国家資格キャリアコンサルタント
Gallup認定ストレングスコーチ(強み専門家)
TRE®(トラウマ&テンション・リリース・エクササイズ)国際認定アドバンスプロバイダー
自我状態療法セラピスト(パーツ心理学セッション)
「エネルギーが湧かない」「もう無理かも」「がんばりすぎてしまう」を、
トラウマ・神経系・身体感覚の視点から読み解くセッションをしています。
これまでにのべ7,800名ほどの方に伴走してきました。
HSP気質や生きづらさ、また支援の仕事に携わる方など、
“頑張りすぎて疲れを自覚できない人”の声と共に歩む日々を重ねています。。
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このノンフィクションはすごい!
すごい本が翻訳され、日本での出版となりました。
「トラウマ当事者、支援者必読」と帯に書いてあります。
ポリヴェーガル理論を日本に紹介された第一人者であり、
神経セラピスト、公認心理士である浅井咲子先生が監訳されていて、
今回ご恵贈いただきました。
心よりありがとうございます!
読んでみて衝撃のノンフィクション本でした。
今日はわたしなりの記録を記してみたいと思います。
はじめにお断りなのですが、
この本の特徴として、チャプターはすべて数字で並べられており、目次タイトルがひとつもありません。
本を読むときに目次を見てふわっと全体像を掴む習慣がある方は多いと思います、わたしもそうです。
著者の意図としてタイトルによる先入観なく読んでほしい、という意図があったなら申し訳ないのですが
やはり目次がないと読み出しにくいので
わたしが独断でつけさせてもらった目次タイトルを下記に記してみたいと思います。
筆者はマレーシア系アメリカ人女性
筆者はマレーシア系アメリカ人女性。ステファニー・フーさん。
作家,ラジオプロデューサーで,直近で代表されるものとしては 「ディス・アメリカン・ライフ」があります。彼女の作品は 「スナップ・ジャッジメント」,「リプライ・オール」,「99%インビジブル」,「レディオラブ」で放送され,彼女の文章は 「ヴォックス」や 「ニューヨークタイムス」 に掲載されています。著名な講演者およびインストラクターである彼女は,コロンビア大学で教鞭をとり,サンダンス映画祭からミズーリ州精神保健局まで,さまざまな場所で講演してきました。(岩崎学術出版HPより)
こちらはステファニー・フーさんのインスタグラムです。
元気でかわいい女性で
トラウマを連想させるような雰囲気は微塵もないことに驚かれる方もいるかもしれません。
でもいつも思うのは
セッションに来られて複雑性のトラウマ(複雑性PTSDは診断名として使われます)を訴える方は、一見、とても優しいか
とても強くて明るいか、なのです。
複雑性のトラウマとは以下のような状態に苦しんでいる、日常的に、じわじわとずっと苦しい状態のことを指します。
単回の事故や天災などのショックトラウマと違って、長くつづくトラウマ体験によります。
- 感情調整の困難:怒りや不安をコントロールしづらい。
- 自己概念の否定:自分の価値や能力を否定的に捉える。
- 対人関係の問題:他者との関係を築くのが難しい。
- トラウマ再体験:フラッシュバック、悪夢などがあることも。
え?そんなの普通じゃない?と思われた方、そのとおりです。社会は複雑性トラウマに覆われている時代なのかもしれません。
けれども複雑性トラウマの状態を知ることは、今よりもっともっとラクに楽しい人生に転換する大きな可能性を秘めています。
