• 26 Jul
    • 2017.07.27 一日一季語 黒鯛(くろだい《くろだひ》)【夏―動物―三夏】

       2017.07.27  

      一日一季語 

      黒鯛(くろだい《くろだひ》)【夏―動物―三夏】

       

      黒鯛の潮のしたたり虹色に    きくちつねこ

       

       

       

      [きくち・つねこ(1922〜平成21年(2009)86才。 茨城県生れ。)

      大野林火に師事。昭和23年「濱」入会。昭和49年野沢節子の「蘭」創刊に同人参加。副主宰、のち主宰を継承。

      平成21年名誉主宰。第3回山本健吉賞受賞。

      俳人協会評議員、日本文芸家協会会員、 現代詩歌文学館評議員

       

       

      【傍題季語】

      ちぬ ちぬ釣(ちぬつり)

       

       

       

      季語の説明

      タイ科クロダイ属の黒色の鯛。関東ではクロダイ、関西ではチヌという。大阪湾一帯の古名茅渟(ちぬ)の海にちなむもの。夜釣りで獲る。日本各地の水深の浅い沿岸部に多い。

       

       

       

      例句

      黒鯛釣に港湾の潮碧なす      鈴鹿野風呂

      ていねいにからだを拭いて黒鯛くふ 飯島晴子

      黒鯛は最澄の黒水無月会      森 澄雄

      黒鯛釣を迎へにゆきし帆掛舟    斎藤夏風

      黒鯛のけむれる方へ漕ぎ出づる 宇 多喜代子

       

       

       

      日本人との関わり】 日本各地の縄文遺跡からクロダイの骨の化石が多数出土されており、クロダイは古くから日本人に親しまれてきた魚であることが推測できる。 関西でクロダイをチヌと呼ぶのは、古来、大阪湾を「茅渟海(ちぬのうみ)」と呼び、ここにクロダイが数多く棲息していたためだとされている。さらに、紀州~房総では、小型のクロダイを“カイズ”と呼ぶが、これは三重県海津周辺での捕獲量が多いためにつけられた名とされる。 クロダイは全国各地に分布しているが、とくに瀬戸内海での魚影が濃く、広島湾だけで国内の20%ものクロダイが水揚げされている。 © 2015 YAMARIA Corp. ALL Rights Reserved.    

      黒鯛の性質】   沿岸の水深約50mまでの比較的浅い岩礁エリア、および砂泥底の海域に棲息する。また、エサを求めて汽水域や河川内にまで入り込む個体も多い。 悪食の魚として知られ、エビやカニ、貝類、小魚などを丈夫な歯で噛み砕いて捕食する。また、クロダイは雑食性なので、釣りエサにはトウモロコシやスイカなども使われている。 クロダイは成長とともに性転換する魚で、通常は生後2年前後まではすべてがオスで、2~3歳の雌雄同体の時期を経てから、生後4年以降に大部分がメスになる。 産卵期は春~初夏。内湾の浅場で産み落とされた分離浮性の卵は、水温17度の場合で65~75時間後に孵化する。 クロダイは環境変化に対する適応能力に優れ、5~30度という幅広い水温で生存が可能。エサを捕食する適水温も13~23度なので、年間を通して釣ることができる。 なお、クロダイの寿命は10歳以上、ときには20歳にもおよぶといわれている。釣り人の間では、50㎝超の大物を敬意を込めて“年なし”と呼ぶ。       【釣り方

      クロダイは、海釣りのターゲットの中でもトップを争う人気魚。磯や堤防、河口、イカダ、ボートなど釣り場のバリエーションが豊富で、さまざまな釣り方が楽しめる。下記に紹介したほかに、地域によって独自の釣法が数多く存在していることもクロダイ釣りの特徴だ。

       

      ウキフカセ釣り

      クロダイの一番基本的な釣り方がウキフカセ釣りだ。 波静かな堤防で釣る場合は、微妙なアタリ(魚が食付いた信号)を取りやすい棒ウキ仕掛けがお勧め。逆に、外海に面した磯場では円錐ウキ仕掛けが使いやすい。エサはオキアミが基本だが、イソメ類や練りエサなども使われる。 底ダナ(海底近くの層)狙いが基本となるので、釣りを開始するときにはウキ下(ウキから針までの長さ)の調整をきっちり行うことが大切。アタリは千差万別なので、ウキに少しでも動きがあれば積極的にアワセ(魚の口に針を掛ける)を入れたい。

       

      ダンゴ釣り

      付けエサ(釣り針に付けた餌)をダンゴエサで包んで投入するのがダンゴ釣り。紀州で考案された釣り方だが、エサ取り(対象以外の小魚)に強いとあって、現在では全国で人気の釣り方となっている。 タックルや仕掛けはウキフカセ釣りのものを流用できるが、ウキは非自立系のウキを使うとダンゴが海底まで到着したことを把握しやすくなる。また、ハリスも多少短めにしておくと、ダンゴを投入するときのライントラブルが少なくなる。 狙ったポイント(魚の居る場所)にダンゴを正確に投入しながら、徐々にクロダイを寄せていくのがこの釣りの基本スタイル。ダンゴが割れて付けエサが出た瞬間にアタリがあることが多いので、微妙なウキの変化を見逃さないようにしたい。

       

      フカセ釣り

      大型のクロダイは手ごわい相手だが、晩夏~初冬にかけて釣れる小型のクロダイ(チンチンやカイズ)なら、ビギナーでも比較的簡単に狙える。 渓流竿の先端にミチイトをセットし、ハリスの先端に「豆テンヤ」と呼ばれるオモリ付きのハリを結節したシンプルな仕掛けを使う。豆テンヤは市販品もあるが、丸カイズバリと小型の中通しオモリ、チメイトなどで自作も可能。付けエサは、フクロイソメやジャリメ、モエビなどの食いがいい。 この釣りでは、港内のスロープ付近や流れ込み、堤防の付け根といった浅場を中心に攻めるのが基本。潮に濁りが入っていることも必須条件だ。仕掛けをポイントに投入してオモリが着底したら、竿先を30㎝ほど持ち上げるように聞き上げてから、再び竿先を下げて誘いを入れていく。

         

      ヘチ釣り

      水深のある大型港や沖堤防では、付けエサを自然な状態で落とし込む釣りも人気。足場の低い堤防が多い関東エリアでは短竿を使った「ヘチ釣り」、逆に足場の高い場所が多い名古屋~関西では「前打ち」といった釣り方が行われている(仕掛け図はヘチ釣りの例)。 竿やリールは専用品を使うのが快適。ミチイトは逆光時でも見やすい蛍光ラインが使いやすいが、最近は感度に優れるPEラインを愛用する上級者もいる。 仕掛けは、ハリとガン玉(小さな玉状のオモリ)だけのシンプルな構成。水深や潮流の速さなどを考慮して、できるだけエサが自然に落ちるようにガン玉のサイズを調整したい。エサはイガイやカニ、イソメなどを使用する。 いずれも、付けエサを狙いのポイントにゆっくりと落とし込み、イトフケの変化でアタリを取っていくのが基本だ。

       

      *監修 西野弘章【Hiroaki Nishino*編集協力 加藤康一(フリーホイール)/小久保領子/大山俊治/西出治樹 *魚体イラスト 小倉隆典 *仕掛け図版 西野編集工房 *参考文献 『週刊 日本の魚釣り』(アシェットコレクションズ・ジャパン)/『日本産魚類検索 全種の同定 中坊徹次編』(東海大学出版会)/『日本の海水魚』(山と渓谷社)/『海釣り仕掛け大全』(つり人社)/『釣魚料理の極意』(つり人社)

       

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

      (ウイキペディア) (© 2015 YAMARIA Corp. ALL Rights Reserved.)   (575筆まか勢)

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  • 25 Jul
    • 2017.07.26 一日一季語 雷(かみなり)【夏―天文―三夏】

       2017.07.26   

      一日一季語 

      (かみなり)【夏―天文―三夏】

       

      遠雷やはづしてひかる耳かざり    木下夕爾

       

       

        木下 夕爾(きのした ゆうじ、1914年10月27日 - 1965年8月4日)は、日本の詩人、俳人。本名・優二。広島県福山市御幸町に生まれる。広島県立府中中学(現・広島県立府中高等学校)を卒業後、1933年にいったんは第一早稲田高等学院文科(仏文科)に入学するが、家業を継ぐために転学。 1938年に名古屋薬学専門学校(現・名古屋市立大学)を卒業し、広島で実家の薬局を営む。以後終生郷里を離れなかった。この間堀口大学に傾倒し影響を受けており、13歳のときには堀口の詩誌「若草」で特選を取っている。 1940年、第一詩集『田舎の食卓』を刊行、第6回文芸汎論賞を受賞。1949年に誌誌「木靴」を創刊・主宰。以後の詩集に『生まれた家』(1940年)『笛を吹くひと』(1958年)など。日本詩人クラブ、日本現代詩人会に所属。 また1944年より安住敦の俳誌「多麻」に投句、1946年より久保田万太郎の俳誌「春燈」に参加。万太郎に激賞され「春燈」主要同人となる。 1956年句集『南風妙』、1959年『遠雷』を刊行。 1961年、広島春燈会を結成、また句誌「春雷」を創刊・主宰する。句風は『遠雷』までの、心象風景を強い叙情性をもって描いた時期と、『遠雷』以降の、情を適度に交えつつ写生の方法を生かした時期とに大きく分けることができる。総じて瀟洒で線の細い句であり、師である万太郎にならい、平易な言葉による柔らかな表現を目指した。代表句として「家々や菜の花いろの灯をともし」(『遠雷』所収)がよく知られている。 1965年横行結腸癌により死去、50歳。没後に刊行された『定本木下夕爾詩集』は第18回読売文学賞を受賞した。

       

       浅草寺 「雷除け守」は、7月9・10日にしか授与いただけない縁起物

       

       

      【傍題季語】

      神鳴(かみなり) 雷(らい) いかづち はたた神(はたたがみ) 鳴神(なるかみ) 雷鳴(らいめい) 遠雷(えんらい《ゑんらい》) 軽雷(けいらい) 落雷(らくらい) 雷雨(らいう) 日雷(ひがみなり)

       

      来火、雷電(らいでん)、雷鳴(らいめい)、雷声(らいせい)、 雷響(らいきょう)、雷雨(らいう)、雷(らい)、雷霆(らいてい)、激雷(げきらい)、遠雷(えんらい)、軽雷(けいらい)、迅雷(じんらい)、疾雷(しつらい)、日雷(ひがみなり)、落雷(らくらい)、雷火(らいか)、雷神(らいじん)、雷鼓(らいこ)、はたたく

       

       

       

       

      季語の説明

      雲と雲の間、雲と地表の間に起こる放電現象で夏に最も多い。積乱雲の内部の電位差によって引き起こされる。局地的に激しい雨や雹を伴うこともあり、時に落雷で停電や火災が起きる。晴天の雷、暁の雷雨、夕立前の遠雷などその趣は変化に富む。

      夏の季語である「雷」は音を連想させる季語だといえる。これに対して、秋の季語である「稲妻」は光を連想させる季語といえます。

       

       

        NHKテキスト2014.06.28

        雷を詠んだ句に垣間見る自然を畏れる気持ち

       

      今や日本の夏の風物詩となったような印象もある「ゲリラ豪雨」。人間にはどうすることもできない圧倒的な力を持つ雷は、昔から超自然的なものとして考えられ、その神秘さゆえに文学作品にもよく登場してきた。俳句にも雷を詠んだ句は多い。「ホトトギス」主宰の稲畑廣太郎(いなはた・こうたろう)さんは、俳句を作る上で、自然を畏れる気持ちを大切にしたい、と語る。

       

       

      NHKテキスト  引用

       

       

       

       

      例句

      雷鳴に雨音一大交響楽     林翔

      雷鳴の東西南北戸を叩く    岡西恵美子

      欄外に重要事項書く雷雨    高田令子

      遠雷のうすむらさきの逢瀬かな 岡本眸

      龍のゐる雲かも知れぬ日雷   ふけとしこ

       

       

       

      増殖する俳句歳時記

       

      雷落ちて八十年を顧る   後藤夜半

       

      季語は「雷(らい)」。日本海側では冬にも多いが、全国的には夏に最も多いことから、夏季としている。句は、落雷後の束の間に働いた心の動きをそのまま述べている。よほど近くに落ちたのだろう。有無を言わせぬ雷鳴と轟音で、その後しばらくの間は、頭のなかが真っ白になった感じがする。助かってよかっただとか、どこに落ちたのだろうなどと思う以前に、限りなく一瞬に近い束の間の空白が生じる。その空白のなかで、作者は「八十年を顧(かえり)」みたと言う。むろん、束の間のことだから、長く生きてきた人生のあれこれのことを具体的に回想できたわけではない。瞬間、何かがさあっと頭のなかを通り過ぎていった。それが自分の歴史からは抜き難いエッセンスだったような気がして、「八十年を顧る」と書き留めたのである。したがって、掲句には顧みた感慨は何も含まれていない。「夢のごとし」のような諦観もない。ただ、自然に心がそう働いたことへの不思議な充実感を述べている。人は死ぬときに、一生のことを走馬灯のように思い出すものだとは、よく聞く話だ。死んだことがないのでわからないけれど、死に際の回想も、もしかすると句のような性質のものかもしれない。と、これはついでに思えたことである。遺句集『底紅』(1978)所収。(清水哲男)

       

       

        雷ナウキャストとは】 雷ナウキャストは、雷の激しさや雷の可能性を1km格子単位で解析し、その1時間後(10分~60分先)までの予測を行うもので、10分毎に更新して提供します。 雷の解析は、雷監視システムによる雷放電の検知及びレーダー観測などを基にして活動度1~4で表します。予測については、雷雲の移動方向に移動させるとともに、雷雲の盛衰の傾向も考慮しています。 雷ナウキャストでは、雷監視システムによる雷放電の検知数が多いほど激しい雷(活動度が高い:2~4)としています。雷放電を検知していない場合でも、雨雲の特徴から雷雲を解析(活動度2)するとともに、雷雲が発達する可能性のある領域も解析(活動度1)します。 なお、急に雷雲が発達することもあり、活動度の出ていない地域でも天気の急変には注意する必要があります。   活動度は、最新の落雷の状況と雨雲の分布によって、以下のように区分しています。

    • 活動度4は、「激しい雷」で、落雷が多数発生していることを意味します。
    • 活動度3は、「やや激しい雷」で、落雷があることを意味します。
    • 活動度2は、「雷あり」で、電光が見えたり雷鳴が聞こえる。または、現在は、発雷していないが、間もなく落雷する可能性が高くなっていることを意味します。
    • 活動度1は、「雷可能性あり」で、1時間以内に落雷の可能性があることを意味します。  活動度2~4が予測された場合は、落雷の危険が高くなっていますので、建物の中など安全な場所へ速やかに避難して下さい。また、避難に時間がかかる場合は、雷注意報や活動度1が予測された段階から早めの対応をとることが必要です。  なお、雷注意報や活動度1~4が発表されていない地域でも雷雲が急発達して落雷が発生する場合がありますので、天気の急変には留意して下さい。   気象庁 ホームページ引用        

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 24 Jul
    •  2017.07.25 一日一季語 踊(おどり《をどり》)【秋ー行事―初秋】

       2017.07.25   

      一日一季語 

      (おどり《をどり》)【秋―行事―初秋】

       

      づかづかと来て踊子にさゝやける 高野素十

       

