2021(令和3)年4月11日
この日の干支は、奇しくも己丑(つちのとうし)で丑の字が入ってる(笑)
 
午前8時38分に端出場(はでば)
 マイントピア別子駐車場にパジェロをデポして
 
旧端出場水力発電所より水圧鉄管道を辿り
 標高232mの交差地点より旧牛車道にアクセスしました
 
九十九折りで展望のない牛車道
 
もぉ~牛になったつもりで淡々と歩き続け
 午前11時20分に牛車道分岐と呼ばれる標高580mの最初の尾根を跨ぎました
 
甘┳┓モォ~たくさんあせる
 
端出場からここまでの所要時間は2時間30分で、歩いた距離は約7kmです走る人
 
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こんにちは(≧◇≦)
 お立ち寄り下さりありがとうございます
標高580mの牛車道分岐の稜線を越えると
 牛車道は僅かな下り勾配で進みます
 
尾根を越えるとゴーゴーという音が聞こえて来る
 
水量の多い西谷川(西種子川)が東側の谷を流れており
 何段にもわたって落ちていく魔戸の滝の音かな?
 
ここからは林道石ヶ山丈線との合流地点のピンカーブまで
 地理院地図からルート実線は消えてますが
 
車も通行可能なしっかりした路盤です
(林道石ヶ山丈線の途中で崩落してるので此処まで来られませんが・・・)
 
2009(平成21)年11月に四電の四国中央中幹線97番鉄塔付近で
 尾根からの大規模な崩落が起こり
 
平成23年から数年間を費やし林地荒廃防止工事が行われてました
 その際に林道石ヶ山丈線からここを通って重機が搬入されたのかも知れませんね(推測)

尾根の牛車道分岐から10分ほど歩くと⑧番目のピンカーブ

 

ここで林道西種子川線から分岐して登って来る林道石ヶ山丈線と合流します

 

ここまで端出場から8.04kmで、2時間40分を費やし

 時刻はもう午前11時22分となりました

 

昼までには上部鉄道の石ヶ山丈停車場跡まで

 辿れるかなって思ってたけど・・・

 

舐めてました!とてもじゃ無かったです(;'∀')

 まだ往路の3分の2くらいじゃがね~

⑧番目のピンカーブから先の牛車道は数キロに渉って林道石ヶ山丈線となっており
 
ここまで無かったコンクリートの擁壁やガードレールといった
 構造物が散見され、牛車道の風情が失われるけど
 
久しく林道としても利用されていないようで
 
住友林業の簡易私設林道と比べると、荒れ方が酷く
 林道と名は付いてますが車の通れる状態では無いです

⑨番目のピンカーブは尾根道と接しているので

 これまでにも何度も見ることはありましたが歩くのは初めて

 

牛車道分岐からここまで

 尾根を辿ればあっという間ですが

 

牛車道を辿るとなんと遠い事か・・・

 

緩やかな道とする為に等高線に抗うことなく山肌を大きく廻り込むので

 次の尾根との交差地点まではこの迂回路の倍の距離になってるけど

 

それだけ急峻な地形に牛車道を通した先人の苦労に想いを馳せます

 

1941(昭和16)年12月に発行された別子開坑二百五十年史話では

「車道の敷説工事にかかったのは、明治九年中であった。廣瀬の設計はフレッシウィルの立川中心説に依らずして、専らラロックの設計に基づき、銅山越より立川を経て新居濱に達する行程を選んだのであるが、ただラロックの設計通りにすれば、勾配は極めて緩やかで車馬の通行には適するも、その延長十三里餘に渉り、物資の運搬に長時間を要するため、迂回線を廃し勾配を急にして七里餘に短縮することにした。」 327頁

とあります

 

廣瀬宰平はラロックの設計を踏まえながらも独自のルートを計画しましたが

 もし、元の設計通り牛車道が作られていたなら

 

現在の倍近い距離で、九十九折りの果てしない道程やったね~

道床が雨で削られ、山側からの落石が目立ちます
 

しばらく進むと広葉樹となり明るくなりました

 落石も無くて歩き易くなったけどガードレールが違和感醸してる

山側に大きな岩とハチの巣箱がありました
 もうここまで車で乗り入れることは出来ないけど・・・
 
歩いてここまで来るには遠いけど、まだ飼ってるのかな?
 

