ため息が出るほど美しい時間だった。
彼はきっとマインド・ベースに生きている。
少なくともステージ上では。曲の中では。
彼のどこにも嘘は見当たらない。本気の本気だ。
彼が強烈に人を惹きつけてしまうのは、そういうことなんだろうって、
僕は勝手に理解していて、そういう意味でとても憧れる。
「強烈な匂いがするくらい人間臭い」
峯田和伸と銀杏BOYZの音楽と同時代に在れて、とても嬉しい。
Airplane in the night sky.
ただ飛ぶ鳥に涙が伝う 素晴らしき世界だね
と、中村一義はうたった。
ぼくは夜の散歩のとき、
夜空を行き交う飛行機をいくつも見上げ、
なんか胸がボワーっとしてきて、
ただ飛ぶ飛行機に涙が伝いそうになった。
夕暮れ深い夏の終わり、
ぬるいけれど、ずいぶんと過ごしやすくなった空気をまとってぼくは歩く。
肌を撫でる空気は夏の終わりをはっきりとわからせてくれる。
どこからか流れてくる夕ご飯のにおいは感傷的な気分を誘う。
夕暮れは植物の匂いが強まってくる時間でもある。
そこらに生える草たちはその存在感をいっせいに強め、
ぬるい空気とも相まってぼくの細胞はドロリと溶けていくようだ。
この季節の夜歩きはそういう意味ではとても快楽的だとぼくは思う。
そんな、そんな夕暮れを過ぎた群青の空に、点滅する光を見る。
飛行機だ。
セントレアが動き出して、ここいら辺は飛行機をよく見るようになった。
遠くの空では、あたかもすれ違って挨拶を交し合うように、飛行機が交差している。
ぼくは、再び低く飛ぶ飛行機に目をやる。
点滅する光の中に、窓から漏れでる光が見える。
「あの光のひとつひとつに、人がいるんだな。」
そう思ったとき、その光はあたたかな温度を持っているように思えて、
感傷的になっていたぼくの心を刺激した。
なんだか泣きそうになって、一緒に散歩していた犬を見ると、キョトンとしてぼくを見返している。
ぼくは空笑いして、犬にバカって言って、また歩き出した。
夏の空
残暑とはいうものの、北海道育ちのぼくには真夏としか思えない暑さの今日。
犬と散歩したり、ガーデンセンターへ行ったり、パンを食べたり、ワインを飲んだり。
そんな平和な今日は、あろうことか、夕暮れ、とてもとても空が綺麗だった。
木々や家の影が、夕暮れ色の透きとおった空に、まるで藤城清治の影絵のように、とても美しく映る。
光がどんどん力を弱め、その輪郭だけをはっきりと浮き彫りにしていく。
そう、思い出すのはプラネタリウムのはじまりに、太陽が西に沈み、日が暮れていくときの光景。
もちろん、本編も好きだけど、その日が暮れていくときはなぜか、たまらない気持ちになる。
今日の空は、色んな感情を刺激するほど綺麗だった。
今日はそんな夕暮れにめぐりあえたことが嬉しかった。