そこに愛
つまるところ、人が激しく揺さぶられるのは人によってである。
と、ぼくは最近実感している。
そして、きっとそれは自分のうちにある想像力のせいだ。
じゃなきゃ、ブラウン管から流れる映像に涙するなんてことの説明がつかない。
ぼくは、なんとなく見ていたテレビ番組に不意をつかれ、あられもなくなった。
何のことはない、NHK「素敵にガーデニングライフ」という園芸番組をぼくはたまたま眺めていた。
きれいな庭を手入れする60代半ばの実直そうなおじさん。
最初は単なる園芸好きの人だと思っていた。
でも、なんだか穏やかで、全然造ったような感じのしないいい庭だなあと見入っていた。
そうして番組の前半はごく普通の園芸番組といった感じで進行していた。
だけど、不意に話は妻の話題に切り替わる。
結婚して20年、庭造りのために引越し、
荒地だったところを切りひらいてふたりで造り始めた庭。
来客をもてなすための庭。
二人は一緒に汗を流して庭にたくさんの花を植えた。
そして、そこにはたくさんの笑顔が咲いた。
しかし、11年前、妻が病に倒れ、車椅子での生活を余儀なくされる。
夫は庭造りをこのまま辞めてしまおうかと考えることもあったようだが、
それは自分にとっても、妻にとってもひどく悲しいことと思って庭造りにいっそう精を出した。
庭には車椅子が通れる幅の小径が縦横に広がり、
ゆったりと巡れるようになっている。
妻は脳に少し障害があるのだろう。うまく出ない言葉で懸命に話す。
だんなさんの庭造りはどうかと尋ねられると、
「言うことはないです。こんなにも尽くしてくれて・・・・・・」と
切れ切れに言葉をつなぐ。
だんなさんが誕生日にいつも贈っていたという、
妻の最も好きな花、グロリオサの花壇は少し高くなっていて、
妻の視点からよく見えるように工夫されている。
ご主人はやさしいですねと言われると、
「優しすぎて・・・・・・」と妻は言葉に詰まる。だんなは少し照れたように妻に声をかける。
そこにナレーションが流れてくる。
―――――20年前、客をもてなすために造られた庭は、いま、妻を癒すための庭となった。
続いてだんなさんは言う。
いま、植物を植える手はひとつだけだ。
けれども、花を愛でる目は2つある。
妻とともにゆっくりと庭を歩いて巡るようになって、見えてくるものが変わった。と。
これを見ていたあいだ中ぼくはもう、たまらなかった。
美しい愛のかたちが確かにそこに存在していた。
何の見返りも求めない深い愛情。
ただただ愛を注ぐということ。
それが具現化されたものとしての庭。
そしてそこにふたりでいる時間が静かに流れていくということ。
ぼくは映像の切れ間から覗くふたりの日常を想い、胸が熱くなった。
そして、
「誰かのために、自分にしかできないことをしたい。」という
むかし好きだった人の言葉を、ぼくは不意に思い出した。