昨年の年の暮れから個人的キャンペーンとして、私の時刻表コレクションを元にスキー列車の歴史を、実物の時刻表とあわせて、紐解いています。

 

このシリーズの現在地確認です。

【1】1970年代 ○○銀嶺号から○○スキー号への移行期

【2】1980年代 ○○スキー号からシュプール号への移行期

【3】1990年代 シュプール号をはじめとした各地のスキー列車

【4】2000年代以降 シュプール号の終焉

【5】番外編 

 

今回は第4章、シュプール号5年目(1989年〜90年)シーズンについてまとめます。まだまだ増えるバリエーションと、マイナーチェンジする既存のシュプール号のダイヤが確認できます。

 


 

’89〜’90シーズンに追加されたシュプール号

 

1989年の初頭で元号が「平成」に変わります。ここでは、平成にはいって2年目、1990年のシュプール号について。まだまだ増殖していきます。新設されたのは5種となります。

 

シュプール盛岡号

JR東日本によって上野から盛岡まで設定された青森運転所の583系電車9連でのシュプール号。
行き(上野発)のみ寝台が販売されています。東北本線を北上、上野出発後、赤羽、大宮でスキー客を拾ったあと、終点盛岡まで客扱いの停車なしで向かうダイヤ。帰り(盛岡発)も同様の経路。仙台と福島駅で弁当販売のための停車が記載されています。運転日は期間中の金曜日発のみ。
このシュプール号は岩手県内の雫石(しずくいし)、安比高原(あっぴこうげん)にあるスキー場への想定したダイヤ設定で、盛岡からシュプールバスが運行されています。
※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。
 

 

シュプールニセコ号

JR東日本は首都圏以外発のシュプール号も新設しています。

郡山発札幌行きの寝台のみの編成。郡山を16:00に出発し、東北本線を北上し、福島、宮城、岩手、青森の主要駅にこまめに停車し、その後青函トンネルを経て北海道に入ります。その後、倶知安、小樽、札幌着 7:33と函館本線「山線」を経由するルートです。運転日は期間中の指定日のみ運行でした。

使用された編成は尾久車両センターの24系寝台客車7連だったようですが、牽引機関車について、函館〜札幌間は少し変則的な運用がされていたようです。

「鉄道ダイヤ情報」によると、郡山発札幌行は、函館から小樽がDD51単機、その後小樽で編成後ろにDD51が補機として連結され、プッシュプル運行でした。かつ、札幌発郡山行きは、札幌からプッシュプル運行ながら、先頭牽引機がDD51で、編成後ろの補機が小樽まで連結されたのですが、なんとED76−500だったようです。

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

シュプール日本海・蔵王号シュプール苗場・湯沢号

一方JR西日本も独自の路線で、JR東日本のみが進出していたスキー場エリアへの乗り入れを試みます。シュプール日本海・蔵王号、シュプール苗場・湯沢号ともに神戸発着で関西圏から上信越、東北のスキー場へのスキー客送客を試みています。どちらも客車による寝台車のみの編成。客車3段式寝台から分かる通り、宮原客車区の20系客車を使用していたようです。

 

〜日本海・蔵王号については、行きは神戸発18:30で、東海道本線沿いに京都まで主要駅に停車し、その後湖西線・北陸本線経由で福井、金沢、富山でも停車し、丁寧にスキー客を拾って行きます。その後目的地鶴岡駅に到着。ちなみにこの列車は宮城県の蔵王スキー場を目的にしたスキーヤーの列車のため、鶴岡から蔵王まで更に移動です。手元にはシュプールバスの時刻表はありませんが、距離にして100キロ程度。当時高速道路は開業していませんから、3時間近く一般道を通っての「強行軍」だったのでしょうか。そんな強行軍だったためか、運転日は掲載されている限りですと2日間のみ、1990年2月号を見ると3月に行き2本、帰り1本が追加されていました。控えめな設定でした。なお、列車名に誤植がありますが、おわかりですよねw。

最後に、使用編成は、宮原客車区の20系6連だったようです。

 

