というわけで、寺子屋「美学(前編)」の参照資料シリーズ最終回です!!
というつもりでしたが、完全に脱線してしまい、ほとんど絵画の話です。
気を取り直して、次の記事で「美学」のための音楽史の最終回(後編)を書きます!
ボクらの時代というのは、きわめて幸福な時代で、「音楽」というのが水や空気のようにあふれている時代です。
美学を考えるにあたって、最低限の音楽史を学ぼうと思った時に、いわゆるメジャーな楽曲のほとんどを僕らは聞いたことがあります。これはすごいことです。
かつては王侯貴族だけの嗜(たしな)みであった音楽が、大衆化したということです(もちろんこれとパラレル・ワールドのように軌を一にするのが、絵画芸術の世界です。パラレル・ワールドというだけではなく、干渉し絡み合っています。それが立体的に見えると世界の見え方・聴こえ方が大きく変わります。それが美学の一つのゴールです!)。
これまでバラバラに聞いたことがあった「良い曲」をきちんとタグ付けして、フォルダに分類することで、もっと音楽を深く楽しめるようになります。
というわけで、後編です!!!
アタマの中に音楽版のアテナイの学堂を繰り広げてください。音楽を作った人を、楽器を作った人。演奏する人、指揮をする人、それぞれの人間と人格と人生があって「音楽」が生まれます。
誰がが音を出し、誰かが楽譜に書き起こさない限り、音楽は勝手に生れません。宇宙開闢から存在しているような顔をしているモナリザもダ・ヴィンチが白紙に油で溶いた絵の具を落としていった結果です(白紙というか板ですが)
*女装好きであったダ・ヴィンチの自画像であったのでは、というのは根強い疑惑です。
*背景の奇妙さは、水平線をわざとズラしているゆえです。そしてダ・ヴィンチには珍しく、シンメトリーに川が流れています。
モナリザが自画像なのではという疑惑については(疑惑というか。。。まあ)。
英語も音楽も美術もFeelが重要です!
しかし、そのFeelはかなり厳密に構成されたものであり、厳密に共有可能であるものからできている必要があります。科学的と言ってもいいですし、論理的、客観的でもいいのですが、共有可能性を排除してはいけません。
と言って、つい音楽以外のネタに膨らみそうなのですが、とりあえず一つだけ!!
先日の寺子屋美学ではダ・ヴィンチ、ラファエロ、ピカソなどの名前が出ましたが、一方でジョン・ケージのイメージに重なって出てきたのが、モンドリアンです。
もう現代絵画では古典と言って良いと思いますが、僕はこちらも好きです。
写真だとちょっと魅力が伝わらない感じがしますが。
このモンドリアンを食べてしまうのがこちら。というか、このモンドリアンケーキを紹介したいがためだけに、モンドリアンを紹介しました。
これ欲しい!と思わせるケーキです。日本では販売してなさそうですし、、、
誰かつくってくれないかな(^^)
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というわけで、本題!!!
後期ロマン派です!!!
いわゆる教会音楽の「薔薇の名前」なグレゴリオ聖歌を経て、歪んだ真珠のバロック(同い年のバッハとヘンデル、明るいビヴァルディ)、The クラッシックなモーツアルト、ベートーヴェンの古典派(Classic)(2人の先生のハイドンは交響曲の父)、そして物語を語るロマンチックなロマン派!
グレゴリオ聖歌 → バロック → 古典派 → ロマン派
です!
で、後期ロマン派です!