        高野 素十(たかの すじゅう、1893年3月3日 - 1976年10月4日)は、茨城県出身の俳人、医師(医学博士)。高浜虚子に師事。 虚子の唱えた「客観写生」を忠実に実践、簡潔で即物的な写生句で頭角を現し、山口誓子、阿波野青畝、水原秋桜子とともに「ホトトギスの四S」と称された。「芹」主宰。本名は高野与巳(よしみ)。 1913年に東京帝国大学医学部に入学。 1918年大学卒業。法医学教室に入局し、法医学および血清学を専攻する。同じ教室の先輩に水原秋桜子がおり、秋桜子の勧めで1923年より句作を開始。なお医学部教室毎の野球対抗戦では、素十が投手、秋桜子が捕手でバッテリーを組むなどしている。同年より東大俳句会に所属、「ホトトギス」12月号において初投句にして4句が入選。1926年には初巻頭を取り、やがて秋桜子、山口誓子、阿波野青畝とともに「四S」として知られるようになる。 1929年、医学研究に専念するため一時句作を中断。1932年に再開。 1953年、新潟医科を定年退官。また「桐の葉」雑詠選者となる。 1954年、大阪毎日俳壇選者。京都市山科区に移住。 1957年、「桐の葉」選者を辞し「芹」創刊・主宰。1960年、奈良医科大学を退職。 1976年、軽い脳溢血により入院。9月号から翌年5月号まで「芹」を休刊。1972年、神奈川県相模原市に移住。1976年8月、前立腺肥大症のため入院。11月号をもって「芹」を終刊。同年10月4日、自宅にて死去。83歳。千葉県君津市の神野寺に葬られた。  

       

      【傍題季語】

      盆踊(ぼんおどり《ぼんをどり》) 踊子(おどりこ《をどりこ》) 踊笠(おどりがさ《をどりがさ》) 踊太鼓(おどりだいこ《をどりだいこ》) 踊唄(おどりうた《をどりうた》) 踊櫓(おどりやぐら《をどりやぐら》)

       

       

       

      季語の説明

      盆踊のこと。盆とその前後に、広場や社寺の境内、砂浜などで行われる。本来先祖の供養のためであったものが娯楽になり、浴衣がけの男女が音頭にあわせて夜の更けるのを忘れて踊るようになった。土地によっては町の中を歌い踊りながら練り歩くのもあるが、普通は輪踊が多い。

       

       

       

      例句

      旧姓で呼び止められて踊りの輪   朝日彩湖

      踊笠入れる大きな旅鞄       稲畑汀子

      足の指下駄をはみ出す踊かな    秋千晴

      踊りても踊りてもなほ恋しらず   坊城俊樹

      あと戻り多き踊にして進む      中原道夫

       

       

       

      お盆と盆踊】 踊って楽しむことそのものが目的のように思われることもありますが、盆踊りはその名のとおり、一年に一度の7月15日にこの世へ帰ってきたご先祖様たちの霊を供養する、お盆の時期に行われる踊りであり、霊を慰めるための踊りなのです。東京など旧暦の7月15日をお盆(旧盆)とする地域もありますが、新暦の8月15日をお盆とする地域が多いようです。 お盆は元々の名前を盂蘭盆会(うらぼんえ)という仏教行事であり、目蓮という人物が地獄に落ちた母を救いたいと釈迦に相談したところ、「7月15日にお布施を行ないなさい」との教えを受け、それを実践したところ母を無事助けることができた、というエピソードに由来し、先祖の霊を供養する行事として生まれたといいます。日本にもこの仏教行事が伝わってきたのですが、日本土着の先祖信仰や民俗信仰が加わり、徐々に日本独自の「お盆」という習慣になっていったと言われています。 盆踊りは「お盆」に行なわれる儀式の一環として、仏教信仰を踊りというパフォーマンスで表現した「念仏踊り」(一遍上人が広めたとされます)と、先祖供養の信仰が交じり合って誕生しました。当初は先祖の供養という面を重んじていましたが、次第ににぎやかなお囃子(はやし)・踊りが目立つようになり、江戸時代には歌も加わるなど現在の「盆踊り」が形成され、庶民の間の楽しみとして広まっていきました。戦後になると今までのような先祖への供養・地方の文化を取り入れた「伝統踊り」、歌手が歌う音頭曲のレコードなどにあわせて楽しんで踊る新しい「民謡踊り」と分別されるようになり、町の祭りなどではこの民謡踊りが好んで踊られるようになりました。   こうして盆踊りはお盆の定番行事として、夏の風物詩として日本中で行なわれるようになりました。当然その踊りの様式も伝統踊り・民謡踊りの中でそれぞれ細分化していき、日本各地でさまざまな盆踊りが行なわれています。 列を組んで歩きながら踊る「行列踊り」、町を流しながら踊る「流し踊り」、櫓を中心にその周囲を囲んで踊る「輪踊り」といった形式を基本として、"日本三大盆踊り"と呼ばれるものもあります。 COPYRIGHT ⓒ土地活用東建コーポレーション ALL RIGHTS RESERVED     【日本三大盆踊】 ・「阿波踊り」(徳島県)・・・「踊る阿呆に見る阿呆同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という囃子にのせ「連」と呼ばれるグループを組み町を練り歩く 400年以上の歴史があると言われる阿波おどり。 中心となる徳島市での祭りは毎年8月12日~15日の4日間 世界にもその名を知られた400年の歴史を持つ徳島の夏祭り。期間中は、街中に阿波おどりのお囃子が響き、ぞめきのリズムに踊り子や見物客の身も心も弾みます。 阿波おどりは徳島県内のみならず、全国で数多く開催されていますが、日本最大規模を誇るのが徳島市の「阿波おどり」です。 本番期間は8月12日から15日までの4日間ですが、まず本番前日の11日から、「選抜阿波おどり大会前夜祭」が、そして本番期間中は、昼は「選抜阿波おどり大会」、夜は演舞場での「阿波おどり」と、昼も夜も阿波おどりをお楽しみいただけます。 ぞめき=阿波おどり特有の二拍子の軽快で陽気なリズム。「騒がしい」との本来の意味もあり、派手に浮かれて賑やかに踊ることを指していう。 徳島市役所・(一財)徳島県観光協会, ホームページ引用   ・「西馬音内盆踊り」(秋田県)・・・野性的で迫力あふれる囃子と、それとは対照的に優雅で流れるような踊りが醸し出す雰囲気が印象的 祖霊たちを送る盆の八月十六日。出羽の山並みに日が沈むころ、 羽後町西馬音内に寄せ太鼓の囃子が鳴り響きます。 やがて、着飾った子供たちが、篝火のたかれた本町通りで音頭の踊りを披露し、三日間にわたる盆踊りが幕を開けます。 およそ七百年前に始まったとされる西馬音内盆踊り。昭和十年(1935)の東京での始めての公演をきっかけにして形式が整えられ、五十六年には、高い芸術性を有する民俗芸能として国の重要無形民俗文化財に指定されました。 伝統の技はしっかりと受け継がれ、磨き上げられ、新たな歴史を刻んでいます。 羽後町観光物産協会  ホームページ引用   ・「郡上踊り」(岐阜県)・・・"踊るおどり"と呼ばれ、10種類もの盆踊りを誰しも関係なく無礼講に、夜明けまで踊り続けることが醍醐味 「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる」 
の歌詞で知られる郡上おどりは400年にわたって城下町郡上八幡で歌い踊り続けられてきたもので、江戸時代に城主が士農工商の融和を図るために、藩内の村々で踊られていた盆踊りを城下に集め、「盆の4日間は身分の隔てなく無礼講で踊るがよい。」と奨励したため年ごとに盛んになったものです。 クライマックスの徹夜おどりは、8月13,14,15,16日の4日間です。 7月中旬から9月上旬にかけて33夜にわたって踊られます。 日本一のロングランの盆おどりで、郡上八幡の夏はおどりとともに始まり、おどりとともに終わるといえます。

       

      © 2017 郡上八幡観光協会  ホームページ引用

       

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 23 Jul
    • 2017.07.24 一日一季語 茘枝(れいし)【秋―植物―仲秋】

       2017.07.24   

      一日一季語 茘枝(れいし)

      【秋―植物―仲秋】   苦瓜といふ悶々のうすみどり    坂巻純子     俳句空間―豈weekly 俳句の書評・時評、そしてエッセイ ―毎週日曜日発行―.  2008年9月20日土曜日

       

      坂巻純子(昭和11年~平成8年)は「さかまきすみこ」と読む。周囲も「おすみ」さんと呼んでいた。柏の資産家の娘で生涯独身で暮らし、決して下品ではない、しかし姐御肌の女流であった。福永耕二と坂巻純子は、若手の多い「沖」にあって、一格上の兄貴・姐御のような存在であった。実際、「沖」で初めて俳人協会新人賞をとったのは福永耕二(受賞時には亡くなっていたが)であり、耕二の4年後に純子がとっているから、まあ脚光を浴びている二人であったといえようか。耕二については最近しばしば書き、現代俳句協会の講演でも詳しく語ったからここでは繰り返さない(富田拓也氏が連載で触れているので、こちらも見ていただきたい)。純子には〈炎天をゆく胎内の闇浮かべ〉〈たらたらと螢火夢の継目かな〉の『新絹』(昭和51年 牧羊社)、〈朝寝してこの世しんかんたりしかな〉の『花呪文』(昭和59年 卯辰山文庫)という句集があり、特に後者で受賞したのだ(中略)・・・。

        時評風に(坂巻純子/作品番号5) ・・・筑紫磐井 抜粋 引用  

       

      【傍題季語】

      苦瓜(にがうり) ゴーヤー

      蔓茘枝

       

       

      季語の説明

      ウリ科の蔓性一年草、蔓茘枝の実。インド原産で、江戸時代に中国から渡来した植物で、果実は長円筒形で苦みがあり、表面が小さいこぶ状の突起に覆われている。未熟果を食用にし、沖縄料理のゴーヤー・チャンプルーはよく知られている。楊貴妃が好んだという茘枝はムクロジ科の常緑高木で別種。

       

      ウリ科ニガウリ属の蔓性一年草。ゴーヤの名で親しまれている沖縄を代表する野菜。夏、胡瓜に似た黄色の花をつけ、秋、表面が突起に覆われた緑色の実をつける。完熟しない実を採って食材とする。

       

       

      例句】 屋根獅子の島の叫びは苦瓜(ごーや)日々  進藤一考 茘枝熟れ萩咲き時は過ぎゆくも       加藤楸邨 還らざる島苦瓜の汁ねばり         沢木欣一 茘枝裂けて肉醤むしろ凄じく        川端龍子 苦瓜の小さき穴こそ棲みたけれ       正木ゆう子

            【わかりやすい俳句添削教室

      原雅子   第11回 2011/5/27  

       

      《原句》② (6/2、説明文一部訂正いたしました)   ゴーヤーの粒々ほどの反抗心  苦瓜とも蔓茘枝(つるれいし)とも呼ばれるゴーヤは、じつに特色のある肌をしています。「粒々」というのはあの疣状の突起のことでしょうね。それを反抗心に見立てたのは意表を突く比喩でした。  ただしここでは、いったい誰の、どういう状況なのかが語られていません。比喩だけが投げ出されていますので、〈それがどうしたの〉と言われてしまいそうです。  この「反抗心」の主人公が作者なら「苦瓜の粒ほどにわが反抗心」、ゴーヤそのもののことなら「苦瓜に粒々とあり反抗心」とすれば分かりますが、これでは主体を補って文脈を整えただけにすぎません。詩情がふくらまないのです。  さらに、「粒々ほどの」とは、ざらついた質感を言いたかったのか、ちっぽけであると言いたいのか少々曖昧ですね。「粒々」というよりは「疣」でしょうし。  むしろ、考え方を全く別方向に向けて、「反抗心」の主体を第三者にするとどうなるのでしょう。たとえば思春期の子の場合など。 《添削》   ゴーヤ熟れ子にひそやかな反抗期   苦瓜のあをあをと子の反抗期  作品の世界が少し広やかになるようです。これは一つのヒントですから、ご自分の主題で作句するときの手がかりとしてください。  原句の表記では「ゴーヤー」でしたが、これは音数を合わせるために音を伸ばしたのだとすると避けたい表記です。もしかすると、地域によってはこのように言うのかもしれませんね。一般的には「ゴーヤ」としてよいでしょう。

       

      (飯塚書店ホームページ  引用)

       

      (c)masako hara

       

       

       

       

       

      【ゴーヤについて】 養 熱帯アジア原産で、中国南部、東南アジア、台湾で広く栽培されています。苦瓜(にがうり)の名前の通り、皮に苦味があります。沖縄ではゴーヤといわれ、最近はこの名前でも、よく知られています。ビタミンCが豊富で、ミネラル分も多く、発汗作用があるので、夏のスタミナ野菜といえます。 目利き・保存 緑色が鮮やかで、こぶ状の突起がぴんと張った、固めのものを選びましょう。ラップに包んで、冷蔵庫で保存します。 調理のヒント 薄切りにして、炒め物、酢の物、揚げ物などにします。独特の苦味は、塩少々をふって5分程おき、絞ると薄まります。

      料理の例

      1.にがうり(ゴーヤ)のわたをとる。

      にがうりは縦半分に切ってから、スプーンで種とわたをこそげ取る。

       

      2.にがうり(ゴーヤ)を塩水につける。

      薄切りにしてから5%くらいの塩水を加え、軽く混ぜてから10分ほどおく。塩でもむよりも食感とほどよい塩味が残る。水気をよく拭きとってから使う。

       

       

        COPYRIGHT© 1997-2017 キッコーマン株式会社 All Rights Reserved.

      ホームページ引用

       

      【緑のカーテン】

       

      花が1種類だけでさみしいとか、果実が成りすぎて食べ飽きてしまったり消費しきれなくなって困ったということを耳にします。そこで、1種類だけじゃなく2種類一緒に植える、または花と野菜を一緒に植えて両方楽しむといった「ミックス植え」はいかがでしょうか? 当社がおすすめする、初心者でも失敗しにくい組み合わせは「アサガオとフウセンカズラ」「ゴーヤーとアサガオ」などです。 栽培時期や管理の違い、相性もありますので初心者には難しいですが、慣れてきたらいろいろ試してみると新しい楽しみ方ができるでしょう。

       

       

       

      株式会社サカタのタネ  ホームページ引用

       

       

      【ゴーヤの栄養と効能】 風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどに効果!ビタミンCを豊富に含んでいます

       

      ゴーヤー(苦瓜/にがうり)が含んでいるビタミンCの量は76mgと非常に多く、キュウリの14mgやトマトの15mgに対して5倍以上も含まれています。ビタミンCを多く含むといわれるキウイでさえ69mgですから、ゴーヤ(苦瓜/にがうり)に含まれる量が如何に多いかが分かりますね。また、通常加熱すると壊れやすいのですが、ゴーヤー(苦瓜/にがうり)は、炒めても壊れにくいようです。

        ●独特の苦味成分「モモルデシン」  ゴーヤー(苦瓜/にがうり)を食べると独特の苦味を感じますね。あの苦味成分は「モモルデシン」という成分で、これがとても身体に良いようです。まずは、胃腸の粘膜を保護したり食欲を増進する効果があるそうです。また、神経に働きかけて、気持ちをシャキッとさせる効果もあると言われています。まさに暑さでだれてしまいがちな時にもってこいの野菜ですね ●油との相性が非常に良い  夏バテしやすい時期に栄養をとるには非常に適した食材と言えます。

      Copyright © 2003-2017 FoodsLink フーズリンク All right Reserved

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

      (ウイキペディア)

      (575筆まか勢)

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    • 2017.07.24 一日一季語 茘枝(れいし)【秋―植物―仲秋】

       2017.07.24   

      一日一季語 茘枝(れいし)

      【秋―植物―仲秋】   苦瓜といふ悶々のうすみどり    坂巻純子     俳句空間―豈weekly 俳句の書評・時評、そしてエッセイ ―毎週日曜日発行―.  2008年9月20日土曜日

       

      坂巻純子(昭和11年~平成8年)は「さかまきすみこ」と読む。周囲も「おすみ」さんと呼んでいた。柏の資産家の娘で生涯独身で暮らし、決して下品ではない、しかし姐御肌の女流であった。福永耕二と坂巻純子は、若手の多い「沖」にあって、一格上の兄貴・姐御のような存在であった。実際、「沖」で初めて俳人協会新人賞をとったのは福永耕二(受賞時には亡くなっていたが)であり、耕二の4年後に純子がとっているから、まあ脚光を浴びている二人であったといえようか。耕二については最近しばしば書き、現代俳句協会の講演でも詳しく語ったからここでは繰り返さない(富田拓也氏が連載で触れているので、こちらも見ていただきたい)。純子には〈炎天をゆく胎内の闇浮かべ〉〈たらたらと螢火夢の継目かな〉の『新絹』(昭和51年 牧羊社)、〈朝寝してこの世しんかんたりしかな〉の『花呪文』(昭和59年 卯辰山文庫)という句集があり、特に後者で受賞したのだ(中略)・・・。

