東京藝大卒・元ソニーミュージックディレクター。
国家資格キャリアコンサルタント/心理セラピスト/ボディワーカーの皆川公美子です。
発信のテーマは、
まだやりたいことがある!人へ。
年齢を重ねても、
一度つまずいても、
身体を壊した経験があっても、
人は生命力を失わずに、もう一度進化できる。
そんな視点から、
ポリヴェーガル理論・愛着・身体感覚を土台に、
脳と身体の過緊張、食いしばり、不安、背負いすぎのパターンを読み解き、
判断力・生命力・創造性を取り戻すための神経系アプローチをお伝えしています。
対象としているのは、
経営者・個人事業主・支援者・教育者・専門職など、
人や仕事に深く関わりながら、
「まだやりたいことがある!」と感じている方たちです。
がんばり続けるのではなく、
根性でなにかを乗り越えるのではなく、
安心する力、ゆるむ力の中から、自然に力を発揮すること。
そして、自分の生命力を通して、まわりにも良い影響を広げていくこと。
そのための個人セッション、講座、支援者育成を行っています。
これまでに、企業研修・自治体・個人セッションを合わせて、
のべ8,700名以上の方に伴走。
440回以上の講座・研修実績があります。
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※映画『Michael/マイケル』の内容に触れています。
また、幼少期の虐待や性的虐待の訴えについても触れます。必要でない方は、ここで閉じてください。
映画『Michael/マイケル』を観てきました。
世界中がマイケル・ジャクソンに熱狂した、あの巨大なエネルギー。
スクリーンから音楽が流れた途端、自然に身体が動き出し、まるで当時のライブ会場にいたような感覚になりました。
やっぱり、マイケルの音楽とダンスはすごい〜〜。
映画館へ行って本当によかった。
音楽を聴くと身体が動いちゃいます。
スクリーンの観客と一緒に立ち上がって踊りたくなっちゃいます。
映画を観ながら、改めてその圧倒的な創造性を感じました。
いまさら聞けないマイケル・ジャクソン基礎〜ソニーミュージック
一方で、対人援助職として強く心に残ったのは、世界を熱狂させた帝王の内側に、
安心して遊ぶことのできなかった子どもが存在していたのではないか、ということでした。
子どもである前に、プロであることを求められた幼少期
映画では、ジャクソン5として幼い頃にデビューしたマイケルと、強い支配力を持つ父親との関係が描かれています。
父親の野心と暴力的な支配のもとで、マイケルは「子どもであること」よりも先に、プロフェッショナルであることを求められていきます。
映画のなかではベルトで打たれるところがあったけど、本当だったのだろうか。
劇中に、こんなような言葉がありました。
「友達なんてできないよ。みんな僕にサインを求めるんだ」
切ないです。。。
世界中から愛されていた少年に、対等な友達はいなかった。
家族を愛している。
けれど、父親の支配からは自由になりたい。
お前は家族ってものをわかってない!父親の怒号に繊細なマイケルはだまって耐えました。
自分の中から湧き上がる音楽とダンスを、誰にも止められずに表現したい。
この映画を私は、父親の呪縛の中にいた少年が、自らのクリエイティビティを押し出し
若き帝王へと成長していく心の軌跡として観ました。
すばらしかった。
マイケルの天才性と創造への衝動には、父親の支配さえ押し返していくほどの強さがあった。
けれど、支配から離れることと、心が安心を取り戻すことは同じではなかった。
成功すれば、安心できるとは限らない
成功すれば、安全だよね。
有名だったらもう、安心だよね。
わたしを含め一般ぴーぽーはそう思います。
でもスターの現実はそうではないのだということを
レコード会社勤務時代に思い知りました。
スターは大きくなればなるほど、より大きな責任を背負います。
レコード会社もマネジメントも、次の成功を求める。
世界中のファンも、さらに新しい作品と、さらに大きな熱狂を求める。
創造への没頭はあっても、何の責任も負わずに遊び、試し、失敗する時間は、
少しずつ失われていったのかもしれません。
常に人から見られ、追いかけられ、期待される。
ひとりになって神経を休める時間がほとんどない。
さらに、家族の中にも安心して帰れる場所がなかったのだとしたら。
世界中から愛された人が、どこにも安心して帰れなかったとしたら、その孤独はどれほど深かったのでしょう。
ここで、支援者として考えておきたいことがあります。
人は、社会的に大きな成功を収めていても、必ずしも内側に安心を持っているとは限りません。
高い能力があること。
社会的に評価されていること。
多くの人から必要とされていること。
これらは、神経系が安心できていることとは別の問題です。
むしろ高い能力を持つ人ほど、傷ついた部分を働かせないために、
圧倒的な成果を出し続けている場合もあります。
「矛盾する自分」は、どちらかが偽物なのではない
映画を観る前に、2019年のドキュメンタリー『ネバーランドにさよならを』も観ました。
そこでは、子どもの頃にマイケルから性的虐待を受けたと訴えている二人の男性と、