魔戸の滝方面の⑩番目のピンカーブに向かって進みます

 

もーすぐお昼なのでおにぎり

 魔戸の滝を上から眺めながらランチタイムにしようかなコーヒー

ランチタイムの為、牛車道を外れます
 
⑩番目のピンカーブから
 魔戸の滝登山ルートへ続くバリエーションルートを辿ります
 
赤テープと張られたロープを頼りに
 なんとかルートを辿るけど・・・
 
これが道とは思えない怖いバリエーションルート
 
魔戸の滝直登ルートも初めてなので
 ロープを頼りに怖々と降る
 

西谷川の流れが見えたけど

 魔戸の滝よりは上流側の滝みたい

昼食タイムに手ごろな岩をみつけたけど

 初めての険しいルートにビビりまくりガーン

 

無事に牛車道まで戻れるのかとの不安が頭をもたげて離れません

道なき道をロープを伝ってここまで来たけれど
 果たして迷わずに帰れるのか?
 
モォ~、のんびり食事どころでは無く
 小心者は即、牛車道へと引き返します( ;∀;)アタフタ
 

急登をロープを頼りに

 なんとか迷わずに⑩番目のピンカーブまで戻れた

ε-(´∀`*)ヨカタ ほっ

 

一度魔戸の滝登山口から登ってしまえば

 ルートを把握出来るので大丈夫ですが

(左は断崖絶壁なのでルートを大きく外れることは無いw)

 

バリエーションルートで途中からアクセスしたので

 自分がどんな場所にいるのか把握できず怖かったがね

この辺りも一応林道石ヶ山丈線なのでしょうが
 道路上にも樹木が茂っており、
 
とてもそんな雰囲気ではないでござる

 

広葉樹の隙間から犬返しと市街地が見えた

 

路上に大きな落石も転がってる
道幅が狭まり、地形図から道の実線が消えているので
 この辺りが林道の終点だったと思われます
林道区間が終わり、植林の中の牛車道を進みます
藪尾根ルートと合流し、再び尾根を跨ぎます
 
牛車道分岐から石ヶ山丈貯水池を経て
 石ヶ山丈分岐へと向かう尾根道は
 
ここで牛車道を数十メートル辿り
 水圧鉄管道を登って石ヶ山丈貯水池へと向かいます
 
牛車道と水圧鉄管道の交差地点
 
午前9時にアクセスした牛車道と水圧鉄管の最初の交差地点まで
 この上の石ヶ山丈貯水池から一直線に水圧鉄管道が降ってる
 
帰りはこの石段を辿り、直滑降で下りようと思います
 
ここから見る限りでは楽勝そうだけど・・・
 如何なる試練が待ち受けているのか
 
プルプル(((;゚д゚;)))プルプル
 冒険心がくすぐられますね(笑)
 
山側の石段を登ればすぐに石ヶ山丈貯水池です
 
尾根ルートはここを登り
 貯水池の煉瓦の壁の上を辿って尾根へ復帰します
 
1970(昭和45)年の廃止から51年目の水圧鉄管道
 

数年前に初めて訪れた時は

 石段はもう少し整然と並んでいたように思います

 

1912(明治45)年に端出場水力発電所が完成して今年で109年

 

1921(大正10)年から始まった四阪島製錬所の大改造計画では、

 蒸気動力を電気動力に転換することが急務とされました

 

同発電所の水路の拡張と発電機の増設を実施することで四阪島への電気供給が可能となり、

  1922(大正11)年、新居浜-四阪島間約20㎞の海底ケーブルが敷設され、送電が開始されました

 

