TOHOレーシングwithモリワキ伊藤/山口/渡辺組 伊藤真一選手サインGET 鈴鹿8耐テスト
TOHO Racing with MORIWAKI
かつてはヨシムラと並ぶ鈴鹿8耐の雄・モリワキレーシングも、今は単独参戦しておらずTOHOレーシングとタッグを組んで全日本ロードレースに参戦していた。近年の2輪レースに“うと過ぎ”だな…。
フツーはコケてるでしょ!? この角度!!
公開オーディションで第3ライダーに抜擢された渡辺一馬選手。
全日本ロードレースにおいて最高カテゴリーが500㏄クラス→スーパーパーク→JSB1000と変更されるその都度チャンピオンを獲得。
鈴鹿8耐でも連覇を含む4度の優勝を誇る。
4輪レースの中野信治選手と並ぶ2輪レースのイケメン選手にして全然歳をとらない風貌。
今回初めてお会いしたが、'90年代のWGP参戦当時の雑誌写真と全く変わらぬルックスに驚かされた。
初めて頂いた伊藤真一選手のサイン
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2輪レースの名門 ヨシムラ・スズキ青木/津田 組 鈴鹿8耐テスト 青木選手サインGET
ヨシムラスズキ レーシングチーム
2013年鈴鹿8耐の優勝候補、ヨシムラ。連続参戦している8耐の“顔”でもある。
4メーカー合同テストでは8耐仕様とライト部がイラストになっているJSB仕様の2台を持ち込んでテストしていた。
元WGPライダーにして2009年の鈴鹿8耐覇者である青木宣篤選手。
青木三兄弟の長兄(ラ、ラオウ?)として活躍。今でも絶大な人気を誇る。
初めてサインを頂いた。
内外での選手生活が長いだけあってファンサービス旺盛。忙しい中をぬって多くの方にサイン&写真撮影に応じていた。
ヨシムラから全日本ロードレースJSBに参戦している津田選手。
津田選手をはじめ、近年のロードレース・ライダーの顔を知らないのでサインを頂くことができなかった。
8耐ウイークに行くことになれば、ピットウオークで是非ともサインを頂きたい。
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チャンピオンバイクのRGV-γにシュワちゃんのサインを入れてもらう大作戦 鈴鹿8耐テスト
鈴鹿8時間耐久オートバイレース・4メーカー合同テストに行って来た。
今回最大の目的は“シュワちゃん”に会う事だ。それが鈴鹿行きの動機90%を占めると言ってもいい。
このブログで“シュワちゃん”と書いて「両手にやかんを持った不死身のロボット俳優」ではないと察してもらえるだろうが、敢えて書こう、ケビン・シュワンツ選手だ。
'93年WGP500ccクラス・チャンピオンが、まだ未勝利の鈴鹿8耐制覇に向け、49歳にしてカムバックしてきたのだ。これはBIGニュースである。
ジャストミート世代のドルフィンとしては、超憧れのシュワンツ選手に「隔週刊チャンピオンバイク」スズキRGV-γ500のミニカーに是非ともサインを入れてもらいたいと思うのだ。
シュワンツ選手は今でも人気ライダーだ。昨年の鈴鹿ファン感謝デーにゲストとして来場した時も多くのファンに囲まれた。サインを頂くのも容易ではなかった。
8耐ウイークにサインをもらうのはパドックパスが不可欠。最大のチャンスがテスト日なのだ。
幸い(?)にして火曜日は観客が少なく、朝のうちは「これなら競争率が低いからイケるかな?」と思っていたほど。
朝一番からTeam KAGAYAMAのピット裏に貼りついた。
―と言っても、走行中までピット裏にいてはもったいない。シュワンツ選手がヘルメットを被るやピットビル3階に駆け上がって観戦。ピットインとともに階下に戻る。
1時間の走行時間が終わる頃にはピット裏には多くのファンが集まって来た。オッサンばかりかと思いきや、意外に若い方もいる。
これはうかうかしていられない。ポジション争いがし烈になってくる。
シュワンツ選手が席を立つ。速攻でカバンからミニカーを取り出す。
ドルフィンが持つスズキRGV-γ500のミニカーを見るや“真っ先に”手にしてくれたシュワンツ選手。ミニカー強し!!