後期ロマン派と言えば、ブルックナー、マーラーでしょう。
マーラーと言えばバレエファンというか、ベジャールファンには欠かせないのは、アダージェットでしょう。胸をわしづかみにされます。
ただ多くの人が知るのは(というか映画ファンなら知るのは)淀川長治さんお気に入りでもあったヴィスコンティの「ベニスに死す」でしょう。トーマス・マンの原作ですね。
*こういう綺麗な子っていますよね~。美少年というのは美少女や美女と同じく絵画の主要なテーマでした。珍しいオーディション風景の動画です。
*美少年の絵画として、おなじみなのはプシュケーとキューピッドですね。プシュケーの美しい裸だけではなく、キューピッドの美少年の裸体も描かれています。
美青年の裸体としては、同じくギリシャ神話を主題にした「ヒュアキントスの死」(ジャン・ブロック)が美しいです。死んだ哀しみにあふれているのですが、あたかも接吻しているかのようです。キューピッドとプシュケー以上に。
*ちなみにこの美青年ヒュアキントスはスパルタの王子、そしてアポロンの恋人です。ただアポロン以外にもヒュアキントスを見初めた神さまがいました。ゼピュロスです。三角関係です(♬喧嘩をやめて」ですね)。で、ゼピュロスはふられました。
ヒュアキントスとアポロンが恋人同士で、楽しそうに円盤投げをしているときに、それをじっと見ていた西の風の神であるゼピュロスが嫉妬に狂って、風を起こし、アポロンの投げた円盤をヒュアキントスに激突させて殺してしまいます。
哀れなヒュアキントスは死んでしまいます。
その哀しみのシーンです。嫉妬によるあてつけの殺人です。
愛したのであれば、殺さなくて良いのにって思います。それは愛ではなく、所有欲です。哀れなヒュアキントスの流した血はヒヤシンスになります(ナルキッソスがナルシス=水仙になったように)
とは言え、ゼピュロスって誰だよって思うかもしれません。アポロンは知っているけど、恋敵のゼピュロスって誰でしょう。実は、僕らは何度も目にしています。
その前におなじみのナルキッソス。
*ちなみにナルキッソスが自分だけにこだわるようになったのも、そもそもはアフロディーテの逆鱗に触れたからです。アフロディーテがナルキッソスを好きになり、贈り物を送るも、若くて美しくて傲慢なナルキッソスが「おばさん誰?」って素で答えたのに対して、アフロディーテがキレたのです。
*アフロディーテは美の女神ですが嫉妬ばかりで、プシュケーに対しても嫉妬して、息子のキューピッドにダメンズと一緒にしちゃえと命令したのが始まりです。かわいいキューピッドは自分の矢で自分の指を傷つけてしまい、ミイラ取りがミイラになって、プシュケーと恋に落ちてしまうのです。
トロイア戦争も彼女のせいです。
ちなみに、神話や歴史に題材を取りさえすれば、禁止されていた裸体を自由に描くことができます!そのスタートがボッティチェリのプリマヴェーラでした!
そもそもギリシャ的な価値観では裸体は美しいもの、生命は謳歌するもの、同性愛は賛美するものでした。プラトニック・ラブとはプラトン的愛ですが、もちろん同性愛のことです(その文脈で夏目漱石の「こゝろ」を読み返すと面白いと僕は思っています)。
ギリシャ的価値観とキリスト教的価値観がねじれていることが大きな問題であり、そして芸術のエネルギーの根源です。
で、話を戻して、ゼピュロスと言えば風の神様です。西の風は春を告げる風です。
我々が確実にゼピュロスを見たことがあるとしたら、「春」と呼ばれるボッティチェリの作品の中でです。イタリア語でプリマヴェーラ!ビヴァルディの四季と一緒に観たい作品です。
*中世の冬が終わり、ルネッサンスの春を告げる作品です!
*僕の好きな西岡文彦氏による解説を引用します!
*「古代ギリシャ・ローマ時代以降、決して裸体を描くことのなかった中世のキリスト教的な禁欲主義の縛りを逃れ、半裸とはいえ等身大のヌードを堂々と描いていることから、この絵はルネッサンス開幕の宣言とみなされる。全裸のヴィーナスの誕生はその数年後である。」(西岡文彦著「絶頂美術館 名画に隠されたエロス」p.84)
どこかで必ず見たことのあるこの作品の一番右側をご覧ください(中央は言わずと知れたヴィーナスと、その上の羽の生えた赤ん坊はさっきプシュケーにキスをしていたキューピッドです。キューピーちゃんはもちろんこのキューピッドがモデルです。
*まだ服を着ているヴィーナスの上にはクピードー(キューピッド=アモール=エロース=クピド)です。ヴィーナスはギリシャ神話ではアフロディーテであり、アフロディーテの息子がキューピッドです(とは言え、もともとはキューピッドはガイアたちと同じく原初神だったのですが。。。)。で、アフロディーテ(ヴィーナス)の息子のキューピッドが恋は盲目とばかりに目隠しをしつつ三女神のうちの「貞節」をねらっているという図です。
*キューピッドも十分に小児性愛な雰囲気を出しています(クピードー、ウィリアム・アドルフ・ブグロー、1875)
美女のうちで「貞節」って誰と思ったら、真ん中にいて、観客から背中を向けている人です。背中を向けているというか、左端の美青年のマーキュリーに夢中です。マーキュリーは言わずと知れたメリクリウスです。アルケミーの祖ですね。
*右から美、貞節、愛です。
で、ゼピュロスですが、この人です。青鬼みたいな人です。後の奥さんになる人を強奪しているシーンです。略奪愛です。「愛は惜しみなく奪う」(有島武郎)です(違うか)
