こんにちは

 

今年は丑年おうし座キラキラ

 

ならば、別子銅山の旧牛車道を歩いてみるべや

 と思い立ち、春にチャレンジ!

 

【4月11日】A

マイントピア別子端出場エリア(標高146m)にパジェロをデポ

 旧端出場水力発電所の水圧鉄管道を登って旧牛車道にアクセス

 

住友別子鉱山鉄道の石ヶ山丈駅跡(標高835m)まで牛車道を延々と辿り

 帰路は石ヶ山丈沈砂池(標高729m)より水圧鉄管道の石段を一直線に下りました

0分39秒

2021年4月11日 20.57km 8時間50分

 

【4月18日】B

前回は旧端出場水力発電所から牛車道にアクセスしたため

 

立川中宿から前回のアクセス地点までの

 未踏破区間の牛車道を辿って補完し

 

そのあと、幻の第2次仲持道と思しき古道と

 住友別子鉱山鉄道下部線の端出場 - 内宮神社(山根収銅所)間の廃線跡を辿りました

1分02秒

2021年4月18日 17.48km 6時間50分

 

【4月25日】C

3週連続で別子銅山(^◇^;)

 マイントピア別子東平ゾーン(標高750m)にパジェロをデポ

 

住友別子鉱山鉄道上部線の一本松駅跡から

 唐谷三連橋まで軌道跡(元牛車道)を辿り

 

折り返して兜岩、西赤石山を経て

 赤石山系の稜線を西へ銅山峰まで下り

 

旧別子の牛車道跡を探索し、銅山越を経て東平へ戻る

1分10秒

image

2021年4月25日 19.43km 10時間38分

 

【5月9日】D

魔戸の滝駐車場にパジェロをデポ

 種子川造林道を西谷川(西種子川)源流まで遡り兜岩へ

 

兜岩から上部鉄道跡へ下って石ヶ山丈駅跡まで軌道跡を辿りました(廃線跡は元牛車道)

 石ヶ山丈沈砂池、牛車道、林道石ヶ山丈線経由で魔戸の滝へ戻ります

1分10秒

image

2021年5月9日 16.99km 9時間52分

 

前回の「石ヶ山丈沈砂池」から続きます

 

 

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探訪が日曜毎に3週も続いた為、レポートが追い付かんかったがね〜(^◇^;)

 CとDはなんとか投稿を終えたけど

 

AとBは触りしかアメブロにアップ出来て無いままになってます

 

今回はAの

 2.旧端出場水力発電所 鉄管保守路からの続きを思い出しながら纏めたいと思うけど・・・

 

大丈夫かな(;^_^Aモノワスレハゲシイゾ~

 

早くアップせんと丑年おうし座

 モォ~少しで終わってしまうあせる

 

これまでに投稿した記事

 1. 今年は丑年!別子銅山牛車道を辿る へ

 2. 旧端出場水力発電所 鉄管保守路へ へ

上矢印から続きます

 3. 2週連続で牛車道探訪w へ

 4. 新緑の唐谷三連橋とアケボノツツジ へ

 5. 兜岩・西赤石から銅山越へ へ

 6. 旧別子の牛車道は・・・ へ

 7. 魔戸の滝 へ

 8. 種子川造林道を詰めて兜岩へ へ

 9. 百十二年前に蒸気機関車の影を映した岩壁 へ

10. 石ヶ山丈沈砂池 へ

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2021年4月11日

 マイントピア別子端出場ゾーンの駐車場にパジェロをデポ

 

県道47号線を歩いて

 1912(明治45)年に完成した旧端出場水力発電所までやって来ました

 

ここから水圧鉄管道の保守管理用の石段を

 旧牛車道との交差地点まで登って牛車道にアクセスします

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発電用の用水として日浦に集められた水は

 日浦通洞(明治44年貫通)と第三通洞(明治38年貫通)を通り、

 

水路で石ヶ山丈(海抜約750m)の煉瓦造の水槽まで引水し、

 当時東洋一を誇った落差597.18mの水圧を利用して発電を行いました

 

この水圧鉄管が通っていた急勾配の石段を

 牛車道との交差地点まで登ります


午前8時46分、現在地は水圧鉄管道と県道47号の交差地点の山側

 

鉄管を固定した台座や石積みの遺構

この辺りの鉄管の厚みは30mmで直径670mm

 水圧鉄管は下るにつれて水圧が増すので厚みが増して、直径も小さくなるみたい

 

水圧鉄管道を振り返ると

 自然石を利用して整然と一直線に並んだ石段の右に

 

鉄管を保持した施設が残っています

 

牛車道に突き当たると右へ石段が続いており

 石段を登ると牛車道へ出ました

 

午前9時ちょうどに牛車道と水圧鉄管道が

 最初に交差する地点(標高242m)に至りました

 

