ラヴログ -5ページ目

整理します

整理します。


■GDP増で所得増


確かに、一見GDPが成長しているのに格差が拡大しているという事実を見れば、GDPに意味が無いように考えてしまうのもわかります。
ですが、GDPは一国全体(マクロ)のものですから、個人の所得とか格差とかは関係ない(見えない)ことを理解してください。

そのうえで、話をシンプルにするためにTPPがGDP成長させると仮定して、その他要因(医療、投資協定など反対派の不安な点すべて)は、今回のエントリ内だけでも良いので除外して考えてみてください。

GDP成長率を経済学がなぜ重視するかといえば、もしGDPがセロ成長でこのままだとすれば、それはゼロサムゲームを意味するからです。(所得を分配するのに少ないより多いほうが分け前が増えますよね)

GDPは三面等価から生産量も表します。
つまり、仕事量といっても差し支えありません。

GDPが減少するということは、すなわち不況を意味するのですが、そうなれば失業者の増加や企業の倒産が起こります。
そうならないためにも、豊かになるためにも、不完全ながら世界ではGDPを指標としているのです。

以上から、GDPの成長がいかに重要なことが理解してもらえたでしょうか。

これなら最初の条件、TPPがGDP成長させる。その他要因(医療、投資協定など反対派の不安な点すべて)は、今回のエントリだけ除外すれば、TPPに賛成することもわかると思います。

これに、最初のGDPは一国全体(マクロ)のものですから、個人の所得とか格差とかは関係ない(見えない)を含めれば、GDPと格差を並べることがおかしいことにも気が付きますよね。

ですが、反対派にすればその他要因も無視できないでしょう。
これについて自分も今回は一先ず置いておくとしても、格差などがGDPとは別問題(むしろGDP増は分配しだいで格差の縮小にもなり得る)ということだけはご理解ください。

追記:生産性向上で資本家に富が偏在というのを、GDP増で格差を生じる経路として想定しているようですが、企業や資本家としては儲かるという誘引がなければ企業活動をしないでしょう。
ただ、格差があっても、低所得者層に仕事があり(GDP増)生活ができていれば不満もその分少ないでしょう。(アメリカのデモも失業者の増加が要因)
高所得者の報酬がどの程度必要かというのは価値観にもよりますが、自分は労働者と何十倍、場合によっては何百倍というのはいくらなんでも・・・と考えます。






ところで、不況になっても、助かる労働者や企業もあります。
これは政府の支援策(景気対策)のおかげかもしれません。

つまり、その大小はともかく、政府が経済に関わっているのです。
それ以外に分配面ですが、これも政府が累進課税や所得保障を強化すれば、格差を調整することは可能でしょう。(その良否は価値観です)

これこそが、経済学とは別の政治の問題としながら、無関係ではないということです。





■アメリカの格差

政府が累進課税や所得保障の強化をすれば格差が調整することは可能と書きました。
これを決めるのは議会などですが、そこで選出された議員というのは、国民によってです。

つまり、アメリカ国民が(希望していないかもしれませんが)、市場原理主義的な思想で頑張った人がより多く(かどうかは別として)貰える、ということを選択したということです。

これもまた、GDPが増えても、と違いますし、経済とは別問題ということです。



こちらの主張は以上です。

やっとわかった気がします

■TPPは厳しい選択ながらも参加は不可避
飯田泰之氏

 番組ではTPP問題についても語られ、飯田氏はTPPに関する心配論は、"悲観論"でずるく、大変なことになれば「それ見たことか」、やりすごせたら「注意したおかげ」という絶対に間違えない論法と話す。その一方、ポジティブつまり賛成論も、必ずしも「バラ色」ではなく、あくまでもTPPは「共通ルールへの参加」が主眼であり、日本が独自の道を行く経済力を持ち得ない以上、不参加という選択は事実上経済圏から排除されることと等しくなるため、非常に厳しい選択ながらも参加は不可避であると強調する。



http://news.nicovideo.jp/watch/nw150901/2

飯田氏が言いたいのは、反対派が間違えない議論、負けない議論がしたい、ではなくそれがずるいという指摘でしょう。
また経済学者も間違えない議論がしたいのではなく、自由貿易の推進からの賛成かと。それ以上は価値観の違いですから、それこそ千差万別です。

