春のツーリング、岡山へ行ってまいりました
”鉄道(バス)ではなかなか行けない場所”を岡山県に求め、バイクWo号で2ヶ所ほど廻ってきました。
その2ヶ所は各々全く趣旨の異なる場所なので、1作づつに分け、前後編2作でおおくりします。早速スタートします^
今作の前編は、実は鉄道作になるんですが、既に1991年に廃線になった鉄道を訪ねました。
岡山の山深い里にある“廃線跡”、なぜ遠路訪ねたのか、これからご覧頂きます
岡山市から山陽自動車道を東へ25km程、兵庫県境に近い和気(わけ)ICで下車
和気から国道374号を北へ向かって走ります
このR374は吉井川に沿って北上するんですが、走ってて凄く気持ちのいい道です
和気ICからバイクで約1時間弱、吉井川の支流に架かる橋を渡ると美咲町(※旧柵原町)に入ります
ここから国道を外れ、県道を約3km程走ると・
とんがり屋根が特徴の、↑”駅”に着きました
しかし今ではこの”駅”から、旅行へ出発する事は出来ません。
1991(平成3)年廃止になった、旧・同和鉱業片上鉄道の吉ケ原駅です
1931(昭和6)年開業。現役時代そのままの良好な保存状態が認定され、国の登録有形文化財に指定されている貴重な駅舎です。
しかし『廃線の駅』といっても、この駅今も”現役”なんです
↑朝から人が集まり、活気があります。どういう事かというと~
↑改札口のむこうには、エンジンのかかったディーゼルカーが!
これは・
この吉ケ原駅、我が国ではまだ数例しかない『廃線を保存鉄道にしている』拠点です。
片上鉄道を動態保存しようと頑張っておられる団体、『片上鉄道保存会』の方々が、吉ケ原駅周辺で廃線当時から保全してある400m程の線路を、月1回、一般の見学客も乗せて走らせています
↑手荷物の取扱所ではグッズ販売も
保存運転の車に乗るには、駅のキップ売場で保存会発行の↑”一日会員証”(300円、2015当時)を購入。
これはあくまで、現在は“交通機関”で無く“文化財”である片上鉄道の保存に賛同するという意味で”一日会員に入る”という名目なので、いわゆる“乗客/乗車券”では無く、"会員証"という扱いです
保存運転は10時から開始との事ですが、その前に試運転を1往復するそうです。なんせ1ヶ月に1回しかエンジンをかけない車なので、準備は念入りです^
片上鉄道では現在、貨車も含めると9両もの車両が動態保存(※運転可能な状態)されているとの事です。
この日の展示運転はキハ303+キハ702のディーゼルカー2両で担当。元々貫通幌はないタイプで、連結の間がかなり離れてるのが独特^
しかし試運転が少々不調だったようで、10時の始発時間を過ぎても調整がつづいています
保存会の方々は普段それぞれのお仕事を持ちながら、この月1回の日曜、ここ美作の山奥へ手弁当で集まっておられるそうです。ホント頭が下がります。
無事調整がおわり、いよいよ一般客乗車!
2両のうち、まず1便目はキハ303から乗ってみます^
木の床の両側にロングシートが並んでいます
このキハ303は1934(昭和9)年製、1954(昭和29)年に国鉄から譲渡をうけ、片上にやってきたそうです。
↑シートには所々破れもあり、年季を感じるとともに、メンテナンスの難しさも感じさせます。なお、吊革は付いてるんですが、「外れる恐れがあるので持たないで下さい」との事でした
ちなみにこのキハ303、後で調べて驚いたんですが、動態保存されているディーゼルカーとしては日本最古のものだそうです
約10分程遅れて吉ケ原駅に発車ベルが鳴り響き、日本最古のDCは走り始めました!
