こんにちは!

ジャカルタ在住、2ヶ月。

まだまだ働きたい駐妻のまきこです。

 

ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

私のリアル自己紹介ストーリー。

【My Story】シリーズ

 

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今までのストーリーはこちら。

 

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【幼少期】

①お母さんのいない運動会

②ずっとは続かないかもしれない

③私が挑戦できるわけ

【番外編①】書いたら気が付く今の私

 

【中学~高校、浪人】

④挫折の始まりと原点

⑤見せかけ優等生の終焉と新しい決意

⑥間違った努力

【番外編②】本気であの間違えを私はしていたのか!?

 

【大学~就活編】

⑦広がる世界

⑧そこにあったリアル

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第9回目は私の新卒での

就職活動。

 

1年の休学を経て始まる就職活動。

 

また新たな挫折が始まるのか!?

 

 

 

 

前回までのあらすじ。

 

1年の浪人の末の大学受験。

でも第10志望の大学にしか合格できず

その大学への進学を決める。

 

全くの志望校ではない大学で

自分が結果をのこすために

入学した時に決めたことは2つ。

 

① 一番の成績で卒業すること。

② 世界を自分の目で見に行くこと。

 

世界を見るためにバックパッカーで

各国のNGOを渡り歩き、1年インドにも滞在。

 

そんな私の就活が始まる。

 

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1年間のインドでの生活を終えて

帰国したのが2006年12月。

 

翌月の1月から早速就職活動が始まる。

 

もう前回の休学前の

就職活動のような迷いはほぼない。

 

自分が何がしたいのか見えていた。

 

 

NGOや国際機関ではなく

民間企業で働く。

 

 

私が決めた方向性は

 

 

 

 

 

 

日本のモノづくりで世界に貢献する。

 

 

 

 

 

 

 

 

日本人として

今まで見てきたリアルに対して

貢献できる仕事はこれだと思った。

 

 

世界中どこにいっても

日本の製品があった。

 

 

例えインドの田舎の街でも

日本のメーカーの看板がある。

 

 

日本製の中古車が走っている。

 

 

日本製の商品をみんな羨ましそうに

欲しがっている。

 

 

これは日本人として誇るべきことだと思った。

 

 

日本のモノづくりに関わることが

日本人として世界に貢献できる。

 

 

 

それに何よりもやりたかったのは

途上国に雇用を生みだすこと。

 

 

 

これはNGOではできなかった。

日本のメーカーが途上国に工場を作り

生産することは現地に多くの雇用を生む。

 

 

日本人として

日本のモノづくりにで

途上国の雇用創出に貢献したい。

 

 

これが私の就活の方向性だった。

 

 

 

 

私が就活をしていた2007年。

 

 

リーマンショック前の

売り手市場の真っただ中。

 

 

それもあったし、

私自身も休学を経て自信をつけていた。

 

 

これだけ強固な志望動機があって

やってきたこともあるんだから

すぐに就活は終わるだろう。

 

 

 

そう思っていた。

 

 

 

私が受けていたのは

自動車部品メーカー、

工作機械メーカー、

その類の商社。

 

 

大手有名メーカーよりは

中小企業。

 

 

 

かっこよく営業するよりは

泥臭く町工場のおっちゃん職人と

話ができるような仕事。

 

 

 

とにかく日本のモノづくりの

ど真ん中の現場に行きたいと思った。

 

 

 

もうやる気は満々。

熱い思いを持って履歴書を書き

面接に臨んだ。

 

 

 

が、そうはうまくいかなかった。

 

 

 

 

それは私が女だから。

 

 

 

 

 

この業界には

女性の総合職はその当時ほぼいなかった。

 

 

女性と言えば

営業職の男性のサポートの事務職。

 

 

もちろん私は

事務職に就く気はなかったので

総合職での応募。

 

 

面接会場でも女性は少なかった。

 

 

そんな面接で聞かれるのは

 

 

「女性がここで仕事をして

困ったことがあったらどうしますか?」

 

 

 

どうしますかも何も、

やったことないからわからない。

 

 

そもそも困ることがあるのか!?

 

 

 

面接官によっては

明らかに女である私が

面接を受けていることに

嫌悪感を出している面接官もいた。

 

 

 

自分の目指す方向性が

険しい道なのかもしれないと気が付いた。

 

 

 

面接で心が折れ始めた。

 

 

一旦、自分が落ち込みだすと

なかなか物事はうまく進まなくなる。

 

 

 

送る履歴書、エントリーシート、

受ける面接。

 

 

 

結果は

 

 

「残念ながら。。。。。」

 

 

その書き出しのものばかり。

 

 

 

売り手市場のその当時

周りの就活生は

早々といくつも内定をもらっていた。

 

 

 

私の内定はまだ0。

 

 

 

自分のやってきたことや想いを

社会に否定されているような気持ちに

まだ社会がわかっていない自分はなっていた。

 

 

 

 

 

立ち直ってきたのは

 

 

「就活は結婚と同じようなモノ」

 

 

そんな話を聞いてから。

 

 

結局は「相性」。

 

 

面接に落ちることは

その人を否定していることではなく、

たまたまその会社に合わなかっただけ。

 

 

もちろん機械系の固く、古い業界に

女性が入っていくことは難しかったけれど

どこかに出会いは必ずあると思えた。

 

 

社会経験のない自分が

会社を【選ぶ】よりは

その会社に【選んでもらおう】。

 

 

そんな気になった。

 

 

経験値のない自分よりも、

きっと選んでくれた会社が

私に相性がいい会社なはずだから。

 

 

 

方向性だけはブラさずに

まずは最初の1社目は選んでもらおう。

 

 

 

そう思って臨む面接。

 

 

女性だから云々と言われても

そんなに気にならなくなった。

 

 

 

そりゃ、会社にしたら

女性を採るのは心配だよねと

そんな風に思えた。

 

 

 

そして4月。

念願の内定をもらう。

 

 

 


【選んでもらう】と決めていた私は

そこから粘って就活することはなく

就職活動を終了させた。

 

 

 

 

就活を終え、

解放感でいっぱいの

最後の大学生活1年間。

 

 

相変わらず、深夜のアルバイトをして

渡航費を貯めて、海外へ。

 

 

そこは変わらなかった。

 

 

さ、いよいよ卒業。

 

 

1つ誤算だったのは

 

 

 

『休学したものは首席卒業の資格を失う』

 

 

 

ということ。

 

 

 

入学の時に決めた

 

 

一番の成績で卒業する。

 

 

は叶わなかった。

 

 

もしかしたら

1番だったかもしれないけれど。

それはわからない。

 

 

 

でも納得していた。

 

 

 

とにかく大学生活やり残しなし!

悔いは何もなし!

 

 

 

いよいよ、

本当の社会を知る、

社会人生活がスタートする。

 

 

 

つづく。

 

⑩根拠のない自信が崩れ落ちるとき

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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