雨のあとのにおい -9ページ目

植物の呼吸が聞こえる

キセルはいいなあ。
キセルの音楽は本当に、音が空気の振動だってことをわからせてくれる。
キセルの音楽が流れ出すと、空気がゆらゆらしだして、
そして、ジワーッと、ぼくの周りの空気を溶かす。
ぼくの部屋には観葉植物やなんかがいくつか置いてあるんだけれど、
なんだか、植物の呼吸が聞こえてくるような、そんな気がしたり、
いつの間にか植物と一体になってしまうような、そんな気さえする。
キセルの音楽を聴いて、深い深いメディテーションにおちていくと、
ジャケットに描かれているような、色とりどりの光の泡に遭遇した。
光の泡はどんどんあふれてきて、ぼくを満たしていく。
そして、光の泡に吸い込まれると、そこはまぶしくて、柔らかで、
なんだかとても安心した。
しだいに、体中の細胞が歓喜するような感覚とともに、
ぼくは光に吸い込まれたような気分になった。
ぼくは何もかも満たされた気分になって目が覚めて、
なんとなく、とても懐かしい気分に浸っていた。

少しずつ

1ヶ月ほど前、ユキがうちに来た頃の写真を見てみた。

ユキはずいぶん大きくなっていた。

あんなに小さかったなんて。

毎日見ていると、なんとなくしかわからなかったが、

見比べてみるとよくわかる。


そして、犬と暮らし始める嬉しさと、

果たして大丈夫だろうかという不安、

戸惑いの日々も思い出した。

今でも、まだまだ自分が犬を飼っていることが

信じられないような気もするが、

家に帰ったときに、

それはもの凄い勢いでじゃれ付いてくるユキを見ると、

少しずつだけど、愛しいという感情が沸いてくるのを感じる。

こいつのために、何がしてやれるだろう。そんなことも思う。


職場の人の飼っている犬が、何の前触れもなく、突然難病にかかってしまったという。

状態が悪ければ死んでしまうかもしれないと、獣医さんは話したそう。

とにかく、すぐに入院になって、この先どうなるかはわからないらしい。

その人はとても落ち込んでいた。

気丈に話してはいたけれど。

それを聞いていたある人は、お金がかかるから大変だねって言った。

でも、その人はお金なんか関係ないって言った。

そういう問題じゃないって。


ぼくは、町田康の「猫にかまけて」のヘッケやココアを思い出したり、

ユキが病気になって死んでしまうことを想像して、なんだかとても悲しくなった。

そして、その人の犬がどうにか元気になればいいなと思うのと、

家に帰ってユキを抱きしめてやりたいと思った。


仕事が終わって家に帰ったぼくを、ユキはいつものように大歓迎で出迎え、

ぼくの顔を、生あたたかい舌でペロペロ舐めた。

「どうしてそんな顔してるの。おばかさんだね。」って、

そう言われたような気がした。

そこに愛

つまるところ、人が激しく揺さぶられるのは人によってである。

と、ぼくは最近実感している。


そして、きっとそれは自分のうちにある想像力のせいだ。

じゃなきゃ、ブラウン管から流れる映像に涙するなんてことの説明がつかない。

ぼくは、なんとなく見ていたテレビ番組に不意をつかれ、あられもなくなった。

何のことはない、NHK「素敵にガーデニングライフ」という園芸番組をぼくはたまたま眺めていた。

きれいな庭を手入れする60代半ばの実直そうなおじさん。

最初は単なる園芸好きの人だと思っていた。

でも、なんだか穏やかで、全然造ったような感じのしないいい庭だなあと見入っていた。

そうして番組の前半はごく普通の園芸番組といった感じで進行していた。

だけど、不意に話は妻の話題に切り替わる。

結婚して20年、庭造りのために引越し、

荒地だったところを切りひらいてふたりで造り始めた庭。

来客をもてなすための庭。

二人は一緒に汗を流して庭にたくさんの花を植えた。

そして、そこにはたくさんの笑顔が咲いた。


しかし、11年前、妻が病に倒れ、車椅子での生活を余儀なくされる。

夫は庭造りをこのまま辞めてしまおうかと考えることもあったようだが、

それは自分にとっても、妻にとってもひどく悲しいことと思って庭造りにいっそう精を出した。

庭には車椅子が通れる幅の小径が縦横に広がり、