いったい経済学者に何を期待するのでしょうか。学問が解決しない(限界がある)というのはどれも同じなのに、経済学者だけに何を求めているのでしょう。

完全な答えでしょうか。

エコノミストのように独学で好きなように考えて予想でも何でもしていればいいでしょう。
ですが、自ら経済学を学ぶことをしなければ何も得られないでしょう。




TPP反対派がなぜ反対するのかがわかった気がします。
議論がどうとか難しい話ではなく、結局は反グローバリゼーションなのですね。



反グローバリゼーション(英: Anti-globalization)は、地球規模での貿易促進およびWTOなどの国際機関の活動などへの反対を訴える人々の政治的スタンスをさす。または、反グローバリズム(anti-globalism)という。


ウィキより

TPP反対トリオと称される(中野氏・東谷氏・三橋氏)の保守的な面々を見れば、気がつかないほうが不思議でした。

保守(ほしゅ、英: conservative)、あるいは保守主義(ほしゅしゅぎ、ラテン語: conservare、英: conservatism)とは、古くからの習慣・制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対すること[1]。対義語は革新若しくは進歩主義。


ウィキより

賛成派が自由貿易を訴え、反対派は反グローバリゼーションを唱える。

これじゃ、TPPのデメリットの根拠に反論しても、根底に反グローバリゼーションがあるのだから、頑迷にしてその主張を譲らないのも理解できます。

もちろん、実際にはこんな単純な対立ではないでしょうけれども、彼らの主張が、日本が変わってしまうという理由から突き詰めていけばそういうことになります。

確かにその気持ちはわかります。

過去に、自分の勤め先が中国の製品とコスト競争で負けて、一番の稼ぎ頭だった部門の撤退を余儀なくされ、あわや倒産の憂き目に遭ったからです。
しかも現在でも、その脅威に晒され続け、実際に仕事の減少(取引先メーカーの中国シフトによる、現地調達など)が起きています。

つまり、グローバリゼーションの真っ只中に以前から、そして今現在も置かれているのです。

その結果何が起こるかというと、取引先大手メーカーでも工場自体の縮小が起きるのです。
当然人的なリストラが行われます。
それでも間に合わないと、下請けに出している仕事を内製化します。
つまり、下請け工場でまた仕事が減少することになるのです。

不安じゃないと言ったらウソになります。
これまでは正直に言うと他人事でした。ですが、年を重ね最悪リストラ対象になってもおかしくはありません。

だけど、会社も必死です。
もちろん社員だって必死です。

営業の方と話をしていたら、他社と同じような製品を作っていたら仕事は取れない。
技術との連携で、他社が断るような難しい仕事をモノにしなければと。
そして、実際にそれを実行していて、その試作を担当させてもらったのですが、なるほどウチの技術にこんなノウハウがあったのかと変な感心をしてしまいました。

だからといって、この先その仕事だけで会社を支えられるほどでもないのですが、以前メインの部門の撤退を経験してもしぶとく生き抜いています。

もちろん明日はわかりませんが。

では、このような会社を変化から守り、競争から保護すれば問題が解決するのかというと、それは違うでしょう。
なぜかといえば、競争があったからこそ何とか生き残ろうとあがきもすれば、努力もするし、またそれが現在の安価で便利な技術の恩恵に繋がっていると考えるからです。
少し結論が飛躍しているかと思いますが、極端に言えば、社会主義と資本主義の対立を思い浮かべかてもらえたら、言いたい事が理解してもらえるかもしれません。

むしろ必要なのは転職までに必要なセーフティーネットだと考えます。

なぜなら、静岡で海外シフトが言われている産業といえばオートバイ、楽器、プラモデルなどがあります。
衰退の著しいとされる農業はお茶、みかん、イチゴ、メロンなど。
また観光地としても厳しい状況です。

ですが、県民総生産はそれほど減少してはいません。
http://www.keizai-bank.com/todofuken/022.html
GDPではわからないという批判もあるかもしれませんが、仕事量として捉えてください。
モナド日記さまの飯田氏の「脱貧困」の孫引きです

「なぜこんなに貧富の差が広がったんですか」と問われたら、僕はいつも「金持ちを減税して貧乏人に増税しているんだから当たり前です」と言います。なんだかね。


http://triceratops.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/post-cefc.html


つまり上記のような熾烈な国際競争に晒されているにもかかわらず、空洞化は起きていないということです。
どこかにそれを補うような仕事があるということです。
それまでの再就職までのセーフティーネットが必要ということです。

実際にTPPが締結されても変化は少ないように予想しますが、仮に保護政策的な社会主義にあったような計画経済が上手く行かなそうだ、というのは説明を省きますが、理解できると思います。

ただでさえ、TPPが無くてもこれだけの競争に晒されているのが現実なのは間違いがありません。
世界にはまだ、日本のように経済的な豊かさを望んでも享受できていない国もあるでしょう。

