かつては秘境の地だった魔戸の滝
現在では西種子川林道(7.5km)が川口地区から延びて、
樽ワ淵橋より5分程歩けば下瀑を仰ぐことが出来る程に近くなりました
この滝を流れる水量豊かな川は西谷川で、東側の種子川に対して西種子川とも呼ばれております(樽ワ淵橋に西種子川の銘板有り)
この二つの川が川口地区で合流し
種子川(たねがわ)として国領川に流れ込む
この西谷川を源流まで詰めて兜岩へ向かうのが今回のルート
予定より1週間遅れたけど、まだアケボノツツジの開花時期でもあり、
旧別子側の日浦登山口や東平からのルートは人で溢れてるかも知れない
という訳で、魔戸の滝登山口からのコースを選択しました
本来なら山根グランドから尾根伝いに辿りたいところですが
山根グランドから尾根伝いに歩くより
2 3時間(往復だと
4 6時間)の短縮もトーゼン計算済みです

(訂正)m(_ _)m
2018年6月3日の探訪では、山根公園から石ヶ山丈分岐まで4時間もかかってました(^◇^;)
黙々と歩いても3時間は必要かな?↓
事前に入手したエントツ山こと原公治氏の情報では、
種子川造林道ルートには3つのチェックポイントがあるそうな

①造林道途中で通過する「倒壊造林小屋跡」
②「岩屋」と呼ばれる巨岩を抜ける場所
③最後に造林道を終えて兜岩に這い上がる目印となる「造林小屋跡」
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こんにちは(゜◇゜)ゞ
お立ち寄り頂きましてありがとうございます
前回の「魔戸の滝」から続きます
落石転がる魔戸の滝駐車場にパジェロをデポして
標高550mの樽ワ淵橋を8時55分に出発
このルートは初めてなのでワクワク
迷ったり、ルート確認したり、恐々と千尋の谷を覗き込んだりしながら
急な傾斜を這い上がり、10時03分に標高800mの窓の頭分岐に到着
下の牛車道まで続く林業作業道も確認して
再び窓の頭に10時52分到達💦
さらに急な尾根を這い上がり
11時15分、種子川造林道分岐(標高890m)に至り
石ヶ山丈の東斜面を谷に沿って上流部へと向かいます
途中で山側に枝道が分岐してる箇所を過ぎて、50m程標高を上げ乍ら進むと
沢沿いの道となり、テープがちらほらと見られる
11時40分、予定通り分岐から25分で倒壊小屋に至る事が出来ました
倒壊小屋の左は支沢で、右は山の斜面
周辺はヒカゲツツジの枝がクネクネと伸び盛った藪になってる
赤テープは小屋の手前にはかたまってあったけど・・・
種子川道はいったいどこに消えたの?
沢の方にも回ってみるが藪が酷くて進めない
10分程探し廻ったけど道らしいものは見つからない
もはやこれまでか~
いやいや、地図アプリのジオグラフィカで確認すると
破線は沢を越えて標高を上げながら次の支尾根を巻いている
ひょっとして、この倒壊した小屋を踏み越えて往くのか?
横たわる梁木を跨ぎ、小屋を通過すると沢になり、その向こうにも踏み跡が続いてた
次から次へと張り出した支尾根や支沢が現れて、クネクネ道が延々と続きます
西種子川林道が長い間通行止だった故か
種子川造林道には赤テープも稀にしか見つからず
沢の手前毎にルートを見失う(;^_^A
地形的に最も深い谷を流れる西谷川を源流まで詰めるのだから
途中で現れる支沢は西谷川に注いでるはずで、全て渡れば良いのかなと思っていたら・・・
地形は複雑で、必ずしもそうとは限りません
ここでも道を見失い、少し戻りながらルートを探っていたところ
沢の大きな石の上にピンクのリボンが風に揺れてる
ここは支沢を遡るのか?
よく見てると・・・
岩の上になんとなく踏み跡があるような、無いような
この支沢を遡ると、なんとあの口を開けた巨岩が姿を現した
1941(昭和16)年に刊行された
「別子開坑二百五十年史話」平塚正俊 (株)住友本社に登場する「岩屋」
事前の調査では、種子川造林道の分岐から迷わず歩けば50分で到達する予定ですが
道が何度も消えるので、71分を要しました