ピットから裏の休憩部屋に向かうまでの距離でサインしてもらった人は恐らく3~4人。競争率高ッ!!
シュワンツ選手ありがとう!!
午前中に目標達成できたおかげで、その後はコーナーに行って写真撮影することができた。
目標達成記録更新中。目標を設定すると行く前からハラハラドキドキして面白いのだ。
コーナーで写真を撮りながら観戦していると「あぁ、シュワンツ選手のライディング・スタイルはこうだったなぁ」と懐かしく思いだされる。
選手復帰したシュワンツ選手を見て思った。「天才だから49歳になっても復帰できる」のではなく「49歳になってもまだ上を目指せるから天才」なのだと。
同じようにとはいかないが、その精神は忘れないようにしたいと感じた。
人ごみで押されたり自分のカメラにぶつかって壊しそうだったので、今まではどうしても持って行けなかった。
しかし、ハードシェル・タイプのリュック(↓コレ)を購入した事で衝撃に耐えられるようになったのだ。
灼熱の鈴鹿8耐公開テストへ
7月9日に行われた鈴鹿時間耐久オートバイレースの公開テストに行って来た。
先週行われたテストと違い「4メーカー合同テスト」だったので、BMWやKTMが来ておらず少々寂しい。
お昼のピットウォークも無かった。
寂しいと言えば、観客が物凄く少なかった。スーパーGTのテスト日に比べたら1/20ほどだろうか。これが今の8耐人気のバロメーターなのかもしれない。
ドルフィンも8耐のスーパーバイクを目にするのはファン感謝デーを除けば初めてになる。
「8耐用レーサー」という大きな括りならば1990年大会以来になる。
そんなドルフィンを動かしたのは、WGPチャンピオンのケビン・シュワンツ選手が49歳にしてライダー復帰をするからに他ない。
以前にも書いたが、シュワンツ選手は2輪ライダーの中でもBEST3に入るほどの好きな選手。リスペクト度は「失神」クラスだ。
シュワンツ選手に「テスト日ならばサインをもらえるだろう」との考えで出かけたのだった。
Team KAGAYAMAから選手復帰したシュワンツ選手
全国的に猛暑日だったが、鈴鹿も例外ではなくメチャクチャ暑かった。一時も曇ることなく、いや、雲さえ見つからないほどの超快晴。
水分補給したらしただけ汗が噴き出てしまう。胸や足につたう汗はまさに「ダラダラ」だ。
8耐ウイークになったら人も増えて熱気で更に暑くなるのだろうな…。
こんな日は「冷やし伊勢うどん」を食べたかったのだが、スタンド裏のショップは全店舗閉まっていたのだった。
バイクレースはコーナーリングが迫力あって面白い。自分がバイクに乗っていた頃を、バイクブームの頃を思い出してふつふつとしてくるのだ。
写真は撮り慣れていないので上手く撮れたのが少なかった…。「ばくおん!」KTMも来ていなかったし、これはもう8耐本番にも行くしかないか!?
