多分駄文5 | オーナーの読書室

多分駄文5

ジャズのリズムについて(2)



さて、先にジャズのリズムがもつ浮遊感覚を、ゴムに結束された球体の運動になぞらえて視覚化したが、これはごく単純化した説明であって、実は、その球体を固定しているゴムも柵も同時に動いている。この場合、最もシンプルなピアノトリオで考えると、球体であるピアノの音の動きに即応して、当然、ベースもドラムもそれぞれリズム上のコンテキスト内で“動いている”。しかもこの三者は、即興演奏を行っている。

 「君、僕はここのところで、つまりこのシンコペーションの箇所で、若干ながく音を伸ばすからよろしく」

 などとピアニストがドラマーにたいして言わないし、たとえ言ったところで、意味をなさない。いや、そもそも即興演奏なのでそんなことは不可能だ。

 

 彼らは、“グルーブ”(ノリ)を共有しており、その信頼感でもって、お互いに微妙にリズム上のポイントを伸ばしたり、縮めたりすることで、彼らに固有な“浮遊感”を生み出している。このフィーリングを最も顕著に出しているのが、コルトレーンの、いわゆる“クラシックカルテット”の演奏であると、私は思う。初めてのコルトレーンの伝記であるシンプキンス著の「コルトレーン」の中で、ピアニストのマッコイ・タイナーが、このことをていねいに解説している。マッコイは、当初、コルトレーンカルテットのドラマーが最終的にエルビン・ジョーンズに決まって、最初のセッションをやると、少々戸惑った。つまり、リズム上のポイントが合わない感じがあった。それでも、何回か演奏をすると段々とそのフィーリングが分かってきて、ピアノの伴奏もエルビンのそれに合わせられるようになった、と言っている。この場合、テナーとベースを合わせた四者が完全にリズム的に組み合わされた状態を、彼(マッコイ)は言っているのであろう。そこにはあふれるほどの大きな「浮遊感」があり、そのカルテットの生み出すリズム世界は、ゆったりとして、えもいわれぬ快感がある。


 これは単純な“打ち合わせ”でできることではない。彼ら、コルトレーンカルテットは、毎夜、クラブで深夜まで演奏しまくっており、お互いの演奏の個性、すなわちそれぞれ固有のリズム感が手に取るように分かっていたはずだ。別の伝記で、コルトレーンは、以下のように言っている。


 「音楽(ジャズ)のレコードを聴くのであれば、例えばそれがカルテットであれば、貴方は少なくとも五回同じものを聴かなければならない。すなわち、一回目は、テナーサックス、二回目はピアノ、三回目はベース、四回目はドラム、そして五回目に全体を聴くのだ」


 これは、彼、コルトレーンが姪っ子にたいして、たれかの演奏のよしあしを評価する前にレコードの聴き方を述べたものだ。


 ジャズのアンサンブルによる即興演奏とは、ウムベルト・エーコの“オープン・ワーク”の概念(これは結論が用意されていない主張、言説、をそのまま表現として作品にする)のごとく、各プレイヤーが、その場で決定される表現をそのままで提出する姿勢を維持することであり、事前に結論、結果が想定されることはないという事態なのであって、各演奏者は、それぞれ固有のリズム空間をもっていて、それぞれの空間が、華厳教学でいうところの「換入」しあっている状態なのである。すなわち、Aという演奏者のリズム空間の凹みは、Bの演奏者のもつ空間の突起部に対応している、という事態である。コルトレーンが言うところの、5回聴けというのも、このことを察知せよ、と言っているように私には思われる。


 ところで私は今、リズムに即して説明しているが、実際のアンサンブルでは、トーナリティ(調性)(いわゆるキー)、コードプログレッション、フロントのメロディライン(あるいはアドリブライン)、そしてそれに対位法的に対置されるベースラインといった諸要素から成立しているのであって、しかもこれらが同時進行しながら、「換入」しあっている。コルトレーンは、また別のところで、ジャズの演奏とは、家を建てるようなものだ、と言っているのだが、これは、各建築資材を用意して、それらを順番に組み立ててゆくわけだが、一つの部材が欠けても家が建たないように、一つの要素が抜け落ちても演奏が成立しないということを言っている。ただ、読者諸賢は、先刻ご承知のように、私は、ジャズ音楽の理論には、無知であるので、最初にことわったように、ジャズにおいて占めるリズムの要素は50%以上であるとしたのは、このことを念頭においているからだ。つまり、リズム以外の要素を説明する資格が私にはないのである。とはいっても、リズムの要素が、“50%以上”などと、数量的に表現するのは妥当ではないことも承知している。


 逆に、リズムは、ジャズ音楽という時間芸術において、美学上の契機と、音の意味づけに決定的にかかわっており、ジャズのすべてといっていい。これが欠損していると、たちまち、音楽にならない。例えば、ライトニン・ホプキンスの鋭いギターのダウンストローク、―――これはブルースだが、これに鋭い美を私は感じてしまう。ライトニン自身がもつリズム感自体が美なのだ。



―――了