くじらの中で11
しかし、こうした作家たち全員について注目される点は、彼らの“目的”とするもののほとんどが漠然としていることだ。現在の緊急の問題については、何の関心も払われず、結局、狭義の意味で没政治的なのである。われわれの視線は、ローマへ、ビザンチンへ、モンパルナス、メキシコ、エトルリア、無意識、太陽神経叢(解剖学、――胃の後方)、へと向けられていて、――それは、実際に起こっている場所以外なら、どこへも向けられているのである。20年代を降り返ると、ヨーロッパで起こったあらゆる重要な出来事が、英国の知識人の関心から抜け落ちているということほど奇妙なことはあるまい。例えば、ロシア革命は、この十年間、――レーニンの死と、ウクライナの飢饉との間、イギリス人の意識からは消滅している。この間のロシアでは、トルストイ、ドストイェーフスキーであり、さらに、国外移住してタクシーの運転手となった元貴族を意味している。イタリーでは、画廊であり、廃墟、教会、美術館なのだが、――黒シャツ(訳注:ファシスト集団)ではない。ドイツでは、フィルム、ヌーディズム、そして精神分析であり、だがヒットラーではない。彼については1931年になるまでほとんど誰も聞いたことがなかった。“文化的な”サークルでは、芸術のための芸術が、無意味さを崇拝するまでに、実質的に拡張されていた。文学は、言葉を操ることに血道をあげているというふうに思われていた。主題によってひとつの本を判断することは、許されざるべき罪であり、そして、その主題を知悉することさえ、趣味の堕落と見られたのである。1928年ごろ、第一次世界大戦以来、「パンチ」誌から生まれた三つの本当に面白いジョークのうちのひとつがあって、それは、がまんできない一人の若者の話で、彼は自分の叔母さんにむかって、「書こう」と思っていると言う。「何について書こうというのかい、お前は?」とその叔母さんがたずねると、「叔母さん」と彼は勢い込んで言った。「人は何でもいいから書くってもんじゃない、ただ書くだけなんだ」 20年代における最高の作家たちは、この原則に同意していたわけではなく、彼らの“目的”は、ほとんどの場合、明白であったのだが、通常それは、道徳的かつ、宗教的かつ、文化的なラインに沿った“目的”であった。また、政治的な用語に翻訳可能であれば、それは、“左翼”ではない。いずれにせよ、このグループに属するこうした作家たち全員の傾向は、保守的なのである。例えば、ルイスは、“ボルシェヴィキ運動”の後でも、逆上した魔女狩り、それは、まったくありそうもない場所を探索することが彼にはできたのであるが、そうした精神状態で数年を過ごしている。最近になって彼は、自らの観点を若干変更していたのだが、おそらくそれは、ヒットラーの芸術家にたいする扱いのせいであろうが、しかし彼が極端な左翼に走ったということは、まず間違いなくないであろう。ファシズムにたいしてポンドは、確実に膨張しているように思われるのだが、いずれにせよ、イタリアの多様性というものがある。エリオットは、お高くとまっていたが、しかし、ファシズムと、他のやや民主主義的な社会主義のどちらかを選択するようにと、ピストルをつきつけられて強要されたなら、おそらく彼はファシズムを選ぶであろう。ハクスレイは、例によって、“人生の悲惨さ”から出発して、それから、ローレンスの“暗い腹部”の影響をうけ、“人生を崇拝すること”のようなものに挑戦し、そして最終的には、平和主義へと行き着いたのであって、――それは、社会主義の拒絶を含む長い期間、もちこたえられるものであった。このグループにおけるほとんどの作家たちは、カソリック教会にたいして一定のやさしさを有していることは、注目される点であるが、それは正等なカトリック教徒が通常受け入れる種類のものではない。
ペシミズムと反動的な見方との精神的な接点は、疑いようもなく、明白に存在する。ただ、やや不明りょうな点は、20年代を代表する作家たちが何故、その大部分がペシミスティックなのだろう、ということだ。いつも、デカダンス(頽廃)、頭蓋骨、サボテンといった意識や、信仰を失った後での渇仰、そして不可能な文明なのだろう? これは結局のところ、こうした人々は、例外的に安楽な時代の中で書いていたからではないのだろうか? それは、まさに“宇宙的絶望”が開花することができる時代なのだ。腹に何ももたない人間は、森羅万象に絶望することは決してない。1910年から1930年の全期間にわたって、それは繁栄の時代であり、しかも戦時であってすら、連合国の一員でも、戦闘要員でたまたまなかった人であれば、現実的に許容できたのである。20年代に関する限り、彼らは“不労所得”のインテリであり、その時代は、かつて例を見ないほどの無責任の時代であった。戦争は終わっていて、まだ全体主義的国家は出現しておらず、あらゆるかたちでの道徳的、宗教的なタブーが消滅し、そして現ナマが転がり込んできた。“幻滅”というのが、すべてにおけるファッションであった。