速度がゆっくりなのもありますが、意外と揺れは少なく、スムーズな乗り心地です^
↑は駅から望遠で撮ったものですが、2両編成のDCは駅から西へ、踏切を越え、約400m弱を走って黄福柵原駅(※後述)の手前で一旦停車、そこで折返して吉ケ原に戻ります
吉ケ原へ戻ってくる時には、出発時の駅舎寄りの線路でなく、1本奥にある、かつて和気方面乗場だったホームに着きます。ちゃんと上り/下り線を使い分けていました
又、車内では出発時・折返し時・到着時にきちんと車掌さんの車内アナウンスもあります。400mと侮るなかれ、かなり本格的でした
かつての和気方面ホームの奥側(※吉ケ原駅には3本線路あり)には、懐しい旧型客車2両とそれを牽引するディーゼル機関車が停まっています。
これら客車も“動態保存”、つまり運転可能に整備されているとの事で、時たま登場させるそうです
吉ケ原駅の東側には↑引上げ線(※折返し用の線路)があり、DCはそこまで行って折り返し、元の駅舎側のホームへ帰ってきます
前述の通り、"1日会員証"は事実上の”1日乗車券”という事なので、午前中一杯滞在し、あともう1往復したいと思います^
↑は駅舎の横にある食堂(!)で、保存運転日のみ販売される弁当と、数量限定のカレーライスが名物です^
↑駅に掲出されている時刻表
保存運転日(※原則毎月第一日曜)には9往復運転されます(※2015当時)
そのうち7往復は先程乗った”途中折返し”、あと2往復は、『黄福柵原駅』まで運転されます
(※黄福柵原駅については後程)
改札の横にあるベンチ、↑左に見えるのは列車に掲げているヘッドマークで、数種類あって2便位ごとに取り換えるというマメなサービスをしています
そして注目は、↑ベンチの下、青い動物用のリード綱のようなものが括ってあるのが写っていますが・
綱をたどってベンチの下を覗いてみると~
↑ベンチの下に猫が!w
片上鉄道保存会公認、2代目駅長猫『ホトフ』です^(※2015年当時)
“猫の駅長”といえば、当別荘でも訪れた和歌山電鉄の『たま』が有名ですが(2009.4.15up vol.47)、片上鉄道の駅長猫の歴史は同会によると和歌山より古いそうで、保存会さんでは"駅長猫の元祖はここ"と謳っています^
(※詳しい就任日等裏取はしてないんですが、片上保存運転は1998年開始、和歌山電鉄の転換開業が2006年なので、片上のほうが古くてもおかしくない)
なお、初代の吉ケ原駅長猫は"コトラ"という虎猫だったんですが、最近↑の白黒猫、"ホトフ"に交代したとの事です。
コトラも存命中(※2015当時)で、別の場所で悠々自適の隠居生活wをしているとの事。駅にはコトラ&ホトフの写真集まで販売されていました。駅長猫愛は和歌山のたま顔負けです^w
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2便目は、連結されているもう1両・“キハ702”のほうに乗りたいと思います。
↑丸~い先頭部が独特、モダンな感じもします
昭和初期に鉄道車両で流行した”流線型”の影響を汲んでいると思われます
先程1便目で乗ったキハ303はロングシートでしたが、こちらは4人ボックスシートが並ぶ本格派(?)です^
でも昔の規格なので座席幅が狭く、大人4人座ると↑ご覧のようにちょっと窮屈な感じw
ボックスに付いていた、国鉄仕様の灰皿(※現在は使えません)
車内には↑現役当時の路線図と、保存会が掲出している車両の履歴がありました。
このキハ702は、ペアを組む303より少し後輩で、1936(昭和11)年製、303と同じく国鉄で活躍ののち、片上鉄道へやってきました
ここで、片上鉄道の歴史について簡単に纏めます
片上鉄道は1923(大正12)年、この地にあった鉱山の鉱石輸送のため開業しました(※鉱山については後述)
瀬戸内海沿岸の片上駅(※現・JR赤穂線の西片上駅近く)から北へ、山陽線の和気駅を経て、ここ美作地方の山中にある柵原(やなはら)鉱山まで17駅、約33kmの路線(※大阪~神戸間位の距離に相当)を運行していた私鉄でした。
同鉱山を経営していた、同和鉱業(株)の鉄道部門でした。
片上駅は赤穂線線路とは繋がっておらず、専ら海運との積み替え拠点でした。国鉄との旅客/貨物の連絡は、途中の山陽線和気駅で行っていました
今では静かな山中の郷という風情の吉ケ原(柵原)ですが、かつては鉱山の労働者が街に溢れ、活況を呈していたそうです。
戦後、鉱石輸送が次第に鉄道からトラックへ、そして1991(平成3)年には柵原鉱山は閉山する事になり人口が激減。同年に片上鉄道も、鉱山と共にその歴史を終える事になりました
そんな歴史を秘めた片上鉄道を保存しようと、1998年より保存活動が本格化し、我が国の保存鉄道として先駆者となっておられます。地域の活性化にも大いに寄与し、ホント素晴らしい活動をされておられると思います^