しかしながら、資源は有限ときています。

それを効率的に使うのにも、グローバリゼーションは必要でしょうし、資源がどこまであるのかもわかりませんが、日本だけがよければいいとも言えません。

というわけで、本当は失業や転職など遠慮したいです。
なので、そういう気持ちからのTPPに反対(=反グローバリゼーション)の気持ちは理解できます。
ですが、上記の理由から自分は変化を受け入れざるを得ないというのが偽らざる気持ちです。

矛盾してます

TPP反対についての記事を批判します。

本人が自分自身混乱していると書いているほど、問題を整理し切れていません。
理由は反対のための反対、問題だから問題という循環論法に陥っていってしまっているからです。

決定的ともいえる大きな矛盾が少なくても三点はあります。
以下、三点ほど指摘して、循環論法に陥っていることの説明をします。


矛盾1

2.そもそもメリット・デメリットが確定していない。
どれだけのメリット・デメリットが出るかも確定していません。



そもそも、メリット・デメリットとは
メリット【merit】

利点。価値。

デメリット【demerit】

欠点。短所。損失。


goo辞書より

です。
それが確定していないという前提です。


ところが、

3.影響の範囲が大きすぎる。



メリット・デメリットが確定していないという前提なはずですが、「影響が大きい=国内に混乱が生じる訳です。」と主張します。

こん‐らん 【混乱】

[名](スル)物事が入り乱れて秩序をなくすこと。いろいろなものが入りまじって、整理がつかなくなること。「交通機関に―を来たす」「経済の―をまねく」「頭が―して考えられない」

デジタル大辞泉より

混乱というのは、決していい意味ではありません。

混乱すると決め付けているのは、反対ありきの結論から導かれる問題点を想定しているからに他なりません。
これは、影響が大きい=国内に混乱が生じると書いていることからもわかります。

協定内容、つまりデメリットが確定しなければ混乱は生じないはずなのに、なぜ影響が大きいことがわかるのでしょうか。
このことを問題点として指摘する時点で矛盾しています。





矛盾2


4.法律すら曲げられる恐れがある。



「ISD条項の判決結果や具体的な内容は公表されておりません。」
と書いていますがこのような資料も出ています。

http://www.meti.go.jp/policy/trade_policy/epa/pdf/FY20BITreport/NT.pdf


一応と出した以外にも資料があるのに、内容が公表されていないというのは大きく矛盾した指摘です。

仮に非公開というのなら、どうして反対派は毒素条項の事例を挙げられたというのでしょうか。
というか、どこが問題点かもわからないのではないでしょうか。
逆にそのような問題点がわかっているなら、他国がそのような協定をそのまま受け入れるというのも前提としては矛盾します。




矛盾3

まだこれほどの問題点が思い浮かぶのです。
それほどまでに、このTPPというのは議論が未成熟、内容が不明瞭、不利な条件が幾つもあり、恩恵ですら不十分……これが、現実なのです。


まとめとして、結論そのものに矛盾があるのが明らかです。

議論が未成熟、、恩恵ですら不十分、内容が不明瞭なのに、不利な条件が幾つも!!とデメリットだけを断定しています。

これは、先ほども揚げたように結論ありきだから生じる矛盾です。
未確定なはずの問題点を、反対のための根拠にしてしまっているのです。

「反対するという結論が決まっているから、次から次へと問題点を思い浮んでは語っている訳じゃありません。」
と言いますが、デメリットありきの問題点なので反対という結論は決まっているのです。


反対意見の具体的な問題点についての反論も可能です。
例えば、このリンク先を読めば、ISD条項についての4つめの問題点の反論に応えています。

サルでもわかるISD条項
http://kongoshinryo.jpn.org/static/tpp_monkey.html

ISD条項に毒素条項はない
http://kongoshinryo.jpn.org/static/tpp_monkey.html#toc7

ですが、根拠をあげて指摘しても、読まないのか受け入れないのか、このように同じような問題点の主張を繰り返すだけなので意味がありません。

つまり、反対のための反対、問題だから問題という循環論法に陥っていってしまっているのです。
反論を受け入れているという主張も、結論に影響しない部分しか受け入れていないだけのことなのです。

バカの壁

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かなり話題になった記憶があるので、おそらく読んだ方も多いのでしょう。
最近この言葉を使ったのに、それを読んでいないので意味を取り違えているかもしれないと、今頃ですが昨日読みました。

一言で表せば・・・思考停止の状態、自分の周囲に壁を作り分かろうとしない=これが「バカの壁」ということでしょう。

同じものを見ても、自分の知りたくないものには情報を遮断してしまう。
本当はわかっていないのに、わかっていると思い込む。
一つの視点でしか見ようとせずに、異なった視点から物事を見ようとしない。