この本は、『わけがわからない自分の状態』に悩む方に大きな希望となると思います。
複雑性トラウマは世界がいまやっと気づき始めたトラウマの形態であり、
常識というには程遠い、これをセラピーで扱える人がほとんどいない、というのが現状の事実。
要するに、世界中でまだ理解が足りていない領域です。
そしてその日常の苦しさを成しているものは、信念と身体反応がからみあった状態のため、
解き明かすのも快方(その方がラクだと思える方向)に向かうのもとても難しいと思われている分野です。
やっとこさ、2018年にICD-11(WHOが出している診断基準)で、PTSDと区別された診断基準として記載されました。
読み方のおすすめ
この本はトラウマのサバイバーの方にもおすすめと書かれていますが、
わたしの経験上、
トラウマサバイバーの方にとってはpart Ⅰは、虐待のリアルな記述が多く、
もしかしたら刺激が強すぎるかもしれないので、
目次を見て好きなところから、または
partⅡから読んでみて
筆者の日常と一旦仲良くなり
筆者のトライアルや意識や感情を読み進めるうち、
parⅠに戻れるな、と思ったら
冒頭に戻ってリアルな、この本の前提を確認する、というのでもいいかもしれません。
(虐待されていた幼少期、父母のこと、両親が出て行ったこと、めちゃくちゃな人間関係、
複雑性PTSDな状態ってこういう感情という毎日のリアルな描写などが描かれています)
対人支援者の方は冒頭からもちろんどうぞ。
皆川なりのチャプタータイトル
すべてのチャプターが番号だけというのは結構ツライな、と思ったので
筆者の意図に反していたらごめんなさい、なのですが、私なりのタイトルをつけてみました。
その章を読むかどうか、どこからはじめるのか、にお役立ていただけたらうれしいです。
partⅠ
チャプター1 「神様、わたしをいい子にしてください。ママとパパを喜ばせてあげれるように」〜虐待の日々
チャプター2 異常な日常〜眠らなくなった私
チャプター3 切れ切れな記憶
チャプター4母が出て行った
チャプター5 父が出て行った
チャプター6 私が自殺しなかった3つの理由
チャプター7 また友人関係を壊してしまった。「本当のガンはわたしの隣にいます」
チャプター8 私は求愛ヒル
チャプター9 最善の努力はしたけど、恐ろしく腐った性根が這い出てくる〜ジョーイとの出会い
チャプター10 パニック発作を起こす時間が長くなっていく〜みんな「おおむね良好」なのね!?
チャプター11 「診断結果を知りたい?」
partⅡ
チャプター12 私に向かう準備〜複雑性PTSD
チャプター13 科学的論拠を目にして立ち上がる。
チャプター14 刺激と反応のループ?
チャプター15 セラピスト探してデート相手を見つけるのと同じように難しい
チャプター16 怖い記憶...「それは2点ですね」
チャプター17 EMDRとハンガー
チャプター18 後退〜私は解離していた
チャプター19 知っても、助けにならない。
チャプター20 グランディングとDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)
チャプター21 私は厄介なエセ・セラピスト
チャプター22 過去に飛び込む準備
part III
チャプター23 親の持つ苦しみは、子供の根底に
チャプター24 高校時代のあの場所へ
チャプター25 子供ならではのサバイブ
チャプター26 みんな、虐待されていた。
チャプター27 アジア〜恥の精神
チャプター28 親戚
チャプター29 お父さん、結婚してたの?!
