ココイチの復活グランドマザーカレー
CoCo壱番屋に行くとグランド・マザー・カレー(780円)の復活キャンペーンが行われていた。
「復活」と言われても、いつ販売されていたのか分からない。
しかし“具がゴロゴロしている”ところが気に入って食べてみた。ココイチのカレーは具材が溶けきってしまっているのか、姿が見えないところが物足りなかった。
写真は嫁はんが注文したカキフライカレーのカキを1個もらったので、グランマ・カレーにはカキフライは入っていないのでご注意を。
ジャガイモやニンジンは大きな姿を残しているが、ふにゃっと柔らかい。圧力釜で炊かれているのだろうか? 姿が大きいのだから食感も残しておいて欲しかった。
具沢山なので「カレーを食べた!」気になる。
翼端板のネジをもらったシェクター選手の ウルフWR1日本GP仕様

スーパーカーの“ウルフ・カウンタック”で有名なカナダの石油王、ウォルター・ウルフが超弱小チームだったウイリアムズを買収して立ち上げた新チーム「ウォルター・ウルフ・レーシング」。
’77年の開幕戦でデビューレース→初優勝。シーズン3勝の快挙を成した。新チームの開幕優勝は、2009年のブラウンGPが達成するまで32年間どの新チームも成し得なかった。
イチョウの葉のように後部になるにつれて幅広になり、横から見ると直線的なウエッヂ状のスタイル。サイドポンツーン前方に突起する“カナード”。リアウイングの翼端板にパイプを取り付けてボディにマウント―。見た目だけでも斬新なデザインだ。
ドライバーは後にワールドチャンピオンとなるジョディ・シェクター選手。前年のF1inJAPANで「(周回遅れになる時)抜かれて欲しい側の手を上げろ」と、星野一義選手を侮辱する暴言を吐いた事でも有名だ。奮起した星野選手はシェクター選手を抜いて一時3番手に浮上するのだった。
’77年の日本GPではKE009を駆る星野選手の一つ前の10位フィニッシュ。
ウルフWR1に関しては残念ながらマトモに撮れていた写真が1枚も残っていない。
しかしながらレース後のパドックで、マシン解体中のメカニックからリアウイング翼端板をとめるネジ&ナットをもらい感激した。

ウルフWR1のウイング翼端板を止めるネジ&ナット
媒体誌によって車名が「WR1」だったり「WR3」だったりする。基本的には同一シャシーらしいが、WR2以降はホイールベースが延長されていたりする。
日本GPは高速サーキットの富士スピードウェイだったので、WR3が使用されたようだ。
ウルフWR1は初めて購入したミニチャンプスの1/43ミニカー。台座のマシン名には「WR1」と書かれている。
買ったのはミニカーを集め始めた頃で、当時は4,000円前後する価格はもの凄く高い買い物だった。
しかし、購入の決め手は「日本GP仕様車」だった事。観戦した思い出のマシンだったので購入せずにはいられない。ましてやもらったネジ(跡)も再現されているのだから。
日本GP仕様ではスポットスポンサーのタミヤ模型のマークが入っている事と優勝マークが3つ描かれている事だ。
フロント・サスのスプリングが銀色に、リア・サスが金色に塗られている細かさ。ステアリングのスポークも色塗りされている。
ミニカーはもちろんネジ達を一緒に飾っている。
(上の写真はウォウルター・ウルフデザインのタオルと)
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勝率100パーセントのファンカー・ブラバムBT46/B「1」ラウダ車 カッコイイ!