そして、物事は説明したから全てがわかるわけではなく、わかると思うほうがおかしい。

同じ景色を見ても、見えている風景が違うのです。
例えば、クルマ好きな人には道行くクルマの車種やメーカーや性能や歴史、というクルマ以外の情報が見えています。
ですが、クルマに興味の無い人には、ただクルマが走っている・・・でしかなく、それ以上でもそれ以下でもないのです。

これまで自分も話せばわかってもらえると勘違いをしていたようです。

このような違う視点の状態で、いくらクルマの説明をしたところで、必要の無い情報でしかないのですから。
これが、あのクルマかっこいいなと思って、あれはどういうクルマなの?という疑問への説明はその人にとってただのクルマから意味のある事になり、説明を受け入れ、わからないことがあれば質問したり、自分で本読むなど苦労や努力、本を購入してでも情報を得ようとしたり、わからなくて何度も読み直したり考えたりもする。(苦しい、でも楽しい。ですがクルマでここまで考えるのって相当のクルマ好きですね。)

このように苦しくても、わかったとき、これまで見えていた景色が変わって見える、見えていなかったものが見える瞬間が楽しくもあります。

つまり、異なる視点を受け入れて、理解できたとき人は変わるのです。

P57

「君子豹変」とは「君子は過ちだとだと知れば、すぐに改め、善に移る」という意味です。
では何故彼はそう勘違いしたか。

(ブログ主注:悪口だと思っていた人がいたそうです。自分もそう思っていました・・・。)
何故勘違いをしたのかというと、人は変わらない(変わってはいけない)、自分は自分であるということがあるからだそうです。

ですが、「人は変わらない」

というのは大きな間違いで、今日の自分は昨日の自分とは違う。
現代ではそれが前述のように、反対になってしまっていると筆者は指摘します。

情報は文字という誰から見ても同じことが書いてあり、変化することはない。
ですが、それを受け取る人は、同一人物でも昨日と今日とでは違う意味を持つかもしれない。

変化しないことが個性や、一貫性ではない。

人は生まれながらにすでに遺伝子レベルで個性的です。
変化することに躊躇することは無いのです。

自分を振り返ると・・・このブログ起ち上げ時に書いていることや、経済について、今とは180度違っていることがたくさんあります。(今の自分から見ると恥ずかしい内容がたくさんあります。)
ですが、どちらも同じ自分の書いたものです。
おそらくこの先に振り返ると、この時点での自分にもそう感じるだろうし、そうなっていなければ思考停止状態なんでしょうね。(当然変化だけすればいいということでもありませんが。)

これは矛盾ではなく、いくつもの壁を越えてきたのだと思います。

思考停止状態よりは、遠回りでも間違えても、いろいろな視点で景色を見てみたい。
むしろ限界は自分の中にある。
壁をつくり、新たな視野を受け入れない。

これこそがバカの壁です。

今後もその壁を少しでも多く乗り越え、変化し続けたいです。

グローバリズムの誤解2

誤解3日本が貿易で欧米から支配される

野口旭氏の「グローバル経済を学ぶ」P035より


日本が貿易自由化や資本自由化などの対外開放政策を開始したのは、1960年代のことです。

中略

それに対して日本国内では、日本経済は欧米に比べて未だはるかに遅れた段階にあるので、対外自由化は時期尚早というのが一般的な認識でした。

つまり、急速な自由化を行えば、「強大な」欧米資本が日本経済をまたたくまに支配してしまうのではないかという懸念が極めて強かったのです。当然ながら、政財界を中心として、対外自由化への強い反対論が沸きあがりました。



さて、その後日本の企業は壊滅して、日本は欧米に支配されたでしょうか?


誤解4輸出増で輸入減
P86

おそらく、多くの人々が「輸出は善で輸入が悪」という国際競争主義の思考をなかなか払拭できないのは、「輸出産業は輸出によって所得を稼いでいるので、輸出をすればするほど自国の所得は増大するが、輸入の増大は自国の産業に損害を与えるから、輸入をすればするほど自国の所得は減少する」といったように考えるからでしょう。
これはまさに重商主義時代の貿易差額主義の考え方そのものです。



たしかに国際分業の調整過程においてはそのような事態が起きます。
だからといって、輸出だけ伸ばして輸入を減らすということは不可能です。
つまり、アメリカの陰謀論はこの時点で不可能ということがわかります。
オバマの輸出増大という言葉の裏側には、意図せず?輸入も増大ということが含まれているのです。(仮に高関税などを維持でそれを阻止したとしたら、それはアメリカ国民の負担ということで不利益であり、自動車の輸出規制のときのように外国企業に利することにもなるのです。)