チャプター30 アンタッチャブル「ネガティブ」の文化的背景
チャプター31 DNAから見てみる
partⅣ
チャプター32 父の家族、そして診断。現実。
チャプター33 父から見た景色
チャプター34 トラウマとは、空虚であり、際限なき飢え
チャプター35 ついに私の面倒を見たい人が現れた
partⅤ
チャプター36 子宮内膜症。精神をとるのか、身体をとるのか。
チャプター37 ハム先生との出会い
チャプター38 これまで気づくことのなかった「わたし」のあり方
チャプター39 「大事なのは修復なんです。」
チャプター40 捉え方の変化
チャプター41 あれ?私は焦ってない。
チャプター42 ハッピーエンド
チャプター43 私は生きている、私は誇り高い、私は幸せに満ちている、依然として。
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この本はステファニーが幼少の酷い虐待から複雑性PTSDになったことに
自分で気づいていくところからはじまります、
人間関係がどう考えてもなんかおかしい、という感覚が入り口でした。
勇気のある彼女はそれに取り組み、
乗り越えて幸せになっていく自叙伝のようなノンフィクションです。
個人としてのリアルな家庭状況、
文化的な考察、
科学論文からの考察、
など多岐にわたる視点が交差している構造になっていて
ものすごい読み応えです。
そしてそのどれもが彼女のフィルター、素直な視点をもとに描かれているので
とても読みやすくわたしたち読者の心にズバン!と響きます。
トラウマの克服本、などと聞くと重たすぎて正直憂鬱になる、というのが普通の反応じゃないかと思うのですが
この本のはじめには著者からの「ハッピーエンドですから」という言葉があって
もうそこから笑みがこぼれちゃいます。
けれども読み進めるとことは、そんなに簡単じゃありません。
進んだと思ったらまた後退、のような感覚に襲われている彼女の気分が手に取るようにわかります。
それはまさに現代におけるわたしたちひとりひとりの物語であり、
複雑性トラウマが決して他人事ではないのがわかります。
「まだ、だめなんだ。わたし。」
そんな気持ちとしっちゃかめっちゃかに戦う彼女の姿があります。
彼女は勇敢でエネルギーの大きな人物です。
人間の尊厳と活力に畏敬の念を覚えます。
わたしも一緒に、わなわなしながら読む場面もたくさんありました。
著者ステファニーが感じていたこと・本文より

本を読む前に、彼女がどのような口調でどのように記述をしているのか、気になるところではないでしょうか。
彼女の文章、そして日本語訳はすばらしく、彼女の人柄が伝わってきます。
それがこの本の醍醐味のひとつです。
以下に本から、彼女のプロセスに関わる言葉をそのまま引用させていただきます。
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・聡明で落ち着きがあって、優しそうな人に出会うたび、この人がすべての答えなのかも、この人が全てを解決してくれる。新しい親友なのかも、この人こそが、私に愛を感じさせてくれる唯一の人物なのかも、と錯覚した。83ページ
・何度もトラウマを受けると、意識的にも意識的にもトリガーが増え、再現なく、説明もつかない状況になる。何百回もミスをして打たれれば、そのミスそれぞれが危険になる。大勢の人から蔑まれたら、誰も信用できなくなる。この世界そのものが脅威になる。93ページ
・残念なことに私の持つドラマは1つの出来事じゃない。何千何万だ。94ページ
・書かれたこの文章を読む上で、端から来る鼓動の高まりを抑えることなんてできない。96ページ
・最初に私に沸き起こった衝動は、とにかくバグを除去しようと言うものだった。〜(中略)〜「どうやら私は不可能に立ち向かうしかないようだ。クソ。なんてもの背負わされたんだ。自分の運命に抗わなきゃいけないなんて。」103ページ
・私は本当にセラピストを探したくなかった。自分の最もクレイジーで、最も深遠なる不安を打ち明ける相手を探す事は、到底楽な仕事ではない。108ページ
・幼少期の自分に対する、これまで沸き起こらなかった愛と敬意を感じた。
ただ知っているのと、理解しているのとでは違う。自分のせいじゃないことは知っていた。EMDRは実感するという次の領域へのゲートを開いてくれた。ただ暗記することと心理学習することの違いのように。仮説と信念との違い。祈りと信仰の違い。それが今明らかになった。信仰なくして愛なんて存在するだろうか?