最初に手にしたリアルミニカー ベネトンB190ピケット車 ミニカー&ステッカー
ベネトン・マシン&ステッカー⑥
1990年型F1マシン、ベネトンB190/フォードは'87年から踏襲してきたスタイルを一新。あっけないほどフツーのスタイルになってしまった。これはフェラーリからジョン・バーナード氏がデザイナーとして加入したためらしい。
魔女の鷲鼻のように大きく屈曲したノーズ部が特徴的。黄部が少なくなり、逆に緑部が多くなったカラーリングも含め、決してカッコイイとは言えない。
しかし、そのオーソドックスさが功を奏してB189よりもコンスタントに上位入賞。日本GPを含む最終2戦を連覇した。

前から見るとB189の面影が残る
'90年に発売されたONIX製1/43ミニカー、ベネトンB190/ネルソン・ピケット車がドルフィンが初めて手にしたリアルタイプのミニカーだ。
これは当時勤めていた会社を退職する際、持っていた方が「ベネトン好きだろ」と選別にくれたものだった。
ただ、これをキッカケにミニカー収集になる事も無く、当時はあくまでベネトン・グッズの一つに過ぎなかった。やはり生でレース観戦する方に興味も財力も集中していたのだ。
ONIXはミニチャンプスに比べると「安いが作りが甘い」ところが目立ってしまう。
’90年頃からアパレル用ロゴが「UNITED COLORS―」に変更された。また“タコマーク”にも色が入ったデザインになるが、コチラはレースグッズ用。
ミニカー背景のステッカーはベネトンショップで買い物した時に、店内装飾用ステッカーを分けて頂いたもの。
ワールド・スポーツ・フェアでのB190
'80年代から'90年代初頭にかけて日本は好景気の真っただ中。毎年GWに東京・代々木公園で「ワールド・スポーツ・フェア」が開催されてた。
10年目となる1992年の催しではマクラーレン/ホンダを筆頭にベネトン、レイトン、フットワーク、ロータスのF1マシンが7台も集結。現在ではF1開催時のイベントでもこれくらいの数がやっとの事を考えると、当時の豪華ぶりが伺える。
ここにベネトンB190ピケット車もあり、間近で見ることができた。
あの時にあったホンダ以外のF1マシンは今どこに行ったのだろう?
ベネトンF1史上最も好きなマシン ベネトンB189 マシン&ステッカー
激闘だった'89年F1日本GPを制したのはベネトンB189/フォードを駆るアレサンドロ・ナニーニ選手だった。
日本GP優勝と言う事もあるが、なんと言ってもデザインがカッコイイ。前年型のB188のデザインと配色をさらに洗練した感じだ。
サイドポンツーンの上下幅が厚くなり、コクピットサイドのエアインテークも薄く平らになった。細いノーズはいかにも空気を切り裂きそうだ。
ミニチャンプスから1/43スケールで待望のB189/ナニーニ車が発売。しかも日本GP仕様! スポンサーロゴの配置等は“あの日”のままだ。標準的なミニチャンプスの台座ながらベネトンフォーミュラ1のロゴと「WINNER JAPAN GP 1989」の文字が入っている。
買った後から“ガッツポーズをとるフィギャと優勝を示す「P1」のサインボードを付けた「優勝パッケージ」”が出なくて良かった(笑)。
欲を言えば、前後ウイングを支える細いステーを付けて欲しかった。ロールバーも実車はもっと細くて鋭角だ。
背景のステッカーは小型のベネトンフォーミュラ・ロゴタイプのもの。ベネトンのイベントでもらったものではないかと記憶する。
'89年日本GP決勝前夜、ボウリングに興じるナニーニ選手を発見。
自作した応援旗(↓下写真)を見せたところとても喜んで下さり、初めてサインをして頂いた。
言わば「公認の旗」である。
'88年から作ったが'89年カラーにマイナーチェンジした。
旗を持ってくれているのは '89年ベネトンF1ガールのみなさん。
昨年9月の鈴鹿50thアニバのゲストに来られた際、ベストショット写真にサインを入れて頂いた
ヘリコプター事故後、DTMやFIA GTシリーズでドライバー復帰。日本にもITCや鈴鹿1000キロ参戦でやってきた。
その時に撮影したITCアルファ155やメルセデスの写真にサインを頂いたが、よくよく考えたらF1の写真にサインをもらっていなかった。
そこで昨年の鈴鹿50thアニバーサリーデーにゲスト来場した時に、粘ってF1の写真にサインを頂いたのだった。
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ミスター・ベネトンのイメージがあったハーバート ベネトンB188 ミニカー&ステッカー