        時評風に(坂巻純子/作品番号5) ・・・筑紫磐井 抜粋 引用  

       

      【傍題季語】

      苦瓜(にがうり) ゴーヤー

      蔓茘枝

       

       

      季語の説明

      ウリ科の蔓性一年草、蔓茘枝の実。インド原産で、江戸時代に中国から渡来した植物で、果実は長円筒形で苦みがあり、表面が小さいこぶ状の突起に覆われている。未熟果を食用にし、沖縄料理のゴーヤー・チャンプルーはよく知られている。楊貴妃が好んだという茘枝はムクロジ科の常緑高木で別種。

       

      ウリ科ニガウリ属の蔓性一年草。ゴーヤの名で親しまれている沖縄を代表する野菜。夏、胡瓜に似た黄色の花をつけ、秋、表面が突起に覆われた緑色の実をつける。完熟しない実を採って食材とする。

       

       

      例句】 屋根獅子の島の叫びは苦瓜(ごーや)日々  進藤一考 茘枝熟れ萩咲き時は過ぎゆくも       加藤楸邨 還らざる島苦瓜の汁ねばり         沢木欣一 茘枝裂けて肉醤むしろ凄じく        川端龍子 苦瓜の小さき穴こそ棲みたけれ       正木ゆう子

            【わかりやすい俳句添削教室

      原雅子   第11回 2011/5/27  

       

      《原句》② (6/2、説明文一部訂正いたしました)   ゴーヤーの粒々ほどの反抗心  苦瓜とも蔓茘枝(つるれいし)とも呼ばれるゴーヤは、じつに特色のある肌をしています。「粒々」というのはあの疣状の突起のことでしょうね。それを反抗心に見立てたのは意表を突く比喩でした。  ただしここでは、いったい誰の、どういう状況なのかが語られていません。比喩だけが投げ出されていますので、〈それがどうしたの〉と言われてしまいそうです。  この「反抗心」の主人公が作者なら「苦瓜の粒ほどにわが反抗心」、ゴーヤそのもののことなら「苦瓜に粒々とあり反抗心」とすれば分かりますが、これでは主体を補って文脈を整えただけにすぎません。詩情がふくらまないのです。  さらに、「粒々ほどの」とは、ざらついた質感を言いたかったのか、ちっぽけであると言いたいのか少々曖昧ですね。「粒々」というよりは「疣」でしょうし。  むしろ、考え方を全く別方向に向けて、「反抗心」の主体を第三者にするとどうなるのでしょう。たとえば思春期の子の場合など。 《添削》   ゴーヤ熟れ子にひそやかな反抗期   苦瓜のあをあをと子の反抗期  作品の世界が少し広やかになるようです。これは一つのヒントですから、ご自分の主題で作句するときの手がかりとしてください。  原句の表記では「ゴーヤー」でしたが、これは音数を合わせるために音を伸ばしたのだとすると避けたい表記です。もしかすると、地域によってはこのように言うのかもしれませんね。一般的には「ゴーヤ」としてよいでしょう。

       

      (飯塚書店ホームページ  引用)

       

      (c)masako hara

       

       

       

       

       

      【ゴーヤについて】 養 熱帯アジア原産で、中国南部、東南アジア、台湾で広く栽培されています。苦瓜(にがうり)の名前の通り、皮に苦味があります。沖縄ではゴーヤといわれ、最近はこの名前でも、よく知られています。ビタミンCが豊富で、ミネラル分も多く、発汗作用があるので、夏のスタミナ野菜といえます。 目利き・保存 緑色が鮮やかで、こぶ状の突起がぴんと張った、固めのものを選びましょう。ラップに包んで、冷蔵庫で保存します。 調理のヒント 薄切りにして、炒め物、酢の物、揚げ物などにします。独特の苦味は、塩少々をふって5分程おき、絞ると薄まります。

      料理の例

      1.にがうり(ゴーヤ)のわたをとる。

      にがうりは縦半分に切ってから、スプーンで種とわたをこそげ取る。

       

      2.にがうり(ゴーヤ)を塩水につける。

      薄切りにしてから5%くらいの塩水を加え、軽く混ぜてから10分ほどおく。塩でもむよりも食感とほどよい塩味が残る。水気をよく拭きとってから使う。

       

       

        COPYRIGHT© 1997-2017 キッコーマン株式会社 All Rights Reserved.

      ホームページ引用

       

      【緑のカーテン】

       

      花が1種類だけでさみしいとか、果実が成りすぎて食べ飽きてしまったり消費しきれなくなって困ったということを耳にします。そこで、1種類だけじゃなく2種類一緒に植える、または花と野菜を一緒に植えて両方楽しむといった「ミックス植え」はいかがでしょうか? 当社がおすすめする、初心者でも失敗しにくい組み合わせは「アサガオとフウセンカズラ」「ゴーヤーとアサガオ」などです。 栽培時期や管理の違い、相性もありますので初心者には難しいですが、慣れてきたらいろいろ試してみると新しい楽しみ方ができるでしょう。

       

       

       

      株式会社サカタのタネ  ホームページ引用

       

       

      【ゴーヤの栄養と効能】 風邪の予防や疲労の回復、肌荒れなどに効果!ビタミンCを豊富に含んでいます

       

      ゴーヤー(苦瓜/にがうり)が含んでいるビタミンCの量は76mgと非常に多く、キュウリの14mgやトマトの15mgに対して5倍以上も含まれています。ビタミンCを多く含むといわれるキウイでさえ69mgですから、ゴーヤ(苦瓜/にがうり)に含まれる量が如何に多いかが分かりますね。また、通常加熱すると壊れやすいのですが、ゴーヤー(苦瓜/にがうり)は、炒めても壊れにくいようです。

        ●独特の苦味成分「モモルデシン」  ゴーヤー(苦瓜/にがうり)を食べると独特の苦味を感じますね。あの苦味成分は「モモルデシン」という成分で、これがとても身体に良いようです。まずは、胃腸の粘膜を保護したり食欲を増進する効果があるそうです。また、神経に働きかけて、気持ちをシャキッとさせる効果もあると言われています。まさに暑さでだれてしまいがちな時にもってこいの野菜ですね ●油との相性が非常に良い  夏バテしやすい時期に栄養をとるには非常に適した食材と言えます。

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      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

      (ウイキペディア)

      (575筆まか勢)

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  • 22 Jul
    • 2017.07.23 一日一季語 麦酒(びーる)【夏―生活―三夏】

       2017.07.23 

      一日一季語 麦酒(びーる)

      【夏―生活―三夏】

       

      この国の出口は一つ麦酒飲む 対馬康子

       

        対馬 康子(つしま やすこ、1953年10月22日 - 香川県高松市に生まれる。 1972年日本女子大学国文学科に入学、文芸部に入部し同人誌に詩や短文を執筆。東大学生俳句会と文芸部との合同ハイキングで西村我尼吾と出会い俳句を作り始める。 1973年、国文学科教授中島斌雄が主宰する「麦」入会、また東大学生俳句会に学外参加。1976年「麦」同人。 1990年有馬朗人の「天為」創刊に参加。1993年8月赴任によりバンコクに移る。 1994年朝日新聞国際衛星版にて「アジア俳壇」創設、2003年まで続ける。 1996年帰国。1999年「松山宣言」起草に参加。同年正岡子規国際俳句賞調整委員。2001年、2016年俳句甲子園審査委員長。 2001年より2013年まで「天為」編集長。2002年より芝不器男俳句新人賞選考委員。  2015年、永年の作句活動、国内外の俳句振興への貢献により文部科学大臣表彰。 2015年11月荒川区「俳句のまち宣言」起草委員会委員長を務めるなど、区の文化振興により、荒川区特別功労者表彰を受ける。 句集に『愛国』『純情』『対馬康子集』『天之』『竟鳴』、共編著に『新撰21』『超新撰21』、『現代俳句の鑑賞事典』などがある。「麦」会長、「天為」最高顧問。現代俳句協会、俳人協会、国際俳句交流協会、日本文藝家協会会員。

       

       

      【傍題季語】

      ビール 黒ビール(くろびーる) 生ビール(なまびーる) 地ビール(じびーる《ぢびーる》) ビヤホール ビヤガーデン 缶ビール(かんびーる《くわんびーる》)

       

       

       

      季語の説明

      麦芽を主原料として醸造されたアルコール飲料で、炭酸ガスを含んでいる。四季を問わず飲まれるが、特に夏には冷たさが好まれ、ビヤホールなどがにぎわう。

       

       

       

      例句

      ビールほろ苦し女傑となりきれず   桂信子

      ビール酌む男ごころを灯に曝し    三橋鷹女

      一日が了る麦酒の泡見つめ      高澤良一

      淡々と過ぎたる午後の麦酒かな    角川春樹

      恋せしひと恋なきひととビール汲む  辻桃子

       

       

       

       

      ビールの歴史】 古代から中世のビール  ビールの誕生については諸説があり、紀元前8000~4000年までさかのぼるといわれ、文明とともに古くから人々に親しまれていたのは確かなようです。  人類最初の文明は、メソポタミアに興ったシュメール文明だといわれていますが、そこではすでにビールが飲まれていました。シュメールの人々が粘土板に楔形文字で描いたビールづくりの模様が記録に残っているからです。当時のビールの製法は、まず麦を乾燥して粉にしたものをパンに焼き上げ、このパンを砕いて水を加え、自然に発酵させるという方法だったようです。  また、紀元前3000年頃のエジプトでもビールは人々の間で広く飲用されていました。肥沃なナイル河畔で収穫される大麦を原料につくられたのです。  その後の時代でもビールは、アッカド・アッシリア・バビロニアなどの古い文明遺跡から、製造・飲用の事実が明らかになり、重要な飲み物として広まっていったようです。

      ビールの語源

      ビールは古代バビロニアではシカリといいました。このシカリがヘブライ語ではシェケール(濃い酒)となり、ギリシャ語ではシケラ(甘い酒)となります。ホメロスの『イーリアス』にはキューケイオー(混ぜ粥)というものが出てきますが、これは粥といっても飲み物といったもので、元来はビールではなかったかといわれています。  ケルト人(ガリア人)はローマ時代、フランス地方に住んでいましたが、ローマ人は彼らの飲むビールをセルボワーズと呼んでいました。これはスペイン語のセルヴェーサ、ポルトガル語のセルヴェージャと同じく、ラテン語のケルウィシア(ケレスのウィシア、生命力)に由来します。ケルト人は自分たちの言葉ではアルーとかエウルといっていたようです。これはエール同様「植物のしぼり汁」の意味で、苦味や渋味をもつ植物を加えた飲料を指していたといわれます。オイルも同じ系統の言葉です。  ビールという言葉はゲルマン語のベオレ、つまり穀物からきたといわれています。どうやらこれが現在のビールの語源といえるのかもしれません。  ロシア語ではビールのことをピーヴォといいます。"飲む"のピート、"酒類、飲料"のピートョの古語ピーヴァトに関係があるようです。今もつくられるクワスはパンを砕いて水に入れ、発酵させたものです。

       日本のビール

       わが国にビールが入ってきたのは英米の船が来航してからのことです。万延元年(1860)、幕府の第一回遣米使節の一人、玉虫左太夫は初めてビールを飲んで「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と書いています。  それ以前、ペリーが来航した嘉永6年(1853)に、蘭方医川本幸民は蘭書の記載を見て、江戸の露月町の私宅でビールを試醸したといわれていますから、これが日本でのビール醸造の起源といえるでしょう。  

       

       

      明治20年代に入ると日本も産業革命による近代化が本格的になってきます。近代的なビール会社が各地に誕生し、新しい時代を迎えつつありました。  明治20年には東京で日本麦酒醸造会社が、21年には北海道庁から払い下げられ札幌麦酒会社が、22年には大阪で大阪麦酒会社が設立され、26年にそれぞれ日本麦酒株式会社、札幌麦酒株式会社、大阪麦酒株式会社となりました。また、横浜のコープランドビールは、その後香港法人のジャパン・ブリュワリー・リミテッドが引き継ぎ、明治21年から麒麟ビールを発売しています。現在に至る会社はいずれもこの時期に新たな出発をしています。   ビール酒造組合  ホームページ引用

      Copyright © Brewers Association of Japan. All Rights Reserved.

       

      サッポロビール園】 赤レンガの建物“開拓使館”は1890年に製糖工場として建設されたものです。 その後、1963年までは製麦工場として使用され、そして1966年、サッポロビール園が誕生いたしました。   昭和41年(1966)

      7月1日、現「開拓使館」100席でオープン。 当時のキャッチフレーズは「隣の工場で今できたばかりの爽快な生ビールをどうぞ!」 「テレビ塔から5分」 「生ビール飲み放題・ジンギスカン食べ放題で1000円」。   昭和47年(1972)  

      札幌オリンピック冬季大会に合わせ、1月24日に「ライラック館」を 新築オープン。一挙に600席増席。 昭和61年(1986)

      6月7日、累計来園者数1000万人を達成。同25日「開拓使記念館」リニューアルオープン。 900席増え計3500席の収容力となる。7月1日、開園20周年。   平成28年(2016)

      4月、サッポロビール博物館、リニューアル。 7月、サッポロビール園、開園50周年。   (サッポロビール園ホームページ引用) (©2016 SAPPORO-BIER-GARTEN All RIghts Reserved.)     ヱビス、パリ万博で金賞受賞 贈答用木箱に刻まれた高品質の証 1900年(明治33)は恵比寿ビールの記念すべき年であった。パリ万国博覧会で金賞を獲得したのである。ビールは30ヶ国以上から出品された中での受賞であるから本物の評価だ。またビール樽を重ねたディスプレーも高い評価を得た。 戦後、わが国初の麦芽100%ビール 1971年(昭和46)12月、戦前の人気ブランドヱビスビールが復活した。戦時中の1943年に全てのブランドが廃止されて以来28年ぶりである。 2010年(平成22)ヱビスビール生誕120周年の節目に、恵比寿ガーデンプレイス内に「ヱビスビール記念館」がオープン。ここはヱビスビールの発祥の地。恵比寿ビール専用出荷駅「恵比寿停留所」が開設されたことから、駅名も周辺の地名も「恵比寿」となった。   (サッポロビールホームページ引用)   【飲酒運転禁止

      警察庁の統計によると、飲酒運転事故の23%は、酒気帯び運転の基準値に満たない呼気中アルコール濃度で発生しています。 お酒を飲んだらハンドルは握らないことが大切なのです。

       

      酒気帯び運転・酒酔い運転で 罰せられるのは運転手だけではありません

       

      全日本交通安全協会資料より

       

        ハンドルキーパー運動 車で飲食店に来店して飲酒する場合、お酒を飲まない人(ハンドルキーパー)を決めて、飲酒運転を防止しようとする試みです。ベルギーで発祥しオランダで定着した世界的な運動です。日本では全日本交通安全協会が「ハンドルキーパー運動」と名付けて実践しています。 全日本交通安全協会資料より

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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      (575筆まか勢)

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  • 21 Jul
    • 2017.07.22 一日一季語 蠅(はえ《はへ》)【夏―動物―三夏】

       2017.07.22    一日一季語 (はえ《はへ》)【夏―動物―三夏】

       

      深空より入りて館の蠅となる 山口昭男

       

       

       

      山口 昭男(やまぐち あきお、1949年 - )は、岩波書店元社長。日本ペンクラブ会員。

       

      東京都出身。東京都立大学経済学部卒業後の1973年、岩波書店入社。「世界」編集部を経て、1988年から1996年までの8年間に渡り同編集長部長を務めた。その後、取締役編集部長、常務取締役を経て、2003年に大塚信一の後任として代表取締役社長に就任。