輸出を拡大するには、輸入を拡大しなくてはならないのです。

これまでその逆の政策が実施されてきたのが世界の流れでした。
ですが、その失敗を踏まえての自由化・対外開放政策への転換だったのです。

かつて、ジャパンバッシングが高まったときに起きたのは、アメリカ国内の経済学者からの反対でした。
アメリカの経済学者は、日本への数値規制などの要求がアメリカ経済に寄与しないことを理解していたのです。
連名で当時の大統領クリントンへ対日通商政策を批判する公開書簡を発表しました。

しかしながら、影響力が少なかったためでしょうか?アメリカ国内では日本への輸出規制や高関税は支持されていたそうです。

経済学者がいかに正論を説いても、「日本が悪い」と扇動されてきたアメリカ世論を説得することは難しかったのです。

今の日本の状況に似ています。

ですが、アメリカにも当然非があります。
かつての対日通商政策は、アメリカの強みである金融分野(保険や証券など)で日本(その他の国々も)に自由化を要求していました。
その一方では自国の弱い分野には保護貿易を行う。
こんなことをしていたら自由化の要求も、都合のいいだけのものになってしまうでしょう。

このことが念頭にあるため、「アメリカの陰謀」が説得力を増し、扇動されやすい状況を作り出しているのでしょう。



P227

まえがきで指摘した「ジャパンマネー」や「ハゲタカ・ファンド」に関するメディア論調が象徴するように、グローバルな経済問題に関しては、人々はしばしば論理よりも感情に基づいてその是非を判断してしまいがちだからです。
その根底には明らかに、自らとは異なる存在に対する払拭しがたい違和感があります。

中略

いずれにせよ、経済問題についての対応が、そのような好悪の感情のみに左右されて行われるような社会は、決して健全な社会とは言えないでしょう。



今回の問題が最初から好悪の感情のみでの反対とは思ってはいませんが、すでに破綻論と同様な「破綻するといったら破綻するの」的なものになっていると考えます。

グローバリズムの誤解1

日本の企業が買収したり、買収されたり・・・。
買収した企業を手放し、利益を得たりなど。
それを、さも投資が悪い行動のように報道されたりもします。

ですが、双方で交わした契約なのです。当然好条件なところと契約するでしょう。
しかし、相手が外資であるというだけで、特別な意味を持たされてしまう。
いかに人が不合理とはいえ、理不尽ですらある。

と、野口旭氏は「グローバル経済を学ぶ」冒頭で述べます。


誤解1国際競争力など無い

P56「国際競争力などという概念は明確には存在しない。経常収支は国際競争力を反映して決まるという考えは誤りである。国際競争力なるものは、国家を企業のようにに見立てて、貿易を市場をめぐる勝つか巻けるかのゼロ・サム的闘いと考えてしまうような、素人にありがちな誤った認識が生んだ幻影にすぎない」

つまり、同じ産業同士は、国内外問わず競争をしていますが、国を代表して競争しているということではありません。安価で高品質な製品などが市場で支持されることに変わりは無いのです。


誤解2比較優位は絶対優位ではない
P73「グローバル経済についての一般通念の中に見られる最も典型的な誤りは、ある産業の生産性が高ければ高いほど、その産業の「国際競争力」が高くなるだろうという考え方です。

比較優位は、どの財でも生産性が高く他国より絶対優位だったとしても、分業したほうが効率がいいということです。
よくアインシュタインと秘書の例がありますが、研究も秘書の仕事も、どちらともアインシュタインのほうが優れていたとしても、アインシュタインは得意な研究をした方が、秘書の仕事は、その能力がアインシュタインより劣っていても、一人で全部をこなすよりも分業したほうが、より効率的となるのです。

やっぱり?


という本を買った。

この内容を裏付けそうなソースがあるので紹介します。
$lablog
関係者からの取材というのがいまひとつどこからの情報なのか信憑性に欠けるかとは思いますが。
少なくても原発がなくても昔の生活に戻るなんてことは無いようです。

また、原発の低コストには研究費が含まれていないという指摘もあり、たとえばもんじゅなどはこのように莫大な費用がすでに使われています。今後も実用化のメドがないにもかかわらず、運転費用だけがいつまでもかかり、他の用途にも転用が難しいとの事。
$lablog