ブラバムBT46/Bはリアに巨大なファンを持ったマシンとしてF1史上でも稀代な珍車として有名だ。
ただの奇をてらった車ではなく、1978年スゥエーデンGPに出走してニキ・ラウダ選手のドライブで優勝する成績を残している。各チームからの猛反対で以後の出走が禁止されたが、1戦のみ出走しての優勝なので勝率100%という恐ろしいマシンとしても記憶に残った。
デビュー当時はシステムを極力隠していたため、雑誌でも詳細な写真が掲載されていなかった“謎が多いマシン”でもあった。
グラウンドエフェクトを使ったロータス79のマネではなく、別の方法で強力なダウンフォースを得ようとした積極性は素晴らしい。「世界ドライバーズ選手権」と銘打ってあってもワンメイクマシンではなく、チーム独自の車両を使って競い合うF1ならではの車両開発の面白さだ。
トゥルースケールモデルズと聞き慣れないメーカーから1/43ミニカーが発売になった。販売扱いは京商になっていたので、一応、ブログでは「京商」カテゴリーに入れている。
かなり以前から発売の案内はあった。人気車なので早々に予約していたのだが、全く発売されなかったので、一度は予約解除されてしまった。
いつの間にか発売されていたので慌てて注文しようとしたがどこも「売り切れ」状態。一旦は諦めかけたが、しばらくすると売りだすショップが出てきたので今回入手できた次第だ。
実は既に数年間にRBA製1/43ミニカーのBT46/Bをレンタルケースで発見して購入していた。
しかし、変わりF1大好きドルフィンとしては“より精密な”ミニカーが欲しいところだった。
パッケージや背紙にはトゥルースケールモデルズのロゴが入っているだけであまり工夫がない。ブラバムのロゴを入れるとか、マシンの写真を入れると版権利用料金がかかってコストが嵩むからだろう。
送り届けられてくる時に透明プラの保護カバーに入れて来てくれた。これは通販していた大手家電量販店「J」WEB店がカバーに入れて保管・発送してくれたサービスだろう。
トゥルースケールモデルズのケースはミニチャンプスのケースより大きいので、この透明カバーに入れてミニカーラックに飾る事にする。
白い台座にはマシン名、出走GP名、ドライバー名が入っている。
BT46/BファンカーのベースとなったBT46はラジエーターを内蔵したスポーツカーノズで、前モデルのBT45よりもスッキリとしたスタイルになった。BT46自体カッコイイと思っていたが、ファンカーとなってノーズはウイングとなり、リアウイング翼端板もボディから伸びた取り回し、三角断面モノコックとなってかなり格好良かった。
モデルでは車体と路面を密着させるスカートも付けられている。ファンカーにはスカートが付いていることが大事だ。
フロントサスのスプリング部は銀塗装になっている。
コクピットはアルミモノコックが剥き出しで、シートベルトはあるがシートが無いようだ。これは一体??
メーター類やシフトノブも作られ、サイドミラーは鏡面が銀デカールが貼られている。
リアのファンだが、奥にある“二枚目”までは作られていなかった。このミニカーで一番メインとなるだけにここはキッチリと作り込んで欲しかった。
かなり昔に発売されたミニチャンプス1/43ミニカーを入手できなかっただけに今回の発売は嬉しい。
見れば見るほどBT46/Bはカッコイイなぁ!
日本で勝利したハントのマクラーレンM26 ミニチャンプス1/43デカール貼り
ビギナー、デカール貼りに挑戦する【21】 1/43スケール編

ニキ・ラウダ選手とのタイトル争いに勝利し、1977年シーズンはディフェンディングチャンピオンとなったジェームス・ハント選手。第5戦からゼッケン「1」を付けた新車、マクラーレンM26が投入された。
実際のところM26は前年の終盤には完成していたが、旧型M23の性能が安定して高かったので1戦だけ走ったのみで翌年まで投入が見送られた経緯がある。車両レギュレーションが毎年変わる近年では考えられない事だ。
