こんにちは!

ジャカルタ在住、3ヶ月。

まだまだ働きたい駐妻のまきこです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

私のリアル自己紹介ストーリー。

【My Story】シリーズ

 

image

 

今までのストーリーはこちら。

 

-----------

【幼少期】

①お母さんのいない運動会

②ずっとは続かないかもしれない

③私が挑戦できるわけ

【番外編①】書いたら気が付く今の私

 

【中学~高校、浪人】

④挫折の始まりと原点

⑤見せかけ優等生の終焉と新しい決意

⑥間違った努力

【番外編②】本気であの間違えを私はしていたのか!?

 

【大学~就活編】

⑦広がる世界

⑧そこにあったリアル

⑨選ぶ?選んでもらう?

 

【社会人編】

⑩根拠のない自信が崩れ落ちるとき

-------------

 

既に10話を超えて大作になってきましたw

 

 

第11回目。

新卒で入社した会社でようやく

やりがいと目標を見つけた私。

 

でもある一言から

私の違和感は加速する。

 

 

 

 

細かい、細かい上司の下で

時に帰り道に、時にトイレで泣きながら

仕事をしていた私。

 

 

ただ、慣れもあったし

根っからの負けず嫌いもあって

なんとか彼の要求はこなしていた。

 

 

そうするうちに

あまり彼からの理不尽な要求について

過剰に気になることはなくなり

淡々と仕事をこなせるようになった。

 

 

周りから

期待されていると感じられた。

 

 

 

その頃、

海外駐在員も現地のお客様をつれて

日本に帰ってくる

年に一度の会社の大きなフェアがあった。

 

 

普段私がやりとりしている

駐在員も一時帰国する。

 

 

部署全体で

海外からのお客様をおもてなし。

 

 

一緒に屋形船に乗ったり

観光にアテンドしたり。

とにかくお金も時間も使って

大歓迎で海外からのお客様を迎える。

 

 

私も普段、注文書でしか見ない

実際のお客様に会えるのは嬉しかった。

 

 

それに海外と自分が仕事をしていると

実感することができた。

 

 

 

お客様をホテルに送り届けた帰り道。

駐在員たちと上司が

楽しそうに、かつ真面目に話をしていた。

 

 

特に彼らの話を

聞いていたわけではない。

 

 

どの文脈でその言葉が出てきたのか

よく覚えていない。

 

 

でも耳に張り付いて取れなくなった

あの一言。

 

 

 

 

 

 

『安い国で作らせて、やらせればいい』

 

 

 

 

 

 

安い国=アジアの国。

 

 

 

 

ついさっきまで

アジアの国からのお客様を

お金も時間も使って大歓迎していた。

 

 

 

でも彼らの発言は

その国を下に見ている発言と思えた。

 

 

あれだけ歓迎しておいて

本心はそう思っているのか。

 

 

 

作らせている。

つくらせている。

ツクラセテイル。

 

 

 

 

耳から離れなかった。

 

 

 

私はこの仕事を通じて

アジアの国に雇用を生んで

彼らと対等に仕事がしたかった。

 

 

 

 

ツクラセテイル。

 

 

 

 

もしかしたら全然悪意のない文脈の

会話からの一文だったのかもしれない。

 

 

 

でもこの言葉が

私の耳と心から離れなかった。

 

 

 

私のやりたいことは

この場所でできるのか?

 

 

この場所にいていいのか?