お昼時が近くなると、地元のおばちゃんたちが手作りのお弁当やお菓子をホームで販売します。保存運転日は”村おこしデー”でもあります^
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次は、3往復目です^
3往復目は待望の『黄福柵原行』、日2本(=月に2本^)だけというスペシャル列車です
この便では車掌さんが、車内改札にもやってきました^
↑の扇風機、窓枠に付いているスイッチでちゃんと可動します
吊革も付いていますが、前便と同じく「ちぎれるかもしれないので持たないで下さい」と車掌さんから注意があります(汗笑)
そのため「できるだけ着席して下さい」という案内が予めあり、子供が立つ場合は乗務員さんの目の届くところに立たせてました
通常折り返す地点を走り過ぎ、↑一層徐行し、ゆるゆると”駅”に近づいてゆきます。
真新しい駅舎が見えてきました
吉ケ原駅から約500m西方、昨年(2014)秋に完成したばかりという、黄福柵原(こうふくやなはら)駅へ到着です
ホームには、一昔前まで駅や運送会社でよく使われていた、↑荷物運搬用の”猫車”が置かれていました
吉ケ原駅と同じく、とんがり屋根が特徴の真新しい駅舎、黄福柵原駅
かつての片上鉄道の終点は、ここからさらに西へ約1kmの、鉱山があった『柵原駅』でした。
前述の通り1998年から展示運転をしておられる片上鉄道保存会、16年目にして新駅まで造るという快挙を成し遂げました。全国に保存鉄道は数ヶ所ありますが、新たに駅を建築して線路を延伸したという話は他にないと思います。人口数千人、バス1日数本という岡山の山間部で、“凄い!”の一言です
ここで気になるのが、"なぜ幸福でなく“黄福”なのか?"ですが、これは当地・岡山県美咲町の『黄福物語』という村おこし(※当地の名物の卵かけご飯や黄色耐火煉瓦の色)からきています。
駅舎内では吉ケ原駅と同様、一日会員証やグッズ販売もしています。列車が2本だけなので、車で買いに来る人も多いようです
↑は、かつて”本物の柵原駅”に掲げられていた時刻表と運賃表。
廃止直前のもので、大半は吉ケ原止になっていました。
柵原まで来ていた便は、廃止時には3本だけになっていたようです
この”黄福柵原便”は、同駅で1時間程停車してから折り返します
吉ケ原までは500m程なので急ぐ人は歩いて戻るもよし、ここでのんびり過ごすもよしという事です^
乗務員さんはこの1時間を利用して休憩、ホームでお弁当を食べておられました^
当別荘お約束の^、↑路線終端部です。
ここで素朴な疑問、『せっかくの新駅なのに、なぜ全便を黄福柵原行にせず、9便のうち2便しか行かないのか?』
これには理由があります。
その理由は、『延伸部の線路は保存会手づくりのため、まだ状態が安定してないから』との事です。
↑の写真でもわかるように、枕木の下のバラストが充分詰まってなく、スカスカの状態となっています(※2015当時)
吉ケ原~大半の便が折返す途中地点までは、現役当時の線路をそのまま保全していたので路盤がしっかりしてるんですが、延伸部は一旦撤去した線路を保存会のかたが新たに敷き直したので、まだ整備途上という事です。
バラストを撒く事ひとつでも、想像以上に大変な手間と技術、そして資金が必要だという事がわかります。
↑駅名標も、手づくりの味。昔の地方私鉄の駅名標はホントこんな感じでした^
(※ちなみにこの裏には、本物の旧柵原駅の駅名標を貼ってました)
歩いて吉ケ原まで戻ります^
田んぼの畦道に、色鮮やかな花ショウブが見事な咲きっぷりでした^
吉ケ原と黄福柵原の間に、↑1ヶ所だけある踏切
この付近が撮影ポイントとして来訪者に人気で、常に線路脇には人垣が出来ていました。
ちょうど4便目がやってきたので、僕もここで撮影します
岡山の山深い里に甦った『奇跡の鉄道』、僕自身も元気をもらった気持ちになる片上鉄道です
田植え直前の田んぼではカエルが大合唱してました
久々にカエルの鳴き声を聞いた気がします^
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次に訪ねるのは、吉ケ原駅の隣にある、片上鉄道の存立理由だった“柵原鉱山”の歴史を伝える『鉱山資料館』です
立派な資料館、見学していきます
しかし老婆心ながら、先程の黄福柵原駅といい、この資料館といい、この山里の”元気の源”は何なんだろう、と・
↑は入口ロビーです
内部は撮影禁止だったので、文で柵原鉱山について纏めておきます
同鉱山で産出されたのは、↑に見本がありましたが『硫化鉄鉱』という鉱石です。
硫化鉄鉱は硫酸の原料となるほか、鉄鉱石として鉄の原料にもなるという、大変利用価値の高い石だったそうです。
本格的な採掘は明治期から始まり、硫酸は化学肥料をはじめ多くの工業製品に需要が急増、当時『東洋一の硫化鉄鉱山』と言われたそうです