シーズン後半9戦は表彰台かリタイアかのどちらかという浮沈の激しいナーバスな印象がある。
それでもドルフィンは名車の誉れも高いM23より全体がシャープになったM26の方がカッコイイと感じる。
観戦に行った'77年F1日本GPで優勝した好印象もある。
’77年日本GP/ハント選手のマクラーレンM26
日本GP決勝を観戦していたのは最終コーナーの入り口付近。富士スピードウェイのコース図で言うなら“一番下”になっている部分だろう。
前年同様、祖父のコンパクトカメラに36枚フィルム1本だけ持って行った。だが前年と異なるのは“流し撮り”という撮影技術があるのを知った事だった。実際にやってみたのはこのレースが初めてだ。
アクシデントで次々に強力なライバルが消えていったハント選手は独走状態だった。
そんなレース中、ハント選手がこちらに向かって手を振っているではないか。追いつくマシンもなく、余裕のファンサービスか? と思えた。
―当時のドライバーは、ヘルメットの開口部にスカートのような防火シートを取り付けていた。そのシートが“なびいて”手を振っているように見えていただけ―これが事実だった。
レース後、モーターホームなど無かったためテントの下で多くの人に見られながらも堂々着替え始めたハント選手。
世界チャンピオンが多くの人々の前でパンツ一丁になったのだ。しかも黄色いブリーフ。インパクトがあった。
M23入手時より3年くらい遅れて発売になったミニチャンプス1/43ミニカーのマクラーレンM26。カラーリングやドライバーを変えて続々とシリーズが発売されている。
自主規制で消されていたマールボ○のロゴをデカールで貼る時がいよいよやってきた。
買ってきたM26用デカールはM26シリーズをカバーできるように'77年用と'78年用がセットになっている。日本GP仕様ではシートの1/4ほどしか使わないが、スペアがあると思えば安心できる。
貼る場所は少ないが、コクピット風防の内側やヘルメットといった難易度の高い部分がある。

表彰式と多重露光になってしまったがゴール直後のマクラーレンM26
台座に取り付けたままだと「台紙の背」が邪魔になって車体右側が貼り難いので、初めて台座から外し作業する事に。
風防の内側など普通はどうやって貼るのだろう? ドライバーの腕のロゴもセットになっているが、ロゴが入る位置はカウルに接していて見えないのに…。 やはりパーツを分解して貼り付けているのだろうか?
パーツを分解するなど、ドルフィンにとっては破壊行為と同様。そんなハイテクニックは使えない。軟化剤をたっぷり塗ったデカールをピンセットで風防との間に差し込む。赤/白のロゴ風部分の上に上手く重なるように貼り付ける。ぷるぷると震える手。
一度貼り付けてしまうとなかなか修正できない。ここはチョイトばかり歪んでしまった。
ノーズのオイルクーラー上にも“網風”デカールを貼り付ける。ラジエーターの造形が細かいギザギザになっているために、すぐにズレてしまってなかなか位置が定まらない。
ギザギザに添わせないと乾いたら剥がれてしまうだろうから、ドライヤーを当てて馴染ませる。
左右フロントタイヤの間に位置する赤と白の境目は、よく見ると滲んだ状態になっていた。“白山”の頂点のデカールを貼ろうとしたのだが、元々がキッチリとした塗装ではなかったので境目が上手く合わない。
スペアとして残していた'78年用の“白山”を少しだけカットして角度を狭くして再度貼り付けることにした。
ハント選手のヘルメットにはデカデカとマールボ○のロゴが入っている。白抜き文字をヘルメットに貼り付けるが、ほぼ球面なので位置を決めるのが難しかった。
ここでふと気付く。「マクラーレンM23のデカールセットにはこのデカールはなかったぞ?」。デカールを貼り終わっているM23を見なおしてみるとハント選手のヘルメットは黒のままだった。何故気づかなかったのだろう?