      2008年には10年ぶりに『広辞苑』の改訂を行い、全項目を徹底的に再検討するなど進化・充実させる他、デジタル全盛時代に向けた様々なクリエイティブ、プロモーション施策と連動させたコミュニケーション戦略を展開させた。

      2013年5月31日付で退任。後任は岡本厚。

       

       

       

      【傍題季語】

      家蠅(いえばえ《いへばへ》) 青蠅(あおばえ《あをばへ》) 金蠅(きんばえ《きんばへ》) 銀蠅(ぎんばえ《ぎんばへ》)

       

      縞蝿、黒蝿、蝿の声

       

      季語の説明

      イエバエ科やその近縁種の昆虫の総称で、種類は多い。蠅は病原菌を伝播(でんぱ)しなければ、大した害虫ではないけれども、やはりうるさい嫌な虫である。山や野原で見かける蠅は大きく、追われても逃げない。

       

      夏、食べ物などにたかる羽を持った虫。うるさくて、不潔ということで嫌われる。蠅叩きや蠅取紙などで駆除する。

       

      例句

       

      あきなひや蝿取リボン蝿を待つ   ねじめ正也 あなうらの冷たき蝿に踏まれけり  藤田あけ烏

      ととのへて打ち馴らしけり蠅叩   飯田蛇笏

      みな清潔に蝿帳の失くなりぬ    高澤良一

      もぢもぢとしてゐるは蝿生れたる  岸本尚毅

       

       

      蠅の種類など】 ハエ(蠅・蝿)は、ハエ目(双翅目:そうしもく)に属する昆虫のうち、ハエ亜目(短角亜目)・環縫短角群(かんぽうたんかくぐん)・ハエ下目(Muscomorpha)に属するものの総称である。日本だけで 60 ほどの科と、そこに属する 3,000 種近い種が存在する。 成虫は一般にコンパクトな胴体、よく発達した前翅、後翅が変化した平均棍を持つ。飛翔能力は昆虫類の中でも非常に高い部類で、空間に完全に固定されたかのようなホバリングや、高速での急激な方向転換など、複雑で敏捷な飛翔をこなせるものが多い。「短角亜目」という名の通り触角は通常短い。 羽化の際にはさなぎの背中が縦に割れずに環状に開く。このためさなぎの縫い目が環状になっているとの意で「環縫短角群 」、あるいは単に「環縫群」「環縫類」とも呼ばれる。アブは通常ハエとは別の直縫短角群を指す呼称だが、「アブ」と名のつくもののうちハナアブ科やアタマアブ科などはハエの仲間であり、逆に「ハエ」と名のつくもののうち、アシナガバエ科やオドリバエ科などはアブの仲間である。     【害虫・益虫】 害虫としての蠅 ハエの成虫は、実はその多くが生きるだけなら花の蜜・果汁・アブラムシのおこぼれ等から得られる糖分摂取のみでも十分に事足りるエネルギーを得ることができる。 しかし、生殖のため、卵・精子の材料とするためのタンパク質だけは別ルートで摂取しなければいけない。ガガンボやムシヒキアブの仲間などは他昆虫に口を突き刺して吸う体液にそれを求め、蚊や虻はさらに大型である哺乳類の血液にそれを求め、ハエの多くは屍肉・糞便・腐植物などにそれを求めた、というだけの話である。 だが、この「エネルギー補給/生殖材料収集」2つの目的を持って食べ物の間を往復するハエの習性こそが、ハエを衛生害虫たらしめている。糖分/タンパク源を得るために人間の食料と汚物の両方で摂食を行う結果、汚物の中に紛れている様々なウイルス・細菌・線虫・寄生虫を人間の食料に媒介。 疫病の運び主として昔からネズミと並び猛威を振るったのである。 食物経由でなくとも、例えば吸血性を持つものは動物の血から血へと直接病原体を運ぶ。 また病気をもたらさないまでも、大きな羽音で人や食べ物に付きまとい、種によってはタンパク源摂取をヒトの涙や唾液から好んで行うものがおり、結果、ヒトの目や口周りにたかるといったハタ迷惑な行動に出る(TVのアフリカ特集やら南方・熱帯地域の人々への取材でよく人の顔をハエがうろついているのはこのせいである。彼らの身体や生活環境の衛生状態とは必ずしも一致しない)。 これらの行動のため、不快害虫としての評価もゴキブリに負けず劣らずである。 さらに、農業害虫としても一部が知られている。ハナバエ科・ミバエ科というハエの仲間は、特定作物に産み付けられた幼虫が、文字通り果実や根・茎などを内部からグズグズに溶解させながら食害する。中身からやられてしまうので外側からは防除対策できず、当然被害に遭えば商品価値はゼロ。収穫が全滅することも珍しくない恐ろしい昆虫であった。

       

      益虫としての蠅 ヤドリバエ科の多くは農家にとっては逆に救世主である(他の農業害虫に寄生し内側から食い殺す)。またハエの幼虫(蛆虫)には広くに知られる腐食性や糞食性のものだけでなく昆虫食性のものも結構おり、アブラムシなど他の害虫の天敵として活躍してくれる。 彼らが湧く季節になるとよく、「蚊だけはこの世から絶滅していいよ、誰も困らないだろ?」「ゴキブリマジで絶滅しろ」など各方面から嘆きの声が聞こえてくるものだが、仮にデスノートのような人外の力で蚊をひっくるめたハエ目の昆虫全部を絶滅させることに成功したなら、世界は今以上に腐敗と疫病で溢れ返ることであろう。   (ニコニコ百科  運営元:大百科ニュース社  引用)

        ハエたたきから身をかわすハエの動きを解明、米研究 2014年04月11日 09:40 発信地:ワシントンD.C./米国 【4月11日 AFP】ハエは身の危険を感じたとき、まるで戦闘機のように体を左右に傾けてローリングしながら飛行するが、この動きは文字通り「まばたきよりも速い」との研究論文が、10日の米科学誌サイエンス(Science)に掲載された。  論文は、ハエが感覚の特殊な組み合わせを頼りにして、ハエたたきで打たれるのを回避する助けとしている可能性があると述べている。  米ワシントン大学(University of Washington)などの研究チームは、ハイスピードカメラ3台を用いて、ハエが目前に迫る衝突をどのように回避するかを分析した。  ハエは通常、1秒間に約200回羽ばたきをしているが、危険が迫った場合は羽ばたき1回で方向転換し、飛び去ることができるという。  ワシントン大のマイケル・ディッキンソン(Michael Dickinson)教授(生物学)は「われわれは、ハエが100分の1秒足らずで進路を変えることを発見した。これは、人間のまばたきの50倍の速さで、これまで考えられていたよりも高速だ」と話す。  同教授によると、ゴマの種ほどの大きさのカスリショウジョウバエ(学名:Drosophila hydei)は、捕食動物に囲まれた環境を生き抜く助けになる、超高速度で対応できる視覚系を持っているという。  ディッキンソン教授は「このハエの脳は、ごく短い時間で非常に高度な計算を実行し、危険因子の場所、最善の回避策を厳密に判別しており、側面、正面あるいは背面から差し迫る危機に対し、それぞれ異なった対応をすることができる」と説明する。 「脳が塩の粒ほどの大きさしかないハエは、ネズミなどの自分よりずっと体が大きい動物と

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 20 Jul
    • 2017.07.21 一日一季語 鰺(あじ《あぢ》)【夏―動物―三夏】

       2017.07.21   一日一季語 (あじ《あぢ》)【夏―動物―三夏】

       

       

      ホテルより見下ろす鰺の開きかな   梅田 津

       

      昭和25年7月生

      昭和58年俳句を始める

      山口誓子の「天狼」に俳句を始め、能村登四郎の「沖」に学び、現在は中原道夫の「銀化」に所属しています。「沖」時代には、「青」の波多野爽波、「麓」の齊藤美規にも教えを受けました。同門では、鈴木鷹夫と北村仁子に学びました。また、「沖」時代に俳人協会会員となりましたが、現在はこれを辞退しています。という訳で、今も、そしてこれからも、梅田 津です。

        (masume.sakura.ne.jp/annai.htm より引用)

       

       

       

       

       

      【傍題季語】

      真鰺(まあじ《まあぢ》) 室鰺(むろあじ《むろあぢ》) 夕鰺(ゆうあじ《ゆふあぢ》)

       

       

       

       

       

      季語の説明

      アジ科に属する海魚は多いが、普通、鰺と呼んでいるのは真鰺で、日本各地の沿岸に分布し、味も良いことから大量に漁獲される。稜鱗(りようりん)と呼ばれる鱗(うろこ)が発達し、体長四〇センチに及ぶものもある。

       

       

       

       

       

      例句

      鰺の鮨つくりなれつつ鳳仙花    水原秋桜子

      鰺ずしの酢のききすぎし暑さかな  水原春郎

      松風や朝寒顔の小鰺売り      村山古郷

      鰺離鯖買う風のかたちの波の町   阿部完市

      鰺の顔して飛魚の売られあり    坊城俊樹

       

       

       

      鰺の特徴・名前の由来など】 アジ(鯵、鰺)は、アジ科アジ亜科 Caranginae に含まれる魚の総称。日本ではその中の一種マアジ Trachurus japonicus を指すことが多いが、他にも多くの種類がある。世界各地の熱帯・温帯域で食用に漁獲されている。   体側の側線上に鋭い突起をもつ稜鱗(りょうりん: Scute)が発達することでアジ科の他の亜科と区別される。稜鱗は、日本では「ぜんご」「ぜいご」という俗称で呼ばれることが多く、学術的には楯状鱗と呼ばれることもある。種類によって稜鱗の並ぶ長さや幅は異なる。 全長は15cmほどのミヤカミヒラアジ Alepes kleinii から、150cm以上になるロウニンアジ Caranx ignobilis まで種類によって異なる。体は著しく側扁し広葉樹の葉のような形状のものが多いが、ムロアジ属のように断面が円に近く前後に細長い紡錘形のものもいる。 マアジ等では同種内で二通りの体型に分かれ、その中間の体型のものも存在する。体色は、背側は鳥類など上方からの捕食者を撹乱するために暗い色、腹側は大型肉食魚のような下方からの捕食者を撹乱するために明るい色になっている。しかし、瀬付きやあまり回遊しない個体には背側も明るい色になっている個体もいる。     【釣り方

      アジ類の釣りは、日本では主に夏から秋にかけて行われる。マアジなどの小型種は釣りの入門魚としても親しまれ、港内や防波堤では胴突きのサビキを用いたファミリーフィッシングも盛んに行われている。船釣りではイワシのミンチやアミエビをコマセ(寄せ餌)として使うビシ釣りや魚群探知機で魚群を探して魚の反応を確認したところでサビキで釣る“追っかけアジ”釣りが盛んである。防波堤釣りでも船釣りでも比較的釣りやすく、親しまれている対象魚の一つだが、大物に狙いをつけた釣りも行われる。外道にイワシ、サバ、カワハギ、ブリ、サヨリ、イシダイ等が掛かることもある。また、ルアーフィッシングの対象魚にされることもある。なお、釣ったアジを餌にブリ類等の大型肉食魚を狙うこともある。

       

       

       

        【鰺の捌き方のポイント】.

    • まずは食材選びから!基本的に魚は目が透き通ったものが新鮮です。
    • 魚は切れない包丁でさばくと身がズタズタになります。家にある包丁が切れない場合は、研ぐか新調しましょう。
    • 魚をさばくときは出刃包丁という片刃の包丁を使うのですが、アジは小さい魚なので万能包丁でも十分さばけます!
    • アジには尻尾の近くに「ゼイゴ」という硬い鱗のようなものがついていてこれを取る場合もありますが、必須ではないので今回その手順を省きました。
    • 中骨を抜くときは骨抜きで1本ずつ取っても良いですが、時間がかかるので今回は身ごと切り落としました。

       

       

       

      「NIKKEI STYLE」(http://style.nikkei.com/

      引用

       

       

       

      なめろう

      なめろうは、もともと船の上で作られていたといわれる漁師料理。新鮮な魚をおろして、みそや香味野菜と一緒にたたき合わせて作ります。なめらかな舌触りということから、「なめろう」という名前がついたのだとか。漁師料理らしく豪快にたたいて、楽しく作りましょう。少しずつ口に運んでは、いつまでもお酒が飲みたくなる極上のおつまみです。  (なめろう | お酒にピッタリ!おすすめレシピ | サッポロビール

       

       

      1.大葉2枚はせん切りにする(残り4枚は飾り用としてそのまま使う)。長ネギはみじん切りにする

        2刺身用アジをざく切りにする。1尾丸ごとの場合は3枚におろし、腹骨と小骨を取り、皮をはいでからざく切りにする。

       

      3.アジ、大葉のせん切り、長ネギ、ショウガ、味噌をまな板の上にのせ、包丁でたたくように混ぜ合わせる。アジが5mm角位になったら出来上がり。

       

      4.皿に飾り用の青じそを敷き、盛りつけて完成。

       

      (Copyright © ASAHI BREWERIES, LTD. All rights reserved)

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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      (575筆まか勢)

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  • 19 Jul
    • 2017.07.20 一日一季語 扇(おうぎ《あふぎ》)【夏―生活―三夏】

       2017.07.20   

      一日一季語 

      (おうぎ《あふぎ》)【夏―生活―三夏】

      倖を装ふごとく扇買ふ    馬場移公子

       

       

      馬場 移公子(ばば いくこ、1918年12月15日 - 1994年2月17日)は、埼玉県出身の俳人。本名新井マサ子。秩父生まれ。実家は蚕種屋。旧制秩父高等女学校(現秩父高等学校)卒。1940年結婚。1944年、夫の戦死により実家に戻る。

      1946年、金子伊昔の指導を受け「馬酔木」に投句、水原秋桜子に師事。

      「馬酔木」を代表する女性俳人として活躍。

      代表句「いなびかり生涯峡を出ず住むか」など。秩父のひそやかな暮らしのなかで独特の孤独感のある句を作った。

      句集に『峡の音』『峡の雲』がある。1985年『峡の雲』により第25回俳人協会賞受賞。

       

       

       

       

      【傍題季語】

      扇子(せんす) 白扇(はくせん) 絵扇(えおうぎ《ゑあふぎ》) 古扇(ふるおうぎ《ふるあふぎ》)

      絹扇、小扇、扇売、末広、扇使い、扇の要

       

       

       

      季語の説明

      扇は中国の団扇に対して平安時代初頭に日本で創案された。古扇は長年使い慣れたもの。現在、扇の生産は京都が中心。

       

      扇子(せんす)とは、あおいで風を起こす道具のひとつ。また儀礼、芸能で用いられる。ただし古くは扇(おうぎ)と呼ぶのが普通であった。「おうぎ」という言葉は「あふぐ」(扇ぐ)の派生形の「あふぎ」であるが、日本語の変化により関連がわかりにくくなった。

       

       

       

      例句

      かの扇わが失くしたる舟あそび   中村汀女

      二条より嵯峨にかかりし扇かな   深見けん二

      列席の貴顯・淑女よ白扇      筑紫磐井

      いつまでも今年の扇つかひをり   大石悦子

      こいさんに赤き扇の風もらふ    小島健

       

       

      白扇にほとけ招く手踊の輪     野澤節子

      白扇のひとり嗚咽をききゐたり   石原八束

      白扇をたためば舟のはやきこと   黒田杏子

      銀扇や灯を吸ひ飽かぬ色尊と    村上鬼城

      金扇に紅日凝らす武者飾      山口誓子

       

       

       

