オーナーの読書室 -5ページ目

くじらの中で

くじらの中で

ジョージ・オーウェル



ヘンリー・ミラーの小説、「北回帰線」が出たのは1935年で、これは、何となく及び腰の賞賛で迎えられたのだが、明らかにこのことは、ポルノグラフィーを楽しんでいるではないか、という警戒心から出たものであった。これを賞賛した人の中には、T.S.エリオット、ハーバート・リード、アルダス・ハックスレイ、ジョン・ドス・パソス、エズラ・パウンド等がいるが、――ひとくくりにして言えば、彼らは当時の流行の作家ではなかった。しかも事実上、この本の主題と、ある程度までの精神的な雰囲気は、1930年代ではなく、1920年代のものであった。


 「北回帰線」は一人称で書かれた小説、あるいは小説のかたちをとった自伝であって、どちらと見るかはあなた次第だ。ミラー自身、これはずばり自伝であると主張しているのだが、そのテンポと、語り口は小説のそれである。これはパリに住むアメリカ人の話なのだが、通常のものとは全くかけ離れている。というのも、これに登場するアメリカ人たちは、お金をたまたまもっていないのである。ブームであった時代、ドルがあふれ、フランの為替レートは安く、パリでは、アーティスト(画家)、作家、学生、ディレッタント、観光客、放蕩者、そして単なる怠け者等々の一団が、おそらく世界でも例を見ないほどに群がってパリに押し寄せていた。町の一隅では、いわゆる画家の数が、実際の労働者の数を上回っていて、20年代後半でのパリにおける画家の総数が、実に三万人という多きを数えたのだが、彼らの大半は“かたり”であった。コーデュロイのパンツをはいたしゃがれ声のレスビアンや、ギリシャや中世のコスチュームを着た若い男たちが、通りを闊歩しても、別に注意を引かないほどに、こうした住民がアーティストにとって、その地盤をかたちづくっていて、セーヌの河岸ちかくにあるノートルダムでは、画架の台をよけて通るのがほとんど不可能であるほどであった。それはダークホースと、天才たちの時代であった。誰もの口端にのぼるのは、「ひとたび世に出たあかつきには・・」(Quand je serai lance)であったが、結果的に、誰も「世に出なかった」。氷河期の再来ように、不況がやってきて、コスモポリタン(世界市民)であるアーティストの群れは、消滅したのであった。そして巨大なモンパルナスのキャフェでは、ほんの十年前では、深夜までキャーキャーとさわぐ気取り屋であふれていたのだが、薄暗い墓場と化し、ユウレイすらもいない有様であった。この世界こそが、ウィンダム・ルイスの小説「タール」によって描写されたもので、――そのことをミラーも書いている。ただし彼は、それの内側のみを扱っていて、すなわちルンペンプロレタリアンの外延の部分にかかわっており、そこでは不況時代を生き延びることができたのであった。なぜなら、その部分は一部完全なアーティストと、また他の一部では本物の悪党たちで構成されていたからだ。無視された天才たち、彼ら妄想家たちは、いつでも小説を“書くであろう”であって、その小説は、プルーストを脱帽させるはずであった。だが彼らは、あちらこちら次の食事を探し求めていない時間だけの“天才”であった。というのも、この小説の大部分が、虫がはいまわっているような労働者の安ホテルの部屋や、けんか、飲み屋、安売春宿、ロシアからの避難民、行商人、詐欺師、そして日雇い労働者、等々についての話であるからだ。そして、一外国人が見たパリの貧民地区における全体的な雰囲気とは、――石畳の小路、拒絶感が漂う冷たい感じ、また脂ぎった亜鉛のカウンターがあるビストロであり、そして使い古されたレンガの床や、セーヌの緑色の水や、共和国防衛軍の青い外套、鉄の小便器のかけら、メトロ(地下鉄)の奇妙に甘い匂いであり、タバコの小片、ルクセンブルグ公園のうさぎ、――そうしたもののすべてであり、あるいはともかく、そうしたものを感じさせる雰囲気なのだ。


 その表面上は、どんな素材もあやうい存在であった。「北回帰線」が出版されたとき、イタリア人がアビシニアで行進しており、ヒットラーの強制収容所はすでに膨れ上がっていた。世界の知識人の関心は、ローマ、モスクワ、そしてベルリンに集まっていた。卓越した価値を有する小説が書かれているのだが、それは、ラティンクォーターで故意に金を払わず、酒をせびっているアメリカン人についての話なのであって、それは時代に沿ったものとは思われない。もちろん、小説家というのは、現代史について直裁に書くことを義務付けられているわけではない、ただ、当時の重要な社会的出来事を無視している一人の小説家というものは、一般的にいって、ぶらぶらしている役立たずか、もしくは単なる馬鹿である。「北回帰線」の主題を単純化していえば、ほとんどの人がおそらく想像するように、20年代に取り残された、少しやんちゃな人間の話以上のものではない。実際のところ、これを読んだほとんど誰もが、これは決してそういうたぐいのものではなく、非常に特筆すべきものであるとすぐに気づかされるのだ。いかにして、また何故特筆されるべきものなのか? この疑問に答えるのは決して容易なことではない。「北回帰線」が私の胸に残した印象について記述することからはじめるほうがよさそうだ。


