ごみ拾いに行ってきました。
向き合っているのは
人類の不完全性かな
日時 2026/10/12(月)祝5:55~6:35am
場所 静岡市駿河区池田 池田公園付近
ごみ拾いに行ってきました。
今朝は近所の池田公園と
その周辺道路
いや~
日々忙しいです。
思考と感情の処理が
追いつかない。
今朝5時半頃
目が覚めたときに
ごみ拾いに行くかどうか
迷いました。
思考と感情の整理のため
ジャーナリング
(紙に書き出すワーク)
をしようかと思ったのですが
ごみ拾いもしばらくできていないので
ごみ拾いに行くことにしました。
天気もいいし
運動不足解消にも
なるしね。
近所の池田公園へ
この公園は桜の木が
たくさん植わっていて
春には桜を楽しめます。
しかしここ数年
伐木されることが多くて
切り株が残っています。
この切り株
どうするのだろう??
というのがかねてからの
疑問
また同時に
1000~2000年前?
弥生時代に
人類が農耕をし始めたころ
森林だった平地の木を切って
畑や田んぼ
人類の住居、集落にする中で
たくさんの木を切って
その切り株を
どう抜いていたのだろう。。。
というのが気になる。
当時は重機はないし
鉄器などもないだろうから
石の斧や木の棒などで
切り株を掘り起こしていたのかな。
縄はかろうじてあったのだろうけれど
現代のロープほどの強度はないだろうに
当時の人々の苦労に思いを馳せます。
この公園の桜の木も
好きなのだけれど
倒木による事故防止?ため
どんどん木が切られてしまう。
桜だって、
まだまだ生きたいだろうに
花を咲かせたいだろうに
寂しいなぁ
切ない
と思っていたら
切り株から
幹や枝が伸びている
ものがありました。
写真ではわかりにくいかもしれませんが
切り株の周りから
枝が伸びています。
幹本体は切られてしまっているけれど
木自体はまだ生きているのね。
がんばって生きて
来春には桜の花を咲かせてほしいな。
さて、日々忙しい。
毎日やっていることが違くて
その思考、感情が整理されていない感じ。
その整理をごみ拾いしながら
内観しながら行ったり。
今朝は、backnumberの冬と春を
ヘビロテしながら
没入しました。
歌詞としては幼い年代の恋(10~20代前半)。
人生もっと深い恋や愛はあるよ
と思いつつ
その気持ち、わかるよね
切なくて
悲しいよね
とも思ったり。
自分の思考や感情の
壁打ちとして
この曲を聴きながら
いろいろ思ったのでした。
(追記:解説を見つけました。なるほど、ふむふむ)
ごみ拾いしながら
いつも思うのは
なぜごみを捨てる人がいるのか
(ポイ捨て)
モラル、道徳として
ポイ捨てしてはいけませn
と学校や社会から
散々教わったのに
それを行える人がいる。
人に迷惑をかけるな
人に嫌な思いをさせるな
と言われ続けたのに
構わずできる人がいる
それって何なんだろう??
なぜなのだろう???
ぼくも人に多大なご迷惑をかけているので
えらそうなことは言えないのですが。
それでもポイ捨ては
していないものなぁ。
ある人と数年来争いになっていて
まったくもう
何なのだ、あいつは
という思っている。
非合理で
不道徳だ
本当に腹が立つ
繰り返しになりますが
僕自身、
非合理、不道徳、モラル違反は
たくさんあるので
えらそうなことは言えません。
自分を正当化している、
自分のことは見えていない
とブログを書きながら思いまして
なんともこの先書きにくいですが・・・。
うーん
秋の空と雲がきれい
山登りに行きたいなぁ。
(体力不足で遭難しそうだけど)
(なぜか倒されていた…)
ごみ拾いしながら
いつも考えるのは
なぜ人類は
不完全で、不合理なのか。
ダメと言われたことをやり
良いと言われたことを
続けられないのか?
ルールを破ってはダメと言われて
ルールを破り
調和を保ちましょうと言われて
調和を保てず。
うーん、
その方がみんな快適
仲良く、さわやかに
暮らせるはずなのに。。。
道の途中のランタナ
この中に空き缶が
たくさん隠されていて
探します
結局これだけありました。
警察に言おうかと思いましたが
このランタナを切ってもらった方がいいのかも。
ランタナ好きな人もいるでしょうけれど
切ってもらったら
このカンを捨てられなくなるし。
ランタナは他でも
生えているし。
市役所に相談してみよう
10年ほど前、
ランタナ好きという方がいました。
ただ、同じようにごみが
捨てられていることがあって
僕がバッサリ切ってしまいました。
その後、当然
ごみがランタナの中に
捨てられることはなかったのですが
その方とのご縁も切れてしまったなぁ。
切ない思い出
写真がなくなってしまったので
そろそろ終わりますが
ごみ拾いをしながら向き合っているのは
人類の
不完全さ
非合理さ
幼さ
ダメさ
未熟さ
辺り。
なぜごみを捨てるのか?
なぜ争うのか?
なぜ非道徳、非合理
自己中心的
利己的
他責的
なのか?
というようなこと。
理由はわかりませんが
環境適応
適者生存
というダーウィンの考え方に基づけば
人類が不完全を有したままの方が
環境に適応できて来たのだろう、ということ。
不道徳
自己中心的
本能優先
お金が欲しい
ありもしない不安、恐怖に動けない
勇気が持てない
そんなマイナスを有した個人がいる方が
人類として環境適応しやすかった。
もし仮に人類が
完全、優秀、道徳的であったとしたら
短期的には楽園を築けたかもしれないけれど
長期的には環境(自然、生存など)には
適していけなかったのだろうなぁ。
なので、
・ポイ捨てする人
・人に嘘をつく人、あざむくひと
・非道徳、アンチモラル
な人がいたほうが
あるいは、各人にそのような要素を
有していた方が
人類的には生き延びやすかったのだろう
そうでないと地球上で
90億人も人類は反映できなかっただろうから。
いまの人類の状況が正解
という基準で考えると
ネガティブな要素を持っていたとしても
それは悪ではないのだろう
と思えます。
あくまで人類として
個々人の気持ちとは別ですが。
私自身
・ポイ捨てする人
・争いのある人
と向き合う中で
思考や感情がぶれることは多々あります。
不愉快
悲しい
思いをすることもあります。
私個人としては
不完全、不正義、不道徳な面は多々あります。
ただ、人類としては
それも正義なのかもしれない。
私自身
不完全でダメ人間なので
えらそうなことは言えないですけれど。
各人の中で
100%善
100%悪
というよりも
90%善10%悪
という状況の方が
全体最適になるのでしょう。
あぁ、何が言いたいのか
わからなくなってきました。
高い言語化能力が欲しい。
そんなことを考えた
今朝のごみ拾いでした。
お読みいただきありがとうございました。
(このブログを読み返して、不完全を内包するからこそ完全、と思いました)
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2026/11/22(日)に予定していた
静岡市の海岸ごみ拾いは延期します。
早くて来年春ごろ(2027/3下旬)
情報をお待ちください。
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相続トラブルをおもしろおかしく描いた
映画『ソーゾク』の静岡・藤枝上映会を
行います(主催として)
2026/11/8(日)
午前 藤枝Bivi
午後 東静岡駅グランシップ
私のご招待として無料でご覧いただけますので
ぜひご来場ください!
(招待者欄に「白岩俊正」とお書きください)
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(ホームページの申込欄-紹介者欄に「白岩俊正」とご入力ください。
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