      扇子の特徴】 数本から数十本の細長い竹や木で出来た骨を束ねて端の一点(要=かなめ)で固定し、使わないときは折りたたみ、使用時に展開する。骨にはたいてい紙が貼られており、展開すると紙を貼られた部分が雁木形の扇面となる。折り畳むことでコンパクトに納めることができる。開閉の方法は、骨を右手親指でずらすように押すことで開く。一般的には右利き用であるが、左利き用も販売されている。また、扇子そのものを振ることで開く方法もある。折りたたんだ際の形状が持ち運びに優れている事から、夏場の外出時での涼みに使えるとして愛用する人も多い。 扇子を開く角度はだいたい90度から180度の間であり、円を三等分した中心角120度前後のものが主流である。扇子を開いた形は「扇形」(おうぎがた/せんけい)と称し、幾何学の用語にもなっている。このような扇子の形状は「末広がり」に通ずるので縁起のよいものとされ、めでたい席での引出物としても用いられる。 良い扇子の見分け方? 「閉じた扇子を正面から見て、全体に左右対称であること、綴られた扇の紙を折ったところが平らかどうか確認する。 ここがまっすぐなものは熟練した職人の技である証拠だということです。       【扇子のルーツなど】 扇子のルーツと言われる、桧扇(ひおうぎ)が最初に作られたのは今から1200 年ほど前という記録があるそうです。 当時は紙がとても貴重であったため、細長い木の板に儀式次第などの覚書を書いたものを綴じて使ったのがそのおこりだということです。 平安時代中頃になると、数本の細い骨に紙を貼ったものが作られるようになり、これが今日、一般に使われる扇子の原型と言われています。

      その後扇子は、室町時代(1336-1573)に大衆化し、江戸時代(1600-1868)に能や茶道などの芸術を通して、社会的・世俗的なものから宗教的なものにまで、様々な分野において大きな飛躍をとげたといわれております。 扇子は大別すると3種類になります。まず、古くからある檜板を綴った「檜扇(ひおうぎ)」があります。板にいろいろな絵をつけたものなどもあり、主に宮中の儀式用に使われていました。 その後、2番目の「紙扇(かみせん)」ができました。「藍嚢鈔(あいのうしょう)」という本に、「扇は日本にて造り始めるなり。こうもりを見て作ると云う。故にその形、こうもりの羽に似たるなり。これをもって扇を蝙蝠(かわほり)という」と記してあります。この蝙蝠とは紙扇のこと、今使われている扇の原型です。 3番目は「絹扇(きぬせん)」です。スペインで踊り子が使っている扇は絹を貼って、その上に派手な絵が描いてあります。それらを絹扇と呼びました。絹扇は檜扇や紙扇に比べて、かなり後に生みだされました。 現在、絹扇も紙扇と並んでたくさんの種類があります。最近は、絹以外の生地も使われていることから、生地扇とも呼ばれています。

        

       

       

       

      【末広】

      扇または扇子の事を昔から末広とも言います。 それは開いた時に先端すなわち末の方が広がることから繁栄を意味して縁起がよいことにつながるからです。とりわけ御祝儀として扇を贈り物にする風習は室町時代に起こったもので、以後現在に及んでいます。結婚や長寿をはじめ、あらゆるお祝い事に、記念品として用いられています。 また、外国人にも人気があり、海外へのお土産など、広く世界中に愛されています

       

       

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 18 Jul
    • 2017.07.19 一日一季語 さくらんぼ 【夏―植物―仲夏】

       2017.07.19  

      一日一季語 

      さくらんぼ 【夏―植物―仲夏】   産声を上げて双子やさくらんぼ   水原春郎     水原 春郎(みずはら はるお、1922年2月4日 - 2016年9月25日)は、小児科医、俳人。 水原秋桜子の長男として東京に生まれる。 1946年慶應義塾大学医学部卒。1947年同小児科助手、1956年医学博士。1957年講師。川崎市立川崎病院小児科勤務、1975年聖マリアンナ医科大学教授、1984年同医科大学病院長、1986年医学部長、1987年名誉教授。 1984年父の俳誌「馬酔木」主宰を継承、2011年主宰を長女・徳田千鶴子(1949- )に譲り名誉主宰。俳人協会顧問。

       

       

       

      【傍題季語】

      桜桃の実(おうとうのみ《あうたうのみ》) 桜桃(おうとう《あうたう》)

       

       

       

      季語の説明

      バラ科の落葉高木、西洋実桜の実をさすのが一般的。直径一・二~二・五センチの球形で、色は淡紅・赤黄・真紅。艶(つや)があり美しい。美味で初夏の果物として喜ばれる。栽培には冷涼な気候に適する。最近はアメリカ産のダークチェリーも輸入が自由化され出回るようになった。

       

      サクランボという名称は、もともと桜の実を指す「桜ん坊」からきたといわれています。正式には「桜桃(おうとう)」といいますが、今ではサクランボの呼び名が一般的です。

       

       

       

      例句

      さくらんぼ彼に会ったらよろしくね    わたなべじゅんこ

      さくらんぼ独りぐらしの鬼喰ひす     品川鈴子

      故郷の便り一行さくらんぼ        望月由紀子

      盗まるるを待つ仏壇のさくらんぼ     神蔵器

      わがままもほどほどにせよさくらんぼ   佐藤博美

       

       

      桜桃やいのちみじかし恋せよと     加藤秋邨

      桜桃を父が買ひ来し誕生日       細見綾子

      桜桃のみのれる国をまだ知らず     三橋鷹女

      桜桃を今は食べをりそれも愛      上村占魚

      桜桃の花みちのべに出羽の国      角川源義

       

       

       

       

       

      特徴・名前の由来など

      バラ科の落葉高木、西洋実桜の実をさすのが一般的。直径一・二~二・五センチの球形で、色は淡紅・赤黄・真紅。艶(つや)があり美しい。美味で初夏の果物として喜ばれる。栽培には冷涼な気候に適する。最近はアメリカ産のダークチェリーも輸入が自由化され出回るようになった。

       

      木を桜桃、果実をサクランボと呼び分ける場合もある。生産者は桜桃と呼ぶことが多く、商品化され店頭に並んだものはサクランボと呼ばれる。サクランボは、桜の実という意味の「桜の坊」の「の」が撥音便となり、語末が短母音化したと考えられている。           【山形のさくらんぼ】

      昭和中期に「黄色いさくらんぼ」という歌が流行した。その頃のさくらんぼは黄色くて酸っぱいのが当たり前。ところが現代のさくらんぼは、鮮やかなルビー色に輝き、口に入れると甘い果汁がほとばしる。季節が限られ、愛くるしいカタチも手伝ってか、初夏のフルーツでは一番人気だ。   ここでさくらんぼのミニ知識。「さくらんぼ」「オウトウ」「チェリー」使い分けの基本は、あくまでも概念的なものだが──「オウトウ」は学術用語として使われ、木そのものや、木に成っている実のこと。「さくらんぼ」はもぎとられた果実、「チェリー」は加工品や輸入果実のことを指すという。   オウトウはバラ科サクラ属の果樹。日本に渡来したのは明治元年、山形県へは明治9年に入った。当時は全国で試作されたが、山形県以外ではほとんどが失敗し、霜害・台風被害の比較的少ない本県だけが実績をあげた。   その後さくらんぼ栽培は山形県内で普及し、官民一体となっての努力も実り、全国生産量の約7割を占めるまでの「さくらんぼ王国」となった。

       

      (おいしい山形推進機構事務局 山形県農林水産部6次産業推進課  ホームページ引用)

       

       

      【種類】

      さくらんぼの品種は約数十種類にもおよびます。品種の違いや産地のの気候・風土の影響を受けてそれぞれの収穫時期が異なります。主な種類です 佐藤錦

      今やさくらんぼの代名詞ともなった一番人気の品種。親は「ナポレオン」×「黄玉」で、山形の佐藤栄助氏によって育成され、1914年(大正3年)に命名されました。果肉は乳白色で甘味と酸味のバランスがよく、食味も優れています。シーズンは6月中旬~下旬頃。 紅秀峰

      「佐藤錦」と「天香錦」を交配したもので、1991年(平成3年)に品種登録されました。果肉はクリーム色でややかたく、比較的日持ちするほうです。酸味が少なく糖度が高いため、甘いサクランボとして人気。

        高砂

      高砂(たかさご)はアメリカ生まれで、日本へは1872年(明治5年)に伝わりました。果肉は乳白色で果汁が多く、適度な酸味とほどよい甘さの人気種です。

        ナポレオン

      粒がやや大きめでハート形をしています。ヨーロッパでは古くから栽培されていた品種で、1872年(明治5年)に日本に導入されました。果肉はクリーム色で果汁が多く、それでいて歯ごたえのある濃厚な味わいです。

       

        月山錦(がっさんにしき) 収穫時期は6月中旬~7月下旬。元々は中国の大連で育成され、日本に持ち込まれた品種。色は黄色でとても甘いが、栽培が難しく、市場への流通はきわめて少ない

       

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 17 Jul
    • 2017.07.18 一日一季語 空 蝉(うつせみ)【夏―動物―晩夏】

       2017.07.18  

      一日一季語  蝉(うつせみ)【夏―動物―晩夏】

       

      蝉のいづれも力抜かずゐる    阿部みどり女

       

       

       

      阿部 みどり女(あべ みどりじょ、1886年10月26日-1980年9月10日)は、日本の俳人。本名はミツ。北海道生まれ。父は第2代北海道庁長官・永山武四郎。

          1915年高浜虚子に師事、以後「ホトトギス」を中心に作品を発表。始めは主情的な俳風だったが、後に虚子が客観写生を説くと彼女もそれに従い、更に写生を極めるために洋画家森田恒友に素描を学んだ。長谷川かな女・杉田久女とともに、女流俳句草創期を代表する一人。金子兜太はかな女・久女を感情型、みどり女を想念型と指摘している。  1931年:「河北新報」の俳壇の選者となる。

      1932年:東京杉並で俳誌「駒草」を創刊・主宰する。

      1944太平洋戦争の激化に伴い「駒草」を休刊

      1945:「駒草」を復刊、以後三十余年に渡って同地の俳句界で活躍する。

      1956:河北文化賞を受賞。写生に徹しながらも、人生や生命の機微を瑞々しく詠い上げた俳風は、歳を重ねるに連れて深みを増す。

      1978:句集『月下美人』等の業績で第12回蛇笏賞を受賞。その後、東京に転居。

      1980年9月10日死去。

      仙台市太白区茂ケ崎に句碑がある。また、1999年に弟子で現在「駒草」主宰をつとめる蓬田紀枝子による評伝『俳人阿部みどり女ノート 葉柳に…』が刊行され[1]、同年度の俳人協会評論賞を受賞している[2] 。

       

       

      【傍題季語】

      蝉の殻(せみのから)  蝉の脱殻(せみのぬけがら)蝉の脱(せみのもぬけ)

       

       

       

      季語の説明

      地下に数年間棲息していた 蝉の幼虫は、やがて成長して蛹(さなぎ)となり、夏、地上に這(は)い出してきて背を割り皮を脱ぎ、夜の間に成虫となる。この 蝉の脱け殻を「空 蝉」という。透明な脱け殻が木の幹をつかんでいたり、山道に転がっていたりする。

       

       

       

      例句

      空蝉のまこと碧きを見たらずや   岡井省二

      空蝉や風の来てゐる神の庭     池本嘉代

      空蝉と麦焼酎の湯割りかな     金子兜太

      空蝉のいづれ熊やら油やら     三村純也

      夢殼は裂けてそれきり空蝉も    中原道夫

       

          うつせみ【空蝉・空蟬・虚蝉・虚蟬】 〔「うつしおみ(現人)」の転。「うつそみ」とも。「空蟬」は当て字〕 ㋐ この世の人。生きている人間。 「 -と思ひし妹が玉かぎるほのかにだにも見えなく思へば/万葉集 210㋑ 人間の生きているこの世。現世。世間。 「 -はもの思ひ繁し/万葉集 4189  〔「空蟬」 「虚蟬」と表記したところから〕 蟬のぬけ殻。 [季] 夏。 《 -を妹が手にせり欲しと思ふ /山口誓子 》 「 -の身をかへてける木の下に/源氏 空蟬蟬。 「夏は-なきくらし/古今 雑体 

      出典|三省堂大辞林 第三版

       

       

      源氏物語

      「空蝉の身をかへてける木のもとになほ人がらのなつかしきかな」

      「空蝉の羽におく露の木がくれてしのびしのびにぬるる袖かな」

       

      求愛に対して一枚の着物を残し逃げ去ったことを、源氏がセミの抜け殻によそえて送った和歌から。主だった登場は「帚木」「空蝉」「関屋」の三巻のみ。 ある日、方違えした先の中川で、同じく方違えしに来た光源氏に興味を持たれ、思いもよらず彼と一夜を過ごすことになる。 再び会いたいと願う光源氏からの文に心惹かれながらも拒否し、自らの運命を悟った最中、弟の小君の手引きで光源氏が会いに来た。 光源氏との華やかな恋に憧れながらも、伊予の介を思い、薄衣だけ残して彼女は逃げ去った。これにより光源氏から「空蝉の君」と呼ばれる。 やがて時は経ち、逢坂の関ですれ違った2人。懐かしい思い出だったと文をやり取りする。 夫と死別後、義理の息子に言寄られて出家。その後、惟光曰く「一度契った女人はお見捨てになれないご性分」だという光源氏によばれて、 二条東院の北の対に移り住んで過ごした。 《源氏物語 あさきゆめみし 其の二・十八・十九》      

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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    • 2017.07.17 一日一季語 扇風機(せんぷうき)【夏―生活―三夏】

       2017.07.17   一日一季語 

      扇風機(せんぷうき)  【夏―生活―三夏】

       

      扇風機髪も乱れず上布寂び 及川貞

       

       

       

      及川 貞(おいかわ てい、1899年(明治32年)5月30日 - 1993年(昭和61年)11月13日)は日本の女流俳人。

        1932年(昭和7年)神田で開かれた俳句会にて水原秋桜子の指導を受け、俳人として進むきっかけとなった。 後に『馬酔木』婦人句会を起こしたことで知られ、多くの優れた女流俳人を輩出した。 1967年(昭和42年)に出版した俳句集『夕焼』で第七回俳人協会賞を受賞。また1971年には『馬酔木』の功労者として表彰を受ける。一方で、家庭では三人の子を失い、晩年は夫と二人だけになるなどあまり恵まれた境遇とは言えなかったが、最期になるまで俳句活動を辞めなかった。 1993年11月13日、没。享年94。また、永きに亘る人生で一度も俳誌の主宰を行わなかった俳人でもある。

       

       

      季語の説明

      扇風機は一八九〇年代に国産のものが作られたり、あるいはアメリカから輸入されたりした。

       

       

       

      例句

      扇風機厳秘の文書飛ばんとす    日野草城

      首こきと鳴る骨董の扇風機     佐藤鬼房

      扇風機かけてふはつく団扇あり   中村汀女 扇風機古びし涼をふりかぶる    能村登四郎

      海よりの風に加へて扇風機     稲畑汀子

       

       

       

      こども歳時記】 せんぷうきあああああああおおおおお  山本咲良  

       長谷川代表が「読売新聞」に連載中の【四季】欄に、5月1日より11日まで、3月に発売になった『こども歳時記』掲載のこどもの句が取りあげられました。11日の俳句は「せんぷうきあああああああおおおおお」、当時小学3年生の山本咲良さんのこの句にがツイッターで話題になっています。 2014/05/16 (きごさい歳時記)

       

        「 せんぷうき あああああああ おおおおお 」 小学校3年。 季語を備えた立派な俳句。大人がくすっと笑う。 (文藝春秋より)     2017年  最新モデル

      一般的には数千円で購入できる扇風市場に数万円もする高級モデルが登場し始めたのは、2010年のこと。その先駆けとなったのは、バルミューダ「GreenFan」です。速度の異なる風を同時に作り出す二重構造の羽根を採用することで、従来の扇風機のような断片的な風ではなくムラのないスムーズな風を実現。さらに、従来のACモーターから、回転数を細かく制御できるDCモーターに変更し、そよ風のような微風を放出できるようにしたのも特徴です。

      現在、高級扇風機というと、省エネ性能にすぐれ、ムラのない“やさしい風”を放出できる「DCモーター搭載機」を指すのが一般的です。

       