戦前に撮られた80年前の写真そのままの石鐙(石段)が残ってる!
文中には、「これが往昔大別子の銅山路であったことを知らしむるに十分である」とありますが
第一次泉屋道は、赤石山系の小箱越を通り、現四国中央市の浦山までの23kmは仲持が輸送し、浦山から天満浦までの12㎞は牛馬で輸送するもので、別子銅山の経営にとって極めて不便でありました
これに代わる第2次泉屋道とも呼ばれる雲ヶ原を越える第2次仲持道のルートの詳細は現在も不明のままで、
実際には粗銅の運搬は行われなかったとの説もある様ですが
第2次泉屋道自体は短命でしたが存在し、この岩屋を通った事だけは間違いないみたい
データベース「えひめの記憶」によると
「元禄一五年(一七〇二)に、別子-雲ケ原-石ケ山丈-立川山村渡瀬を経て新居浜浦に至るコースが許された。これを第二次泉屋道といい、別子から立川までの一二㎞を仲持で、立川から新居浜浦までの六㎞を牛馬で輸送した。」
中略
「その後、寛延二年(一七四九)に立川銅山が別子銅山に併合されたため、泉屋道は銅山越-角石原-馬の背―東平を経て立川中宿に至るコースとなった。立川中宿は輸送の中継点として重要な位置を占め、中宿のおかれた渡瀬は明治一三年(一八八〇)の牛車道開通後も盛況をきわめた。」
と書かれており、1702-1749の47年間は第2次仲持道として実際に使用された事になってます
また、昭和16年に住友本社により編纂された別子開坑二百五十年史話にも全く同じ内容の記述があります
別子開坑二百五十年史話 昭和16年12月廿五日発行
編纂兼発行者 平塚正俊 住友本社庶務課
発行所 株式会社住友本社
出来れば午前中に第3チェックポイントの造林小屋跡まで到達したかったのですが・・・
もう正午を過ぎてる(;'∀')
岩屋の下で休憩、昼食を摂ります
仲持道としては使用されずに泉屋道として使用されたのではとの見解でルートを探索されてます
20分ほど岩屋に留まり兜岩に向けて出発
この岩屋の先でこの支沢は終わり、峠部を越えると
西谷川が左手にグッと近付きます
岩屋を過ぎた辺りでも道を見失い、引き返すことも考えましたが
引き返して迷わずに帰れる様な気が全くしません(笑)
岩屋は種子川造林道の中では中間地点辺り
この先からは西谷川に沿って平行に辿る道になり(地形図から判断)
迷いにくくなるのではないかという希望的観測のもと進むことに
とにかく造林小屋跡まで無事到達できれば何とかなるとの一念で進みます
ただ、進めば進むほど奥地へ向かってる訳で
もし、引き返さざるを得なくなった場合には・・・

既に午後になってるので時間的なプレッシャーは増大するばかり
GPSで進行方向を辿るうちに、なんとか造林道に復帰
深く切れ落ちていた西谷川が、穏やかなせせらぎとなって、すぐ傍に寄って来てる
標高890mから始まった種子川造林道は
いつの間にか標高1200メートルを超えて西谷川の沢の中に消えます
川岸に石積みがあって平らな広場がある
あっ!あの蒸気機関車みたいな物体は・・・
造林小屋の薪ストーブだ!
もう1週間早ければ、頭上には満開のアケボノツツジが広がっていたはず
造林小屋跡の薪ストーブ
間違いありません
第3チェックポイントの造林小屋跡に無事到達しました
あとは右側の崖を這い上がれば兜岩への登山道に復帰するはず
エントツ山さんのHPでは何処からでも這い上がれって・・・
造林小屋跡より少し上流部まで進み
斜めにA地点まで折返して30メートルほど高度を稼ぎましたw
ここから灌木にスズタケが茂る自然林の支尾根に取りつきます
こんな山奥迄来て、初めてなのに当てずっぽうで這い上がるなんて
地図アプリがあってこそ出来る芸当です
自分が今現在何処にいて、どの方向を目指しているかが明確に判るって有難いことです
しばらく登ると自然林の南側に植林地帯が見えたので
そっちの方が藪が無くて歩き易いやろうと
自然林と植林地帯の境目辺りを歩くが植林の中までスズタケが茂ってる
赤テープ発見、ルートに復帰したみたい
標高1,250mの造林小屋跡から這い上がること30分
急登が終わり、植林の下のスズタケも無くなり、ヤレヤレ
なだらかになった尾根を辿って来ると
石ヶ山丈・魔戸の滝分岐標識があった
標高1,400メートルを超えてやっと目にすることが出来た
4月25日に見た、魔戸の滝 熟達者コースの標識を逆からやってやって来たぁ〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
ここで今日初めての登山者に遭遇しました
どうやら兜岩を探しているらしい
熟達者コースと書かれた分岐より威風堂々とやって来た私を
どうやら熟練者と勘違いしているやうであるw
ここが兜岩という標識は無く、尾根伝いに進めば橄欖岩の岩場に出るので
そこら辺り一帯が兜岩だよと、さり気なく教えてあげたw
なんせ先々週も来とるけんねー
斜面一面がピンク色に染まってますが、例年と比べるとどうなのかな?
年によって開花状況に差があるみたいですが、
もっとピンクに染まるのかなって思ってましたが、どうなんでしょう?
登山者も数名しか居ない
串ヶ峰の尾根伝いに登り、上兜山を経由して物住ノ頭に至る藪漕ぎルートも人気らしい(笑)
四国中央市に連なる法皇山脈が見渡せます
そこから富士山の如く見事な赤星山が遠望できるそうな
上部鉄道石ヶ山丈駅跡近くの石ヶ山丈分岐(ジャンクション)に至ります(薮道)
また、途中から支尾根を一本松駅跡方面に辿る事も出来るようですが、バリエーションルートで道はありません
アケボノツツジが咲き誇る西赤石山北斜面と蜜洞岩
なんとか兜岩よりアケボノツツジを堪能することが出来ました
帰りのルートは石ヶ山丈尾根ルートを辿りたいものですが
もう3時間早ければチャレンジ出来たかも
迷って日没ってシャレにもならないので
4月25日と同じルートで上部鉄道跡まで下ります
前回と同じ東平が起点なら、ここから2時間程なので、この時間でも余裕ですが
今回は上部鉄道跡経由で魔戸の滝まで戻らなければならないので3時間半はかかりそう
急がねば日が暮れるでござる

最後までご覧いただきまして有難うございました
では、また