ベネトンB188/フォードは'88年のマシンだが'89年序盤も使用された。この年からF1にステップアップしてきたジョニー・ハーバート選手がA・ナニーニ選手の同僚となった。
ナニーニ選手はイケメンだが、ハーバート選手もなかなかのイケメンだ。この2人のコンビはアパレル・チームらしく華があった。
デビュー戦でいきなり4位入賞のハーバート選手の印象は強かった。前年に表彰台に上がっていたナニーニ選手よりも「ミスター・ベネトン」のイメージがある。
F3000時代に多重クラッシュに巻き込まれ、その傷が言えぬままのF1参戦。結局6戦を消化してシートを譲る事になった。
ゼッケン「19」だが'89年カラーのB188
ベネトンB188のミニカーはハーバート選手で欲しかったが、先にナニーニ選手のものを購入していた。
遅れること数年で'89年仕様のハーバート車がミニチャンプスから発売された。
迷った。本当に迷った。
廉価な1/64ミニカーならまだしも1/43ミニカーで同一車種を2台を揃えるなど「1車種1台の掟」に反するからだ。
結局は「待望のハーバート車であり、カラーに変化がある」―と自分に言い訳をして購入に踏み切ったのだった。
基本配色は'88年型と同じだが、バブル景気に入った日本の電気製品メーカーや清涼飲料水7UPがスポンサーに付いている。実車の黄色部分はラクダのタバコ屋のエリアだが、ハーバート車のミニカーにはラクダマークすら入っていない。
背景のベネトンステッカーは2枚組で、1枚が鏡面対照になっているという面白いもの。
'89年頃から「ベネトン・フォーミュラ」というブランド&ロゴが確立してきた。
スキー板に貼って右用、左用が分かるようにしていた。
ハーバート選手のB188翼端板
ハーバート選手のベネトンB188の翼端板を持っている。ドルフィンが持っているマシン・パーツの中で唯一“買った”ものだ。
翼端板は赤だったり黄だったりするが、たった6戦しかしていない中の1つだ。
日本で“リハビリ”していた頃のハーバート選手
かつてTVのF1中継等で「日本のF3000出身のF1ドライバーは多い」と言っていたが、ハーバート選手はF1経験した後に全日本F3000に“リハビリ”に来ていたのだから、その類には入らない。
ヘルメットを脱いでパドックで会う事は無かった。もちろんサインももらえていない。
F1通算3勝を挙げ、マツダ787Bのル・マン優勝にも貢献したハーバート選手。今後、日本に来る機会は少ないと思うが、また彼の走りを見たいものである。
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「ベネトンF1」と言ったらこのマシン・ベネトンB188ナニーニ車 マシン&ステッカー
ベネトン・マシン&ステッカー③
ベネトンF1マシンを一躍有名にしたのがベネトンB188/フォードだろう。
ターボエンジンと自然吸気エンジンが混走する'88年にあってターボ勢に割って入る大活躍を見せた。ナニーニ選手とブーツェン選手共に最高3位。
しかし、この年の1、2位はほとんどマクラーレン/ホンダだったのだから、3位は素晴らしい成績だ。
原色を使ったマシンは前年のB187からだが、B188は配色バランスが良くなった。
日本GPで実際にマシンを見て、その美しさに惚れ込んでしまった。
尖ったノーズやエアインテークがサイドポンツーン横にあるロリー・バーン氏独特のデザインが素晴らしい。
形・色どれをとっても'88年全てのF1マシンの中でダントツにカッコイイのだ。
ミニチャンプス1/43ミニカーでもB186に次いで発売され、ドライバーフィギャや細部デカールを変更しつつロングセラーになっている人気ミニカーだ。
B188はジョニー・ハーバート車で、優勝したB189をナニーニ車で欲しかったので、発売されてもしばらく購入を控えていた。
しかし「B189が発売されなかったら」「ナニーニ選手のマシン・ミニカーが無くなってしまったら」と、待ち切れず買いに走ったのだった。
ナニーニ車でもデカールの貼り方に幾つか違いがあるようで、ドルフィンはタバコ屋のラクダのイラストが入っているミニカー。前後ウイングのスポンサーロゴにも違いがあるようだ。
この時は急な遭遇だったのでサインをもらいそびれてしまった。
ナニーニ選手が来ているのはもちろんベネトンのジャケットだ。