1970(昭和45)年に発電所は廃止されましたが、煉瓦造の建物内には、運転開始時のドイツのシーメンス社製の発電機や同国フォイト社製の水車などが残っています

水圧鉄管を繋いでいたフランジが
 「どうかおいらも見てくれよ」って感じで牛車道に埋まってる
 
ここから先の牛車道は⑫のピンカーブまで
 よほどの物好きさんしか歩く人はいない区間ですww

 

大きく育った木々の間を縫って牛車道を進むと見事な石積みが現れたポーン

 

牛車道の上に排水路が右へと流れており

 石ヶ山丈貯水池の余水や砂礫が谷に捨てられるようです

 

その上には石ヶ山丈貯水池へ向かう煉瓦の導水路が

 水平に近い僅かな傾斜で左に流れてた

 

石ヶ山丈貯水池からのコンクリートの排水路が牛車道に下りてきてる

 

その上には石ヶ山丈に向かう煉瓦の導水路が続いてる

 

排水路は牛車道を谷側へ突き抜けてる

 

1912(明治45)年に端出場水力発電所が完成する前に

 上部鉄道や索道の完成により牛車道の重要性は薄れて

 

1893(明治26)年に牛車運搬は廃止されました

 

その19年後にこの施設が作られたので

 道幅一杯を暗渠にする必要は無かったのだと思います

牛車道の谷側で桝で受けて排水路は谷まで続いてる
 
この右側がカゲヤ谷
 
端出場水力発電所導水路の排水施設もカゲヤ谷へ向かってる
 砂礫を沈殿させて、ある程度溜まったらここへ排出したみたい
 
完全に朽ちた丸太の橋
 
ネットで確認した8年前の写真も全く同じ丸太じゃったがね(笑)
 
煉瓦造りの導水路の上に見える牛車道の石積みが凄い!

 

導水路はここからトンネルになってる
 このトンネルは100メートル余りありますが・・・
2019年にこのトンネルを潜り抜けて
 導水路を遡ったグループの記事があった⇒こちら
 
トンネルの中でマムシがとぐろ巻いてたり、イノシシが寝てたらどないすんヘビいのしし
 怖い怖すぎる~ ヒィー(>ω<ノ)ノ
 
東平の第三通洞出口の標高は745mで
 石ヶ山丈貯水池(沈砂池)の標高は735m
 
もっと正確に水路敷の標高をみると
 第三通洞出口が741.7mで貯水池の入口が733.7m
 
この間の導水路の距離は2,825mで標高差は8m
 
上部鉄道下の急峻な斜面にトンネル9本と水路橋4本を混じえて
 水平に近い見事な導水路が続いてました
 
えらい急傾斜な崖に石を積んで平地を作りだしてる
 
1880(明治13)年の完成から141年
 その使命を終えて放棄されたまま、127年経っても往昔の姿を留めてる
 
上部鉄道もそうですが、当時の職人さんの技術力の高さに驚かされます
⑪番目のピンカーブで折り返すと
 地形が急峻なためか、山側からの落石が多く
 
ここを歩く人も居ない為、かなり荒れてます
牛車道と尾根道が交差し(標高766m)、またまた尾根を跨ぎます
 この尾根道はよく通る道
 
登ると石ヶ山丈、降ると石ヶ山丈貯水池(沈砂池)です
 
古い錆びた標識は四方を指しており
 以前はこの人が通らない牛車道も登山道として使われていたのでしょうか
 
因みに今辿って来た牛車道を降れば
 導水路の巡視路を伝って東平に至ることが出来ます
 
これから進む方向では魔戸の滝登山道に合流しますが
 現在地よりも他の場所からの方がアクセスし易い為か現在は使われて無いようです
 
薮いてる牛車道を進みますが
 山・谷両側に石積みが続いてるので迷うことはありません
殆ど展望のない牛車道ですが新居浜の市街地と燧灘が見えました
 

藪の中に標識がありました

 尾根道との交差地点にあったのと同年代の物みたい

⑫番目のピンカーブで折り返します

 

ここから谷沿いに魔戸の滝登山口へ降ったり

 西種子川造林道で西谷川を遡って兜岩や西赤石山へも登れます

 

また、ここから先の牛車道は登山道としても使われております

石ヶ山丈駅はもう近いはず!
 