*これがゼピュロスです。ゼピュロスは樹木のニンフであるクローリスを襲っています。ゼピュロスは春を告げる西の風の神さま。クローリスはフローラと名を変え神さまに昇格します。だから口から花が出てきています。クローリスの左隣がフローラです。左から右へと時間が流れています。フローラは花を撒いています。
*そもそもは、生れたばかりのアフロディーテをゼピュロスが気に入って(お前は光源氏かと思いますね。まだ、生まれたてですからね)、海の泡から生れたアフロディーテを岸へと風で運びます。
*海から生れたので貝の上にいるというよりは、古代ギリシャにおいて貝が女陰のメタファーであったから、貝の上にいます(ルネッサンスですね)。
*その意味では武田久美子さんの貝殻ビキニはヴィーナスの象徴であり、古代ギリシャの伝統を引き継いでいます。
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ヴィーナスは泡から生れました。
寺子屋「ギリシャ神話」でやりましたが、そもそもはウーラノスの男性器にまとわりついた泡(アプロス、aphros)から生まれました。ウラノス(天)というのはガイア(大地)の子供であり、夫です(まるでオイディプス王、しかし悲劇性はゼロ)。
ウラノスは母と結婚して、末っ子にクロノスがいますが、その息子から自分の男性器を切られます。それを海に投げ棄てられて、その泡から生まれるのがアフロディーテ(というか切り落とすなんてまさに阿部定ですねw)(というか、クロノスの命令したのが切り落とされたウラノスの奥さんのガイアなので、そのまま阿部定です。「愛のコリーダ」です。)
そのテーマをはっきりと描いたのがこちら。そのテーマというのは、泡から生れたアフロディーテをゼピュロスが西の風(春を告げる風)によって、岸に運ぶというテーマです。
この「ヴィーナスの誕生」は誰もが観たことのあるボッティチェリの傑作です。
*左上にいるカップルがゼピュロスとフローラです。さきほど拉致したクローリスが女神フローラになり、いまや夫婦です。
これがゼピュロス。ゼピュロスは悪人ではなく、ただの神さまです。キューピッドがプシュケーと恋に落ちたときは、キューピッドの味方をしています。
どんどん脱線しそうですが、最後に一つだけ。
ヴィーナスの誕生も全裸を描いた象徴的な作品ですが、ヴィーナスの誕生と言えばこちらのほうが官能的です。ぜひ、巨大な画面で観てください。
*アレクサンドル・カバネルの「ヴィーナスの誕生」です。
面白いのは当時と今では「大衆」のもしくは「美術界」の評価が逆転しているということです。
カバネルはモーツアルトにおけるサリエルのようなもので、当時19世紀半ばのパリ美術界の頂点にいました。アカデミック絵画として知られ、このヴィーナスの誕生は代表作です。
アカデミックどころか非常に官能的に見えますが、アフロディーテ(ヴィーナス)というギリシャ神話の神を描き、そして天使がまぶしているだけで、アカデミックになってしまいます。
ナポレオン3世として知られるルイ・ナポレオン(ナポレオンの弟の子供)にも買い上げられています。
この1863年という年は印象派時代の幕開けの年です(モネの「印象 日の出」は10年後の1873年、ちなみに「金枝」でおなじみのターナーの「雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道」は1844年です。「印象、日の出」からすると30年前に印象派を先取りした作品を描いています。「草上の昼食」から考えても20年前です)。
*モネの「印象・日の出」はマネの「草上の昼食」の10年後。
ターナーは神話や聖書を題材にしている印象がありますが、もともとは写実主義からはじまり印象派的に変わっていきます。
*どう見ても「印象派」であり、近代絵画です。
その印象派の幕開けとされるのは、1863年のマネの「草上の昼食」です。同じ年に「オランピア」も発表して、流れを決定付けます。
*マネは「印象派」の中心的な人物とされますが、「印象派」とは一貫して距離を置いており、題材を古典にもとめていました。クールベと同じく近代絵画の父です。
*そもそもこの作品自体はよく知られているように、ラファエロの銅版画をもとにしています(正確には、ラファエロとライモンディの共作です。ラファエロが下絵を描き、ライモンディが銅版画にしました)。
その銅版画がこちら。
*左ではパリスと三人の美神がやりとりをしていますが、右にはマネの「草上の昼食」そのものです。そのものというか、マネがこれを変奏しました。
そもそもパリスの審判とはギリシャ神話です。
トロイア戦争の原因となった神話のお話しです。
マレフィセント(カラボス)ではないですが、結婚式に呼ばれなかった不和の女神エリスが宴席に黄金のリンゴを投げ入れます(黄金のリンゴについては、セフィロト講座でもやりましたがオレンジのことです)。そこには「もっとも美しい女神」にと書かれていました。「もっとも美しい」と自負する3人の美神が大げんかして、その仲裁をなぜかトロイ王の息子パリスがするという話です。パリスに対して、FIFAも真っ青な買収がもちかけられ、結局アフロディーテが勝つのですが、それがトロイア戦争につながるという悲劇。
*黄金のリンゴにはうっすらと「Kallisti」と書かれています。意味は「最も美しい女性に」。まさにゲーデルの自己言及命題のような不協和を引き起こします!