128ページ
・例によって自分が教科書通りであることを知っても、そのページから抜け出す助けにはならない。137ページ
・例えば、私の仕事を辞める前、私の犯したいくつかの些細なミスを告げに、上司が私のデスクへ来ることがよくあった。私の身体と脳が完全にその時点のものであれば、失敗を恥じる事はあっても、大した事ではないと認識し、自分の非を認め、仕事に戻っただろう。私の場合そうではなく、上司が帰った後、毎回罪悪感と不安と羞恥と戦慄を感じていた。タバコを吸いに階段をかけ降り、自分の無能ぶりを友人にメッセージで送り、誰にも尊敬されることなく、おそらくクビになるのだろうと30分間して茫然自失していた。自分が完全に今ここにいるとわかっていながら、感情は1997年に舞い戻り、単語テストでミスをした少女として、文字通り生きるか、死ぬかの問題に直面してしまう。この想起こそが、感情的フラッシュバックだ。140ページ
・手のひらで感じる空気のこの心地よさに、なぜ今まで気づけなかったんだろう?143ページ
・親が持っている苦しみがあるものの、根底に大きく、そして暗く影を落としていることを感じ取れた。
・自分の身に起きていることにもかかわらず、それも、最悪なことが起きているとわかっているにもかかわらず、まるで赤の他人に起きたことのように、自分の体験に一定のジャーナリズム的懐疑心を向けてしまう。そして、無数の言い訳をしてしまう。〜中略
こうした経験が自分に偽りのコントロール感を与えた。自分が誤っているなら、それは変えられる。どうにかできる。188ページ
・最初に電話をかけてきた時、父は私に、今になって人を愛することの難しさに気づいたと語った。「ただ愛するだけじゃなくて…そばにいてほしいと思われるような人間にならなきゃいけないんだよ」と驚きを隠せないかのごとく私に言った。230ページ
・私はセラピーで学んだことを30分かけて父に話した。私が20代の段階で誰かに言ってもらいたかったこと。自分の過ちから学んだこと。父のように振る舞っていたせいで犯した過ちから。
「本当にそうだ」父は驚いたように言った。「お前が言ってる事は本当に正しいよ。なんでこんな、お前が親で俺が子供みたいになっちゃったんだろうな」
なんでこの人は前からそうだったと言う自覚がないんだろう? 232ページ
・トラウマとは、殴られたりネグレクトされたり、侮辱されたことによる悲しみだけを指すのではない。それはある側面に過ぎない。トラウマとは、送ることができたかもしれない幼少期を惜しむことでもあるのだ。周りの他の子どもたちが送った幼少期。膝をすりむいた時は、お母さんがハグやキスをしてくれたかもしれないという事実。あるいはお父さんが卒業式に参列してくれて、花束を渡してくれたかもしれない。トラウマとは、大人になってから自分自身を養育しなければならないという事実を嘆くことなのだ。253ページ
・身体的健康と精神的健康が複雑に絡み合っているのを知っている。精神的健康が損なわれれば、身体的健康もまた損われる。薬を服用せず、精神的にも影響してくるであろう。痛みに耐えるべきか?あるいは身体的健康を向上させる。薬を飲む一方で、精神をずたずたにするべきか? 266ページ
・ある研究によると、幼少期にトラウマ被害を被った女性は、重い子宮内膜症になる可能性が80%高まるというようなことが示されていた。
当然でしょう。 267ページ
・彼の言ってることがわからなかった時、私は度々話を脱線させ、話題を変えていることに気つかされた。混乱している時にも概ね私は説明を求めていなかった。それどころか、彼から非難されていると反射的に思い込んでいた。私は先回りして彼の話を遮り、自分の態度の悪さを謝っていた。自分に対する厳しい言葉を何度も口にしていた。複数の箇所で支離滅裂なことをとりとめもなく話していた。 292ページ
ハム先生との出会い
それまでのセラピストもそのときどきの役目を果たしていらしてすばらしい方達だったと思います。