 

 

 

日本のモノづくりでアジアに雇用を生む。

それはきれいごとではできないのか。

 

 

 

 

一度芽生えた違和感は

なかなか消えていかない。

 

 

もしかしたら、

あの言葉がずっと感じていた

違和感を顕在化させてくれた

だけなのかもしれない。

 

 

ようやく仕事らしい仕事が

できるようになってきた。

必要とされている感じもある。

 

 

 

でも手ごたえは感じられない。

 

 

 

大きな会社の組織の中で

私は1つのピースに過ぎない。

 

 

何億円もの仕事をしてる流れの

一端を担っている。

でも私ではなくてもいい仕事。

 

 

誰かの仕事の1つのピース。

 

 

これでいいのだろうか。

 

 

 

そんなモヤモヤとした

違和感の中、1冊の本を思い出した。

 

 

 

「仕事辞めたいねー」と

愚痴りながらランチしていた同期が

私に紹介してくれた本。

 

 

 

途上国で自ら会社を興し

現在も活躍する女性起業家の本。

 

 

 

もう一度読み返す。

 

 

そして、彼女が出演した

ドキュメンタリー番組を見る。

 

 

 

衝撃だった。

涙が自然と出た。

 

 

 

『みんな知らないだけじゃないかな。

途上国の国の人だってやればできるってことを。』

 

 

 

私はこれだけ公の場で

はっきりとこう公言した人に

初めて出会った。

 

 

彼女はそれを証明するために

会社を興し、活動していた。

 

 

私よりちょっと年上くらい。

 

 

 

 

彼女と一緒に働いてみたい。

 

 

 

 

そんな思いが芽生えた。

新卒で入った会社に入社して

1年半が経った頃だった。

 

 

 

石の上にも三年。

 

 

 

まずは三年やってみろ。

 

 

 

入社した時に

大人から何度も言われたこと。

 

 

 

三年。

 

 

 

後1年半。

ここに自分の人生のその時間を

費やすことはできるだろうか。

 

 

 

私の心では答えは決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NO

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思って、

ドキュメンタリーを見た

彼女の会社の採用面接を受けることにした。

 

 

 

彼女の会社は創業3年。

まだ先の見えないベンチャー企業。

一部上場の大手から転職。

しかも私自身まだ何もキャリアはない。

 

 

これでいいのか。

 

 

当時25歳。

もし間違っていても

まだやり直せる。間に合う。

 

 

 

もし面接に落ちたら

ちゃんと腰を据えて3年働こう。

 

 

 

そう思って受けた面接。

 

 

 

仕事の忙しさは変わらないから、

夕方に「歯医者に行ってきます」といって

面接を受けに行った。

面接後に会社に戻って仕事をした。

 

 

 

 

なかなか来ない

面接結果を待ちながら

目の前の仕事に集中した。

 

 

 

 

 

 

 

最終面接を受けて数週間後。

忘れたころに結果はやってきた。

 

 

 

 

 

 

 

合格。

 

 

 

 

 

 

 

嬉しすぎた。

とにかくうれしかった。

 

 

 

 

 

「辞めたいと思います」

 

 

 

 

そう私が告げたときの

上司の顔は今でも忘れられない。

 

 

 

 

1週間前に

大きな案件を扱う部門への

異動のオファーをくれていた。

 

 

 

 

申し訳ない気持ちはもちろんあった。

でもこの違和感と一緒に

仕事をしていくことはできない。

 

 

 

 

2009年、年末。

新卒で入った会社を退社。

 

 

 

有給はたっぷり溜まっていたが

消化することはなかった。

 

 

 

それよりも

早く次の会社で働きたかった。

 

 

 

お給料も待遇も

比べ物にならないくらい下がるけれど

私は次の仕事が楽しみでならなかった。

 

 

 

 

そして、ここでの仕事が

私の人生、いや私自身を変えていく。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

ランキングに参加しています。

ポチっとお願いします。

とーっても励みになります。

 

↓↓↓

 

にほんブログ村 海外生活ブログ 海外駐在妻へ
にほんブログ村

 

■□■□■□■□■□■□■□■

 

まきこ 

 

 

 

★自己紹介はこちら

★駐妻になるまでの葛藤のストーリーはこちら

今の私を作ったインドでのストーリーはこちら

★連載コラム

【New!】JKT noteランニング

コラム★駐妻のホンネ地球

コラム★スライド駐妻飛行機

 

PC働きたい駐妻コミニュティ【まなとも】

運営ブログはこちら

私も記事書いてまーす。