認識を改めましょう

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野口旭「グローバル経済を学ぶ」P035より


日本が貿易自由化や資本自由化などの対外開放政策を開始したのは、1960年代のことです。

中略

それに対して日本国内では、日本経済は欧米に比べて未だはるかに遅れた段階にあるので、対外自由化は時期尚早というのが一般的な認識でした。

つまり、急速な自由化を行えば、「強大な」欧米資本が日本経済をまたたくまに支配してしまうのではないかという懸念が極めて強かったのです。当然ながら、政財界を中心として、対外自由化への強い反対論が沸きあがりました。



今の状況と似ています。

貿易自由化が日本に東洋の奇跡と呼ばれる発展をもたらし、いわゆる誤解や批判の多い、グローバリゼーションのさきがけだったのです。

そして忘れてはいけないのが、その過程における構造調整ともいえる比較優位産業への移行の痛みです。
日本の高度経済成長にも、石炭産業、繊維産業、農業の衰退、縮小がありました。






TPPを押し売りにたとえて反対する人がいます。

ですが、これはズレています。
なぜなら、日本はすでにほとんど自由貿易だからです。
だから、すでにセールスでも押し売りでもなく、お互いが相互依存の状態になるのです。


つまり企業の営業同士のような関係であり、取引条件の多い企業に、もっと自由にしてこちらの商品も買ってくださいよ。とか、相手企業はだったら、そちらもこれまでうちへの販売(輸出)で利益を得てるんだから、残った取引条件(農業などの関税)をなくしてよ、そうすればお互い取引量が増えていいでしょう・・・という感じで。

そういう流れでこれまでも進んできたのに(WTO、EPA、FTAなど)、その取引条件に既得権益がある部門が会社内で妨害を繰り広げて、それを知らない(これまで無関心だったのに、扇動された)社員の一部が巻き込まれて、相手企業は外資が入っているから主権を奪われるとか、訴訟がたくさん起きる、会社の福利厚生がなくなるなどの大騒ぎ、というのが現状かと。

すでに相手企業に、もしくは自社企業に迎え入れていて、その中で取引を拒む部門との商談をしようということです。
だからメリットを示す必要もないでしょう。
ただ反対が社内(国内)に起きている以上、社員(反対派)には会社(政府)から説明が必要になるでしょう。

ですが説得は難しいです。

■開放は不人気政策

経済の開放は不人気政策と言わざるを得ない。

利益を得る多数の集団は口を閉ざし、被害を受ける少数集団の声ばかりが大きいためだ。

消費者は開放により安い輸入品を買うことができて、利益を得るが、その利益が大きくないために目立った反応を見せず、輸出企業は利益になると騒ぎ立てれば逆風にさらされかねないと懸念し、発言を控える。

結局、組織化された被害集団の声ばかりがクローズアップされるというアンバランスな状況に陥る。


http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/11/24/2011112400779.html

朝鮮日報のこの記者が、国際経済学を勉強していることがわかる発言です。

伊藤元重氏「ゼミナール国際経済学入門」
P339

要するに、安価な製品が入ってくることの利益は経済全体に薄く広がり、被害の方は経済のごく一部に集中するグループ(日本製品と競合する製品を生産する企業や労働組合)が強靭な反対活動を行うのに対して、利益を受けるグループは一人ひとりの利益が薄いゆえに政治的に大きな力になりえない。
その結果、日本からの輸入に対して、保護主義的な力が強くなるのだ。



これはアメリカ側の視点ですが、日本でも現在、農業団体のTPP参加への反対活動が新聞でも取り上げられています。
上の引用と同じで、その国民の数%に満たないという運動でも、その他が無関心であるためにこういう問題が生じることになり、それが日本全体の総意のようになります。

このような思い込みをひっくり返すのはゼロから説得するより難しいでしょう。


>TPPで関税が引き下げられ個別物価が安くなる。
公務員人件費が削られ国債の発行額が下がる。
公共投資の完全入札で事業費が下がる。
これはすべてデフレ圧力にはならない。
むしろ国民の経済厚生が上がる良策である。

「TPP、公務員人件費削減、規制緩和はデフレを悪化させるから反対」という意見はよく聞きますが、おっしゃるようにデフレに対する誤解がもとになっていると思います。

またそのような人の多くが、既得権益を受けているわけでもなく、いたって真面目に日本経済の事を考えて反対しているところがやっかいです。

本人たちは良かれと思ってのことでしょうが、結果として既得権益者を擁護するだけになってしまっています。

仮に彼らの誤解を正す方法があったとしても、誤解を正すというのは情報がゼロの人に教えるよりも大変ですからね。ますますもってやっかいなことです。


のように。

比較優位というかそれ以前に、貿易は交換なのだから国外に限ったことではありません。(分業)
つまり国内でも比較優位に特化することは日常的に行われてきているのです。
貿易も国という単位が無ければ、国内での交換、分業と同様ということです。
安価で品質の良い(それだけではないですけれども)商品が生き残るのです。
この取引や投資の相手が外国というだけで、感情論になってしまうのが貿易の難しいところなのです。