アレレ、途中から踏み跡が無くなったぞ~
 でも山・谷両側にはちゃんと石積みが築かれてる
 
山側の石積みの上にはもう一本道があるように見えるけど・・・
ありゃりゃ、見覚えのある石積みが現れた!
 上部鉄道の立派な石積みです
 
ここは石ヶ山丈分岐から降る尾根道じゃがね
 
此処で登山者に出逢いました(本日出逢った唯一の登山者)
 龍河神社から登って上部鉄道の紫石で折り返して来たそうな
 
 
それにしても何故?
 
牛車道は石ヶ山丈分岐を経て
 上部鉄道の軌道跡へ続くハズナンダケドナ・・・
 
取り敢えず尾根ルートで石ヶ山丈分岐まで登り
 上側の牛車道を辿って石ヶ山丈駅へ向かい
 
帰路で逆から牛車道を辿って検証してみることにします
 
尾根ルートを僅か数十メートル登り石ヶ山丈分岐へ
 
13時37分、石ヶ山丈分岐到着(標高819m)
 
ここは登山道の要衝であり、
 まっすぐ行けば、石ヶ山丈尾根ルートで兜岩を経て西赤石山へ
 
左へ行けば牛車道で魔戸の滝へ
右へ行けば上部鉄道跡を辿って角石原駅跡(銅山峰ヒュッテ)に至る
 
石ヶ山丈駅機関庫跡
1893(明治26)年12月開業、1911(明治44)年廃止の住友別子鉱山鉄道上部線
 
鉄道に改良される前は牛車道だったと考えております
 
始発駅の石ヶ山丈駅(標高835m)から
 終点の角石原駅(標高1,100m)までの間5.5kmを結んでいました
 
今年で上部鉄道開業から128年、
 廃止されて110年にもなる
 
麓では上部線の廃止から10年後に開業した
 JR四国の多喜浜駅、新居浜駅、中萩駅、伊予西条駅の
 
開業100年周年記念式典が6月19日に催されました
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石積みを何段にも重ねて急峻な地形に広い敷地を作っています
 
石と煉瓦のプラットホーム跡
石ヶ山丈駅には索道場があって
 上部鉄道と下部鉄道を索道で結んでいました
 
石ヶ山丈駅(標高835m) - 打除駅(標高155m)
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ハリデー式単式索道の機械庫跡
 
13時46分
牛車道を石ヶ山丈駅の索道場跡まで辿ってきました
 
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ここまで端出場跡の駐車場から13.66kmで、5時間04分かかりました
 
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・
 
牛車道はここから5.5kmの区間が上部鉄道跡となって角石原駅跡に至り
 銅山越を越えて旧別子の目出度町(めったまち)へと続いてました
 
上部鉄道跡は何度か歩いてますが
 2017年の元日に積雪に覆われた一本松駅から角石原駅の廃線跡を辿りました
 最近では5月9日の帰路で兜岩分岐から石ヶ山丈駅まで
 
4月25日に一本松駅から唐谷三連橋まで歩いています
 
牛車道で最も困難だったと云われる角石原から銅山越(1,294m)を経て旧別子に至る区間は
 第一通洞(標高1,100m)が予定より早く1886(明治19)年に完成して役目を終えたので
 
この区間の牛車道は僅か6年で使われなくなって
 多くは埋没してしまっており痕跡を辿るのは難しそうですが、
 前山と目出度町付近の一部の区間は登山道として今も利用されています
 
第一通洞と角石原から旧別子の牛車道
旧別子の牛車道は4月25日に探索して
 現在残っている区間だけ歩きました
 
 
長くなりましたが
 
最後までご覧頂きましてありがとうございました
 
次回は水圧鉄管道を降りますあせる
 
 

では、またバイバイ

 

次回も見てね(≧▽≦)

 

 

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