シュプール号名鑑と銘打って、意外にも情報の少ないシュプール号各列車のダイヤや使用車両を可能な限り追ってみたいと思います。
第9回目は首都圏から信越本線を経由して長野県北部のスキー場を結んだシュプール信越号を取り上げます。この列車もシュプール号初年度から運転された古参メンバーの一つです。
運転区間や車両運用面で、他のシュプール号ほどに複雑怪奇ではないのですが、晩年は北陸新幹線長野開業をうけ、運転区間が信越本線から中央本線(東線)・篠ノ井線へと大幅変更したことは、信越エリアの新幹線時代を迎える象徴として、しっかりと残しておきたい出来事です。
なお、シュプールレインボー信越号は、今後取り上げるシュプール野沢号(のちの戸狩野沢)号と同じ回で取り上げる予定です。
シュプール信越号
運転された年(シーズン)
1986年〜2000年(15シーズン)
サムネイルに「183系」とありますが、撮影年が1990年であることから189系と思われます。
年ごとの運転概要
1986 | 東京→妙高高原(1・3号)、妙高高原→上野(2・4号) あわせて2往復 ※1・2号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:なし |
---|---|
1987 | 新宿〜妙高高原(1・4号)、上野〜妙高高原(3・2号) 2往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅情報入手できず |
1988 | 新宿〜妙高高原(1・4号) 1往復 東京→妙高高原(3号)、妙高高原→上野(2号) あわせて1往復 上野〜妙高高原(81・82号) 1往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎
|
1989 | 新宿〜妙高高原(1・4号) 1往復 東京→妙高高原(3号)、妙高高原→上野(2号) あわせて1往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎
|
1990 | 東京→妙高高原(3号) 0.5往復 上野〜妙高高原(1・2・4号) 1.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎
|
1991 | 東京→妙高高原(3号) 0.5往復 上野〜妙高高原(1・2・4号) 1.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎 |
1992 | 東京→妙高高原(3号) 0.5往復 上野〜妙高高原(1・2・4号) 1.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎 |
1993 | 東京→妙高高原(3号) 0.5往復 上野〜妙高高原(1・2・4・6号) 2往復 上野→高田(5号) 0.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎、6号 横川のみ
|
1994 | 東京→妙高高原(5号) 0.5往復 上野〜妙高高原(3・2・4号) 1.5往復 上野→直江津(1号) 0.5往復 長野→上野(6号) 0.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎、6号 横川のみ
|
1995 | 新宿→妙高高原(3号) 0.5往復 上野〜妙高高原(1・2・4号) 1.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎 |
1996 | 新宿→妙高高原(3号) 0.5往復 上野〜妙高高原(1・2・4号) 1.5往復 ※3・4号は毎日運転 ※弁当販売駅の停車駅:2・4号 横川・高崎
|
1997 |
新宿→妙高高原(3号) 0.5往復
|
1998 | 新宿→妙高高原 0.5往復
|
1999 | 新宿→妙高高原 0.5往復
|
2000 | 新宿→妙高高原 0.5往復
|
使用車両
首都圏から信越本線経由となるため、「横軽対策」として補機と協調運転可能な編成のみ使用されています。183系使用は北陸新幹線長野開業後に、中央東線・篠ノ井線経由となってからになります。
183系電車
:松本運転所9連(’00)
189系電車
:長野総合車両センター※ 9連(’87〜’99)
489系電車 ★運用の中心はこれ
:金沢運転所9連(’86) ※グリーン車ありだったが、販売されず
:長野総合車両センター※ 9連(’87〜’97)
14系客車(座席車)
:尾久客車区6連(’93、’94)
:(牽引機)EF62(田端運転所) ※横川〜軽井沢間は補機付き
運転ダイヤ(各年時刻表より)
時刻表内に明記された使用車両ですが、当時の鉄道ダイヤ情報の「運転計画」が出自となります。’97までのシュプール信越号は、489系をメーンに、189系がフォローとして運用に入るのが基本(489系・189系)だったようですが、シーズンや号数によっては489系のみという記事になっておりましたので、そのまま記載しました。
【ゆき】1986年〜1990年
シュプール運行開始当初、東京発列車に489系が使用されるのは極めて異例でした。東京駅中央快速線ホームから出発し、新宿からは山手貨物線、田端操車場から東北貨物線というルートで首都圏を抜けてゆきました。
【ゆき】1991年〜1994年
’93の5号、’94の1号は、妙高高原以北に乗り入れを果たしていますが、当時長野〜直江津間のダイヤ構成が年々タイトな関係で、ゆきのみの設定から、’95以降は設定自体がなくなりました。
【ゆき】1995年〜2000年
前述の通り、信越本線経由の運転は’97で終了、’98からは中央本線(東線)経由となります。経由線変更にともない、現地到着時刻が30分程度繰り下げされています。
【かえり】1986年〜1990年
【かえり】1991年〜1994年
’93の6号の黒姫〜長野間の所要時間が3時間近くになっている点ですが、上りシュプール野沢号のみ豊野駅で併結をおこなったようです。当時の運転計画が手元にないのですが、おそらく豊野駅で2時間程度運転停車していたものと推察します。
また、’94の6号ですが、妙高高原〜長野間の運転がなくなったため、利用客救済策としてシュプールリレー号が設定されました。おそらく’93の「長時間運転停車」を回避せざる得ない理由があったものと、これまた推察するわけです。
【かえり】1995年〜1997年
’96の2号ですが、例年よりも2時間程度出発時間を繰り上げられています。
過去のシュプール号はじめ、日本のスキー列車の歴史をまとめた一連のブログはこちらからご覧になれます。あわせてよろしくお願いいたします。
参考資料 1986年〜2000年のJR時刻表、交通公社時刻表、JTB時刻表、鉄道ダイヤ情報(シュプール号運転情報)
参考サイト 長野総合車両センター(Wikipedia)