スペアのデカールでM23のヘルメットにも貼らなくてはならない。これこそスペアがあって良かった~。
ハント選手の最後のGP優勝となった'77年日本。
'77年シーズンは本格的にF1に興味を持ち、雑誌等で情報を吸収するようになった年。さらには漫画やアニメ作品の数々でテーマにもされているので、ドルフィンには印象的なシーズンであり、参戦したマシンたちは大好きだ。すこしずつ'77年参戦マシンを集めたいと思っている。
超ながーーい6色の「ふがし」
静岡には超長い「ふがし」が売っている。
「ふがし」自体は昔から駄菓子屋で売っていたのだが、長さはせいぜい20~30㌢程度。ピンクの色合いで「桜棒」と呼ばれていた。
ところが、十数年前に嫁はんと清水七夕まつりに行った時に夜店で売られていた「ふがし」を見て驚いた。1㍍ほどの長さがあるのだ。まるで刀である。
嫁はんの話では大阪では黒糖味はあるがピンクは無かったと言う。かわいい色のついた「ふがし」自体珍しいそうだ。
会社で何かの拍子に「ふがし」の話になったので、今回静岡に帰省した際に注文してきた。
今では10色もあるそうだ。写真を見て頂ければお分かりかと思うが、横に置いた30㌢定規が3本は縦に並ぶだろう。
製造元である三島食品さんのHPからも注文できるそうだ。
http://www.ofuya.com/?pid=61243917
「なんでちか? コレは??」 さっそく愛猫が確認に来た
写真を撮ろうと「ふがし」を並べていると、いつものように愛猫「ねる」が確認に来た。
―が「ふがし」には興味が無かったようで、アッサリと去っていったのだった。まあ、ネコの食べ物じゃないですから…。
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ラウダがテストした6輪F1 フェラーリ312T2/6輪 マテル1/43
タイレルP34の実戦投入から、F1は車輪を小さく、そして多くして空気抵抗を減らしかつ接地力を高めようとする動きがあった。
マーチはリアに前輪サイズのタイヤを縦に4つ並べ、フェラーリも巨大な後輪の代わりに前輪を横ダブルに置いた6輪F1をテストした。フェラーリ312T2/6輪だ。
ワールド・チャンピオンの帝王、ニキ・ラウダ選手がテストした。
実戦投入される事無く、車体も4輪車に戻されたらしく現存はしていないようだ。まさに幻の6輪車。
だが一方でロータスは他チームに秘密が分かり難い車体底部を湾曲させてダウンフォースを得るマシンを開発ていていた…。

F1に一番興味を持った時に6輪マシン出現やウイングカー黎明期なのである。ドルフィンが変わりF1好きになっても当然と言えば当然。
ミニカーを集め始めた頃から「6輪F1はそろえたい」と探していた。その当時、ブログのコメントで「以前に発売されていた」と教えて頂いた。
しかし、ショップやネットで探せど影も形も全く痕跡が無かった。
ようやく2011年にマテルから1/43ミニカーが発売になって嬉々として購入したのだった。
マテルのミニカーを初めて入手したが、他社同スケールのミニカーに比べてかなり精密に作られている。特にメカニカルな部分は色合いも含めてリアリティがある。
コクピットもメーター類は着色され、なんとシフトレバーまで作られているのだ。
ただ、タイヤが出っ張り過ぎている(泣)。写真で見たマシンのタイヤはもっと内側に取り付けられていたと記憶するが?? これではサイドバイサイドのバトルになった時に、すぐに引っかけてしまうだろう。
パッケージの背紙には事故前のラウダ選手の写真がプリントされているのも嬉しい。
マテルのミニカー発売から約1年半後、公式フェラーリF1コレクションでも312T2/6輪をカバー。
細部の作りは簡略化されているものの、メインになるリアタイヤはマテルよりも内側に入っていて実車に近い。4,000円の価格差を考えるとコストパフォーマンスは良いと言える。
『ラッシュ/プライドと友情』公開直前 フェラーリ312T2/N・ラウダ車 フェラコレ1/43

ニキ・ラウダ選手+フェラーリ312T2は、ドルフィンの「レーシング」の中では別格の存在だ。
'76年F1inJAPANで目の前で世界チャンピオン争いをし、初めて名前を覚えたドライバーとマシンだからだ。
その時からドルフィンにとってジェームス・ハント選手と双璧を成すドライバーの頂点であり、後世に記録を塗り替える幾多のドライバーが出現しようとも変わらぬ偉大な存在であり続けている。
引退後の航空会社が失敗しようとも、女性F1ドライバー、ジョバンナ・アマーティとの交際が発覚しようとも、歳とって太ろうとも「ラウダはラウダ」である。