そして、〜苗場・湯沢号は、関西圏から石打、越後湯沢とスキー場隣接駅の発着なので、ピーク期の週末を中心にコンスタントに運行されました。ダイヤについて、行き神戸発19:30で、大阪、京都の主要駅に停車し、その後は客扱いの停車なしにスキー場最寄り駅石打、越後湯沢に到着しています。帰りについては、経路等行きと同じながら、1990年1月号掲載のダイヤでは誤植が発生しています。そもそも関係ない鶴岡が始発となっており、それ以降の時刻が明らかにおかしくなっていますw。福井到着と京都の到着の時刻が20分しか違わない。2月号を見ると福井未停車で、京都4:39着、高槻4:59着、新大阪5:14着、大阪5:20着と正しくなっていました。そして使用編成は、〜日本海・蔵王号と同様の宮原区の20系ですが、こちらは8連と若干長い編成でした。

 

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

シュプール白馬山麓号

シュプール白馬」族の一員として新登場しています。シュプール白馬号との違いは、首都圏側の出発駅が、総武線系ではなく、横須賀線・東海道線系であったことです。

行きは逗子発22:55で、横須賀線、東海道線、山手貨物線を経由し鎌倉、大船、戸塚、横浜、新宿と停車。その後、中央本線に入り立川、八王子でもスキー客を拾います。その後、信濃大町まで客扱いの停車はなし、その後終点の南小谷までこまめに停車していくダイヤです。使用車両は津田沼電車区の183系6連でした。ちなみに、この列車は1シーズンのみの運行で終わっています。

 

 

  ’89〜’90シーズンに名称が改称されたシュプール号

シュプール栂池・八方号

’88〜’89シーズンまでは「シュプールつがいけ」の名称でした。改称とあわせて、停車駅にも変更がありました。’88〜’89シーズン「シュプールつがいけ」から、中京圏の停車駅に多治見、中津川が行き、帰りともに加わります。また、帰りの弁当販売駅については従来の松本1駅だったものが、塩尻駅が追加され、2駅に変更されています。
なお、使用車両は神領電車区の381系6連でした。

 

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

シュプールユーロ赤倉・志賀号

’88〜’89シーズンまでは「シュプールユーロ赤倉」の名称でした。改称とあわせて、停車駅にも変更がありました。’88〜’89シーズン「シュプールユーロ赤倉」から、中京圏の停車駅に高蔵寺、多治見、中津川が行き帰りともに追加されています。また、帰りの弁当販売駅については従来の松本、塩尻の2駅だったものが、塩尻駅1駅に変更されています。

 

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

 

  各シュプール号のダイヤの動き(前シーズン【’88〜’89】との比較を中心に)

 

シュプール蔵王号レインボー蔵王)、シュプール猪苗代

シュプール蔵王号については、運転区間横浜・上野〜山形(奥羽本線経由)はかわりませんが、行きの横浜発で寝台席の販売が始まっています。もともと青森運転所の583系9連使用だったので、寝台利用客からの要望があったのではと想像し、自然な流れだったと思います。帰りの駅弁販売停車も、2、4号ともに福島、郡山、黒磯の3駅から、上野行の4号についてはこのシーズンから黒磯がぬけています。また号数についても、従来横浜発着が1・2号、上野発着が3.4号でしたが、このシーズンから横浜発着2・3号、上野発着1・4号に変わっています。

 

シュプールレインボー蔵王号については、前述の〜蔵王同様に、帰りの弁当販売停車駅の見直しがあり、黒磯駅での弁当販売はなくなりました。また昨年は2月以降の運行でしたが、このシーズンでは1月からの運転されたことも変更点として挙げられます。それ以外、ダイヤの微調整以外大きな変更はなかったようです。

 

シュプール猪苗代号の変更点は、運転区間が上野〜猪苗代間から、会津若松まで延伸運転されたことで、特急あいづ号と同じ区間での運行となりました。なおかつ、車両も485系9連は変わらずも、担当が勝田から南秋田に鞍替えされています。

また、帰りの弁当販売駅から黒磯駅がなくなっています。ダイヤ自体もスキー場からの出発が3時間程度繰り下げられており、滞在時間が長くなっていることから利便性はあがっているようです。

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

 

シュプール上越号

このシーズンではダイヤから再編成され、行きは1号大船発、3号上野発、帰りは2号大船行、4号上野行となり、新宿始発列車がなくなりました。また、現地の滞在時間を重視したためか、上野始発のシュプールが、従来の大船始終着列車をフォローする形で、後発するダイヤになっていることから、滞在時間が長くなったというメリットも挙げられます。
使用車両ですが、1・2号が田町電車区の185系7連、3・4号が南秋田運転所(?)の485系9連かと推察します(秋田からの送り込みダイヤがありました)。

