◆あるものとないものでひとつ

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自撮りなので、左右手前が反転しています。  


ほらね。




着物を着ることって、わたしにはまだまだハードルが高い。

「簡単よ〜」と友達に誘われて、あれやこれやと頑張ってはみるけれど、不器用など後者の自分には、まだまだ納得いくとこまでいけてない。


着物の着方にルールなんてないらしい。
強いて言うなら、「どういう場所(お祝いなのか、目上の人がいるかなど)に何を着るか」さえ守ればいいんだそうだ。

着方に関しても、昔の人は毎日着ていたのだから、そんなにキッチリ着なくても、ゆるゆるでも、ぜんぜんいいものだそうな。


「ルールなんてないわよ」「好きに着ればいいのよ」と言いながらも

「最近のイケてるコーディネートは単色がいい」
「あまり色を足さないのが粋だ」
「着物と帯は同じ柄を合わせない」


そう言って、わたしの選んだものとは違う色を合わせていく着付けのプロの方。

「なんだ、あるじゃん、そういうやつ知りたいのに」とか思ったりする。
なにせ、本気でわからないのだから。



それでも何度も試して、何度も着ていけば
必ず「当たり前に」着物を扱える人になる。

まあ、ぼちぼちがんばるよ。

わたしはきっと、着物の扱いに慣れるのに普通よりも3倍くらい時間がかかるね。



今日は、長襦袢の襟をはずして、ウタマロせっけんで洗います。



長襦袢の襟を外すとか、知らんかったし。

これを自分でまたつけるのかと思うと、それもまた新しいハードルを越える世界。

見えない細かい手仕事があるから、着物を綺麗に着る時間がより鮮やかに生きる。それだけ丁寧に扱われた着物が美しくないわけがない。

レンタルでぱっと借りて、着てるだけでは、味わえなかった体験。











この間、友達主催のお茶会に行ってきた。

お茶室は、余分なものは一切ない。

シンプルにシンプルを極める。

そのかわり、掃除はかなり丁寧に行っているはず。


削ぎ落として、引き算しまくった、そこにあるものそのままを味わう。

明かりがない床の間に一輪飾られた花が、薄暗さのなかに輪郭だけを見せる。

ふつう、そこはライトアップするじゃん?というところを、あえて真っ暗の演出。
カッコいい。


「何もない」そこにあるもの。

「見えない」そこにあるもの。

「聞こえない」音。

あるものと、ないものの全てを味わえること。

そういう楽しさを共有できる友人がいるのは、幸せなことだなあ。


その友達が、ホロっと言ったのが

「お茶会で、人前で見せている部分はほんのすこししかない。ほとんどが、見えない仕事なんだよね」

そうなのだ。



そういうのが、わかり出してきた。

見えない仕事と、見えてる仕事。

見えてるものと見えないもの。

両方あってひとつ。



華やかなものや、派手なものは目につくし、わかりやすい。

けれど、そういうものが占める割合なんて少なくて

世の中で、わたしたちに見えているものの8割は、地味で、気づきにくくて、隠れていて、薄味で、まるで何もないように感じられるものなのだろう。




カタヨガルームも、だいぶお掃除に時間をかける。

使う時間よりも、部屋を整える準備に、より時間をかけています。


だから、ほかのヨガクラスみたいに頻繁にはクラスできないわけよ。
12月に一回くらいやるかなあ〜

と、つぶやいてみる。


ともこ