ゆったりと巡れるようになっている。

妻は脳に少し障害があるのだろう。うまく出ない言葉で懸命に話す。

だんなさんの庭造りはどうかと尋ねられると、

「言うことはないです。こんなにも尽くしてくれて・・・・・・」と

切れ切れに言葉をつなぐ。

だんなさんが誕生日にいつも贈っていたという、

妻の最も好きな花、グロリオサの花壇は少し高くなっていて、

妻の視点からよく見えるように工夫されている。

ご主人はやさしいですねと言われると、

「優しすぎて・・・・・・」と妻は言葉に詰まる。だんなは少し照れたように妻に声をかける。

そこにナレーションが流れてくる。

―――――20年前、客をもてなすために造られた庭は、いま、妻を癒すための庭となった。

続いてだんなさんは言う。

いま、植物を植える手はひとつだけだ。

けれども、花を愛でる目は2つある。

妻とともにゆっくりと庭を歩いて巡るようになって、見えてくるものが変わった。と。


これを見ていたあいだ中ぼくはもう、たまらなかった。

美しい愛のかたちが確かにそこに存在していた。

何の見返りも求めない深い愛情。

ただただ愛を注ぐということ。

それが具現化されたものとしての庭。

そしてそこにふたりでいる時間が静かに流れていくということ。

ぼくは映像の切れ間から覗くふたりの日常を想い、胸が熱くなった。

そして、

「誰かのために、自分にしかできないことをしたい。」という

むかし好きだった人の言葉を、ぼくは不意に思い出した。

ブライアン・ウィルソン

NHK BS-hiにて放送されていた、

「SMILE」が完成するまでのドキュメンタリーを見た。

ただただ素晴らしかった。

ブライアン・ウィルソンの勇気に感服。

そしてそれを支えた人々にも。

「SMILE」を聴けることにこころから感謝したい。

山梨にて

迂闊にも、前回書き漏らしてしまったパン屋さんがある。

山梨へ実習に行っていた時、足しげく通った店だ。

joichi というパン屋さんで、八ヶ岳の麓、甲斐小泉駅のすぐ近く、

針葉樹の林に囲まれた静かな場所にその店はある。

住んでいたところから近かったので、散歩がてらよく行った。

その道のりでは、天気がよいと富士山も見ることができ、

日高山脈を見て育った僕はいつも、感激した。


僕はjoichiで紫花豆のパンを毎回買って食べた。

時には売れてしまっていることもあり、後のほうでは予約してまで食べた。

これも前回書き忘れたけど、ぼくのほんとうのパン原体験は豆パンだ。

イズヤの4個入りのものや、ますやの豆パン。

十勝は小豆で知られているとおり、豆の名産地で、金時豆もよくとれる。

その甘納豆がパンのなかに練りこまれていて、僕はそれをとても好んで食べた。

そして、joichiの紫花豆のパンは、僕がかつて食べた豆パンのなかで、最も愛すべきものだ。

胴長の大きすぎないサイズで、やさしい甘さに煮た紫花豆がリズムよく並んでいる。

パンの生地もほどよいしっとり感と、素材の良さが感じられ、すべてのバランスがパーフェクトなのだ。

他にも、ブリオッシュなど、美味しいパンもたくさんあったが、この豆パンは、

山梨に滞在している間の、こころの糧になっていた。

身体だけじゃなく、僕はパンにこころも満たしてもらっているようだ。

パンについて

僕は、ご飯も大好きだが、パンも大好きだ。

住む場所が変わるたび、

美味しいパン屋さんを真っ先に探す。

近くに気に入りのパン屋さんを見つけられた時は

気分が浮くほど、嬉しいきもちになる。

休みの日の朝に行くパン屋さんの、幸せに満ちた空気は

大げさかもしれないけど、純粋に、生きててよかったなぁと思わせてくれる。

そんな調子なので、僕は、これまで僕の身体を満たしてきたパンのそれぞれ、

愛すべきパン屋さんはいつだって思い出すことができる。


僕のパン原体験は十勝のイズヤパンとますやパン だ。

おじいちゃんがよく買ってくるあんドーナツ(まぶしている砂糖が、持ち帰るまでに溶けかかっている)が

とても楽しみだった。高校時代もますやにはよく通って、食べた。手ごろな値段も嬉しかった。