他に、TPPを女性を襲う強姦魔に例える方もいます。

ですが、一方的に日本が受け入れ側、女性だと思い込んでいることに誤解があります。
貿易はすでに相互依存で輸入増(減)は輸出増(減)です。

話を簡単にするために2国間に限定して例えると、異なった2国間による国際結婚みたいなものです。

海外の妻(輸入側として)に日本の男性(輸出側として)すでに合意に基づく関係で、その関係を良く思っていない両国の周囲の人たちが、夫婦関係をより深めようといているのを妨害しているのです。

日本側の女性(輸入)と、海外の男性も同様で、海外の男は乱暴だとか、強欲だとか、お金を毟り取られ、家をのっとられるとか吹き込んでいるのが現状で。
ですが、実際に日本は国際結婚(輸出依存度)は少ないので、問題は少ないでしょう。
ただ、そのカップルに横恋慕している人には(影響を受ける産業)当然ながら耐えがたい苦痛を伴うのも否定できません。

また、男女関係(国際関係)なので、トラブルも当然あるかもしれません。
それでも、お互いにそれを乗り越え、高めあっていければいいのです。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2011/11/24/2011112400779.html

以下引用
1970年代末以降、韓国経済史はまさに開放の歴史だった。市場を開くたびに「開放すれば死んでしまう」との声が大きかったが、いざ市場を開いて外国との競争が始まると、学びながら実力を伸ばし、競争に勝つという韓国人の「闘魂」を発揮し、懸念は杞憂(きゆう)に終わった。果敢に門戸を開き、国と企業の競争力を引き上げてきた結果、韓国は世界9位(貿易規模基準)の貿易大国に成長することができた。

■デマや憶測を乗り越えた開放の成功史

 70年代末、韓国政府は菓子市場の開放を推進した。当時、輸入菓子には40%を超える関税がかけられていたが、これを8%まで段階的に引き下げていく計画だった。よい菓子といえば南大門市場で売られている米国製・日本製の輸入菓子が思い浮かぶような時代だったため、菓子業界では「国内メーカーが全滅する」とのうわさが広まり、韓国製の菓子を守ろうという声が大きかった。

 だが、開放への懸念はやはり杞憂に終わった。ロシアや中国、東南アジア諸国で幅広く人気を博している「チョコパイ」(74年発売)や「ホームランボール」(82年発売)の成功神話は、むしろこのときから始まった。80年には1500万ドル(現在のレートで約11億6000万円、以下同じ)だった菓子類の輸出額は、2009年には2億5000万ドル(約193億円)に拡大した。

キム・テグン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

政治について本当に少しだけ・・・

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自分も知らないことを自覚しながら、知ろうとしないのは無智だろうと思い、政治学の本を買ってみた。

まだ読み始めたばかりですが、政治学もまた学問ということからか、科学的分野の側面もあり、一般的に語られる政治の話とは違うようです。

というか、全部は読まない(読めない)予感・・・。

「現代政治学」P7より

現実科学としての政治学
もちろん政治学は政治そのものではなく、政治学者は政治家ではないのだから、政治がその時々にぶつかっている問題に、直接「こうすべし」と答える必要は必ずしもない。



経済学と同様なスタンスで、学問というのはそういうものなのかもしれません。


こうした知識の十分な裏づけなしに「こうすべし」というような政治的・政策的な提言ばかりしていると、科学としての厳密さを欠いたアマチュア的な評論(床屋談義)や、御用学問になりかねないのである(ウェーバー、1919/邦訳;大嶽、1994)
中略
どこまでが「政治学的」な議論で、どこからが「政治的」な議論なのかのけじめをつける必要がある
中略
いずれにしても政治学は、それが学問である以上、科学性をあいまいにして政治学・イデオロギー的な「べき」論にのめり込むわけにはいかず、半面、政治という決定・行動をめぐる現象についての学問である以上、現実政治の臨場感・実践性と接点をもたないひからびた学問であるわけにもいかないという、厄介な性質をもっているのである。



政治学もまた科学なのですね。
それらがごちゃ混ぜになっているブログなどはアマチュアのものがほとんどなので、床屋談義ということです。(当然自分のブログもそうです)
だからそれを承知したうえでなら、好きなように語るのも自由ではありますが、やはり無知からくる誤解に基づいた内容は、これまでの世論がそういった俗説に翻弄されてきた歴史を振り返っても褒められたものではなく、有害なこともあるでしょう。