その家族の語りが収められています。
私は、何が事実だったのかはわかりません。
マイケル本人はすでに亡くなっていて、本人の反論を聞くこともできない。
一方で、被害を訴えている人たちの語りを、簡単に「嘘だった」「何もなかった」と退けることもできませんでした。
彼らは真摯に、心から真摯に、自分の恥部も含めて語っていました。
ドキュメンタリーから伝わってきたのは、単純な「悪人と被害者」という構図だけではありません。
彼らがマイケルに抱いていた愛情。
本当に大好きだった。
家族ごと彼の魅力に巻き込まれていったこと。
愛していた相手から傷つけられたかもしれないという、容易には言葉にならない複雑さです。
(性的被害は殴る蹴るなどの暴力の末に起こったことはなくて
グルーミングという、暖かく接し、愛情なのか被害なのかという
結果的には手懐けたという質感のものであったと語られています。)
トラウマを抱える人の語りは、しばしば矛盾して見えることがあります。
「愛していた」
「大切な人だった」
「助けてもらった」
「でも、傷つけられた」
これらは、同時に存在することがあります。
愛していたなら、被害ではない。
傷つけられたなら、愛してはいなかった。
人の心は、そのように単純にはできていません。
相反する感情や記憶を抱えながら、人は関係の中を生き延びます。
構造的解離とは何か
この二つの作品を観ながら、私は「構造的解離」という人間理解を思い浮かべていました。
いわゆる「パーツ心理学」につながるところです。
構造的解離とは、簡単に言うと、耐え難い体験をひとつの自分だけでは受け止めきれないときに、
心身の働きをいくつかの自己状態に分けて生き延びる仕組みです。
たとえば、ひとりの人の中に、
社会生活を立派にこなす部分。
人を楽しませる部分。
誰にも見せずに痛みを抱える部分。
幼いまま時間が止まっているような部分。
危険を察知し、身を守ろうとする部分。
何も感じないことで日常を維持する部分。
このような異なる自己状態が存在することがあります。
これは、多重人格であるという意味ではありません。
私たちの中にも、
仕事では堂々と話せるのに、親の前では小さな子どものようになる。
人の相談には冷静に対応できるのに、自分のことになると何も考えられなくなる。
普段は穏やかなのに、特定の言葉を言われた瞬間だけ激しい怒りが出る。
ということがあります。
程度の違いはあっても、人は誰でも、状況に応じて異なる自己状態を使い分けています。
ただし、幼少期から逃げ場のない苦痛にさらされていた場合、
その自己状態同士が十分につながらず、それぞれが別の役割を担ったまま生き続けることがあります。

「適応」として見ると、人間の見え方が変わる
マイケル・ジャクソンが構造的解離の状態にあったと、外側から診断することはもちろんできません。
けれど、人間を理解するひとつの視点として考えると、世界を圧倒した帝王マイケルと、
ネバーランドで動物やおもちゃに囲まれ、「ねえ、遊ぼうよ」と子どもたちを求めていたマイケルが、
どちらも嘘ではなかった可能性が見えてきます。
動物を愛しチンパンジーと大の親友だったマイケル。
子どもたちと遊ぼうとしたマイケル。(小児病棟によく慰問に行っていたのはたんなるプロモーションではなかったのではとわたしは思います。そこには子供同志の本音の会話があったのかもしれない)
天才的な歌唱力とダンスで世界を熱狂させたマイケル。
眠れず、神経質になり、追い詰められていったマイケル。
それぞれが、ひとりの人間の中に存在していたのかもしれません。
支援において大切なのは、こうした複雑さを「どれが本当のあなたなのか」とシンプル化しすぎないことです。
どれも、その人が生き延びるために必要だった可能性があります。
怒っている部分にも、役割がある。
何も感じない部分にも、役割がある。
人に合わせ続ける部分にも、役割がある。
成果を出し続ける部分にも、役割がある。
問題のある部分を消そうとするのではなく、
「この反応は、何からこの人を守ってきたのだろう」
と見る。
それが、トラウマを適応として理解するということです。
理解することと、許すことは違う
ここでは、もうひとつ非常に重要な線引きがあります。
どれほど深い傷を負っていたとしても、それによって他者を傷つける行為が許されるわけではありません。
背景を理解しようとすることと、加害の責任を曖昧にすることは、まったく別のことです。
対人援助職は、ときに加害行為の背景にある孤独やトラウマを理解することがあります。
しかし、理解できることと、容認することは違います。
被害を受けた人の安全と権利を守ること。
行為の責任を明確にすること。
そのうえで、加害した人の内側にも何が起きていたのかを考えること。
この複数の視点を、同時に持つ必要があります。
善か悪か。
被害者か加害者か。
かわいそうな人か、責めるべき人か。
人間をひとつのカテゴリーに閉じ込めると、支援は急速に浅くなります。
人間の複雑さを理解することは、境界を曖昧にすることではないと思うんです。
むしろ複雑さを見たうえで、責任と境界を明確にしていくことが、成熟した支援なのだと思います。