ただ、意識の変遷、またはトリガーによって彼女はセラピストを数回変えていきます。
最終的な出会い、と言ってもいいと思うのですが後半にでてくる
ハム先生 というセラピストとの出会いが、彼女の学びと成長をさらに後押ししました。
対人支援者なら、だれでもこの章からあとは「その秘密を教えてくれ」という気持ちで読むのではないでしょうか。笑
ハム先生のセッションは絶妙でした。
このあたりの機微はどうぞ実際に本をお読みになってください。
感情の起伏がある普通の人間 としてステファニーはハム先生を描いています。
ときに大げんか、罵倒しあったりもしていて、え?これがセラピー?と読んでいてびっくりされる方もいると思います。
わたしは、これはハム先生が潜在的に彼女に、「自分の生身の感情とつながること」を教えていた場面と捉えました。
トラウマのサバイバーはときに、いえ、ほとんどの場合、感情と切り離される「解離」を経験します。
心地いい、不快、嬉しい、イライラする、などの純粋な身体反応としての感情が幼少期に徹底的に攻撃の的となったために、
自分の感情を殺して、切り離してサバイブする人が多いのです。(大人になってそれはもう必要ないのですが、
自分に染み付いた信念を変更するには、時間を要します)
例えば、「ボランティアのイベントがあるから私参加するんだけど、どう参加する?」って友人に聞かれたときに
「楽しそう!参加します〜!」じゃなくて
「自分にとっても千載一遇のチャンスだと思うからやらない選択肢はないと思う」という言葉の裏にある考えの方向性は
とても客観的で、自分を外から眺めて判断している言葉ですよね。
客観性が必要ないというんじゃない、
でもわたしたちは動物であり、
主観なしで客観視点だけによって生きていくと、それがずっとずっと人生において常態化していると
身体の過労や不調につながっていく人が多いのです。
人間関係にも感情とつながっていない人との会話は「妙な感じ」・・・・がでます。
法律違反じゃないけどさ、なにその感じ・・・という小さな違和感の積み重ねが
結局対人関係のストレスとなって知人・友人関係を壊すことが多々あるとき、
そこには「あるパターン」が潜んでいることが多いです。
わたしがハム先生から学んだこと
ハム先生自身が自分の弱さを認めていました。感動的です。
これこそがセラピストのあるべき姿だとわたしも強く思います。
それでないと、マイナスからゼロの視点である「治療」のプロセスはできますが
0から80の視点である「主体性と人生における試しへの成長」のプロセスは伴走できない。
このことはクライアントであるステファニーが、他のセラピストと比べて気づいていました。
ハム先生は、人間臭くて、ある意味ピュアで、寄っていきたくなるような人なんです。
わたしもそうありたい♡
先生も七転八倒しながら、
ステファニーとともに探究を重ねていく。
これはできそうで、なかなかできないことではないでしょうか。
そして原因と結果、という視点に囚われ続けている彼女に
「人生のプロセスを味わう」という視点を醸成していったことも印象的でした。
ハム先生の治療の章を読んでも
え?結局何をしたの?と思われる方も多いかもしれません。
いや〜神業的でした。「潜在的な」意図をもったかかわりで、人の開花を手伝うさまが。
クライアントの視点変換がクライアント自身の活力や湧き出るようなエネルギーとともに
あふれでてくる瞬間をつくることは、スキルの枠組みだけじゃできません。
神様の領域の仕事だとつねづね思います。
わたしたち対人支援家も命懸けです。
そうなんです、人を癒すなんて神様でしか本来できないことを
エゴを持ち、エゴと闘う人間が人間に、仕事としてやろうなんて
土台無理なのかもしれないと毎日思います。
指示出しや説得によっては起こらない、
人間の発達=子どもが育つように自然に醸されてくるなにか、が癒しの本体になるのですから。
植物が葉っぱをどのように伸ばしてくるかは、わかりません、
