先月より旧別子銅山の産業遺産や銅山周辺の自然を巡る探訪が続いてますが(^^;)
毎回山道を20キロ弱歩いても歩き足りず
近江牛の牛使いさんによって次回の探訪へと誘(いざな)われるのでしたww
その頻度にブログ投稿が追い付けず(単にサボってるだけかも)
初回4月11日と次回4月18日の探訪は、このブログでも未だ触り部分のみしか紹介でけてないっす(^◇^;)
4月11日・18日・25日と3週連続で別子銅山へと足を延ばしましたが、一連のテーマは牛車道

1690(元禄3)年に人跡未踏の銅山峰の南側で露頭が発見され
翌年より住友さんによって採掘が始まった別子銅山
江戸・明治・大正・昭和の4時代、283年間に亘る長い間、営々と掘り続けられました
このように終始一企業(住友)によって採鉱された鉱山は世界にも例がないそうな
総出鉱量約3,000万トン、その銅の含有量72万トン(製造した銅は65万トン)を産出し
機械・化学工業などの発展は、一漁村であった新居浜浦を四国随一の工業都市へと変貌させ
その生成と発展に大きく貢献したことは間違いありません
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こんにちは(≧∇≦)/
お立ち寄り頂きましてありがとうございます
4月25日に東平から上部鉄道跡経由で兜岩と西赤石山を訪ねましたが
アケボノツツジは未だ西赤石の北側斜面まで上がって来ていませんでした
是非もう一度、今シーズン中に兜岩を訪ねたいと思っていましたが
翌週は都合で訪ねることは叶わず、5月9日に再チャレンジ
今回の兜岩へのルートは種子川と西谷川(西種子川)が合流する
新居浜市角野新田町の川口地区から西種子川林道を利用し、魔戸の滝登山口までパジェロで向かいます
魔戸の滝登山道から種子川造林道を辿って西谷川の源流まで遡り
造林小屋跡から猪の如く尾根を這い上がり兜岩へ向かう熟達者ルート
瓜坊の私にこの単独行は無謀かも知れませんが
難しいと思ったら引き返すという事で、行けるところまで行ってみようと思います
この種子川造林道について事前に繰り返し調べたところ、
距離は長いが比較的沢に沿ったなだらかな道の様ですが
ベテランの皆さんでも復路で道に迷うケースが多くあり
「枝道が沢山あって迷うところが多い」との記述もありました
地理院地図では破線は兜岩まで続いてるけど
皆さんのGPSトラックログと比べると完全一致はしていないので
このルートを歩かれた方のカシミール3Dをプリントアウトして携行し
ジオグラフィカでチェックしながら辿る地図アプリ作戦です(^^♪
地図アプリで始める山の地図読み
佐々木亨 山と渓谷社 定価1760円
2021年6月1日 初版第1刷発行
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四国中央市から国道11号を西進し、
新居浜インター方面へ左折(いつの間にか県道47号線がここまで延びてる)
山根運動公園東側から高速道路の側道を東へ進み、交差点を右折すると
すぐ上側で道が二手に分かれてる
左が東種子川林道で、右が西種子川林道
右側に名勝魔戸の滝の標識があり、7キロメートル先と表示されてます
国領川の支流の種子川(たねがわ)は、新居浜市角野新田町川口のこの場所で種子川と西谷川(西種子川)の二手に分かれ
種子川は上兜山、串ヶ峰にその源を発し、かけさこの尾の西側に沿って流れており
西種子川は魔戸の滝を経て西赤石山、物住ノ頭、上兜山へと至る川で地理院地図では西谷川と記されています
この西種子川に沿って林道と登山道を遡り兜岩へ向かいます
2018年6月3日にえんとつ山から尾根上を辿り
犬返しを経て石ヶ山丈沈砂池、上部鉄道跡の紫石までを折り返しました
その犬返しを西谷川から見上げると
急峻な谷の上に標高579mのピークが聳えてる
尾根上の種子川山三角点付近から眺めた鉄塔付近の家屋は
山奥の集落かと思っていましたが、なんと別荘地でした
こんな不便で眺望も無い場所に、何故こんなに別荘が集まってるのだろう?