―――つづく


 

ジャズ雑感

この「多分駄文コーナー」もちょっとあきがきた。リズムについての雑文もこれだけひっぱればもういいという感じだ。


 この次にくる理想的な段階としては、私は以下のようなことを考えている。ソロのフレーズにおけるメロディックなライン、すなわち音の高低によるソロというものにはどういう意味があるのか、その論理性の根拠になるものを探求できればと思うのだが、これは何を具体的に指しているかといえば、すなわち、各フレーズを構成する根拠として、ひとつには、これまで説明してきたジャズにおけるリズム上のポイント、これを仮に縦軸(垂直なうごき)として、ふたつめには、これとは別に、定型的なイディオムをベースにしてはいるが、プレイヤーの自由な演奏があり、これを横軸(水平なうごき)とすれば、このふたつが編みこまれている構造ということになる、(ここでいう水平なうごきとは、音の高低、上下のうごきのことではない。)


 こうした構造が論理性への根拠となると私は思っている。このフォーマットをベースにして実行されるジャズのアンサンブルにおけるソロのインプロビゼーション(即興演奏)が、その全体としてひとつの意味をもつその背景には、やはり私が以前から主張している英語自体のもつイントネーションにもとづいたものがある。このメカニズムによって、ひとつの思考、あるいは感情が、その時間上の延長線上に、ひとつの論理性をもって立ち上がってくるのである。(このことは昨年、「ジャズをやるものは、英語を理解しなければならない」と私が主張した点における根拠となっているだが・・・)


 そのことを、豊富な実例でもって詳細に例示したいところなのだが、私の知識と能力では限界がある。これは、音声学上、また即興演奏についての分析の観点から面白い研究テーマだと思うのだが、だれか挑戦する人はあらわれないかしら。それとも、もうすでにアメリカでこのような研究結果が発表されているのかしら??


 


 てなわけで、この駄文コーナーのしちめんどくさい話から当分おさらばして、突然ではあるが、ジョージ・オーウェルのエッセイの翻訳をやることにする。ネタ本となるのは、なんと私が1973年か74年ごろに購った(あがなった)ところの、ペンギンブックスのペーパーバックで、1968年版である。初版は1957年で、「セレクテッド・エッセイ」(随筆撰集)とタイトルされていて、1930年代から40年代に書かれたものをベースにしている。


 ところで、読者諸兄は、「ははー、ジョージ・オーウェルといえば、“1984年”が有名で、最近、村上春樹の“1Q84”が出たので、その評判にあやかろうとしているのだろう。さもしい根性だ」と思われるかもしれない。もしそうだとすれば、私にとってそれははなはだ遺憾である。私は、村上のストーリーテラーとしての才能を認めることにはやぶさかではないが、その作品自体は、どうも好きになれない。これには、「近親憎悪」「男の嫉妬」といった感情がからんでいるのだろう。ちなみに彼と私は同年である。話がそれたが、今回オーウェルを選んだ理由は、新刊のペーパーバックすら買えないという経済的事情なのであって、まったくしゃれにもならない偶然なのだ。つまり、読む本が手元からなくなったので、ふと昔の本を再度読んでみたら、興味深かったというだけのことなのだ。


 閑話休題。“1984年”や“アニマル・ファーム”はともかく、70年から80年前の状況について書かれたイギリス作家のエッセイを、この現代の日本において読むなんて意味があるのだろうかという疑問を呈するむきがあるかもしれない。ごもっとも。そこで先ずは、彼の略歴を紹介すると、オーウェルは1903年生まれで、イートンに学び、その後、インド帝国警察所管のビルマで勤務し、1937年には、スペインの市民戦争で共和党のために戦闘に参加し、負傷している。その後第二次世界大戦時、ホームガード(英国のボランティアの防衛軍事組織)に参加して、BBCで働いた。そしてその後、トリビューンや、オブザーバー紙の文学欄担当の定期的な寄稿者となった。1930年代、英国の植民地であったビルマで、警察官として勤務していた時期、彼は大英帝国の衰退を感じていて、なによりも帝国主義を嫌悪していた。そのエピソードがこのエッセイにもあるが、小説「1984年」を書いた動機もそのへんにあるらしい。また、70年前のイギリスの状況は、貧富の格差が激しく、英国はふたつの国に分かれているという意味のことをいっている。これは現在の日本にもどこか通じるところが感じられる。