育成するという行為は
「こっちのほうに人を引っ張ろう、指導しよう」というエゴによってはなされず
「伸びたい植物が自分で意思決定して伸びていくプロセスをタイミングよく下から支える行為」です。
複雑性トラウマのサポートはものすごく高度で、
支援者、教育者、育成者の立場の者のほうが
自分のトラウマに気づき、自分を愛おしくながめることができてはじめて成立します。
複雑性トラウマのクライアントは発達上「やらせてもらえなかったステップ=段階」を持っています。
その人のせいではないし、その人の本当のキャラクター=性格でもありません。
本当のキャラは、親ぐらい一緒にずっといないと自然には取り戻せないこと。
一緒にいるということはそれだけで神経の共鳴を呼ぶので、
だから時代は居心地のいいコミュニティを求め続けているのかもしれませんね。
そうやって自律神経の機能的発達としての身体的な安心を育てていくのには時間がかかるものです。
それを技術的に高速ワープなショートカットをさせようというのが、
対人の心理セッションであり、
これまで、たとえば50年間かかえていた感受性パターン(身体反応と連動しています)というものを
数回〜30回くらいのセッションで
「あ〜疲れにくくなりました、感覚過敏がなくなってびっくり、まわりの人はこわくないってわかったし
私はわたしでやっていってみます♡あ〜今日もじわっと幸せ♡」というところまで到達するのは、
多くのタイミングと神の息吹が必要なんです。
それに向けて自分ができることを、今日も明日も努力するのみです。
この偉大な本が生まれた奇跡について
複雑性トラウマについての
クライアント自身の言葉による精密な本が出版されたというのは、
本当に驚くべきことです。
①クライアントは、セッションを重ねていくと、感受性や考え方が変化していきます。
そして変化したあとでは
もう、以前のものの見方、感じ方をリアルに思いだすことはできないのです。
その点において、彼女はジャーナリストであり、
とても精緻な記録をずっととっていたのだろうと推察します。
(でも幼少のころの言葉はどうしたんだろう。思いだして記述するのにものすごい体力を使われただろうな・・・)
そのときどきのリアルな感情や視点を読ませてもらえることは
思ったよりずっとすごいことです!!
②人は自分が「欠陥がある」「未完成だ」「ゴールまで遠い」と思っているときに
自分の記録をとるのは好まないものです。
ハッピーエンドになるかどうかはわからない中途半端な途中感覚。
文章のメンタリティーに「憧れ」や「なりたい姿」が混じったり、
「欠陥品だという自分を恥じている」ので、記録を残したくない、と思うのが普通です。
恥ずかしい感覚、それをあらわにしていく強さは
癒しが完了した人には現れますが、
プロセスのなかにいるときに、それをやるのは難しいことです。
たとえば今から英語を習います〜と言いながら
まったく英語がたどたどしい自分を録画してYouTubeにあげていくのは
結構難しい、恥ずかしいこと、だと誰でも思いますよね。
それをやってのけた、膨大な量の告白と正直な気持ちの表現は
どれだけたくさんの人を救ったことでしょう。
わたしはそのことに心打たれます。ありがとう!
トラウマの克服とはなんでしょう
複雑性トラウマの「克服」とはいったいなんなのでしょうか。
筆者は言います。
「今や決定的な変化が二つある。希望と尽力があることだ。自分の感情がどんなに絶望的なものであっても、
それが一時的なものであることを知っている。
その手に負えなさには関係なく、わたしには その獣の主人であるという意識がある。そしてそのそれぞれの終戦に
わたしは力強く立ち、こう旗を打ち立てる。私は生きている、私は誇り高い、私は幸せに満ちている、ずっと。」
すばらしいハッピーエンドですね。
彼女は精神の自由を手に入れたのでしょう。
複雑性トラウマの卒業はどこなの?
結局お金ばかりかかって、何も起こらないんじゃないの?