尾根上でも四国電力西条線20番鉄塔を越えるとすぐに
西種子川林道に下る分岐がありましたが、ちょうどピンカーブのここに降りて来るようです
それにしても林道の荒れ様が酷い

魔戸の滝駐車場に駐車スペースが残ってるか気掛かりでしたが、
この状態では魔戸の滝まで車で乗入れる人は居ない様に思われます
2009(平成21)年11月に、このすぐ先で大規模な山腹崩壊があり、
この林道は少なくとも5年以上は通行止めになってました
3年前の2018(平成30)年に、山根グラウンドから上部鉄道の紫石まで立川尾根を辿った時
初めてこの崩壊地跡を通りましたが、尾根から崩落してて(@ ̄□ ̄@;)!!
四電の四国中央中幹線97番鉄塔も危機一髪でしたね

この崩壊地から西谷川を覗きこむと
深い谷の切れ込みが実感できる
魔戸の滝を訪れた方のブログ記事等を拝見すると
2016(平成28)年の秋頃まで西種子川林道の通行止めは続いていたみたいですが
林道自体は2014(平成26)年頃から通れる状態にはなってたけど
法面補強工事等で平日は全面通行止だったみたい
通行止解除後も殆んど通る車両も無いのでしょうか?
全く整備されておらず、アスファルトの抉れ、落石、木々の垂れ下がり等々かなり荒れてます
とくに落石は酷くて人力では動かせない大きさの石も車道に転がってます(一応赤ペンキで注意は促しておりますが…(^◇^;))
何とか車一台が通行できるだけの幅しかない箇所も多く、更に落石が僅かでもあると戻れなくなるかも
この先に車をデポする事に不安を感じます
四駆でもボロ車じゃないと厳しいがね(笑)
牛車道へと続く、林道石ヶ山丈線がここから分岐してますが
復路でこの林道を下って来ると、すぐそこで山側から崩落してきた土砂で埋まってる
西種子川林道は西谷川に架かる樽ワ淵橋から先は未舗装路
樽ワ淵橋の手前に簡易トイレや案内板が設置されており、魔戸の滝の入口となっております
通常ならこの広場に4~5台駐車出来そうですがここにも落石が散らばってる
ここから、西谷川の左岸を這い上がる登山ルートがあり、
途中で牛車道と連絡するバリエーションルートもあります
(短いけどホントにここを通るの?って感じで怖かったス)
さらに登っていくと、岩のたくさんある鞍部に出る
鉄製の標識があり、「魔戸の滝、牛車道経由石ヶ山丈」の分岐地点(窓の頭)に到達
窓の滝は大きく三つに分かれていて、
下から下瀑・中瀑・上瀑とあり、全長で300m、
落差は全て合わせると150mを超えるそうな
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魔戸の滝と呼ばれている下樽の瀑布は落差約40mで、徒歩5分って書いてある
この案内板も後ろに石が乗っかったままで傾いてます(^^;)
~魔戸の滝伝説「百合姫大明神」~
魔戸の滝は、3つの樽(渕)から形成されており、どんな大日照りでも水の尽きることのない不思議な渕でした。
ある年、幾日たっても雨が降らず、遂に田畑の作物も草木もみんな枯れてしまうという危機がありました。村の代表が寄り集まって相談の結果、村一番の処女を選んで樽渕に住む龍王様に献上することとなりました。そこで彦兵衛さんの娘のお百合が選ばれ、村人たちはにぎやかに囃し立てながら中の樽まで送り届けました。お百合は最後の別れを告げると、龍王様と共に青い水底に姿を消して、間もなく空はかき曇り、大雨となりました。これで田畑の作物も山の草木も蘇りました。