大きくなると行動範囲も広がり、いろんなパンの種類も知り、色んなお店に行くようになった。

十勝にも、たくさんいい店があると思うけど、音更ののんびり屋 、帯広のはるこまベーカリー

地元のパン舎、大樹の福屋あたりが好きだ。どれもタイプは違うけど、どれも、ぐっとくる。

青森に移って、大学のとき学食で売ってた、レーズンとくるみのパンは何十回と食べたと思う。

あと、弘前にはthree bridge という名店がある。

ここの夏みかんのペストリーは泣きたいくらい美味しい。そして、雰囲気も大好きだった。

いまは移転して、新しくなっているみたい。

神戸はあまり探索はできなかったが、ブーランジェリー・コム・シノワ には毎回行った。

ルミナリエのときに、地元でバイトが一緒だった方と奇跡的に再会した思い出もある。

あと、京都。

hohoemi のクリームチーズとバナナをサンドしてカラメルソースがかけてあるパン。やばい。

ほかのパンも、どれもまんまるで、やさしくて、うれしくなる。

ル・プチ・メック 。クロワッサンがうまい。他のも、やっぱりうまい。

初めて行った時、うわあって思った。サンド系にもひれ伏しました。

あと、下鴨神社近くのユノディエール も好き。

このまえ友達に連れて行ってもらったまるき製パンも美味しかったなあ。

そしてそして、僕は現在居を構えている四日市にて、美味しいパン屋を見つけた。

そもそもベッカライコバヤシ というパン屋によく通ったが、突然、海外修行に出られたようで、

どうしたものかと思っていたところ、

sido boulangerieというパン屋さんを最近見つけたのでした。

ここはペストリー系が充実していて、ハード系のパンも美味しく、嬉しい気持ちになったのでした。

そしてもうひとつ、職場の人に教えてもらったパン屋に行ってみました。

le pain unique des tanblan というお店で、雰囲気もよく、

そして、どのパンも、すごく美味しい。すもものペストリーに感動、素晴らしかった。

行ったときは、どっしりとした食事用のパンがあまりなかったので、今度は時間をずらして

行くことにしたい。そして、いろんな種類を食べ尽くしたい。しかも、家から近く、

行きつけとなること必至である。

そんなわけで、愛すべきパン屋さんは、今後も増え続けるだろう。

そしてまた、僕の身体を満たしていく。

明日も、朝からパン屋に行こう。

おやすみなさい。

マルセイバターサンド

実家から、荷物がきて、

そのなかに、六花亭のお菓子が入っていた。

マルセイバターサンドと大平原だ。

僕はマルセイバターサンドをを少し置いといて、

バターが柔らかくなってクッキーに染み込んできた頃合が

たまらなく好きだ。

大平原はバターサンドの合間に食べるが、

これまたやさしい味がとてもうれしい。

それに、これと牛乳の組み合わせはベストカップルで、

すごく幸せな気分にさせてくれる。

でもね、帯広には六花亭だけじゃなく、柳月というお菓子屋さんもあって、

こっちも美味しいお菓子が結構ある。

三方六なんて名前のバウムクーヘンが有名だけど、

北遊という、確か帯広市の開基110年だかを記念して作られたお菓子が

名作で、結構気に入っている。

どんなのかって言うと、スイートポテトとパイがどうにかなってる感じ。


どれもやっぱり、食べると十勝を思い出す。

あー、かしわの豚丼も食べたい。平和園でジンギスカンも食べたい。たかまんも食べたい。

中札内美術村のティラミスも食べたい。のんびり屋のパンも食べたい。

ニシヤマのタルトが食べたい。アンデルセンのスイートポテトも食べたい。

ますやのあんドーナツも食べたい。

はァあ。これじゃまるでプーだね。

モチベーション・グッド

ある勉強会で、園芸療法について発表することになっているのだが、

その期日が目前に迫っている。

ここ1週間のぼくは、鬱々とした気分の日が多く、かつてない危機感を覚えていたが、

昨日辺りから、モチベーション・グッドな感じで、

今日明日と勢いに乗って準備を整えたい。

さっきカルピス飲んで、おなかの調子を整えたので、

万事快調に進むだろう。