――ということで、次回から、例によって連載形式で掲載することにする。



多分駄文7


まだまだリズムのこと



ジャズのリズムについては、言いたいことも尽きたようなので、というか、ネタ切れなので、このコーナーはずっとほったらかしていたら、先日あるお客から、ずっと読んでいますよ、面白いですね、と言われた。もうこれ以上面白いことは書けないので、休筆状態であったが、だが、よくよく考えてみると、「駄文」と銘うっている以上、つまらないことを書いてもいいわけだ。


たまたま、上記のお客さんのとなりにいたもう一人のお客さんが、

「ヨルバ語のイントネーションが、ジャズのフレーズに関係しているのというはどうもわかりにくい」

と言われた。

「いや、簡単なことですよ。なんでもいいんですが、例えば、マイルス・デイビスのヨーロッパ公演のライブ盤のCDが、今ここにあります。この中にコルトレーンのインタビューがはいっています」

と言って、私はこのインタビューの部分を彼らに聴いていただいた。


「なるほどね、そういわれれば、確かにイントネーション(抑揚)を感じますね」と、そのもう一人のお客さんは言われた。


それはスウェーデンのストックホルムでの録音なのだが、スウェーデン人のインタビュアーが、「私はりゅうちょうなアメリカン・イングリッシュが話せるのです」といわんばかりに、きどった口調で、「ジョン、(ミスター・コルトレーンではなく、ジョンなどといかにも親しげに話しかけているのがあざとい、――著者の注釈、というか、ひがみ)マイルスのグループで演奏するというのはどういう感じなのですか?」などと話しかけている。すると、トレーンは、「マイルスは私に完全な自由を与えてくれているので楽しい」などと答えている。


この際、ここでは、彼の話している内容ではなく、彼(コルトレーン)の発声におけるそのイントネーションに注目してみよう。スウェーデン人の平板な発声に比べて、トレーンのそれは、抑揚が深く、大きいことに気づかされる。もちろん、彼はノースカロライナ州出身なので、彼の発音はいわゆる南部なまりがあるのだが、それと同時に黒人独特の抑揚をともなった話し方をしている。

これこそが、ヨルバ語のもつイントネーションなのである。以前のブログにも書いたが、チャールス・ミンガスのインタビューでも、彼独特のイントネーションをきくことができる。このイントネーションが英語の発音に本来的にあるダブル子音と、英語自体のイントネーション(各単語のアクセントの位置)と組み合わされて、ジャズ(実はジャズに限らずブルース、ロック全般がそうなのだが)独特のフレーズをかたちづくっている、とすることにあまり抵抗はないのではないだろうか。そこで提案なのだが、これからジャズの即興演奏をやろうという御仁には、アメリカ黒人がはなしているのを、そういう意識をもって聴いてみれば、参考になると思う。その際、いうまでもなく、英語の意味を読み取るのではなく、あくまでも発声上のイントネーションの流れを読み取ればいいのである。有名なものでは、マーチン・ルーざー・キング牧師の「アイ・ハヴ・ア・ドリーム」、またマルコム・Xの演説等が、おすすめである。


例によって今回もおちゃらけた結論となってしまった。駄文なる所以である。




多分駄文6

ジャズにおけるリズム・リテラシーについて




もう少しジャズのリズムにこだわってみたい。この稿では、テナーサックスを吹奏するという実践面から見たリズムについてさらに考えることにする。コルトレーンのフレーズを基本に、その他のテナーサックス奏者、例えば、ウェイン・ショーター、ソニー・ロリンズ、現代の若手では、エリック・アレキサンダー等、の演奏を追いかけていると、やはりそこには共通したものを感じることができる。これはすなわち、これまで何度も指摘してきたように、スウィングとよばれる浮遊感をともなった感覚のことである。もちろん、具体的には、演奏者一人一人の個性があって違うものなのだが、ここで言おうとしていることは、それぞれが、浮遊感を生み出すべくひとつのリズムパターン内にいるということである。このことを私は、


「ジャズにおけるリズム・リテラシー」


と名づけたい。


 これはすなわち、ジャズ音楽という即興芸術において、誰でもが参加することができる一つの共通言語(リテラシー)という概念として考えている。これは、読者もほぼ推測がつくと思われるのだが、明治以後の新しい現代日本語の成立過程からヒントを得ている。言うまでもなく、話し言葉をそのまま文章にして、誰でもその思想や感想を平易なかたちで伝えることができるということで、これの成立には夏目漱石、正岡子規等の創作活動などがおおいに貢献したと、司馬遼太郎、現代では、「日本語の消滅」で話題になった水村美苗等が説明していることは周知のとおりである。