支援者が見ているのは、「症状」ではなく生存戦略
クライアントが、
わかっているのに動けない。
安全な相手なのに怖い。
断りたいのに笑って引き受けてしまう。
仕事では有能なのに、家庭では何も決められない。
自分の気持ちを聞かれると、急に頭が真っ白になる。
このような状態にあるとき、私たちはつい「どうしてできないのだろう」と考えます。
しかし、その反応は意志の弱さでも、性格の問題でもないかもしれません。
がんばってやればいいじゃん、でもありません。
ある自己状態にとっては、動かないことが安全だった。
笑って引き受けることで、関係を失わずに済んだ。
何も感じないことで、日常を維持できた。
成果を出し続けることで、自分の存在を守ってきた。
その反応には、その人なりの生命の知恵があります。
だから支援者が最初にすることは、反応を取り除くことではありません。
その反応が必要だった理由を、身体と心の両方から理解することです。
そして、今の環境では別の選択もできるのだと、神経系が少しずつ学べる場をつくることです。
人は、分かれた部分をつなぎ直していける
構造的解離への支援は、「幼い部分をなくすこと」ではありません。
怒っている部分を黙らせることでも、傷ついている部分を説得することでもありません。
それぞれの部分が何を守り、何を必要としているのかを理解しながら、
分かれていた自己状態の間に、少しずつつながりをつくっていきます。
私は今、安全なのだろうか。
この人の前で、嫌だと言っても大丈夫だろうか。
休んでも、存在価値はなくならないだろうか。
弱さを見せても、関係は続くだろうか。
身体がこうした問いに「大丈夫かもしれない」と感じられる経験を重ねることで、
人は少しずつ選択肢を取り戻していきます。
反応しない人になるのではありません。
反応しかできなかった状態から、選べる状態へ移っていく。
それが、統合へ向かうということです。
キングの中にいた、遊びたかった子ども
華やかなキングだったマイケル。
繊細で孤独な青年だったマイケル。
子どもであることを諦めきれなかったかもしれないマイケル。
その複雑さを、良い人か悪い人だったかという一言で片づけることは、
私にはできません。
理解することは、許すことではない。
責任を問うことと、その人が抱えていた痛みを想像することは、同時にできる。
そしてこれは、特別なスターだけの話ではありません。
私たちが出会うクライアントの中にも、
社会で立派に働いている大人と、
誰にも助けてもらえなかった子どもと、
もう二度と傷つきたくない防衛者が、
同時に存在していることがあります。
目の前にいる人を、ひとつの人格としてだけ見るのではなく、その人の中で懸命に生きてきた複数の自己状態を見る。
そこから、支援は変わっていきます。
マイケルが残してくれた、あまりにも大きな音楽とエネルギーに、改めてありがとうと言いたい。
50年の人生。
これほど多くの音楽と、ダンスと、喜びを残してくれてありがとう。
やっぱり世界中のみんなが、あなたのことを大大大好きなのだと思います。
支援しているのに、なぜ人は変わらないのか
クライアントの話を理解し、丁寧に傾聴している。
本人も「わかりました」と言っている。
それなのに、人間関係で緊張したり、自分を下げ過ぎてしまったり
同じ反応を繰り返してしまう。
その背景には、思考や意志だけでは変えられない、身体の神経系と自己状態の働きがあります。
私のメールマガジンでは、
・なぜ、アタマでは理解したのに緊張したり人間関係に苦手があったりがんばりすぎをなおせないのか
・支援者自身の神経状態が、セッションに与える影響
・傾聴だけでは届かないとき、何を見ればよいのか
などを、現場の事例とともにお届けしています。
人を変えようとする支援から、その人が動ける状態を育てる支援へ。
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◆「前に進みたいのに身体が止まる」
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心・身体・神経系・関係性のパターンを一緒に見ていくBMSセッションを行っています。
なお、強みや才能、働き方の整理を中心に扱いたい方は、
ストレングスを使った仕事・強みのセッションをご覧ください。
【社会人のためのポリヴェーガル理論入門】
クライアントが動かないのも、あなたが疲れすぎるのも、努力不足じゃない。
〜神経の仕組みから支援を見直す3時間〜
→100名以上のご参加いただきました。ありがとうございます。
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コーチング、コンサルタント、カウンセラーのみなさん、
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この本が人生を変えてくれたとセッションに来てくださる方がいます。
本当にうれしいご縁です。書いて良かった。













