        DCモーター搭載扇風機は従来機(ACモーター)とどう違う? 従来の扇風機(ACモーター)とDCモーター搭載機の大きな違いは2つ。ひとつは、風です。DCモーターは超低速回転でも安定して送風できるため、机の上に置いた紙が吹き飛ばないほどの微風を作り出せるのが特徴。DCモーター搭載機では~無段階で調節できるものも多く、“自分に快適”な風量に設定しやすいのもポイント。

      大きな相違点の2つめは消費電力。おおざっぱに言ってしまうと、DCモーター搭載機は従来の半分程度の消費電力で済みます。

       

        《2017年》今、人気の扇風機   バルミューダ DCモーター搭載扇風機の先駆者、バルミューダは、選択肢からは外せません。最新の2017年モデルは名称が「GreenFan」から「The GreenFan」に変更となり、新色「ダークグレー×ブラック」が追加となりました。  

        シャープ「PJ-G3DG/PJ-G3DS」 扇風機の風を浴びて涼みたいけれど、だるくなるのがネックという人にうってつけなのが、シャープのDCモーター搭載リビングファン「PJ-G3DG/PJ-G3DS」。アサギマダラ蝶の羽根形状を模したファン「ネイチャーウイング」で生み出されるムラのない風に、肌表面の水分蒸発を抑えるプラズマクラスターイオンを乗せることにより、長時間風に当たっていてもだるさ感が軽減される。プラズマクラスターイオンはニオイにも効果あり!  パナソニック「F-CP339」 風の強弱や風量が変わるリズムに信州の蓼科高原に吹く風を再現した「1/fゆらぎ」を採用。一定風量の風を連続で浴び続けるよりも体温低下が緩和されるため、長時間風に当たっていても疲れずに済むといいます。さらに温度センサーをオンにすれば、室温をこまめに感知して風量を調節したり、運転を停止・再開してくれるので、いちいち風量を変える手間も軽減。 日立「HEF-DC5000」 温度センサーを駆使し、室温にあわせた風量に自動で切り替えたり、風の強弱をランダムに変えながら運転する機能をはじめ、風量がリズミカルに変化する「リズム運転」では強弱が極端に切り替わらない「やわらかモード」が用意され、就寝中に風量が徐々に弱くなっていく「おやすみ運転」では自動停止する時間が2時間と10時間から選べるようになっています。 三菱電機「R30J-DU」 中間ポールを外すと卓上扇風機になるバルミューダ「The GreenFan」のスタイルは魅力だけれど、一般的なリビングファンのような高さのあるものが欲しいなら三菱電機「R30J-DU」がうってうけ。「R30J-DU」も2Way仕様ですが、リビング使用のスタイルは「The GreenFan」よりも15cmほど高くなっています室内の空気のかくはんも、部屋干しした洗濯物の乾燥にも絶大な効果を発揮してくれるでしょう。   ダイソン「Pure Cool Link」 誕生から7年が過ぎたダイソンの羽根のない扇風機は、さらなる快適を目指して多様なモデルがラインアップされています。そのひとつが、空気清浄機と扇風機が合体した「Pure Cool」シリーズ。PM0.1レベルの微細な粒子を99.95%キャッチできる「グラスHEPAフィルター」と、従来よりも活性炭を3倍に増やした「活性炭フィルター」が搭載されており、花粉やウイルス、ホルムアルデヒドをはじめとする有害ガスなどを取り除き、キレイな空気にして送風してくれます。2017年に登場した「Pure Cool Link」シリーズでは、スマートフォンのアプリと連動して室内の空気の状態をチェックしたり、外から本体を操作をすることができます。

       

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 16 Jul
    • 2017.07.16 一日一季語 ほたて‐がい【帆立貝】【夏―動物―三夏】

       2017.07.16   

      一日一季語 

      ほたて‐がい【帆立貝】【夏―動物―三夏】

       

       

      帆立貝焼くストーブにゐて旅にあり    勝又一透

       

       

      勝又一透

      1999 2.22没 91歳

       

       

       

      【傍題季語】

      海扇(ほたてがい)

       

       

       

       

      季語の説明

      イタヤガイ科。北海道や東北地方の海に棲む二枚貝。貝柱を賞味する。貝殻は扇のような美しい形をしているため、細工物にも多く使われる。

      大形で殻長20センチメートルに達する。左殻は扁平で紫褐色、右殻はやや膨れ白色。殻を帆のように立てて水上を進行するというのは俗説。右殻を下にして海底表面上に生活するが、ヒトデに襲われると殻を急に開閉し、殻の隙間から水を射出してジェット推進により水中を数メートル飛ぶ。東北地方から北海道の砂底に多産。養殖も盛ん。貝殻の中央にある大きな貝柱(後閉殻筋)を賞味、殻を細工物・貝灰とする。秋田貝。海扇

       

       

       

       

       

      【和名の由来】  ホタテガイは帆立貝、車渠、海扇などと書かれてきました。  ホタテガイの名の起こりは、和漢三才会(1716年、寺島良安編)にみられるように、「その殻、うえの一片は扁くして蓋のごとく、蚶(あかがい)、蛤(はまぐり)の輩と同じからず、大なるもの径1~2尺(30~60cm)、数百群行し、口を開いて一のの殻は舟のごとく、一の殻は帆のごとくにし、風にのって走る。故に帆立蛤と名づく。」によるものでしょう。  おそらく、昔はこの貝が一片を帆のように立てて海中を走るものと考えられていたのでしょうが、これは実は誤りです。確かにすばやい運動はしますが、それは貝の中に入っている海水を勢いよく吐き出すこと(閉殻筋=貝柱によって殻を閉じる。)によって、その反作用で跳ぶように動くもので、帆を立てて走る云々は当たりません。

       

       

         

       

      例句

      帆立貝すなどる舟の帆を立てて       山口青邨 

      湖に抛る帆立の皿の浮き流れ        山岸巨狼 

      せられいて舌を出しをり帆立貝       明石浩嗣  

      海扇(ホタテ)釜焚きて旭の山離る     牛島膝六

      陸奥生活(タツキ)馴れて幸あり帆立貝   熊谷詩城 

       

       

       

       

       

      帆立貝の仲間

      日本で食用として生産されているホタテガイの仲間には、ホタテガイ(Patinopecten yessoensis)、、イタヤガイ(Pecten albicans)、アズマニシキガイ(Chlamys farreri)、ヒオウギガイ(Chlamys swiftii) の4種類あります。ホタテガイは北方に生息する貝で、最も成長が早く大型になる貝です。北海道、青森県、岩手県、宮城県で日本の生産量の99%以上生産されています。イタヤガイは日本全土に生息していますが、島根県などの一部の地域でしか生産されていません。アズマシニシキガイも日本全土に生息していますが、宮城県などの一部の地域でしか生産されていません。ヒオウギガイは南方に生息する貝で、紀伊、四国、九州で養殖されています。この貝は品種改良で色々な色を持っています。

      帆立貝殻はづされし後のぬめり        進藤一考           【ほたて料理のコツ】 ほたてを下洗いするときは、食中毒を防止するために、真水でしっかり洗いましょう。 貝柱に縦に包丁を入れると、軽い歯ざわりが出て、お刺身・酢の物などに適します。 貝柱に横から包丁を入れると、円形を保ち焼き物・煮物・揚げ物などに適します。 ほたてのひもは、塩でもみ洗いするとヌメリが取れます。 適当な長さに切り、お刺身・酢の物などにご利用ください。       ほたて貝の選び方】 貝が口をしっかり閉じて生きているもの。 貝が口を開けていても刺激を与えると反応し、口が閉じるもの。 ほたて貝の栄養 豊富な栄養は美容と健康・ダイエットに! むつ湾のきれいな海の天然プランクトンを餌に育ったほたて貝は、海水に溶けているミネラル・ビタミンなど海の栄養をたくさん取り込むので、良質のたんぱく質・脂肪・カルシウム・ビタミン・糖質・鉄分・リンその他のミネラルなど、たくさんの栄養成分を含んでいます。 タウリンたっぷり! ほたて貝には、体の細胞の状態を正常に戻そうとする働きをするタウリンが豊富に含まれています。ほたて貝柱1日1個から2個で大人一人1日に必要な量を摂取できます。 タウリンの効能 血圧を正常に保つ、血中のコレステロールを下げる 心臓の強化、不整脈の改善 肝臓の解毒作用の強化、アルコール障害の改善 インスリンの分泌を促進し、糖尿病の予防 網膜神経組織の発育、安定に重要   各部の名称・特徴・働き】 貝柱

      体の中で最も大きい器官です。普通の二枚貝は貝柱が二ヶ所ありますが、ほたて貝の仲間は発生の初期には二ヶ所にあり、大きくなると一方が退化します。ほたて貝が泳げるのはこの巨大な貝柱のおかげです。

      海水中から餌を取り込んだり、呼吸する働きをしています。 生殖巣

      ほたて貝の仲間は通常雌雄同体ですが、日本のほたて貝は雌雄異体です。産卵期が近付く12月から4月頃には大きく膨らみ、雄は白色、雌は赤色となります。 心臓

      ほたて貝の心臓は二心房一心室からなり、動脈と静脈が通っています。血液は無色透明です。 外套膜

      通称ヒモと呼ばれ、貝殻を作る働きをしています。 腸腺

      通称ウロと呼ばれ、肝臓とすい臓の働きをしています。また、内部には胃があり、取り込まれた餌はこの胃で消化されます。

      外套膜の上に黒く点在しています。レンズや網膜などがあり、高等動物に匹敵するほど発達していますが、実際は光を感じる事くらいしかできないようです。     (Copyright © 野辺地町漁業協同組合 All Rights Reserved.)

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 14 Jul
    • 2017.07.15 一日一季語 百日紅(さるすべり)【夏―植物―晩夏】

       2017.07.15   

      一日一季語 

      百日紅(さるすべり)【夏―植物―晩夏】

       

      寺もまたいくさにほろぶ百日紅    石田勝彦

       

           

        石田 勝彦(いしだ かつひこ、1920年10月3日 - 2004年7月9日)は、北海道出身の俳人。本名は和郎(かずろう)。札幌市生まれ。國學院大學中退。戦後、結核のため清瀬の国立東京病院に入所。 1952年、東京療養所俳句サークル誌「松濤」の加藤楸邨の選を受け、翌年、「寒雷」に入会。また石田波郷に師事し、1954年、俳誌「鶴」に入会。 「鶴」支部句会で小林康治からも学んだ。波郷没後、1974年、小林康治の「泉」創刊に参加、編集を担当、1980年より「泉」を辞した小林に代わり選を務める。 1988年、俳人協会評議員。1990年、健康上の理由で「泉」主宰を綾部仁喜に譲る。2000年、句集『秋興』により第39回俳人協会賞受賞。 2004年7月9日午後8時、慢性腎不全のため、東京都八王子市の病院にて死去。 妻の石田いづみ、長女の石田郷子も俳人。

       

       

       

      【傍題季語】

      百日紅(ひゃくじつこう《ひやくじつこう》) 白さるすべり(しろさるすべり) 百日白(ひゃくじつはく《ひやくじつはく》)

      紫薇、怕痒樹、くすぐりの木

       

       

      季語の説明

      ミソハギ科の落葉高木の花。中国原産で庭園に植栽される。七~九月に桃・紅・紅紫・白色などのちりめん状の花弁の花が、枝の先端に群がり咲く。花期が長いため百日紅の漢名がある。樹皮が (は)がれやすく、滑らかな幹は猿も滑り落ちるというので、猿滑(さるすべり)と名づけられた。

       

      梅雨明けごろから九月末まで咲き続ける木の花。「百日紅(ひゃくじつこう)」の名は、 百日ものあいだ咲きつづけることに由来する。花の色は紅のほかに白、紫もある。樹幹の 肌が滑らかで、「猿も滑る」ところからこの名がある。

      『俳諧初学抄』(寛永18年、1641年)に所出。

        花名のサルスベリは、樹皮がツルツルして、猿が登ろうとしても滑ってしまいそうなことに由来します。実際には滑ることなく、猿は簡単に登ってしまうそうです。英語では「Crape myrtle」と呼びます。

         

      例句

       

      青空を拭ひて白し百日紅       紅谷芙美江

      百日紅在りし日のペン太きこと    ふけとしこ

      百日紅下級の武士の屋敷跡      久世孝雄

      颯々の近江観音百日紅        池田加寿子

      白百日紅推理小説読みをへる     有賀昌子

       

       

       

      和歌・俳句・名前の由来】 中国南部原産、ミソハギ科の落葉小高木。「さるすべり」の和名は木肌の滑らかさに由来し、「百日紅」の宛字は花の特徴――花期の長さと花弁の色――を簡潔に示している。「ひゃくじつこう」と音読もされるが、「百日紅」と書いて「さるすべり」「さるなめり」「なめらき」と言い、古歌にごく稀に取り上げられている。盛んに歌に詠まれるようになるのは、近代以降らしいです。   はつはつに咲きふふみつつあしびきの暴風(あらし)にゆるる百日紅(さるすべり)のはな   斎藤茂吉の第二歌集『あらたま』より、大正三年(1914)の作。まだ開き切らない、はつかに咲き出たばかりの百日紅が、暴風――季節柄当然台風であろう――に揺さぶられる。写生の歌として特筆すべき点もなかろうが、「はつはつにさきふふみつつ」「あしびきのあらし」「ゆるるさるすべり」……揉み揉みと練られた調べは気韻生動、おのずと稚い花に寄せる情も迫ってくる。   「散れば咲き散れば咲きして百日紅」(加賀千代女)と言うように、百日紅は咲き散った枝先から再び芽を出し花をつけながら、台風シーズンの間を咲き続け、秋の半ばまで私たちの目を楽しませてくれる。因みに俳諧・俳句では晩夏の季語である。   やまとうた  ©水垣 久 最終更新日:平成24.09.25     サルスベリは、百日紅(ヒャクジツコウ)とも呼ばれます。それは、サルスベリが夏の盛りに百日近く咲き続けることに由来するといわれます。また、ある王子が恋人に百日後の再会を約束して旅立ったものの、戻るとすでに恋人は亡くなっており、埋葬された場所からこの木が生えたという伝説によるともいわれます。   ある王子が恋人に百日後の再会を約束して旅立ちました。しかし、王子が戻るとすでに恋人は亡くなっていました。そして、恋人が埋葬された場所からサルスベリが生えたといいます。 これが百日紅(ヒャクジツコウ)の名前の由来であるともいわれます。 別名

      百日紅(ヒャクジツコウ) 猿滑(サルスベリ) 怕痒樹(ハクヨウジュ)   【花言葉『雄弁』『愛嬌』『あなたを信じる』『潔白』『世話好き』『不用意』 「雄弁」は、枝先に群がり咲くサルスベリの華やかな咲きっぷりに由来するといわれます。 また、枝をこすると葉や花が揺れ、盛んに話しているようにみえることから「雄弁」の花言葉がついたともいわれます。

       

      「愛嬌」「不用意」はサルでも滑りそうなほどつるつるとしたユニークな幹の形状にちなんでつけられました。一方、 1つだけ雰囲気が違う「あなたを信じる」という花言葉は、学名の由来にもなった朝鮮半島の伝説からついたとされています。    

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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      © 2017 e恋愛名言集)

      花言葉-由来 Copyright © 2017.