 と、ここまで書いて、こんなことはネイティブジャズメン、すなわちアメリカ人ジャズメンにとっては当たり前すぎて、いちいち仰々しくいうことでもないのかな、とも思ってしまう。


 ところで話が変わるが、パーカーから始まるバップのイディオムの変遷を、サキソフォーン奏者の演奏スタイルの変化で見てみると、先ずパーカー自身が生みだした代理コードを使った強烈なシンコペーションをともなうフレーズがあり、それをコルトレーンが細分化しているのだが、このコルトレーンのイディオムを直接引き継いだのが、チャールス・ロイド、マイケル・ブレッカー、現代の若手では、ケニー・ギャレット、ブランフォード・マルサリスだと私は思っている。不肖緒方もこのトレーンのイディオムを追いかけている。一つのフレーズから次のフレーズへのつながり、そしてさらに次のフレーズというふうに追ってゆくのだ。それは、ダウンビートをはずして、シンコペーションというリズムポイントでつながっている一連の主張であり、論理となっている。だが、これを追いかけていると、まるで「メビウスの輪」のように、各フレーズごとのくりかえしにとらえられてしまうような感覚に陥ることがある。


 それはともかく、ここで重要なことは、先にのべたように、パーカーのバップイディオムが、現代にまで確実に継承されているという点だ。これは一見ごく当たりまえのように思われるのだが、私が言いたいのは、各々の演奏は時代ごとに微妙に変化しているという点だ。ありていに言ってしまえば、パーカーのもつきらめくような緊張感、コルトレーンの演奏における壮絶な境地、から時代を経て、現代のそれには、よりリラックスしたものを感じることができるのである。それはやはり、音楽は時代を反映している、からなのだろうか。すなわち現代は、70年代のフリー(破壊)からのゆるやかなゆり戻しなのかもしれない。そのことを私は、リズムの変化から感じとっているのだ。つまりリズムそのものがジャズにおけるリテラシーの役割を負っているのだ。


 どうも今回ももうひとつ決まらない結論となったが、I-tuneで最新のジャズシーンを概観すると、現代は、テナーサックスの復権が感じられる。上記以外の若手(といっても40才代であろうが)をあげると、ジョー・スナイデロ、ライアン・オリバー、ヒューストン・パーソン等々、続々と面白いアーティストが登場している。


―――了




 

多分駄文5

ジャズのリズムについて(2)



さて、先にジャズのリズムがもつ浮遊感覚を、ゴムに結束された球体の運動になぞらえて視覚化したが、これはごく単純化した説明であって、実は、その球体を固定しているゴムも柵も同時に動いている。この場合、最もシンプルなピアノトリオで考えると、球体であるピアノの音の動きに即応して、当然、ベースもドラムもそれぞれリズム上のコンテキスト内で“動いている”。しかもこの三者は、即興演奏を行っている。

 「君、僕はここのところで、つまりこのシンコペーションの箇所で、若干ながく音を伸ばすからよろしく」

 などとピアニストがドラマーにたいして言わないし、たとえ言ったところで、意味をなさない。いや、そもそも即興演奏なのでそんなことは不可能だ。

 

 彼らは、“グルーブ”(ノリ)を共有しており、その信頼感でもって、お互いに微妙にリズム上のポイントを伸ばしたり、縮めたりすることで、彼らに固有な“浮遊感”を生み出している。このフィーリングを最も顕著に出しているのが、コルトレーンの、いわゆる“クラシックカルテット”の演奏であると、私は思う。初めてのコルトレーンの伝記であるシンプキンス著の「コルトレーン」の中で、ピアニストのマッコイ・タイナーが、このことをていねいに解説している。マッコイは、当初、コルトレーンカルテットのドラマーが最終的にエルビン・ジョーンズに決まって、最初のセッションをやると、少々戸惑った。つまり、リズム上のポイントが合わない感じがあった。それでも、何回か演奏をすると段々とそのフィーリングが分かってきて、ピアノの伴奏もエルビンのそれに合わせられるようになった、と言っている。この場合、テナーとベースを合わせた四者が完全にリズム的に組み合わされた状態を、彼(マッコイ)は言っているのであろう。そこにはあふれるほどの大きな「浮遊感」があり、そのカルテットの生み出すリズム世界は、ゆったりとして、えもいわれぬ快感がある。


 これは単純な“打ち合わせ”でできることではない。彼ら、コルトレーンカルテットは、毎夜、クラブで深夜まで演奏しまくっており、お互いの演奏の個性、すなわちそれぞれ固有のリズム感が手に取るように分かっていたはずだ。別の伝記で、コルトレーンは、以下のように言っている。


 「音楽(ジャズ)のレコードを聴くのであれば、例えばそれがカルテットであれば、貴方は少なくとも五回同じものを聴かなければならない。すなわち、一回目は、テナーサックス、二回目はピアノ、三回目はベース、四回目はドラム、そして五回目に全体を聴くのだ」


