2024.5.12一日一季語 水喧嘩(みずげんか《みづげんくわ》) 【夏―生活―仲夏】

 

提灯を胸につきつけ水喧嘩   西村果畝

 

地元の郷土資料館の展示に、水番人の展示があった。これは水が自然に流れ落ちる力によって江戸まで水を引いている、玉川上水に必要だったそうです。多摩川の水を用水とした水田もあり、昭和三十年代には、水喧嘩もあったようだ。

2030年には、世界の水の需要量が供給量を約40%上回ると予測されています。水は人々の生活はもちろん、農業・工業に必要不可欠なもの。使いすぎたり汚れたりして水が足りなくなると、争いが起きる。現代では、世界的な規模で、主に環境問題としての水争があるようだ。

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【傍題季語】

水論(すいろん) 水争(みずあらそい《みづあらそひ》) 水敵(みずがたき《みづがたき》)

 

【季語の説明】

水喧嘩(みずげんか)とは、灌漑用水の田への分配(分水)をめぐる紛争 。境相論(論所)を指すこともある 。水論(すいろん、みずろん)、水喧嘩 、水騒動、水紛争ともいう。江戸時代の百姓たちにとって、川や池からの農業用水の確保は死活問題。「水戦争」の根源の一つとして日本における水田の確保、そして用水路の確保に伴い、米を生産し、年貢として納める必要があった。その米を生産する上で重要なものとしてあるのが「水」だった。その水を確保するために百姓たちが争った。

 

 

【例句】

水にをる自分の顔や水喧嘩   阿波野青畝

顔に日をあびて水喧嘩の相手  今瀬剛一

鼬穴ありとも知らず水喧嘩   清水海夕

水論や大利根川の痩せ細り   荒井 実

水論に畦を駈けくる灯のありぬ 岩佐葵十

 

 

【日本に水田が必要だったわけ】

江戸時代は完全に自給自足、つまり、国内の農地から生産されたものだけで約3000万人が暮らしていたわけです。江戸中期の農地面積は約300万haですから、1人あたり約10a(おおよそ32m四方)になります。同じ頃のヨーロッパでは、1人生きるのには1ha(100m四方)以上の農地が必要だったといわれています。日本では1haもあれば、10人分のエネルギー(カロリー)を得られたわけです。

ヨーロッパは、小麦と牧畜による農耕文明でした。ところが、畑は地力が落ちるという問題が発生します。毎年、同じ作物を作り続けていると土の養分が欠乏し、病気も発生しやすくなります。このため、ヨーロッパでは三圃(さんぽ)式農業が定着しました。農地を三等分し,年ごとに違った土地に夏作物・冬作物・休閑地に割り当てる、つまり作物を作った農地は翌年休ませる必要があったのです。また、牧場も広い土地がないとできません。したがって、家族が生きていくためには数haの広い農地が要りました。

  ところが水田にはこの障害はありません。何百年でも連続して収穫できます。また、仏教によって肉食(四足の動物)が禁じられていたので、牧畜もなかったのです。 さらに、収穫量は、麦が1haあたり約3.5tであるのに対して、米は約5t。水田のことについてこのように、農林水産省のホームページにありました。

 

 

今日は何の日

母の日

アメリカ人のアンナ・ジャービスが母の死後、その墓にカーネーションを飾ったことに由来する。カーネーションは母性愛のシンボルとされ、母に日頃の感謝を込めて贈る。5月の第2日曜日がその日。

 

看護の日

厚生省(現在の厚生労働省)・日本看護協会等が1991年に制定。

 

民生委員・児童委員の日

全国民生委員児童委員連合会が1977年に制定。

 

海上保安の日

海上保安庁が1948年に「開庁記念日」として制定。2000年より「海上保安の日」に改称。

 

アセロラの日

ザリガニの日

 

 

以下の図書、ホームページを参考、引用しています。

(合本俳句歳時記  第四版  角川学芸出版)

富山いづみ <admin@nnh.to>

(カラー図説  日本大歳時記  講談社)

(大人も読みたい こども歳時記 長谷川櫂監修)

( 季語と歳時記の会編著 小学館刊 )

(ウイキペディア)

(575筆まか勢)

(俳句のサロン)

    (一般社団法人日本記念日協会)