村人たちは、彦兵衛に感謝し、お百合に感謝して、中の樽に龍王様を祀り、その側に「百合姫大明神」という祠を建てて、懇ろに霊を慰めました。
以上 案内板より
8時55分、登山道入口より右側の西谷川左岸を登ります
案内板の通り5分で魔戸の滝(下瀑)に到達
この滝は水量も落差もあり、新居浜の大生院にある「
銚子の滝」と並んで
特に紅葉の季節、新居浜市民に愛されているそうな
下瀑展望所から少し登ると、4月11日の牛車道の探訪時に
魔戸の滝を眺めながら昼食を摂ろうと、
牛車道ピンカーブからテープとロープを頼りに下ってきた場所に出ました
牛車道からいきなり道無き道の急斜面を下るルートに肝を潰され
ゆっくり昼食どころではなく、早々に引き上げた苦い思い出の場所です(笑)
魔戸の滝登山道を這い上がる(≧◇≦)
前回牛車道からバリエーションルート経由で下った時に比べて
登山口から着実に辿っているので安心感があり、ルートがよく見える

とかチョーシにのってると
ルートを外れ、牛車道の方へ逸れてしまった(^^;)
更に牛車道へのバリエーションルートも見失ってしまいましたが
地図アプリで登山道の方向に辿って無事ルートに復帰
このままだと何処で逸脱したかわからないので
間違えた場所まで下ってみる
牛車道へのバリエーションルートと窓の頭への登山道との分岐地点で
前回辿ったバリエーションルートのテープを自然と追ってしまい、
窓の頭への直登ルートのテープを見落としたことが判明しました
一つのテープを見つけると、たとえ正面にテープがあっても全く目に入らなかった様です
シャクナゲの花が咲いてた
中瀑でしょうかね
新居浜の山を探訪する時には必ずエントツ山さんのHPを参考にさせて頂いてますが
魔戸の滝上流部に隠れている窓の滝群について興味深い記事を載せておられます
一見の価値あり リンク↓↓
原 公治氏のホームページ「四国の山へ行こうよ」より
平成29年12月2日公開記事
テープを辿り、魔戸の滝登山道を登ります
シャクナゲの急登
長いロープが設置されていました
ルートが明確になり助かります
谷側に大きな一枚岩があります
この岩に登ってみる
窓の滝を形成する岩石は結晶片岩の中で最も堅硬な石英片岩で、
硬岩は浸食作用に強い恰好な例として実感できる
伊藤玉男 赤石の四季より
大岩に登って谷を覗き込むと
目も眩まんばかりの絶壁(◎_◎;)
た、高い所は全くダメなのよーん
窓の滝最上部の左岸には「窓の頭」に向かって岩稜が続きます
上瀑最上部の滝の上には
右岸・左岸両側に垂直な岩が切り立っており、それを窓と呼んだそうな
しかし、私には到底その姿を眺められる場所まで行くことは無理ぜよ
先ほど苦労して登った大岩は、ここから辿ると楽だったぜよ
スラブ岩の右側は千尋の谷の絶壁だよ~( ゚Д゚)
西谷川は上瀑上流部から更に奥にも大小の滝が続いてる模様
こんな高い所は覗いただけで足がすくむ
この絶壁を這い上がって来る人達がいるなんて・・・
信じられない(;・∀・)
標識のある4差路分岐の窓の頭に到着
標識は相当古く錆びており、魔戸の滝以外の文字は読む事が出来ず
支柱も折れてるので固定もされてません
でも、ここが分岐だと言う事は分かりますw
窓の頭分岐は
①魔戸の滝登山口へ下る登山道
②魔戸の滝上流部へ直接下る小道
③下の旧牛車道・林道へ下る林業作業道
④上部鉄道・石ヶ山丈駅への牛車道(林道)
の4叉路になっており
④の牛車道からは更に西種子川(西の谷川)上流部へと向かう種子川造林道にルートが分岐する
③の林業作業道は下の牛車道のどの辺りに出るのだろうか?