しかし、さっき洗濯物を外に取りに出て蚊に刺されたのは迂闊だった。

痒くてたまらないじゃないか。

しかも2か所もさ。くるぶしはやめてよね。かなり痒いんだよ、そこ。

ただ、モチベーションの波をとらえた僕は、それくらいのことはたぶん乗り越えられるはずだ。

そのはずだ。

ユキも僕の事情を知ってか、今日はずいぶんとおとなしいじゃないか。

うん。

波がきてるね。


こういう気分、SUPERCAR 「FREE YOUR SOUL」がトゥマッチ。

ラストライヴDVD見て泣いたよ。

Cream sodaを聴くと、夏の十勝バスに揺られていた17の自分がいつでもそこにいる。

Sunday Peopleが流れると、大学1年甘酸っぱい毎日が目の前にちらつく。

strobolightsでは、いまはもういないあのひとを思い出す。

Fairwayでは・・・

きりがない。

いまさら、こんな使い古された台詞使いたかないけど、わざわざ言おう。

スーパーカーはまさにね、僕の青春だった。

彼らの作品1枚1枚に、僕の思い出も重なっている。

いつになってもそのきらめきは忘れやしないんだろう。

なんか、しんみりしてきたけど、発表の準備しないとまずい。

気合十分。

でも、さっき飲んだカルピスが、勢いよく腸を刺激している。

誤算。

育てるということ

うちには犬がいる。

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルという犬種で、名前は「ユキ」。

ちょうど3ヶ月になったところだ。

こいつがもう、それはそれは愛しいと思えるときと、

非常にげんなりさせられるときとがある。

なんていうのかな、ちょっと賢いがために、

知能犯的にいろいろとやらかしたりする。

甘えるときはどっぷりと甘え、かまって欲しいときは

どうしたら来てくれるかと、とても上手に悪さをしでかしてくれる。

僕の思い通りになんかならず、僕が思い通りに動かされている感じだ。


園芸療法は、植物の育ちを用いてすすめていくが、

「育てる」という点では、動物も植物も共通するところがある。

ひとつ挙げるとすると、どちらも手間と忍耐が必要であること。

植物も動物も、インスタントに成長してはくれないし、

植物の性質、動物の性質それぞれをこちら側が知ってあげないと、

うまくは育っていかない。

時間をかけて、相手を知る、相手に合わせるということ。

対象に、手間ひまをかけられるということ。

このことはまさに、現代社会において軽視されてきたプロセスではないだろうか。

大量生産大量消費の社会では、均質化、効率、利便性などが求められ、

手間ひまに時間を割く余裕などない。

僕らの社会では、便利さと引き換えに失ったものがたくさんあるのだと思うけれど、

このこともそのひとつではないだろうか。


ただ、その反動としてのスローライフ運動があり、そのほかにも、

さまざまな文化が見直されてきているように感じる。

特に日本には、そうした「手間」の文化が深く根付いているように思う。

お茶を点てることや、懐石料理もそうだし、盆栽などについても僕はそうしたところから見てしまう。

もちろんかたちの美しさもあるけれど、そこにかけられたであろう途方もない手間とつくり手の感情。

樹を前にして、それらに思いを馳せるとき、僕はこころの深いところから感動を覚える。


育てるということ。

そこには私たちの本来求めるリズムが存在している。

同時に、精神的な豊かさというものへの鍵も、そこにあるのではないだろうか。

しかしながら、ここら辺の話はテーマが大きいのでまた別の機会に譲ることにしたい。

それに、ずいぶんとユキが退屈してるのでね。


ロックとハニー

どうにもこうにも、スパルタローカルズを聴きたい気分がある。

最近新しいアルバム「DREAMER」が出て、それも結構気に入っている。

今日はそのなかでも、『ロックとハニー』、『ヒビヤ』の2曲が耳から離れない。

ともにギターがとても美しい曲で、情景がにおいまでも伴って浮かんでくる。

なんだかな、どうにもし難い気分をどこかへ押しやって、こころに拡がってくる。

スパルタローカルズがいてくれてよかった。