 これは、彼、コルトレーンが姪っ子にたいして、たれかの演奏のよしあしを評価する前にレコードの聴き方を述べたものだ。


 ジャズのアンサンブルによる即興演奏とは、ウムベルト・エーコの“オープン・ワーク”の概念(これは結論が用意されていない主張、言説、をそのまま表現として作品にする)のごとく、各プレイヤーが、その場で決定される表現をそのままで提出する姿勢を維持することであり、事前に結論、結果が想定されることはないという事態なのであって、各演奏者は、それぞれ固有のリズム空間をもっていて、それぞれの空間が、華厳教学でいうところの「換入」しあっている状態なのである。すなわち、Aという演奏者のリズム空間の凹みは、Bの演奏者のもつ空間の突起部に対応している、という事態である。コルトレーンが言うところの、5回聴けというのも、このことを察知せよ、と言っているように私には思われる。


 ところで私は今、リズムに即して説明しているが、実際のアンサンブルでは、トーナリティ(調性)(いわゆるキー)、コードプログレッション、フロントのメロディライン(あるいはアドリブライン)、そしてそれに対位法的に対置されるベースラインといった諸要素から成立しているのであって、しかもこれらが同時進行しながら、「換入」しあっている。コルトレーンは、また別のところで、ジャズの演奏とは、家を建てるようなものだ、と言っているのだが、これは、各建築資材を用意して、それらを順番に組み立ててゆくわけだが、一つの部材が欠けても家が建たないように、一つの要素が抜け落ちても演奏が成立しないということを言っている。ただ、読者諸賢は、先刻ご承知のように、私は、ジャズ音楽の理論には、無知であるので、最初にことわったように、ジャズにおいて占めるリズムの要素は50%以上であるとしたのは、このことを念頭においているからだ。つまり、リズム以外の要素を説明する資格が私にはないのである。とはいっても、リズムの要素が、“50%以上”などと、数量的に表現するのは妥当ではないことも承知している。


 逆に、リズムは、ジャズ音楽という時間芸術において、美学上の契機と、音の意味づけに決定的にかかわっており、ジャズのすべてといっていい。これが欠損していると、たちまち、音楽にならない。例えば、ライトニン・ホプキンスの鋭いギターのダウンストローク、―――これはブルースだが、これに鋭い美を私は感じてしまう。ライトニン自身がもつリズム感自体が美なのだ。



―――了


 

多分駄文4

ジャズのリズムについて


今から書くことはジャズの世界では常識である。いちいちことごとしく書きたてるほどのものではないだろう。従って、反論・異論があろうと私はそれに対して、どうということもない。そういうふうに、議論をするためではなく、一種の防忘録、あるいは、これまでこのブログに書き散らしてきたこと、また店のお客さんにえらそうにしゃべり散らしたことを、一度きちんとした文章にしてみよう、ということだ。そうすることでこれまで漠然と感じていた事柄を整理して、ひとつの知見として確認したいという思いがある。というのも、アメリカの黒人、白人ジャズマンでは自然に成立しているようなアンサンブルにおける共通のリズム感が、わが日本人では、必ずしも共有されていないのではないかという疑念が私にはあるからだ。これは、二年前のブログで、ロックのリズム感について書いた事柄と通底している。書かれたものを読むことで、そのことについての実証的な有効性はともかく、自分以外の他者との共感が得られれば、と私は思っている。


 あえて結論から先に言ってしまうと、ジャズという音楽は、50%以上スウィング感という独特のリズムによって成立している、ということになる。だが先ずもって、この「スウィング」という言葉にこだわってみたい。

「スウィング」

 という言葉は、“スウィングスタイル”というジャズのスタイルの変遷史上、1920年代から35年頃までのスタイルを言いあらわしていて、その後、「中間派」を経て、戦後の「ビ・バップ」に受け継がれるのだが、エリントンの

“スウィングしなけりゃ意味がない”

 という曲に代表されるように、スウィングという独特のリズム感が、普遍的に重要であるという認識が獲得されて現在に至っている。例えば、ブルーノートレコードの創業者で、有名なプロデューサーであったアルフレッド・ライオンは、有名、無名のジャズミュージシャンをスタジオに集めて、数多くのレコーディングを行ったが、そのレコーディングのできの良し悪しは、彼にとっての基準であるスウィングしているか、そうでないか、であった、というのは有名な話だ。あるジャズマンが一つの曲をレコーディングして、アルフレッドのごきげんがもうひとつだったので、次の曲を彼はもっと“スウィング”して、やったら、アルフレッドはニヤッと笑ってごきげんになった、というエピソードが残っている。従って、スウィングという言葉はかくのごとく普遍的な意味をもってはいるのだが、20年代から始まって、60年代にも頻繁に使用された語感があって、そこには、戦前戦後を通じてのスタイル上の印象がつきまとっていて、どうも現在の感覚と合わない感じがある。そうした過去のスタイル上の残滓を除いた、より抽象的な言葉として私は、「浮遊感」という言葉を先のブログで、ロックのリズム感を説明する際に用いたのだが、この「浮遊感」という言葉を、このジャズのリズムを言いあらわす際にも使用したい。偶然これは、東大でジャズの臨時講義を行った菊池成孔氏も使用しておられる。