―という訳で312T2はフェラーリF1の中で一番好きなモデルだ。
マシンデザイン、カラーリング…どれをとっても「カッコイイ」の一言に尽きる。
こんな写真ですが'76年F1inJAPANでのラウダ選手
公開される映画『ラッシュ/プライドと友情』では大好きな2人が主人公とあって、製作決定情報が流れてからとても楽しみにしていた。
F1に興味を持ち始めた頃、知る事全てが新鮮だったから心に強く残っているのかもしれない。
ほとんどのドライバーが優勝圏内にあった激戦時代のチャンピオンだからこそ、その速さや強さが際立っている。
レーシングカーは「空力」が重要と言われるが、ウイングカー全盛期になるまでF1マシンの後部は露出していて、子供心にも「空気が乱れるのでは?」と感じていた。
その中で312T2はフルカバーであり、コックピットダイドからエンジンルームへエアを導入する巨大NACAダクトのデザインがカッコ良く“高級感”というか“お金かけてる感”がしていた。
漫画『赤いペガサス』で、チームSVE最初のF1・SV007は312T2を大いに意識したマシンだった。
手前から―缶コーヒー付き1/72、京商1/64、フェラーリ・コレクション1/43の312T2
312T2は「公式F1」以前に「フェラーリ・コレクション<」No27で入手。「1車種1台」のミニカーコレクションの掟ながら京商1/64モデルと缶コーヒー付属1/72モデルも入手してしまった。どれもがラウダ選手のフィギャが乗っていないのが残念だ。
スケールが違えば違ったなりの良さがある事に気付き(←半分言い訳)、好きな車は数台そろえてしまう事になってしまっているのが現状だ。
1/46スケールはサイドミラーが付いていたり、風防にクリアパーツを使っていたり、ブレーキダクトやエキパイの着色等の緻密さがある。
前後ウイングの艶のあるアルミ感は京商「フェラーリF1・Ⅰ」の方がリアリティ。フェラ・コレや京商「Ⅱ」以降はザラザラとした銀塗装になってしまって、実車の特徴が生かせないでいる。
初めてレースを、初めてF1を見た日の事をしみじみと思い出す。
大雨で大変だったとか、大渋滞でバスやタクシーが全然動かなかったから御殿場駅からFISCOまで歩いてしまったとか…。
レース終盤に雨が上がり、富士のストレートはじまり辺りの土手から1コーナー側を見た時、奥の山々に山霧がかかった状態になった。そこに向かって走り行く紅白のマクラーレンM23。このシーンは今でも心に焼き付いている。
―あ、ラウダ選手はすでにリタイアしていなかったか…。
『ラッシュ/プライドと友情』公開直前 マクラーレンM23/J・ハント車デカール貼り
ビギナー、デカール貼りに挑戦する⑳ 1/43スケール編

公開直前の映画『ラッシュ/プライドと友情』主人公の一人、ジェームス・ハント選手は昔から一番好きなレーシングドライバーだ。
初めて見たレース’76年F1inJAPANで逆転ワールドチャンピオンに輝いた事が子供心に強く存在が刻み込まれた。
最強だったN・ラウダ選手とフェラーリ312T2に対し、不在期も着実に勝利して最後まで諦めなかった姿勢も好感が持てる。
モデル並にカッコイイルックスに加え美女とタバコ…華やかなF1グランプリを象徴するようなキャラクターだ。イギリス人だが到底“紳士”と呼ぶにはふさわしくない奇行ぶり。その破天荒ぶりも魅力だった。
翌’77年F1日本GPで優勝しながらも表彰式をボイコットしたハント選手。今のようにモーターホームが無かった時代、テント下でインタビューを受けている時、ガキのドルフィンもその場にいた。
集まった人々の目を気にすることも無く着替え始めるハント選手。黄色のブリーフを穿いていたのが目に焼きついている。
この時のやりとりを録音したカセットテープは今でも持っている(あまりに古いため再生できるか不明)。
ウルフ移籍→F1引退→スカッシュ界へ転身→F1解説者、そして突然の逝去。めまぐるしい半生だった。
再び彼の姿を目にする事なく逝ってしまった。

F1参戦3年目のヘスケスで初優勝。普通なら「到底勝ち目のないマシン」での優勝は、近年ならトロロッソで優勝したセバスチャン・ベッテル選手のようである。
初めて観戦したレース='76年F1inJAPANには祖父のコンパクトカメラに24枚フィルム1本だけ入れて持って行った。
“流し撮り”などという技術を知る由もなくタイミングを見計らってフレームの中に収めたF1マシンは、現像してみたらブレブレ…。
現在のデジタルカメラを持ってもう一度撮影に行きたい!