4月11日に牛車道を辿った際にはそれらしい分岐は無かったぜよ
この林業作業道を下の牛車道まで辿って確かめてみにゃいかんぜよ
16分で下の牛車道まで降りることが出来ました
林業作業道は途中までテープが沢山あるけど
杉の枯れ枝で踏み跡が辿れないのでテープが無くなると迷いかけた
でも、どこを下っても必ず下の牛車道にはぶつかるので大丈夫w
下の牛車道から林業作業道への取り付きはテープが無ければ判らないかも
逆を言えば、何処を這いあがっても牛車道にぶつかりますw
牛車道を東へしばらく下るとピンカーブ
この道はガードレールとか設置されて、林道石ヶ山丈線となっておりますが
道は荒れており、車は通る事は不可能になってます
ピンカーブからバリエーションルートで魔戸の滝登山道に復帰して再び窓の頭分岐へ
窓の頭分岐から立派な石積みが上方に見えてますが
これは、ちょうどピンカーブに差し掛かる牛車道の谷側の石積みでした
ここから下の牛車道まで一回りして、50分程時間ロス
上側牛車道ピンカーブへ石垣の左側から上がります
この牛車道を石ヶ山丈方面に辿ると、
石ヶ山丈分岐(ジャンクション)を経て上部鉄道の軌道跡(元牛車道)に繋がり
上部鉄道跡をそのまま辿れば、一本松駅跡から東平へ下る事も出来るし
角石原駅跡までの5.5キロ(上部鉄道全区間)を歩きとおすと銅山峰ヒュッテに至ります
今回は牛車道のピンカーブから真直ぐ上の尾根筋に進みます
牛車道の直ぐ上に、直接岩に掘られた井桁マークがあります
こんな山中に?なんて…
云わずと知れた住友さんの商標ですw
その由来は天正18年(1590年)に
蘇我理右衛門が京都で銅精錬、銅細工の店
(屋号・泉屋)をおこし、その際「いずみ」を表すものとして「井桁」を商標として用いたのが始まりなん
住友さんは、他の井桁マークと区別する為に、大正2年(1913年)に独自の形状・寸法割合を創案し、現在もこれが踏襲されているそうな
支尾根筋の急登を喘ぎながらしばらく登ると分岐点が現れる
ここが西谷川上流の岩屋、造林小屋跡から窓の滝へ下って来る種子川造林道との合流点
このまま直登を続けると石ヶ山丈尾根ルートに合流する(道なし)
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11時15分、急な尾根筋を10分ほど這い上がり、種子川造林道との合流点に到達
いよいよ種子川造林道です
一見水平道の楽勝ルートじゃん
種子川造林道で西谷川の源流まで遡ります
この造林道のチェックポイントは3箇所あるそうな
①倒壊造林小屋跡(分岐から25分)
②岩屋と呼ばれる巨岩を抜ける場所
③造林小屋跡(兜岩に這い上がる目印となる)
③の造林小屋跡までたどり着ければ、あとは兜岩に向けて支尾根を這い上がればなんとかなるそうです
では、また
次回へ続きます
9. 百十二年前に蒸気機関車の影を映した岩壁 へ
10. 石ヶ山丈沈砂池 へ
11. 旧端出場水力発電所から牛車道を歩く へ
12. 淡々と牛車道を辿り石ヶ山丈駅跡へ へ
13. 2本連なる牛車道から石ヶ山丈貯水池へ へ
14. 旧端出場水力発電所水圧鉄管路を降る へ
15. 別子銅山の終焉に想いを馳せながら・・・ へ
16. 立川中宿から水圧鉄管路までの牛車道は・・・ へ
17. 「別子鉱山案内記」と今に残る産業遺産 へ
18. もしかして幻の第二次泉屋(仲持)道? へ
19. 車屋橋から下部鉄道跡へ へ
20. 古書「別子開坑二百五十年史話」 へ
21. 「あかがねの峰」 伊藤玉男 へ