 さて、この「浮遊感」なるものがジャズにとって50%以上の意味をもつ、と私は先に書いたが、それを視覚的にイメージするとどういうことかといえば、ボーリングで使用される重い球体が、左右に二本の強靭なゴムで固定されていて、そのボール自体が左右、また上下に動いている状態をイメージすれば、私がここでいっている「浮遊感」なるものがどういうことなのか、わかってもらえるかもしれない。この場合、このボールがソロイストの音楽的な意志をあらわし、固定された柵とそれからボールをつないでいるゴムが伴奏者だ。ボールは、その束縛から逃れようとするかのごとく、固定された柵からずっと離れた地点へ動こうとするが、強靭なゴムによってむすばれているため、また元の位置に戻ってこざるを得ない。しかし戻ってくると、慣性の法則で、逆方向に引っぱってゆかれる。絶えず静止した状態から揺れ動いている状態へと、その球体は運動を繰り返すのだが、ある時点で、均衡のとれた地点で動かなくなる。曲の途中の休止点か、あるいは一つの曲が終わった地点なのか。


 いずれにせよ、上記の状態を、もし実際に見分するとなると、やはりこれはかなり“危なっかしい”という印象があるのではないか。球体はどちらの方向へ動くのか検討がつかないし、それ以前に、強靭であるとされるゴムが切れてしまうのでは、という想像がはたらく。ジャズの即興演奏が“スリリング”であるとされるのは、こうした聴覚上の刺激が、上記のような事態をイメージさせているからなのではないか、と私は思っている。


 先のアルフレッド・ライオンのエピソードにもあるように、ジャズの演奏家は、先ずもって、上記の「浮遊感」を得るため、というよりその浮遊感の心地よさを体験したいがために、それを追求しながら演奏しているのではないかとさえ、思えてくるのである。


 ところで、こうした浮遊感を生じさせる運動のパワー、ないし契機(モチーフ)とは何なのだろう? それこそが、私が以前のブログで指摘した英語のダブル子音によるシンコペーションであり、もう一つはヨルバ語のもつリズム感である。ここで私が重要だと思う点は、英語の子音や、ヨルバ語があるからジャズのフレーズができたのではなく、上記の「浮遊感」が心地よいから、そうなった、という点である。リズムありきである。こうした視点は、外来文化を受容する過程で、存外、重要なのではと思う。日本人はややもすると、その文化の形式(かたち)から理解しようとする。ジャズの場合、曲の構造や、コードプログレッション(コード進行)を理解してから、演奏しようとする。それは、確かにかたちにはなっているだろうが、肝心のリズムの楽しさが伝わらないということになりがちである。またオーディアンスにしても、ソロイストの音のみを追っかけていると、ただ難解なだけで、意味もわからず、まして楽しむという境地にはならないのではないか。この発想を逆転させて、ジャズ演奏を単にリズムの遊びとしてとらえれば、その本質が見えてくるのではないだろうか。


―――つづく

多分駄文3

多分駄文3


先日、例によって一人でソプラノサックスをばりばり吹いていると、突然、イケメンの白人男性の親子が入ってきた。下の通りから私の演奏が聞こえたそうだ。話を聞くと、彼はイギリスのマン島に住む判事さんであった。息子さんは、日本人の感覚だと二十歳くらいに見えるのだが、何と十六歳というではないか。

彼は詩人のテニスンが好きだということだ。超男前である。


次の日も来るというので、私は急きょ私自身のミニライブをやることにした。

ケータイに吹き込んでいる私の曲を確認して、(私は自分が作曲した曲であるにもかかわらず、忘れてしまうのだ)、演奏におよんだが、さて、彼らが気に入ったかどうかは定かではない。

