多分駄文6
ジャズにおけるリズム・リテラシーについて
もう少しジャズのリズムにこだわってみたい。この稿では、テナーサックスを吹奏するという実践面から見たリズムについてさらに考えることにする。コルトレーンのフレーズを基本に、その他のテナーサックス奏者、例えば、ウェイン・ショーター、ソニー・ロリンズ、現代の若手では、エリック・アレキサンダー等、の演奏を追いかけていると、やはりそこには共通したものを感じることができる。これはすなわち、これまで何度も指摘してきたように、スウィングとよばれる浮遊感をともなった感覚のことである。もちろん、具体的には、演奏者一人一人の個性があって違うものなのだが、ここで言おうとしていることは、それぞれが、浮遊感を生み出すべくひとつのリズムパターン内にいるということである。このことを私は、
「ジャズにおけるリズム・リテラシー」
と名づけたい。
これはすなわち、ジャズ音楽という即興芸術において、誰でもが参加することができる一つの共通言語(リテラシー)という概念として考えている。これは、読者もほぼ推測がつくと思われるのだが、明治以後の新しい現代日本語の成立過程からヒントを得ている。言うまでもなく、話し言葉をそのまま文章にして、誰でもその思想や感想を平易なかたちで伝えることができるということで、これの成立には夏目漱石、正岡子規等の創作活動などがおおいに貢献したと、司馬遼太郎、現代では、「日本語の消滅」で話題になった水村美苗等が説明していることは周知のとおりである。
と、ここまで書いて、こんなことはネイティブジャズメン、すなわちアメリカ人ジャズメンにとっては当たり前すぎて、いちいち仰々しくいうことでもないのかな、とも思ってしまう。
ところで話が変わるが、パーカーから始まるバップのイディオムの変遷を、サキソフォーン奏者の演奏スタイルの変化で見てみると、先ずパーカー自身が生みだした代理コードを使った強烈なシンコペーションをともなうフレーズがあり、それをコルトレーンが細分化しているのだが、このコルトレーンのイディオムを直接引き継いだのが、チャールス・ロイド、マイケル・ブレッカー、現代の若手では、ケニー・ギャレット、ブランフォード・マルサリスだと私は思っている。不肖緒方もこのトレーンのイディオムを追いかけている。一つのフレーズから次のフレーズへのつながり、そしてさらに次のフレーズというふうに追ってゆくのだ。それは、ダウンビートをはずして、シンコペーションというリズムポイントでつながっている一連の主張であり、論理となっている。だが、これを追いかけていると、まるで「メビウスの輪」のように、各フレーズごとのくりかえしにとらえられてしまうような感覚に陥ることがある。
それはともかく、ここで重要なことは、先にのべたように、パーカーのバップイディオムが、現代にまで確実に継承されているという点だ。これは一見ごく当たりまえのように思われるのだが、私が言いたいのは、各々の演奏は時代ごとに微妙に変化しているという点だ。ありていに言ってしまえば、パーカーのもつきらめくような緊張感、コルトレーンの演奏における壮絶な境地、から時代を経て、現代のそれには、よりリラックスしたものを感じることができるのである。それはやはり、音楽は時代を反映している、からなのだろうか。すなわち現代は、70年代のフリー(破壊)からのゆるやかなゆり戻しなのかもしれない。そのことを私は、リズムの変化から感じとっているのだ。つまりリズムそのものがジャズにおけるリテラシーの役割を負っているのだ。
どうも今回ももうひとつ決まらない結論となったが、I-tuneで最新のジャズシーンを概観すると、現代は、テナーサックスの復権が感じられる。上記以外の若手(といっても40才代であろうが)をあげると、ジョー・スナイデロ、ライアン・オリバー、ヒューストン・パーソン等々、続々と面白いアーティストが登場している。
―――了