      (575筆まか勢) (俳誌のsalon)  

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  • 13 Jul
    • 2017.07.14 一日一季語 泥鰌鍋(どじょうなべ《どぢやうなべ》)【夏―生活―三夏】

       2017.07.14   

      一日一季語 

      泥鰌鍋(どじょうなべ《どぢやうなべ》)

      【夏―生活―三夏】

       

       

      川越せば川の匂ひやどぜう鍋    村山古郷

       

       

       

      村山 古郷(むらやま こきょう、1909年6月19日 - 1986年8月1日)は、俳人。京都府生まれ。本名・正三。國學院大學国文科卒。中学教師を務めていたが、1941年、日本郵船に入社。内田百閒に師事し、鴨立庵第二十世庵主。俳誌『嵯峨野』を主宰、俳人協会理事を務めた。1978年、『明治俳壇史』で芸術選奨文部大臣賞受賞。

       

       

       

       

       

      【傍題季語】

      泥鰌汁(どじょうじる《どぢやうじる》) 柳川鍋(やながわなべ《やながはなべ》)

       

       

       

      季語の説明

      泥鰌を丸のまま味醂(みりん)と醬油で味付けした出汁(だし)で煮て、刻み葱(ねぎ)をあしらって食べる鍋料理。開いた泥鰌を笹搔き牛蒡(ごぼう)と一緒に煮て、卵でとじたものを柳川鍋という。これは天保の初めごろ評判になった江戸の「柳川」という店の屋号にちなんでいる。泥鰌は歴史的仮名遣いでは「どぢやう」だが、江戸時代に「どぜう」と書くのが広まった。

       

       

       

      下ごしらえで生きたどぜうにお酒をかけて、酔ったどぜうを甘味噌仕立ての味噌汁に入れて煮込みます。ここまでが駒形どぜうならではの調理方法です。このどぜうを鉄なべに並べて、ねぎをたっぷりのせて召し上がるのが昔からの味わいかたです。

       

       

       

      例句】 酒好きに酒の佳句なしどぜう鍋      秋元不死男

      二階への急なだんだん泥鰌鍋         鷹羽狩行

      橋の名もよき駒形に泥鰌鍋           北崎展江

      どぜう鍋葱のあふるる薬味箱         赤座典子

      泥鰌鍋活きが良いとは言はれても   稲畑廣太郎 

       

       

      ピカソの青そびらにしたる泥鰌汁   水野恒彦

      もつこりと泥鰌顔出す泥鰌汁       きくちきみえ

       

       

       

      増殖する俳句歳時記】 ネクタイを肩に撥ね上げ泥鰌鍋   広渡敬雄   明日は大暑。二十四節季のちょうど中間の十二番目にあたり一年のちょうど折り返し点といったところ。アスファルトが揺れるほど暑いときには熱いものを食べて汗をかくべし。泥鰌は土の中でも生きて活発に動くので「土生」とも書くと新聞に載っていた。その説によると泥鰌一匹は鰻一匹と同レベルの栄養があるという話だから、土用には持ってこいの食べ物ということだろう。泥鰌とくれば浅草だけど、関西ではあまり泥鰌を食べさせる店を見かけなかったように思う。今はどうなのだろう。ネクタイ姿で泥鰌鍋を食べるには撥ね飛ぶ汁が心配。掲句ではネクタイを「肩に撥ね上げ」という動作がいなせで、暑さに負けない勢いが伝わってくる。はふはふと息をはずませて食べる泥鰌鍋はさぞおいしいことだろう。『ライカ』(2009)所収。(三宅やよい)         【駒形どぜう

      「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、家斉公の時代です。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。

       

      仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。 それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案です。 文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったのです。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。 200余年の歴史を刻む、当店の大事なのれんです。

      「駒形どぜう」ホームページ引用

       

       

       

       

      【どぜう飯田屋】

      夏にどじょう、と聞いてあまりピンとこない方がいるかもしれない。     昔は夏場になると店先で生きたどじょうを並べていた魚屋やスーパーも見かけたが、日本人の食生活の多様化や稚魚の減少などを理由に、次第に食卓の隅に追いやられ、今では馴染みの魚というポジションをはく奪されてしまった。     しかし食の文献を紐解くと、江戸時代の頃には庶民に愛される身近な食材であったことがわかる。句集『誹風柳多留』では「どぢやう汁 内儀(ないぎ)食ったら忘れ得ず」と詠まれるなど、その味は広く評価されていたようだ。また、江戸っ子から愛された理由のひとつに、「ウナギ一匹、ドジョウ一匹」と例えられる、うなぎに匹敵する栄養価の高さを挙げる意見もある。どじょうには多種類のミネラルとカルシウムが大量に含まれている。カルシウムをうなぎと比較すると、その量はおよそ9倍。そのうえ、カルシウムの消化を助けるビタミンDもたっぷりと含んでいるのだ。加えて夏に不足しがちな鉄分も豊富だ。こういった栄養面での効能しかり、夏は脂が強いうなぎよりも、さっぱりとしたどじょうをとは江戸っ子らしい考え方ともいえよう。     これからジメジメとした梅雨や暑さの厳しい季節を迎えるが、先人たちはどじょう料理を食べることで乗り切ってきた。我々もこのタイミングで、伝統料理として、どこか遠い存在となってしまったどじょうを、もっと近くに手繰り寄せてみよう。

      「どぜう飯田屋」ホームページ引用

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 12 Jul
    • 2017.07.13 一日一季語 目高(めだか)【夏―動物―三夏】

       2017.07.13   

      一日一季語 

      目高(めだか)【夏―動物―三夏】

       

       

      緋目高の生れていまだ朱もたず    五十嵐播水

       

        五十嵐 播水(いがらし ばんすい、1899年1月10日 - 2000年4月23日)は兵庫県出身の俳人、内科医。本名は久雄(ひさお)。姫路市鍛冶町に生まれる。 大学在学中の1920年より句作をはじめ、京大三高俳句会で高浜虚子と出会い師事する。1922年、「京鹿子」同人。1930年、山本梅史の跡を継いで「九年母」選者。 1932年、「ホトトギス」同人。 1933年、山口誓子・水原秋桜子・日野草城・鈴鹿野風呂らと共に「京大俳句」創刊に参加。 1934年、「九年母」の発行所を神戸に移し主宰。 1968年、兵庫県文化賞、1973年、神戸市文化賞、1979年、神戸新聞平和賞、1989年、兵庫県高齢者特別賞を受賞。2000年没、101歳。 虚子没後も「ホトトギス」最年長同人として尽力。海港を詠んだ叙情句を得意とし「港の播水」といわれた。妻は五十嵐八重子、息子は五十嵐哲也で共に俳人。哲也は播水の死後に「九年母」主宰を継いだ。

       

       

      【傍題季語】

      緋目高(ひめだか) 白目高(しろめだか)

       

       

       

      季語の説明

      メダカ科の淡褐色の淡水魚。体長四センチぐらい。目が大きく飛び出していて可愛い。夏、水槽や水盤などに飼われ、涼味が観賞される。かつては日本中どこでも見られたが、今では、絶滅危惧(きぐ)種に指定されている。

       

       

       

      例句

      目高ひねもす急発進急停止      上谷昌憲  

      目高の目顔いつぱいにありにけり   永田万年青

      動くたび目高の目玉こぼれさう    松田明子

      水蓮の鉢に馴れたる目高かな     久保田一豊

      眼ばかりと思ふ目高の生まれ立て   中尾杏子

       

        俳句ポスト365 第117回 2015年6月18日週の兼題   目高

      人選 まだ区別出来る目高の純正種    正則

       

      水騒ぐ目高生まれたかもしれぬ   勿忘草

        知らない人はいない兼題「目高」ですから、類想類句も多かった一週間でしたねえ。類想類句が多いと、自作との比較によって句想や叙述の巧拙を学ぶことができます。さあ、今週の天に推した句をご一緒にながめていきましょう。  まずは上五「水騒ぐ」からの展開、なかなか面白いですねえ。いきなりの「水騒ぐ」ですから、湖や川のような「水」から柄杓一杯の「水」まで想定できるのですが、中七「目高」という季語から光景が一気に立ち上がります。  いつもの水槽の「水」が、いつになく騒いでいるように感じられるある日、ある朝。水槽にしずかな力が満ちているような気がする瞬間。ひょっとすると、これは今、ぞくぞくと「目高」が生まれているのかもしれない!と思う心の動きが、詩的リアリティとなって読み手の心に広がります。  騒ぎ始める「水」は夏の光にきらきらと反応します。小さな「目高」の小さな命がつぎつぎに孵化してゆく光を、読者の心はそれぞれにキャッチしていきます。  親目高たちが歓び跳ねて「水」がきらきらと騒ぐ今朝は、平然と卵を食い始める残酷な夏の始まりでもあるのだと思うと、一句にはさらなる陰影が生まれます。 *俳句ポスト引用

       

       

       

      【種類】

      クロメダカ

      本来自然界にいる色のメダカですが、自然界のメダカは絶滅危惧種に指定されるほど少なく、野生種を目にすることは難しいようです。

      日本に生息しているメダカのDNAを調べると、15のグループに分けられるそうです。そのグループを生息している地域で大きく2つに分け北日本に生息していたのがキタノメダカ。南日本に生息していたのがミナミメダカ とそれぞれ命名されています。南日本集団については生息している水域ごとに「東日本型」、「東瀬戸内型」、「西瀬戸内型」、「山陰型」、「北部九州型」、「大隅型」、「有明型」、「薩摩型」、「琉球型」の9種類の地域型に細分されているようです。

       

       

       

      【見分け方】

      キタノメダカ ● 体の後半部に濃い網目模様がある ● オスの背びれの切れ込みが浅い ミナミメダカ ●体の後半部の網目模様がない ● オスの背びれの切れ込みが深い

      突然変異種

      野生のクロメダカから突然変異で生まれさらに体色や体系などを観賞用として改良した種が多数存在する。

      ヒメダカ (緋目高) シロメダカ(白目高) アオメダカ(青目高) などは、突然変異種だということです。  

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 11 Jul
    • 2017.07.12 一日一季語 涼し(すずし)【夏―時候―三夏】

       2017.07.12  

      一日一季語 

      涼し(すずし)【夏―時候―三夏】

       

      吾子たのし涼風をけり母をけり     篠原鳳作

       

         

       

       

      篠原鳳作(しのはら ほうさく、1906年1月7日 - 1936年9月11日)は、鹿児島県出身の俳人。

        俳句は1928年、「ホトトギス」に初入選。「ホトトギス」、「京鹿子」、「馬酔木」、「天の川」など、初学時代は多くの俳誌に投句したが、1931年より「天の川」に所属。 1933年(昭和8年)、同人誌「傘火(かさび)」創刊。1934年より「鳳作」の号を用い、「天の川」と「傘火」を拠点にして新興俳句運動の一翼に参じた。花鳥諷詠に終始する俳句を否定し、俳句に何より必要な物は詩魂のはばたきであるとして無季俳句を推進。 代表句「しんしんと肺碧きまで海の旅」(1934年)は無季俳句の存在と可能性を俳壇に知らしめた先駆的作品で、有季派であった水原秋桜子をして鳳作を無季陣最高の俳人と言わしめた。他に「蟻よバラを登りつめても陽が遠い」などの句が知られ、青春性を湛えた句風であった。 1936年(昭和11年)、30歳で夭折、死後、「海の旅」、『篠原鳳作全句文集』が纏められた。また「しんしんと肺碧きまで海の旅」句碑が沖縄県宮古島市カママ嶺公園および薩摩半島最南端長崎鼻に建てられている。

       

       

      【傍題季語】

      朝涼(あさすず) 夕涼(ゆうすず《ゆふすず》) 晩涼(ばんりょう《ばんりやう》) 夜涼(やりょう《やりやう》) 涼風(りょうふう《りやうふう》) 涼風(すずかぜ)

      涼、涼気、涼味、涼意、朝涼し、夕涼、夜涼、宵涼し、涼夜、月涼し

       

       

       

      季語の説明

      夏の暑さの中にあってこそ感じられる涼気をいう。朝夕の涼しさ、水辺の涼しさなど、俳句では暑さの中のかすかな涼しさを捉(とら)えて夏を表現する。

      何にでも「涼し」を付けることができるようです。

       

      夏の暑さに思いがけず覚える涼しさは格別である。流水や木陰、雨や風を身に受けて安堵する涼もあれば、音感や視覚で感受する涼味もある。朝、夕、晩、夜、宵に涼を添え季語をなす。秋の涼は新涼、初涼といい区別する。

       

       

      例句

      動かねば涼しくありぬ盆三日    神蔵器

      地鎮祭涼しき祈り終へにけり    こうのしづこ

      手風琴かなでる老の髭涼し     夏目満子

      定刻に定員揃ひ議事涼し      三村純也

      大津絵の鬼の涼しき塗師の店    山本耀子

       

       

       

       

      【黛まどか】 星涼しここにあなたのゐる不思議   シンガポールで星ということで作りました。「星涼し」が季語です。「涼しい」が夏の季語というのが面白いと思うのです。普通は、夏は「暑い」ものですけど、風鈴を吊って、風鈴に風が来て音を鳴らすことによって、風の声を聞き、それで一抹の涼を感じる。暑いからこそ、一抹の涼を愛でる工夫をして涼しさを追い求める、味わう。暮らしの中に、四季の移ろいに寄り添って生きて行くということが根付いていると思います。   「17音の交響曲 IN シンガポール」(2007年)11月10日  俳句講演会 の後のインタビューより  聞き手: 道関  直哉  山本  直子  杉野  一夫   松本二三代 (文・構成/松本 二三代)    

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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  • 10 Jul
    • 2017.07.11 一日一季語 金魚売(きんぎょうり《きんぎようり》)【夏―生活―三夏

       2017.07.11   

      一日一季語 

      金魚売(きんぎょうり《きんぎようり》)【夏―生活―三夏】

       

      一山と云ふも町中金魚売   渡辺文雄

       

       

      渡辺 文雄(わたなべ ふみお、1929年10月31日 - 2004年8月4日)は、日本の俳優・タレント・エッセイスト。東京市神田区東松下町(東京都千代田区神田東松下町)生まれ。

        『くいしん坊!万才』の初代リポーターとしても知られ、お茶の間にも広く顔が知れ渡るようになる。当初、「男が食い物の事でグダグダ言うんじゃない!」という意見も少なからずあり、渡辺は「じゃあ、グダグダ言ってやる!」という気持ちを持ちつつ、持ち前の知性を生かしながら料理の旨さを伝わるようにし、長寿番組の礎を築き上げたという。読売テレビの『遠くへ行きたい』のリポーターとしても知られ、2013年現在も同番組最多出演者の座にある。これらの番組出演の経験を踏まえたエッセイも執筆しており、多くの著書がある。文才を認められ、日本エッセイストクラブへも入会している。 2001年7月に飛騨・世界生活文化センター(岐阜県)の館長に就任。最晩年まで『遠くへ行きたい』や日本テレビの『おもいッきりテレビ』のゲストコメンテーター等、その知性を生かして多方面で活躍していたが、亡くなる約2か月前に体調不良を訴え入院。その際に肝臓癌であることが分かったが、入院から2週間後には意識混濁を起こすなど既に病状は末期症状を起こしており手の施しようが無かった。 2004年8月4日急性呼吸不全のため東京都内の病院で死去。74歳没。

       

       

      【傍題季語】

      金魚屋(きんぎょや《きんぎよや》)

      金魚掬いきんぎよすくい)*これを傍題季語にしている歳時記もあるということです。

       

       

       

       

      季語の説明

      金魚を売り歩く行商人のこと。かつては金魚の桶を天秤棒(てんびんぼう)で担い、独特の呼び声で街を流して歩いた。後には車で引いて歩くようになった。

       

       

       

       

      例句

      愛言葉きらきら金魚掬ひけり    小澤克己

      金魚すくう電気を作る音の前    岡田耕治

      頭重く金魚掬ひに繋がれる     中原道夫

      金魚すくひ金魚苛めてばかりゐる  行方克巳

      をみな子の片袂噛む金魚掬ひ    北川英子

       

       

       

      金魚みな豪雨の音に肥えている   四ツ谷龍

      死ぬときも派手に和蘭陀獅子頭    櫂未知子

      金魚死す海がざわざわしていたる  折勝家鴨

      *この三句、金魚(動物)での句になりますが、最近詠んだ句集にあった句なので、取り上げています。

       

       

      【江戸川区】 第4回キンギョリンピック(金魚すくい大会)開催決定 

       2017年7月1日

      江戸川区ホームページより

      「第4回キンギョリンピック」(金魚すくい大会) 小学生以下の部(22日、23日)、一般(中学生以上)の部(22日)、親子の部(23日)に分け両日とも午後2時から実施します。

       

       