鉱石の輸送は当初、冒頭ご覧頂いた吉井川の舟運によっていましたが、産出量の増加に伴い鉄道の敷設が計画され、開業したのが片上鉄道だったんです
その後、先の大戦を挟みながらも鉱山の街として隆盛を誇ってきた柵原でしたが、戦後は硫酸を石油から精製する技術が確立、また農地の減少により化学肥料の需要も減ると、次第に鉱山の経営も苦しくなってきたとの事です
そして柵原鉱山は縮小・合理化を重ねましたが万策尽き、1991(平成3)年採掘終了。閉山と同時に、同社の鉄道部門だった片上鉄道も運命を共にし、全線廃止となったんです
資料館の敷地にも、貨車が数両保存してありました。
しかも、ただ貨車を並べてるだけでなく、↑積込設備まで再現してありました(驚)
資料館のある吉ケ原駅の裏手は小さな公園になっていて、鉱山で使われていた坑内トロッコ等を展示。ホント見所多いです
まさに”生きている歴史遺産”、吉ヶ原・柵原です
その後、少しバイクを西にすすめ、↑かつて旧柵原駅があった跡地に来てみました。
もう駅舎等は残ってませんが、↑トラックの下が段になっているのは、プラットホームの跡です。
鉱山施設の面影や、従業員住宅だったと思われる家並もわずかに残っていました。
現在もこの付近は、鉱山を経営していた同和鉱業の関連会社が事業所として使っています。
半日たっぷり楽しませてもらった吉ケ原をあとにします
イギリス等ヨーロッパでは、こういった廃線を有志や地域で保存している例は多くありますが、日本ではまだ珍しく、しかも新たに線路を敷き直して新駅まで造ったというのは我が国で例が無いそうです
よく"岡山の人は大人しくて燃えない"とかいう誤評がありますが、全然そんな事ないというのがよくわかりました
再びR374を、吉井川沿いに瀬戸内側に戻ります
↑車道の左側に注目、廃線跡です。
廃線跡は現在、『片鉄ロマン街道』という名のサイクリングロードに生まれ変わっています
なお、僕は前後の訪問地の関係で往復とも山陽道の和気側から訪ねましたが、車で行く場合は、中国道の美作ICからの方が近いです
R374の高下(こうげ)交差点を柵原方面に曲がり約4km、看板出ているのでわかります
又、公共交通機関で吉ヶ原へ行く場合ですが、現在では正直言って大変困難です
現在片上~柵原を全線走り通す代替バスというのは無く(※廃線当初あったそうですが人口減少で廃止)、バスで行く場合は岡山駅/和気駅/姫新線林野駅のいずれかから、R374沿いの高下(こうげ)まで行く路線バスに乗り、高下で柵原へのコミュニティバスに乗り継ぐというルートしかありません。
それだけ山深い場所にあるというのと同時に、『鉄道が廃止されるとやはりこうなる』という事を思い知らされる現実です。
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JR山陽線・和気駅方面へWo号で南下していきます
旧鉄道トンネルがそのまま↑サイクリング道に。自転車で走るのも面白そうです^
和気駅近く、吉井川の支流に架かる旧片鉄鉄橋もサイクリング道に改造され、自転車で渡れます
かつて片鉄が接続していた、↑JR山陽線・和気駅を訪ねました。
最近駅舎は建て替えられたようで、僕の記憶にある“国鉄和気駅”ではありませんでした
駅の南側には、片上鉄道和気駅があった跡地が、↑まだ更地のままで残っていました(※2015当時)
又々古い話で恐縮ですが、僕は中学の頃、現役だった片上鉄道に乗った事があります。吉ケ原駅に停めてあった青い旧型客車、あれに乗って片上~柵原を乗り通したんですが、独特の乗り心地が楽しかった事を覚えています。隣県兵庫出身の僕は、実家にいた頃は“岡山”って手軽に旅気分が味わえる場所でした
数十年ぶり(汗)に当地を訪れて思ったのは、吉ケ原駅もですが、先程見てきた和気橋梁等当時のままで、あまりにも変化している部分と、あまりにも当時のままな部分とがゴッチャになった当地を目の当たりにし、懐かしさというより、言葉に出来ないような複雑な気持ちになりました。
あえて一言言えば、時の流れとは無常(無情)なものだと
和気橋梁を見ていると、僕の記憶の中にある“片上鉄道”が、いまにも汽笛を鳴らして走ってきそうな気がしました
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吉井川に育まれる豊かな緑の、片上鉄道跡をあとにします。
今作(前編)はここまでです
せっかく岡山県東部までバイクを飛ばしてきたので、この続きは”岡山ツーリング・後編”として、この近傍にある"国宝"を訪ねます^
↑の標識にはもうその場所の案内板が見えてますが、次々回をお楽しみに^
”次々回”ってどういう事なのか?ですが、当別荘、次作で創設200号になります。その記念作を挟む予定ですので、本ツーリングの後編は、2作お待ち下さい。お楽しみに
(※2023.2 2024.6 文一部修正)