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

 

シュプール信越号

シュプール上越号同様、首都圏側のダイヤが変わっています。1号が新宿から上野に始発駅変更、4号も終着駅が新宿から2号同様の上野駅に変更されています。それ以外は大幅な運転時間帯の変更などは発生していません。使用された編成ですが、1・3・
4号は489系9連、2号は189系9連、どちらも北長野運転所の所属だったようです。

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

 

シュプール白馬号

運行本数も従来のピーク期3往復から2往復化と減便されます。それとあわせてダイヤも整理され、2往復とも千葉〜南小谷間の運転となります。1往復しながらも神奈川方面からのスキー客向けの「〜白馬山麓」を設定していますが、結果からいうと1年で運転終了していますので、この時代の中央線シュプール号の暗中模索ぶりが垣間見れます。使用編成ですが、1・2号は幕張電車区183系9連、3・4号は幕張電車区183系9連、または6連という運用でした。

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

 

シュプール妙高・志賀号

前シーズン(’88〜’89)の3往復設定から、1往復追加の4往復化を果たし、神戸始発ベースでは20時台から22時台後半と幅広い時間帯での乗車チャンスを創出しました。また1往復の米原経由便も引き続き健在しています。
 
1・2号 神戸〜長野間。向日町運転所485系9両を使用。
3・6号 姫路〜長野間。前シーズンのダイヤを踏襲しつつ、姫路に延伸運転した点が新規。向日町運転所の583系10連を使用。
5・8号 神戸〜長野間。3・6号の後続の形で運行。使用車両については、運転日によって583系10連、または485系9連を使用(どちらも向日町運転所)。
7・4号 神戸〜黒姫間。宮原客車区の14系客車10連を使用。
 

 

シュプール白馬・栂池号 

※運転時刻の詳細は、列車名をクリックした先にまとめております。

 

〜妙高・志賀号同様、1往復設定が追加されています。また運転日による運用車両の差し替えが多数あり、もっとも複雑な運用が強いられたシュプール号だと言えます。下記は運用された車両で、号数を整理した結果の一覧です。本当に複雑です。

 

1・8号 神戸〜南小谷間。「全車グリーン車指定席・欧風客車6両編成」との記載ですが、鉄道ダイヤ情報等の情報から「ゆうゆうサロン岡山(以下、ゆうサロと略)」編成、サロンカーなにわ号を6両に減車して、ゆうサロとサロンカーなにわを交互に運用していたようです。

3・7・8・10・12号 宮原客車区のリゾート&シュプール用改造車14系6連の利用。姫路・神戸〜南小谷・白馬間と幅広い運用に用いられました。

7・8号 宮原客車区20系寝台客車6連。岡山・神戸〜白馬間で、昨年までの岡山〜南小谷間から若干延伸運転されました。

5・6号 向日町運転所キハ65系(エーデル型)6連。 神戸〜南小谷間の運転。

5・9・11・2・4・6 向日町運転所のキハ181系7連。 神戸〜南小谷間の運転で、5・11号は糸魚川〜南小谷間は普通列車として運行されています。

 

また、3・5・10号については、シュプール号の各駅停車とばかりにこまめに停車していますよね。この’89〜’90シーズンから敦賀、福井が停車駅に加わっています。また6号の停車駅について前シーズンでは止まっていた魚津、小松が通過となり、代わりに敦賀に停車しています。

 

ここで紹介した’89〜’90シーズンですが、運転本数、運転区間ふくめて、シュプール号の規模が最も「膨張」していた時代だったと言えます。次シーズン(1990年〜1991年)は、更に拡充されつつも、随所に運転区間縮小、本数見直しなど、ダイヤに収まっていくシュプール号を追っていきます。

 

今回は、以上です。

 

参考資料 JTB時刻表 1989年1月号、1990年1月号、2月号

鉄道ダイヤ情報 1990年1月号、2月号

参考サイト  http://gingaexp.web.fc2.com/jr/spur/spur_1.html

https://macchayasan.blog.fc2.com/blog-entry-1.html

※車両情報を中心に参考にさせていただきました。​​​​​​​

カバー画像 Oleksandr PyrohovによるPixabayからの画像