水圧鉄管道と牛車道の交差地点
 
水圧鉄管はここで少し右に振って方向を変えて
 旧端出場水力発電所に向かってました
 
牛車道跡を鉄管が潜ってるけど↓
 何故か2本になってる(謎)
新居浜市立郷土美術館の古い看板が台座に取り付けられていました
 
牛車道はここから立川方面へも続いてるけど
 立川方の100メートル程先で大きく崩落しており
 
ここから龍河神社手前の電波塔付近までは廃道状態になっており
 地理院地図でも道の線が途切れてる
 
翌週(4月18日)に龍河神社方面からここまで牛車道を辿ってきた際に
 崩落地点にも自然漫歩の集いの看板がありました
 
当時から既に幾らか崩落してて仮橋でも架かっていたのでしょうかね?
“注意” 譲り合ってゆっくり渡る』と書かれてる
 
今では地理院地図でも途切れてる牛車道跡を
 散策するコースが昭和48年以降に整備されてたのかもねウインク
龍河神社から牛車道を旧別子へ向けて進んでいると
 崩壊地の手前に「女、子供はむり右矢印」との標識があります
 
この標識を如何に読むべきか?
 
赤い矢印は迂回路を示していると考えられますが・・・
 
牛車道をこのまま崩壊地へ進むのは、女、子供には無理なので
 ここから迂回路で降りる様に!って事なのか
 
それとも、
 
牛車道は崩壊地で通行止めになっており
 迂回路へ降らざるを得ないけど
 
この迂回路も険しくて
 女、子供には無理なので、来た道を引き返せ!って事なのでしょうか?
 
探訪前に、予めルートを確認する為に拝見した記事では
 
その記事を書かれた方は進めないと判断して迂回路で谷沿いに降られたそうですが
 谷沿いに降る迂回路も厳しくて後者の様に理解されたみたい
 
私は迂回路の様子は分からないのだけど前者かな
 
この崩壊地の現状は
 足場の悪い沢の対岸の壁の上が牛車道の道床部分となっており
 
ロープなどの道具が無ければ
 崩壊地を越えることは困難な状況でした
 
えっ!わたし?
 生憎ロープ等持ち合わせていませんでしたが
 
七転八倒の末になんとかクリア出来ました(;^_^A
 
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話が逸れてしまいましたが
 牛車道を石ヶ山丈方面へ進みます
山側だけでなく谷側にも膨大な石積みが築かれ
 急峻な地形に僅かな平地を確保してる
 
1880(明治13)年の完成から141年
 樹木が生い茂ってるけど、崩れることも無く、
 
しっかりした路盤が続いてる
 
すぐ近くの小尾根に鉄塔保守路があって
 水圧鉄管路跡を辿る人も
 
上の鉄塔までは、こちらの鉄塔路を利用してるみたい
石ヶ山丈からの帰路では
 水圧鉄管路を出来るだけ忠実にトレースする様心掛けて下りましたが
 
自然漫歩の集いの看板の場所(牛車道との交差地点)から30m程上方の
 鉄塔の横の大きな鉄管保持施設までの間は殆ど人が歩いた痕跡が無く
 
藪を漕ぎ漕ぎ、泣きながら進みました
 ホントにギャオ~って感じ( ;∀;)
 
さて、
 石ヶ山丈方面への牛車道もしばらく進むと崩壊してました
 
やはり谷で大水などの自然災害によるものと考えられます
 
元は暗渠で谷を跨いでたのかなって感じ
牛車道の路盤が崩落していますが
 ここは鉄塔保守道として整備されてるので問題ありません
 
谷に降りて沢を渡りロープを伝って登ります
 

崩落地には人道用の鉄の橋桁も架かってました

 

住友共同電力の鉄塔保守路の標識がありました
 
ここで牛車道に住友林業(株)の山林作業道が合流します
 
ここから尾根(牛車道分岐)までの旧牛車道は
 住友林業(株)が山林作業用として施工した簡易な施設林道として利用されてますが
 
コンクリートやブロックによる補強は殆どないにも拘らず
 地盤は踏み固められており、往昔の牛車道が蘇ったかのような感じ
ここから石ヶ山丈まで牛車を通す為に
 等高線に沿った緩い勾配で道を付けた事により
 
合計14箇所のヘアピンカーブが設けられてます
 
最初に尾根を越えるまでに7か所、
 更に7か所のピンカーブで、尾根も再度3回跨ぎます
 
ここが今日最初のピンカーブです
 
まっすぐ続く道は何処へ行くのだろうと帰り道で辿ってみましたが
 四国電力の大きな鉄塔が建っており、
 
奥には住友共同電力の鉄塔も見えてたので鉄塔の作業道かも
 
石ヶ山丈までの牛車道はこんな感じでした↓
青線は牛車道のGPSトラックログ
分かり易くする為、牛車道以外のログを消してます
 
旧端出場水力発電所の水圧鉄管道とは9回交差し
 14のピンカーブで高度を稼ぎ、標高835mの上部鉄道石ヶ山丈駅に達します
 
これまでにも何度か書きましたが
 上部鉄道の軌道跡は牛車道を改良して鉄道に付け替えれたものと考えております
さあ、尾根までは
 車も通行可能な林道並みに快適な道!
 
牛車道に橋が架かっていたのは
 旧別子の永久橋と立川中宿の眼鏡橋以外ではここだけかも
 
当時は木製の橋が架かっていたのでしょうか?