ところが実際に研究をしてみると、国家制度の研究は法律学と重なりあい、政策の研究は経済学・政策学や社会工学と切り離せず、政治過程の研究は社会学や統計学とに境界線がはっきりしないなど、政治学のテリトリーはいたるところで他の学問と重なっており、他の分野の知識・手法にバックアップされなければ、政治の研究ができないことがわかってくる。



自分はこれまで経済学だけで考える、政治と経済は無関係とも主張もしていません(経済学的な興味から、エントリを書いていました。)が、経済が政治と切り離せないという主張は、むしろ積極的に経済の勉強をしないと、経済政策などの前提で間違えた主張を導きかねないことになるということです。その問題解決には、いったん問題を経済学的なものや、上記にあるようなさまざまな学問と切り分ける必要があるということです。

名目か実質か

今回は素直に疑問に感じたことへのエントリです。
以前、アメリカの物価が上昇しても貧困層の所得は増加していないので、実質半分の所得になったという指摘がありました。
ちなみに、GDPに比例して物価も上昇しているという指摘もありましたが、あのGDPのグラフをよく読めば、実質と書いてあるのがわかります。
つまり、物価調整済みの数値ですから、その上昇分以上にGDPが増加しているということなのです。(とすると、GDPに比例して物価も上昇しているという指摘はまったく意味をなさないことになります。というか、何を指摘したかったのか分からなくなるのです。)
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5分位数世帯所得の変化のグラフ

この指摘を受けたときに思ったのは、これは実質なのだろうか?名目なのだろうかということでした。
どう考えても、所得が半分になったら生活が出来ないだろうと思ったからです。

ですが、アメリカには所得保障もあるようなので、ソースらしきものも見つからなかったのでスルーしていました。

偶然、やはり実質ではないか、というソースになりそうなものを見つけたので紹介します。
道草ブログさま「クルーグマン「我ら99.9パーセント」(NYT,2011年11月24日)」より
http://econdays.net/?p=5385

ちなみにこのブログを読むと、GDPと所得格差が生じることとは別問題ということがよく分かります。(後述しますが、トリクルダウンや新自由主義、市場原理主義は経済学ではありません政治思想ですのでよろしくお願いします。)
それはおいておきまして・・・

政策論議に入る前に,ちょっとばかり数字をみておこう.

格差に関する議会予算局の最新レポート (pdf) は上位1パーセントの内訳まで覗いていないけど,以前のレポートはそこも見てる.ただ,2005年までしかデータがない.そっちのレポートによると,1979年から2005年までに,アメリカ人の所得分配で中央にいるインフレ調節済みの税引後所得(手取りの収入)は,21パーセント上昇している.同様の数字は上位0.1パーセントだと400パーセント上昇している.



ここの最新レポートというpdfファイル。
http://www.cbo.gov/ftpdocs/124xx/doc12485/10-25-HouseholdIncome.pdf
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1979~2007年の世帯収入の分配ということで、微妙に違うものですがこれを見てもだいたい同様の傾向ではあります。
違いといえば、高所得者層以外の所得で、先のグラフでは増加傾向だったものがこちらでは減少しています。

ここで、「でも物価が倍になっているんじゃ、更にもっと減っているのでは?」という指摘は間違いです。
なぜなら、インフレ調節済みの税引後所得だからです。
ということは累進課税も分配調整にほとんど寄与していないのですね、これは日本も韓国も、らしいです。これこそ、トリクルダウン理論、市場原理主義などの弊害です。(後にも書いていますが、ある程度はアメリカ国民の決めたことでもあります。正誤は難しい価値観によるものだということです。ダメ経済学とも違います。)

つまり物価調整の数値だということです。
このことから、おそらくこのグラフも、最初のグラフも実質所得であろうと推察できます。
ですから、給与は実質半分にまでは下がっていないであろうと考えます。

アメリカの格差は確かにすごそうですが、高所得者層への減税やこの分配率も、ある程度は国民が決めたことでもあるのですよね。いいとか悪いは抜きにですが。
アメリカのイデオロギーとして、頑張った人が報われる(かどうかは別として)市場原理主義的なものがあるためということもあるのでしょう。
ですが、景気が良く(GDPの増加)仕事があるうち、生活が成り立っているうちは、所得減少も我慢できても、さすがに景気が悪くて仕事が無くなる(GDP、経済成長の減速)状況に国民がノーを叫ん
いるのが現状なのでしょう。