3人の女神とはヘーラー・アテーナー・アプロディーテです。ヘーラーは言わずと知れたゼウスの奥さんにして、神々の女王です。極道の妻みたいなものです。アテーナーはアテネです。知恵の女神なのですから、その知恵を使って争いを避ければいいのにって思います。そして我らがアフロディーテ(ヴィーナス)です。可愛らしいけど迷惑な人っています。でも憎めない。
繰り返しますが、その「パリスの審判」を題材にしたのが、「草上の昼食」です。
ですから、カバネルがヴィーナスの誕生をエロチックに描いても、題材が女神の誕生であれば、絶賛されるのですから、そのヴィーナス(アフロディーテ)が主題の「パリスの審判」を主題にしてヌードを書いても問題がないはずです。
しかし大衆は表層しか見ません。カメラ目線の美女に見つめられて、スキャンダラスだと大騒ぎになりました。「草上の昼食」はのちにピカソに至るまで繰り返しオマージュされます。多くの変奏曲がつくられます。「草上の昼食」自体が変奏曲であり、その「草上の昼食」も変奏されまくるというRemixな世界です。
極端な例ですが、たとえばピカソ。
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「オランピア」も神話の女神でも、貴族の肖像画でもなく(貴族の女性の裸体を描くのは許されていました)、娼婦の裸体を描いたという意味では衝撃だったのかもしれません。しかし、これもまたヴィーナスを描いています(まあ、ヴィーナスを娼婦扱いしたという意味では衝撃かもしれません)。
ただこの元となる作品は「ウルビーノのヴィーナス」(ティッツァーノ)であり、ティッツァーノの「ウルビーノのヴィーナス」の元となる作品は兄弟子とも師匠とも言われるジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」です。
ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」の背景はティッツァーノが完成させたと言われます。
そのティッツァーノがジョルジョーネにインスパイアされた変奏曲が「ウルビーノのヴィーナス」。
「ウルビーノのヴィーナス」(ティッツァーノ)
そしてそのウルビーノのヴィーナスのオマージュがマネのオランピアです。
ですから、
ジョルジョーネ「眠れるヴィーナス」 → ティッツァーノ「ウルビーノのヴィーナス」→ マネ「オランピア」
という意味では本来は正当な歴史を踏まえた作品だったのですが、、、、、大衆は表層しか見れません。というか同時代人は盲目です。
まさか正統派であったカバネルの「ヴィーナスの誕生」が忘れ去られ、ありえないとされた印象派が正統派になるとは想像もつきません。
ティールの言うとおりは「未来」とは、いまとは違う世界です。時間が経てば未来なのではなく、現状の外側に広がる世界、そしてそこへ移動したときに「未来」が「いま」になります。
というわけで、寺子屋参照資料「音楽」の最終回のつもりが、マーラーの「アダージェット」から映画「ベニスに死す」のタジオことビョルン・アンドレセンくんの美貌に惹きつけられて、絵画の旅へ移動してしまいました。
熱い紅茶にプチット・マドレーヌをつけて読んでください!!
次回こそは音楽史最終回を!!
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