 

現在も谷側、山側ともに石積みですが

 しっかりした路盤が続く旧牛車道

 

山側のズレ止めの石積みに色んな大きさの石を使ってる
鉄管道から一番遠く離れた②番目のピンカーブ
 
翌週の探訪で、
 
ピンカーブから奥に続いてる住友共同電力の
 鉄塔保守道を辿ってみると古道を発見したよ目
この辺りには膨大な石積みが築かれていますが
 大きな集落か別子銅山の施設でもあったのだろうか?
 
ピンカーブは鋭角に折り返しますが
 牛車はずいぶんと小回りが利いたのでしょうね
 
おそらくは2輪だったと考えられます
何気に進んでる道も
 気を付けて観察すると、大きな岩もかなり削ってるなぁ~
 
火薬を使ったのかな?
2番目のピンカーブで折り返して
 再び水圧鉄管道と交差します(3回目)
③番目のピンカーブを折り返します
水圧鉄管道と交差します(4回目)
 
ここまで出発してから1時間41分で、歩いた距離は4.83km
 
鉄管道の入り口は籔いてますが、
 踏み込んでみると途中は意外と石段が整然と残っていたりします
 
帰路ではこの水圧鉄管道を悪戦苦闘し乍ら一直線に下りました
 

1880(明治13)年に完成して141年

 崩れること無く、現役の石積みが続く

 

自然の石を使った石積みはエコの最たるもの

④番目のピンカーブ

 

殆ど展望がない退屈な牛車道でしたが
 標高579mの犬返しと新居浜の市街地、燧灘が見えた
10時38分、本日5回目の水圧鉄管道との交差
 
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鉄管道は牛車道の右寄りになったのですぐに5番目のピンカーブ

折り返してすぐに水圧鉄管道との交差(6回目)

 

さっき辿ったばかりの牛車道も下に見えていい感じハート

⑥番目のピンカーブのすぐ背後は尾根で明るくなってる

 

牛車道の左上は、すぐ稜線が通ってる

午前10時57分

 ここまで6.74kmで所要時間は2時間16分

 

左に分岐する古道がありますが

 

翌週の探訪でこの古道は

 ②番目のピンカーブ付近から牛車道を突き抜けて続いているという事が判明

 

ということは・・・

 1876(明治9)年7月に開削が始まった牛車道よりも前からあった!

 

江戸時代の古道で、ひょっとしたら幻の第2次仲持道ではないかと

 アマチュア別子銅山研究家見習いの私は閃いたのでしたww

ここまで7.06km、7回目の水圧鉄管道との交差

 

 

すぐ上側に

 折り返していく牛車道が見えてます
  

⑦番目のピンカーブ
折り返して8回目の水圧鉄管道との交差
 距離が近いので下の牛車道がすぐそこに見えてる
ようやく尾根を越えます

稜線と牛車道が交差します

 

ここにチェーンが張ってあり、

 ここまで簡易林道として住友林業が管理しています

 

ここから先は、林道石ヶ山丈線が整備されていた頃なら

 反対側から車でここまで乗り入れることも出来たはず

 

現在は大変荒れており、

 林道石ヶ山丈線にも車で乗り入れることは不可能です

この時点では、

古道は牛車道との交差地点(牛車道分岐)までだと思ってましたが

 後日になって更に上へと続いていることが判明(5月9日の探訪で確認済)

 

牛車道(青色)、江戸時代の古道(柿色)と稜線を通る尾根道(紫色)のGPSトラックログ

 

現在地の稜線上で牛車道、尾根道が交差する地点を牛車道分岐と呼んでいます

 

ここはエントツ山から尾根伝いに西赤石山を目指す時にも必ず通る場所でもあり

 この先の石ヶ山丈分岐とともに登山道の要衝でもあります

 

尾根を越えて更に牛車道は進みます

 ちょっと下り気味かな

 

 

あっ!

 尾根(牛車道分岐)で記録しておこうと思ったのに忘れてた

 

時刻は午前11時16分

 

ちょっと計測場所をオーバーしてしまったけど

 ここまで7.72kmで、所要時間は2時間34分

 

牛車道は歴史的な道ではあるけど

 展望も無く、正直云って退屈な道でもある

 

いま振り返ると

 どうやら、この辺りで近江牛の牛使いさんに憑依された気がします(笑)

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牛車は、340~500kgの荷物を、運んでいたと思われます

 

廣瀬宰平が、近江牛と大津・山科から荷車を導入しました

 

口屋は、別子銅山から運んできた粗銅を船で大坂(大阪)に運ぶ物流中継地となり、

 また銅山で働く人々のための資材や食料物資の中継地点の役割も果たしました

 

その後、口屋は住友分店と改称し、

 1890(明治23)年に新居浜村の惣開に移転するまでの188年間

 

名実共に新居浜の中心地として栄えました

 

 

まだまだ忍耐の道は半ばで

 本当の試練の道は、ここから始まるのであった!!

 

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長くなりましたが

 最後までご覧頂きましてありがとうございました

 

では、またバイバイ

 

次回も見てね(≧▽≦)

 

 

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