育てるということ
キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルという犬種で、名前は「ユキ」。
ちょうど3ヶ月になったところだ。
こいつがもう、それはそれは愛しいと思えるときと、
非常にげんなりさせられるときとがある。
なんていうのかな、ちょっと賢いがために、
知能犯的にいろいろとやらかしたりする。
甘えるときはどっぷりと甘え、かまって欲しいときは
どうしたら来てくれるかと、とても上手に悪さをしでかしてくれる。
僕の思い通りになんかならず、僕が思い通りに動かされている感じだ。
園芸療法は、植物の育ちを用いてすすめていくが、
「育てる」という点では、動物も植物も共通するところがある。
ひとつ挙げるとすると、どちらも手間と忍耐が必要であること。
植物も動物も、インスタントに成長してはくれないし、
植物の性質、動物の性質それぞれをこちら側が知ってあげないと、
うまくは育っていかない。
時間をかけて、相手を知る、相手に合わせるということ。
対象に、手間ひまをかけられるということ。
このことはまさに、現代社会において軽視されてきたプロセスではないだろうか。
大量生産大量消費の社会では、均質化、効率、利便性などが求められ、
手間ひまに時間を割く余裕などない。
僕らの社会では、便利さと引き換えに失ったものがたくさんあるのだと思うけれど、
このこともそのひとつではないだろうか。
ただ、その反動としてのスローライフ運動があり、そのほかにも、
さまざまな文化が見直されてきているように感じる。
特に日本には、そうした「手間」の文化が深く根付いているように思う。
お茶を点てることや、懐石料理もそうだし、盆栽などについても僕はそうしたところから見てしまう。
もちろんかたちの美しさもあるけれど、そこにかけられたであろう途方もない手間とつくり手の感情。
樹を前にして、それらに思いを馳せるとき、僕はこころの深いところから感動を覚える。
育てるということ。
そこには私たちの本来求めるリズムが存在している。
同時に、精神的な豊かさというものへの鍵も、そこにあるのではないだろうか。
しかしながら、ここら辺の話はテーマが大きいのでまた別の機会に譲ることにしたい。
それに、ずいぶんとユキが退屈してるのでね。