私の演奏

私の演奏


突然だが、16年前に録音した私の演奏をmyspaceに掲載してくれる人がいたので、聴くことができるようになった。以下のアドレスから試聴が可能です。

感想をケイズケイスのメールアドレスへ送って頂ければ幸いです。


http://www.myspace.com/keiogata

多分駄文2

多分駄文2


先日の国会答弁で、民主党の前原議員が、麻生総理に対して、「詐欺」呼ばわりした質問に対して、当の麻生総理は、「犯罪である」と応酬していたが、彼は、“換喩”(かんゆ)、――英語ではメトニミー、――というレトリック(修辞法)というものをご存じないらしい。換喩とは、いうまでもなく、あるひとつの事柄を別の表現で言い換えることで、例えば、ダウニング街10番地とは、英国首相の官邸の住所だが、それは、英国政府そのものを指す“換喩”であり、“キャピトルヒル”もしくは単に“ヒル”といえば、米国の国会議事堂を指していて、米国議会そのものの“換喩”であることぐらい中学生でもわかるというものだ。民主主義の政治家であれば、この程度のレトリックを基礎にして、本質的な議論を展開すべきところ、まったく字義通りの言葉尻をつかまえて、児戯のような口げんかに終始している。笑止である。ついでながら、民主党も感心しない。少し前、民主党の議員が、四文字熟語をならべたてて、麻生総理にそれを見せて、テレビ番組よろしくクイズショーを国会で行っていた。これこそ時間と税金の無駄遣いでなくして何であろう。


ことほどさように、わが同胞である国会議員の諸先生方の能天気ぶり、知的脆弱性には、暗澹とせざるを得ない。

コルトレーン・リイグザミンド

前回掲載した「コルトレーン再考」の英訳文を知り合いのプロの翻訳家にリライトしてもらう機会を得た。そこで、これはわが英語能力の限界を天下にさらすことになるが、英語のお勉強のために、あえてここに掲載することにする。

私の日本語の原文から、私自身が英訳した”Coltrane Reconsidered”, さらに、

プロの翻訳による”Coltrane Re-examined” (すでにタイトルからして違っている)を比較すれば、よりネイティブ・スピーカーにちかい英語表現が体得されるのではないかと思い、恥をしのんで公開する次第である。



Coltrane Re-examined


Like “Chasin The Trane”, I’m chasing Coltrane. Almost everyday I blow my soprano saxophone while at the same time listening to him on a CD player. What I have realized or, come away with from doing so is that Trane’s music is not as unique as I though it was with no parallel to it as I wrote in my blog. Now I am beginning to feel that his music is not always unique as I found some of his idiomatic phrases traceable back to Parker, Coleman Hawkins, etc. Yes, you hear an almost blasting tonguing, and extraordinary energy with which he goes instantaneously across the whole register of two and half octaves of the tenor-saxophone. And there is no doubt that those phrases were of his own creation, not contemplated in advance with no condition attached. Yet, I have come to realize that his use of music langauge is still rooted in the tradition of jazz.


You may think I am exaggerating, particularly for readers who have never played musical instrument, but when you try to copy his performance if not perfectly, you can understand his idea and attitude toward playing. I believe that playing jazz is essentially different from playing European classical music, even though they both use the same instruments. In classical music, the composer carefully chooses notes in advance, and creates a melody and sub-melody with the melodies and harmonies determined as their logical development for the instrumentalists to reproduce faithfully, whereas a jazz player seems to start from the reality of a specific individual instrument itself. For example, when he plays a tenor-saxophone, he hits each and every note on the same basis across the whole register of the instrument, i.e. from the bottom A to the top F sharp, and tries to make every note sound as if it took on a distinctive character, just like he plays as if the instrument were an extension of his own body. Therefore, even if a note moves two octaves at a time within a bar, it could be established part of the melody if it sounds logical in the context of the solo. Such technique, or attitude may not be found in classical music. In terms of playing instrument, improvised jazz performance may be, in a sense, more physical than classical music performance that is not improvised, although both express dexterity of hands acquired through hard practice. For; jazz musicians seem to be struggling all the time to find a way to make their instruments sound more beautiful starting from the reality of the instrument itself.


Now, what do I mean when I say “Coltrane’s use of music language is rooted in the tradition of jazz” as I noted above? Needless to say, he got a direct influence from Charlie Parker. It’s not exaggeration to say that any musician after Be-Bop can be traced back to Parker. There may be no need to mention priggishly what is so obvious. Yet, now fifty years after Coltrane performed his 1958 Prestige recording, something comes to fore. Just as we cannot see the woods for the trees when we are in the woods, we saw Coltrane stand far above the others. But, after fifty years, once we are out of the woods, as it were, we see him ranking equally with such giants as Miles, Rollins, Coleman Hawkins, Gene Ammons, etc. Even Coltrane, like other jazz giants, adheres to phrases based on a rhythmic point in an ensemble, syncopation placed at English consonants, and intonation; generated from Yoruban language of West Africa, all these constituting the jazz tradition.


This is just an aside but I have been listening to jazz for more than forty years. Music has been ringing in my ears since then, and I often find myself humming phrases. Since two years ago when I became conscious that phrases in jazz improvisation are based on consonants of English language, the phrases ringing in my ears seem to have slightly changed. This may be attributable to the fact that I began to play in my bar (drinking place), as I listen to Coltrane. With better understanding the logic behind each phrase, I am now able to listen to Coltrane with more discerning ears. Whatever is the case, it seems to me that I can now get myself cool-headed enough to put Coltrane in the context of tranditionn of jazz, from a historical vantage point of view as noted above.