マクラーレンのハント選手とロータスのアンドレッティ選手。'76年F1inJAPANで
ミニチャンプス1/43のマクラーレンM23/フォードはかなり以前から発売されていたので、ミニカーコレクションを始めた初期に入手済み。
昔のF1マシンはデザインが単調のためか“付加価値”としてコクピットのカウルが外れるように出来ている。その反面、ドライバーの体が貧相な作りになっているのが残念だ。
キミ・ライコネン選手もリスペクトしてレプリカを被ったハント選手のヘルメットは細かい塗装で雰囲気が出ている。当時はヘルメットの周りに防炎用の“布”を付けていたところも再現されている。
ロールバーのアルミ溶接っぽさやDFVエンジンは細かく表現されているところは流石。
このマシンにデカールを貼る時がやってきた。
「マクラーレンM23用デカール」も以前に購入している。近年マシンのように添付枚数は多くないのだ が、それでも千円くらいした。ミニカー本体の1/4くらいの価格だ。デカールは高価なものだと感じた。
マールボ○・ロゴの書体が異なる2種類がセットになっている。これはどういうことだ? こんなにも多く貼る場所など無いはず…??
ロゴを貼る場所を確認するために'76F1inJAPAN特集誌やネットで写真を検索しているうちに判明した。見慣れぬ書体の方はエマーソン・フィッティパルディ選手が乗っていた'74~75年頃のM23用らしい。
当時はレギュレーション変更が少なかったのでマシンの寿命も長かったのだ。
1/43スケールのミニカーにデカールを貼るのは緊張する。単に大きさだけではない。ミニカーの価格も高いので失敗は許されないからだ。
2カーセットだった1/64ミニカーでは1台分を仕損じた時の“予備”として使用できていたので“心にゆとり”もあった。
1/64ミニカーのデカール貼りと比べると、30㌢の高さで命綱を付けて綱渡りを練習していたところから、いきなり命綱無しで高さ10㍍で綱渡りを始めるのと同じだ。
平面が多いマシンではあるが、念のためにデカールは浸すように軟化剤を塗布する。
分割式になっているコクピット周囲のカウルは分割、獲り回ししやすくして作業する。
オリジナルでは三角に赤が塗られていたリアウイングだが、写真を見ると赤三角は無く一面白でロゴ文字が入っていた。もったいないが赤三角を消す白地に文字が入ったデカールを貼る。
ウイングの湾曲に合わせるためにドライヤーを使用する。1/64スケールを貼っていた時と軟化剤・接着剤の量が増えているので、ドライヤーの熱でもすぐには気化しない。
そっと綿棒を当てて押しつけてみるとデカールの両脇から接着剤が出てくるほどだった。塗布量も考えなくてはならない。
一番苦労したのはコクピット前の白三角の頂点を貼る作業だ。
自主規制でタバコイメージを緩和させるために白い三角山の頂点は丸みを帯びている。この山の頂点を鋭角にするための白デカールが付いている。1/64スケールでも小さすぎて貼るのに苦労してきた。
M23のミニカーは白三角を付けるにはコクピット前のカウルにまで及ばなくてはならない。湾曲の角度が一番キツイ部分に小さなデカールを貼るのは剥がれやすくて難しい。
カウルを車体に取り付けた状態で貼り付けるがなかなか上手くいかない。軽くドライヤーを当てて面に合わせるように貼り付ける。
カウルをセパレートして飾れるようになっているが、せっかくデカールを貼ったので車体に取り付けて展示する事にした。
大好きなハント選手のマシンが1台できた。次は日本GPで優勝したM26だ。
幻のポールポジション シューマッハのメルセデスAMG F1W03 レーヴコレクション1/43
ミハエル・シューマッハ選手がメルセデスからF1に現役復帰して3年。得意のモナコGPで、43歳にして予選一番時計を記録。前戦のペナルティにより10グリッド降格して最前列からのスタートはならず“幻のポールポジション”となった。
ヨーロッパGPでは現役復帰して最初で最後の3表彰台を獲得した。
「いよいよ快進撃のスタートか?」と思われたが、シーズン後半はチーム自体が失速してしまった。