        金魚すくい 毎年恒例となった「金魚すくい」には、2日間で20,000匹もの金魚が用意されます。 初心者の方、腕に自信のある方、どなたでも楽しく参加できます。 時間 7月22日(土曜日) 午前10時から午後4時30分(休憩時間:午前11時30分から午後1時30分) 7月23日(日曜日) 午前10時から午後2時30分(休憩時間:午前11時30分から午後1時30分) 料金 中学生以下無料、高校生以上1回100円

       

       

       

        【金魚すくいのこつ】

      金魚をすくう道具のことを「ポイ」といいます。ポイには紙のものとウエハースのものがありますが、おすすめするのは紙のものなので、まずはなるべくそういうお店を選びましょう。 では、早速金魚をすくってみよう!・・・と言いたいところですが、ちょっと待って下さい。その前に作戦をたてましょう。今回の金魚すくいでは、たくさんの金魚をすくいたい?それとも、お家でしっかりと飼育したい? もし、たくさんの金魚をすくいたいのなら、水面近くの小さなおとなしい金魚をねらいます。お家でしっかりと飼育したいのなら、すぐに破れるのも覚悟で、元気な金魚をねらいましょう。

       

        1.ポイの裏と表を確認する

      ポイを水につける前に、ポイの表と裏を確認します。 紙がはってある方が表で、金魚をすくうのは表側ですくいます。 裏だと、破れやすくなります。

       

        2.まずはポイの全面を水につける

      ポイは一度全面をぬらした方が破れにくくなります。 よく、ポイの少しの部分だけを水につけてすくう人がいますが、これだとぬれている部分とぬれていない部分のさかい目が、破れやすくなります。

        3.ポイをななめにして水にいれる

      紙の面に、なるべく水の力が加わらないようにします。ポイを水の中に入れる時と出す時は、斜めから出し入れするのを心がけましょう。金魚を紙の上にのせてもあわてないで、紙の上に水が残らないよう、ゆっくり斜めに引き上げましょう。

        4.水の中ではなるべく水平移動で

      これも、紙にかかる水の力をへらすためのコツです。 水の中では、なるべく水面と平行にポイを動かすことがポイントです。

        5.金魚を追いかけない ついつい金魚をおいかけてしまいますが、上手な人は金魚の動きを読んで、無理なくすくえるところにくるまで、じっと待ちます。 金魚をおどかさないで、なるべく自然に接することが肝心です。

       

        6.金魚の上半身をのせる

      金魚は尻尾からではなく、頭の方から迎えに行きましょう。 このとき、なるべく尻尾を紙の上にのせないようにします。金魚があばれて、尻尾で紙を破ることがあるからです。

       

       

       

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

      © 2010-2012 NPO法人双牛舎. All rights reserved.)

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      ジェックス株式会社  ホームページ引用

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    • 2017.07.10 一日一季語 風鈴(ふうりん)【夏―生活―三夏】

       2017.07.10   

      一日一季語 

      風鈴(ふうりん)【夏―生活―三夏】

       

      風鈴を吊る古釘をさがしけり    増田龍雨

       

       

       

        生年:明治7年4月7日(1874年)   没年:昭和9(1934)年12月3日   出生地:京都   本名:増田 藤太郎(マスダ トウタロウ)   旧姓(旧名):花井   別名:旧号=龍昇   経歴

      連句の9世雪中庵雀志の門に入り、昭和5年12世雪中庵をつぐ。俳句は久保田万太郎に師事し著書に「龍雨句集」「龍雨俳句集」「龍雨俳話」などがある。

       

       

       

      【傍題季語】

      江戸風鈴(えどふうりん) 南部風鈴(なんぶふうりん) 貝風鈴(かいふうりん《かひふうりん》) 風鈴売(ふうりんうり)

       

       

       

      季語の説明

      鉄・ガラス・陶磁器などの小さな鐘形または壺形の鈴。内部に舌があり、短冊などを吊り下げる。軒下や窓に吊るすと風に揺らいで涼しげな音色を響かせる。風鈴を連ねて町を回って歩く風鈴売が登場したのは江戸時代中期。

       

       

       

      例句

       

      風鈴や浅きねむりの明けそめて   鈴木真砂女

      風鈴の音の中なる夕ごころ     後藤比奈夫

      風鈴の鳴らねば淋し鳴れば憂し   赤星水竹居

      だまし絵の中の風鈴鳴りにけり   小澤克己

      風鈴の舌とふ寂しきものに触れ   大島雄作

       

       

       

        【東京近辺の催し】

      東京ミッドタウン

      江戸風鈴や陶器の風鈴など様々な素材やデザインの風鈴の音色を楽しめる装飾が館内に登場します。5回目となる今年は、東京ミッドタウンのデザイン専門施設21_21DESIGN SIGHTで実施する企画展「『そこまでやるか』壮大なプロジェクト展」に参加する、現代アーティスト西野達さんとのコラボレーションで、風鈴が多数吊るされたのれんが並ぶ「風鈴のれん」が館内3箇所に登場します。のれんをくぐり布が揺れると、吊るされている風鈴が揺れ、涼やかな音色を奏でます。

       

      主催:東京ミッドタウン

      場所:ガレリア園内

      時間:11:00~21:00

       

      東京ミッドタウン  ホームページ引用

       

        開創890年慶讃 平成29年 第22回川崎大師風鈴市

       

      毎年7月に開催されます全国最大規模の「川崎大師風鈴市」は年々盛況を呈し、本年で第22回を迎え川崎大師の夏の風物詩として、関東近郊はもとより全国の皆様に親しまれています。 本年も北は北海道から南は沖縄まで、全国47都道府県より、 900種類、 30,000個の風鈴が勢揃いして、第22回「川崎大師風鈴市」を賑やかに開催いたします。 また、この期間中、風鈴市会場に「風鈴納め所」が設置されております。古くなった風鈴に対し、感謝の気持ちを込めてどうぞお納めください。

       

       

      場所:川崎大師 境内特設会場(大山門横静嘉堂石庭前広場) 風鈴市開会式法楽 〈風鈴市会場〉

      7月19日(水) 9:50 納め風鈴法楽 〈風鈴市会場〉

      7月19日(水)、20日(木)、7月22日(土) 12:00、16:00 7月21日(金)、23日(日) 12:00、16:30 厄除だるま風鈴(透明)名入れサービス

      7月20日(木)・21日(金)に厄除だるま風鈴(透明)をお求めの方に、 名入れのサービスを行います。※各日300個限定

       

      川崎大師  ホームページ 引用

      (Copyright(C) Kawasaki Daishi Heikenji Temple 2015 All Rights Reserved

       

       

          縁むすび風鈴 平成29年7月1日(土)〜9月10日(日) 現在も「風の便り」という言葉が残っているように、 昔の日本人は「風が人の想いを運んでくれる」と信じていました。 風鈴は、風が鳴らしてくれる鈴。 目には見えない風を「音」として私たちに知らせてくれます。 川越氷川神社の境内に響く、涼やかな風鈴の音は、たくさんの願いが風にのって運ばれていく音色です。 大切な想いが「縁むすびの神様」へ届き、お参りされた皆さまに良いご縁が運ばれますように。 川越氷川神社  ホームページ引用 ©2017 KAWAGOE HIKAWA JINJA

       

      江戸風鈴】   2015年、創業100周年を迎えました。 *江戸風鈴の製造所*  現在、篠原風鈴本舗、篠原まるよし風鈴の合計2カ所だけです。   *名称の由来*  儀治は先代から受け継いだガラス風鈴を、昔の東京すなわち「江戸」で、 江戸時代から作られていたことから 昭和40年頃、「江戸風鈴」と名付けました。  ですから、江戸風鈴という名称は儀治のブランド名と思ってください。 そのため、儀治の承諾を受けた裕、正義、そして、その一門が江戸風鈴の名称を使用出来るわけです。  それまではガラス風鈴,あるいはビードロ風鈴などと呼ばれていました。  一個一個が手作りですので、同じ形・同じ柄でもそれぞれ異なる音がします。   *歴史*  起源は中国にありました。しかし日本とは全然違う使い方でした。 竹林に下げて風の向き、音の鳴り方で、物事の吉凶を占う占風鐸(せんふうたく)と言う道具が起源です。 日本に仏教などと一緒に渡来してきます。お寺の四隅にかかっている風鐸がそれです。  風鐸のガランガランと鳴る音が厄除けとして使われました。 すなわち、その音が聞こえる範囲の住民には災いが起こらないといわれました。 平安、鎌倉時代の貴族の間では縁側に下げて、外から疫病神が屋敷の中にはいるのを防いだと書物(六学集)には、書いてあります。  法然上人絵巻には銅製の風鈴が描いてあります。形は今現在のものとは少し違います。  ガラス製の風鈴が出始めるのが文献には享保年間(1700頃)とされています。  長崎のガラス職人がガラスを見せ物として大阪、京都、江戸にて興行しながら伝わります。  その頃の価格は今のお金に換算すると、200万~300万円ぐらいしたと、いわれています。   *催事情報* 2017・7/20(木)~7/26(水) ■船橋東武百貨店(予定) 2017・7/22(土)23(日) 金魚祭り ■江戸川区行船公園 2017・8/8(火)~8/17(木) ■舞浜イクスピアリ(予定)   篠原風鈴本舗  ホームページ引用 copyright © 2003-2010 edofurin.com All Right Reserved  

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

      (ウイキペディア)

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      テーマ:
  • 08 Jul
    • 2017.07.09 一日一季語 百合(ゆり)【夏―植物―仲夏】

       2017.07.09   

      一日一季語 百合(ゆり)【夏―植物―仲夏】

       

      献花いま百合の季節や原爆碑    後藤比奈夫

       

         

       

      後藤 比奈夫(ごとう ひなお、1917年(大正6年)4月23日 - )は、大阪府出身の俳人。本名は日奈夫(読み同じ)。「諷詠」名誉主宰。父は後藤夜半。

        1951年、父夜半について俳句の道に入り、夜半の主宰誌「花鳥集」に拠る。「ホトトギス」「玉藻」にも投句し高濱年尾、星野立子に師事。 1954年、「花鳥集」が「諷詠」に改題され、その編集兼発行人となる。 1961年「ホトトギス」同人。1976年、夜半の死により「諷詠」主宰を継承。 1985年、波電子工業社長を退き俳句一筋となる。 1987年、俳人協会副会長、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ会長、大阪俳句史研究会代表理事などに就任。 2012年、「諷詠」主宰を息子の立夫に譲り同名誉主宰となる。2013年現在、俳人協会顧問、日本伝統俳句協会顧問、大阪俳人クラブ顧問、兵庫県俳句協会顧問、大阪俳句史研究会顧問、虚子記念文学館理事、「玉藻」同人会名誉顧問、星野立子賞選考委員などを務めている。 代表句に「東山回して鉾を回しけり」など。夜半の上方風を受け継ぎつつ、ホトトギス派の信条である客観写生、花鳥諷詠を追求。また物理学で培われた知的な視線、新鮮な題材への取り組み、擬人法の開拓などにおいても評価を得ており、戦後以降のホトトギス系の俳人の中でも特に目立った活躍を見せている。なお叔父は喜多流の能楽師の後藤得三と喜多実、比奈夫の姉も喜多流の宗家の内弟子と結婚しており、このため比奈夫の句の背景として能楽が言及されることも多い。

       

       

      【傍題季語】

      鉄砲百合(てっぽうゆり《てつぱうゆり》) 鬼百合(おにゆり) 姫百合(ひめゆり) 鹿の子百合(かのこゆり) 山百合(やまゆり) 笹百合(ささゆり) 白百合(しらゆり) カサブランカ

       

       

       

      季語の説明

      ユリ科の多年草の花できわめて種類が多く匂いの強いものが多い。鑑賞用に植えられるもののほか、切花としては鉄砲百合、カサブランカなどに人気がある。いずれも匂いが強い。

       

      百合は夏、ラッパ形の香り高い花を咲かせる。白に紅の斑がある山百合、黄赤に紫の斑が ある鬼百合、花が大砲の筒のような鉄砲百合など、原種だけでも百種以上を数える。「ゆ り」の語源は「揺り」で、「百合」の字を当てるのは、ゆり根の鱗茎の重なりあうさまか らきている。

      『花火草』(寛永13年、1636年)に所出。

       

       

       

       

      例句

      観音の御手より晴れて百合の花    星野椿

      百合の香と音楽密封してB1     池田澄子

      山百合の雄蕊が火傷してをりぬ   原友子

      そのあたり夜のごとくに百合白し  小川軽舟

      縄文の丘縄文の百合匂ふ            小林共代

       

       

       

      笹百合や白夜を常の村ひとつ        有働亨

      鬼百合の枯れなんとして鬼々し      寺田寅彦

      鬼百合は発火寸前半島も      坪内稔典

      鬼百合の向きの気になる墓参道      大木あまり

      鬼百合に一掬の海残しやる          櫂未知子

       

       

       

       

       

      万葉集】 道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや 作者不詳『万葉集』 夏の野の茂みに咲ける姫百合の知らえぬ恋は苦しきものぞ 坂上郎女『万葉集』         【増殖する俳句歳時記】   寝不足にやや遠ざけし百合の壺.    能村研三.   季語は「百合」で夏。「寝不足」がたたって、体調がよろしくない。それでなくとも百合の花の芳香は強いから、こういうときにはいささかうとましく感じられるものだ。そこで、飾ってある壺を少しだけ遠ざけたと言うのである。花粉が飛び散らないように、そろそろっと壺を押しやっている作者の手つきまでが見えるようだ。このように、体調如何によって人の感覚は微妙に変化する。その昔の専売公社の宣伝に「今日も元気だ、煙草がうまい」というのがあったが、これなどもそのことをずばりと言い当てた名コピーだろう。だから、誰にとっても常に美しかったり常に美味かったりする対象物はあり得ないことになる。すべての感覚は、体調や、それに多く依拠している気分や機嫌の前に、相対的流動的なのであって定まることがない。ただ哀しいかな、私たちがそのことを理解できるのは体調不良におちいったときのみで、いったん健康体に戻るや、けろりと「永遠絶対の美」などという観念に与したりするのだから始末が悪い。飛躍するようだが、テレビなどという媒体は、視聴者が全員元気であることを前提にしている。したがって、身体的弱者や社会的弱者へのいたわりの気持ちが無い。早朝から天気予報のお姉さんがキャンキャン言い募るのも、視聴者がみな熟睡して爽快な気分で目覚めていると断定していることのあらわれで、句の作者のような状態ははじめから勘定の外にあるわけだ。やれやれ、である。『滑翔』(2004)所収。(清水哲男)

        【百合の雑学】 ・中国と日本は、百合の宝庫といわれている。     ・欧米では百合は格別に好まれ、日本の百合を外国に紹介したのは江戸末期に来たシーボルトだが、  持ち帰った百合の球根が、ロンドンでは高値で競売されたらしい。 ・フランス、リヒテンシュタインの国花。     ・ケルト語で「百合」は”白い花”の意味をもつ。 ・細い茎に大きな花がつくので風に揺れることから「ゆる(揺)」 それが変化して「ゆり」になった。  漢字の「百合」は漢名からで葉や鱗茎(りんけい)が多数重なり合うことから。   ・地中の球根のところは「ユリ根(ゆりね)」と呼ばれ、食用になる。     ・「立てば芍薬   座れば牡丹、   歩く姿は百合の花」     ”シャクヤクのように    風情があり、    牡丹のように華麗で、    百合のように清楚”    という、   女性の美しさを   形容することば。

       

       

        (Copyright(C) Since 1997Atsushi Yamamoto.All rights reserved.)

       

       

       

       

      【小田急線  百合ヶ丘】

      百合丘(ゆりがおか)は、神奈川県川崎市麻生区の町名。現行行政地名は百合丘一丁目から百合丘三丁目。また、施設名などでは「百合ヶ丘」の表記も見られる。

       

      約100人の地主が団地の開発に土地を提供したことと、この団地開発以前には当地には山百合の花が咲き乱れていたことをかけて名づけられたとされている

       

       

      以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

      (合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版) (カラー図説  日本大歳時記  講談社)

      (大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

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