ミニカー背景のステッカーは'87年日本GPで同じデザインのメタル製キーホルダーと一緒に購入。当時のウサギロゴが可愛いのとシルバーの地に原色が配された感じがとても良かった。
2枚組のステッカーは当時の愛車・日産ラングレー(名称:ドルフィンⅡ世)と後継車・トヨタ・スターレット・ターボ(名称:ドルフィンⅢ世)のリアウインドウにも貼っていた。
未使用が1セット手元に残っている。
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「西部警察」タツの炎のハーレー2 UCC缶コーヒー「ハーレー」を改造
BGMは石原裕次郎さんの「みんな誰かを愛してる」でどうぞ。
「Ⅰ」のワイド・グライド
近所の“時間系”コンビニでUCC缶コーヒー「ハーレー・ダビッドソン・コレクションⅠ」のワイド・グライドが残っていた事から、先に買った「Ⅱ」のローライダーにパーツを当てはめて『西部警察』のタツ=巽総太郎刑事が乗っていたハーレーに近いものに仕上げることにした。
タツのハーレーはローライダーをベースに改造を施してあるようだ。DVDに録画した「無防備都市(前・後)」と「絶命・炎のハーレー」を見てバイクの感じをつかむ。
ワイド・グライドの湾曲したチョッパーハンドルを移植。
ミニカーの構造からして「これは一体成型ではないな」と感じ、引っ張ってみると外れた。
ローライダーのハンドルも取れないか引っ張ってみる。
「プチッ」指先に小さな衝撃が伝わる。コチラは一体成型だった…。どうせ外すのだからちぎれても大丈夫。
チョッパーが入るようにハンドルが付いていた支柱を爪切りで成型する。樹脂製なので簡単にカットできる。
スポークの幅が同じなのでチョッパーハンドルがそのまま装着できた。念のため接着剤で固定。
更にはシートの後ろにある“背もたれ”も移植。
ワイドグライドの背もたれをカッターナイフで切り外し、接着剤で貼り付ける。
最後にコレを忘れてはいけない。フロントフェンダー上部のパトライト。刑事であるタツのマシンにはパトライトが付いていたのだ。
ワイドグライドのリアウインカーを流用。赤の塗料がなかったので“とりあえず”赤のマジックで着色(トホホ…)。赤塗料を入手したら塗りつぶす事にしよう。
これがタツの炎のハーレーだ!!
ノーヘルでインカムを付けたタツが乗っていそうな感じでしょ?
飛び散る火花よ、走るベネトンB187ブーツェン車 ベネトン・マシン&ステッカー②
ポップで目にも鮮やかなカラーリングになったベネトンB187/フォード。
「これぞベネトン!」という色使いだが、'87年はピンクも加わっていた。マシンに描かれたロゴはほとんどベネトン関連企業だが、色毎にメーカーを決めているところがセンス良かった。
'80年代後半のF1マシンはフルタンク時には車体底部が路面と擦れて火花を散らしていた。それがとても美しく迫力があった。演出でもいいから復活させてもらいたい。
デグナーとヘアピンの中間くらいに南ゲートに向かう通路があった。コース内側の“谷”から少し上がったところに車両を後ろから目線で見られる絶好のポジションがあった。あまり知られていない場所だったが火花を撮るには最適。ブッシュのわずかな隙間からの撮影なのでポジション争いが激しかった。
今のようにデジタルでガンガンシャッターを切れたら良かったが、当時は一発必中。ドルフィンは上手くは撮れなかった…。
火花を上げるブーツェン選手のB187。ヘアピンに向かう土手の上から撮影
“火花写真”が撮れたテイエリー・ブートセン(ブーツェン)選手のマシンでミニチャンプス1/43ミニカーを購入。同僚・ファビ選手より入賞率が若干良かった。
人気車・B188に遅れること数年で発売になった。
ベネトン系アパレルのロゴがしっかり入っているので、ファンにとってはそれだけで嬉しい。
近年のF1カラーは複雑な色使いで美しいが、ベネトンはキッチリと色分けされた配色がとてもセンス良い。今では“古臭さ”も感じられるが、改めて見るとカッコイイのだ。
鈴鹿でF1が初開催された'87年当時、日本では国内レースに参戦していたレイトンハウスの方が有名だった。レーシング・ウエアも多数発売されていて、サーキットのどこを見てもレイトンブルーがあった。
そこで敢えてドルフィンはベネトンを着るようになったのだ。
背景のステッカーは当時、ベネトンンの懸賞に応募して頂いたもの。市販されていたかどうかは不明。
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