ペトロナス・メルセデスAMG F1W03がシューマイケル選手の現役最後のF1マシンとなった。
現在、スキー事故でこん睡状態が続いているが、目覚めても現役復帰はもちろんのことテストでF1をドライブすることはないだろう。
今はただ目覚めてサーキットに顔を出せるようになってほしいと願う。

シューマイケル選手はレギュラーではないが、インターF3リーグやWSPC日本、全日本F3000菅生とかなり日本でも走っている。F3、WSPCは優勝。F3000は2位と好成績を上げていて、その走りで観客を魅了。日本でのファン獲得の下地を築いていた。ドルフィンもその一人だ。
自動車レースの最高峰F1で、様々な記録を塗り替えてきた不世出のグレーテッド・ドライバーではあるが「先人の例にならって」か、F3マカオGPや’94年F1タイトルでは“ぶつけて獲る”大罪を犯している事も忘れられない。

菅生で「『ミヒャエル』は言いにくいから『マイケル』でOK」と英語で話してくれた
シューマイケル選手が得意だった事と幻のポールとなったインパクトで、レーヴコレクション1/43ミニカー・メルセデスF1 W03モナコGP仕様を入手。
シューマイケル選手のフィギャが乗っている。現役復帰してからデザイン変更されたヘルメットのデザインが細かいところが嬉しい。
デザインの意匠は不明だが、赤ベースに細かいラインとスポンサーであるエナジードリンクのロゴが入っている。
色々なボタンやメーターが付けられているステアリングも再現されている。
空力パーツが制限された2012年マシンの中で一番ゴチャゴチャしているのがフロントウイングだろう。
シャープなノーズに反して車両の最先端の両側に細かいパーツがひしめき合っている。実重量は軽いのだろうが、見た目が重そうに見えてしまう。
ミニカーにおいては素材軽量化もできずに重たくなるだけ。それを細い支柱2本で支えなければならないのだから造形や商品としての耐久性の確保の工夫が大変だったのではないかと想像する。
この細かさは1/43サイズくらいまでが再現の限界ではないだろうか? 1/64サイズになったら省略するしかないのでは? あえて1/64サイズでどのように表現するのか見てみたい気もする(京商1/64フェラーリF1とかで)。

同じレーヴコレクション1/43ミニカーでも、小林可夢偉選手のザウバーC31のリアウイング翼端板はかなり“薄い”仕上げでスリットも“抜けて”いたのだが、メルセデスW03では翼端板は厚くその割にスリットが抜けていない。商品としての力の入れようの差か、WDRS防止のためか(笑)?
当時は酷評があった“段差”のついたノーズだが、今季2014年型マシンのノーズに比べたらカッコ良い処理の仕方だったと思える。
フェラーリは鼻の下の伸ばしたような間抜けヅラだし、太いのがチョコッと突出した他車のノーズなど“アリクイ”と“品良く”呼ばれているが、蔭では絶対「チ(自主規制)ポ・ノーズ」と上なのか下なのか分からない呼び方をされていることだろう。かんべんしてよ~!

せっかく台座にマシン名とドライバー名が入っているのだから、シューマイケル選手のサインを入れたくなる雰囲気。ラベルシールに黒地・白抜き文字でプリントして貼ってみようか?
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名古屋メシ紀行7 元祖!名古屋メシの代表・きしめん
名鉄ナナちゃん。ハンバーガーを持っていた!
名古屋メシの締めくくりは新幹線ホームで「きしめん」。
新幹線で帰省する際、名古屋駅に停車する度に「食べたい。食べたい」と思っていた。―が、名古屋駅で降りる機会が無かったので車内からきしめん屋の店舗を眺めるだけだった。
今回、待ちの時間があったので十何年振りかに新幹線ホームの店舗に入ってみた。
“素”きしめんだが、かつお節と揚げさんが乗っている。
関東寄りの濃い味の出汁で「こんなにも濃い味だったんだ」と改めて思うのだった。
舌の上で「でろんでろん」と踊るような平麺。独特食感がいい。
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