Nevertheless, Coltrane is still overwhelming as a musician I adore as well as a great mentor I follow. What is it that distinguishes Coltrane from other giants? This is where a forty-year-longstanding question needs to be asked: Whether or not did Trane’s music have a political message? Well actually there is no knowing about it as I wrote in the postscript that it was of “something only God knows”, when I translated his biography three years ago. Now, taking into consideration what I discussed above, I would like to further examine this issue despite the repeated same attempts I have made in the past.


As far as political aspect of Trane’s music is concerned even if it is extremely abstract, there seems to be nothing to go on but the circumstantial evidence that his musical style was perpetually changing. For he left no trace at all of the political comments he made or answer if any. “He was far away from such mundane world, and in much higher state of mind”, as Sonny Rollins puts it. The bottom line is that this may be true. But; we need to go further to consider the background against which he kept changing his style almost every several months ever since he joined the Miles group.


America during fifties and sixties was experiencing what Richard Wright described as “Heated Racism” raging across the nation. It is today difficult to imagine what the term really means. “Heated Racism” could be defined as a situation where brutality and death is just around the corner, forcing you be on your own, surrounded with enemies on all sides. This unearthly and blood curdling world was described in detail by Richard Write in his novel. This situation gave various influences on the mentality of black people. Return to Africa, exodus to Europe, conversion to Islam, turning to Marxism or Freudianism, resorting to violence, taking to the street, going on a strike, or joining a civil riot, all culminating in the Civil Rights Movements on a large scale. It was the situation that everything was in chaos. It all started at the end of the Second World War when black people, who were lucky to be back home alive; after they had fought at the risk of their own life, dreamed of a non-racist society. But the reality was just to the contrary. American whites subjected them to even harsher racism than they did in the pre-war days. They confiscated houses from black people for no proper reason. Or, just because they were “Negro”, black people were group-lynched. Such was the absurd situation the post-war black American found themselves in. It was quite beyond our imagination how black people got disillusioned, disappointed and despaired. This situation gave rise to several streams in the society, some blacks trying to resort to violence, some trying to get better of white philosophically, and others trying to engage the white patiently toward mutual understanding and reconciliation.


Coltrane’s music has evolved out of such a social condition. It is hard to believe that Coltrane was detached from the situation in which he found himself, while he was working out like no other musician and reading books so extensively. We have further circumstantial evidence that indicates this. It is a tune titled “Alabama”. I was once foolish enough to convince myself that this tune was made based on an imagination on bucolic countryside of Alabama. Gosh! I put my foot in my mouth! According to his biography, it is the tune composed as a memorial to the tragic incident in which four girls were killed in an white terrorist explosion during the mass at a church in Alabama. The serene motif of this tune is a sublimation of hatred and anger, filled with deep and sacred sorrow.


According to a Japanese novelist, Kenji Nakagami, Albert Ayler said “Rise up!” Even though Albert Ayler might not have actually said “Rise in revolt”, he clearly showed his political stance against whites. Not only did those Coltranean artists; but also members of Black-Panther Party; who were clearly working toward a violent revolution against whites; look upon Coltrane as their hero. I think that this is also one of the circumstantial evidence, that there was intrinsically something political to Coltrane’s music. His music has often been characterized as “vertical”, meaning he hits as many notes possible like arpeggio either from lower or upper register within a space of one beat. On the other hand, horizontal solo means prolong one note within a code with such notes connected horizontally to constitute a solo. Many musicians except Coltrane are horizontal type; one way or other. You could perceive more an elaborate logic and an imminent feeling in a vertical solo than in a horizontal one. Needless to say, music is an abstract product. I donot think it is wide of the mark to describe playing jazz as a process of abstracting the English language. If that’s what it is, I am led to believe that Albert Ayler and Black Panther members must have felt the same way I feel now about whatever is expressed by the idioms found in Coltrane’s music and his attitude toward playing. What I feel coming out of his music is whatever he wanted to express any way he could such as his persistent objection to the violence and naked discrimination that was becoming the order of the day, irreconcilable situation where he felt torn apart unable to do anything about the reality, the tragic discrepancy between perception of the reality and his existence, etc. Listeners must be touched by such an attitude. Again you should be reminded music is an abstract product, therefore, I cannot prove that what I said above is true. Coltrane said that his music is a “humble offering to God”. He must be true to himself and honest. But he plays in great agony, coming across to me as protesting against the reality that is so absurd. With the circumstantial pieces of evidence I presented above, I cannot but come to this conclusion.


K’s Case Ogata