多くの人がそう思っていると思います。
でもわたしは思うんです。
記憶が消えて、人生からトラウマの影がいっさいなくなることとは違うかもしれない。
でも視界が広がり、希望を感じられる身体になるということは、事実できる。と。
参考までにですが、わたしのこれまでのセッションの体験として
多くの方が「わたしは自分自身の人生を歩んでいきます」というような意味のことを言いながら
卒業されていきました。
これは卒業だな、とクライアントさんとの歩みのなかで私が指針としていることは、
①感受性そのものがかわる。防衛や拒否反応が強く出ていたことに対して、反応が出なくなる。
・感覚過敏が気にならないくらい小さくなる
・気に食わないヤツ にイラッとしなくなった自分にあとから気づいて「そういえば・・・」と話してくださる
・パワハラで圧倒感がある、と思っていた人に対してしれっと意見を押し戻している自分にあとから気づく
・いやなときにイヤだと言えて、ネガティブだというジャッジをしなくなる
②不快とともにいられるようになり、ご機嫌な状態に戻るのが早くなる(耐性領域が広がる)
・白黒思考すぎて0か100だったのに、ファジーな状態で人といられるようになる
・少し不快だと思うことが起こっても、そこに意識が固定されてぐるぐる思考になることがなくなる
・だめな自分を許せるようになり、休めるようになる。常に進まない、階段の踊り場にいる感覚を持てる。
③身体感覚とともに生きるようになる。だから不調に陥る前に休めるようになる。
・身体からあがってくる感覚を受け取りそれを信じられるようになる
・判断、だけじゃない「心地よさ」や「直感」による決め方ができるようになる
・仕事から帰ってバタンキューだったのが、身体に余力がでて他のことができるようになってる
(ご本人は体力がついてきた、と言います。でもこれは神経力であるほうが多い)
・笑顔の質がかわったり、クライアントさんの佇まいそのものがかわる、それを何も知らない家族に指摘される。
④わたしは私、という感覚がでてくる
・このあたりで転職など、実際の現実に向き合う力が全開になっていきます
(低活力の状態でいい転職をするのはむずかしい。もっと土台からやる必要があります)
・呼吸が大きく深くなり、身体がかわります
・軽やかさ、こだわらなさ、がでてきます。反対意見に出会っても「あ、じゃあ話し合いましょっか」という感じ。
自分そのものを否定されたという感覚から離れたことに後から気づく。
このような変化のあとに仕事での成功が生まれてきます。
ラクに強みで生きながら、仕事で疲れすぎず自分のペースで楽しく働ける。
成果も出せる、自分をきちんとアピールできる。
これらはトラウマを乗り越えたあとに、起こってくる、という実感があります。
逆に言うと、トラウマを見ずして
仕事の成功だけ手に入れようとすると
健康を害するような、のっぴきならない無理をしつづけなければならない状態になることが多い。
と、個人的には思います。
だからわたしはキャリアコンサルタントの領域で、仕事をしながら苦しんでいる方たちの
トラウマ解放から仕事への向き合いをノンストップで行う「転機のりこえ〜シャバへw」をやっています。
最後にステファニーさんの言葉を。

インスタグラムよりお借りしました。
良い人間になるために、私はあまりにも直感的でないことをしなければならなかった。
自分を罰すれば問題が解決すると言う考えを捨てなければならなかった。
愛を見つけなければならなかった。
この先の結論は、どうぞ、ご自身で目撃されてみてくださいね!
『今年の一冊!』確定の本でした。
今日もお読みくださりありがとうございました。
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インスタグラムでは
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◆HSPご本人向け。おしゃべり裏チャンネル
ながら聞きができるので、車での往復やご飯作りのときに
お風呂のあとのリラックスタイムなどに聞いてくださっている方が多いです。
⏩本の使い方説明動画(約3分)

◆集英社(オンライン)さんに取材していただきました。この記事めっちゃくちゃわかりやすいです!
【自律神経とHSPの関係をとてもわかりやすくまとめてくださいました】
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LINEだけのイベントやプレゼントシートなども、常時太っ腹です( ◠‿◠ )