年間で500ポンドの預金をもつ者なら誰でも、ハイブローとなり、“厭世観”を養成すべく自己を訓練し始めていた。それは、ワシと、クランペット(女たらし)と、甘っちょろい絶望と、裏庭のハムレットと、夜明けまでの安っぽい往復チケットの時代であった。この時代のマイナーで、特徴的な小説「愚者の語り」といった本は、“人生にたいする絶望”が、自己憐憫からトルコ式風呂のような雰囲気にまで到達したのであった。そして時代の最高の作家であってさえ、自信をもって、過度にオリンピア的な姿勢をとり、身近にある緊急の問題から手を洗うことに対して、過度に準備万端になっているような有様であった。彼らは人生を非常に複雑に見ていて、彼らの前後の世代よりずっとそうなのであった。が、彼らはそれを望遠鏡の反対側から見ていたのだ。そのことは、彼らの著作が有効性をもたないということではない。どんな芸術作品でも、その最初のテストは、生き残れるかということであって、1910年から1930年にかけて書かれた多くの作品は、生き残っているし、今後も残ってゆくであろうということは事実なのだ。「ユリシーズ」や、「人間の絆」や、ローレンスの初期の作品、特に彼の短編等、そしてまた、1930年頃までのエリオットの詩の全作品等について、現在書かれているものが簡単に消えてゆくことを考え合わせると、それはどういうことなのだろうと、人は思ってしまう。
―――つづく
くじらの中で10
だが、上記にあげた作家グループについて先ず気がつくことは、彼らはグループのようには見えないということだ。それどころか、彼らのうちの数人は、他の人と一緒にされることに対して強く異を唱えるはすだ。ローレンスとエリオットは、事実上、反感を抱いていた。ハクスレイは、ローレンスを尊敬していたが、彼はジョイスから拒絶されていた。他の多くは、ハクスレイとストラッチーを見下しており、そしてモームとルイスも同様に、みんなを攻撃していた。実のところ、作家としての評判は、大部分、こうした攻撃によるものであった。それでも、そこには幾分かは、情緒的な相似性があったのであり、今ではそれははっきりと分かるのだが、12年前ではそうではなかった。何がそうだったのかというと、それは“展望にたいするペシミズム”であった。しかし、ペシミズムとは何ぞや,ということをはっきりさせる必要がある。
ジョージ王朝時代の詩人の主題が、仮に“自然の美”であるとするなら、戦後世代の詩人の主題は、“人生の悲劇的な意味”であろう。ハウスマンの詩の背後にある精神は、例えば、悲劇的なものではなく、不平を鳴らすことであった。それは失望した快楽主義であった。ハーディにおいても「ダイナスツ」(覇王)を別にして、然りなのである。だが、ジョイスーエリオットグループがのちにやって来て、ピューリタニズムは、彼らの主要な敵対物ではなく、彼らの前の世代が闘ったたいていのものを、最初から彼らは“見透かす”ことができるのである。彼らすべては、“進歩”という考え方にたいして、気質的に敵対的であって、進歩はただ起こっていないというだけでなく、起こすべきでないというふうに思われていた。こうした全般的な相似性があるにせよ、私があげた作家たちには、当然、その才能に応じて、そのアプローチに違いがある。エリオットのペシミズムは、クリスチャンのペシミズムであり、それは、ある程度人間の悲惨さにたいして無関心であり、またある部分では、西洋文明の頽廃への嘆きでもある。(われわれは空っぽの人間だ、われわれは剥製の人間だ、云々)これはある種、“神のたそがれ”的気分であって、最終的には、例えば「スウィーニー・アゴニスツ」(スウィーニー・サムソン)において、現代生活を今よりも悪く書き上げるというような困難な偉業へと彼を導くことになる。ストラッチーに関していえば、それは単に、暴露趣味で味付けされた礼儀正しい18世紀型の懐疑主義である。モームにあっては、それは一種の禁欲的な断念であって、上唇を固く閉めた立派な紳士が、スエズの東方のどこかで、皇帝アントニーのように、信じてもいない自分の仕事を遂行しているようなものなのだ。ローレンスは、一見すると、ペシミスティックな作家には見えない。なぜなら、ディケンズのように彼は、“転向”する人間であって、今ここにある人生は、少しだけ見方を変えるだけで大丈夫であると、つねに主張しているからだ。しかしながら、彼が要求しているのは、われわれのこの機械文明から逃避しようとする運動であり、それはありえないことだ。従って、現在にたいする彼の憤懣は、過去の理想化へと、再度、転向することとなる。この場合、何事もないような神秘的な過去、すなわちそれは、青銅器時代である。ローレンスが、自分たちよりもエトルリア(彼のエトルリアなのだが)を好むということは、それは賛同し難いのであるが、それでも結局のところ、それは一種の敗北主義である。なんとなれば、それは世界が動いている方向ではないからだ。彼が絶えず指摘する種類の人生とは、単純なミステリー、――セックス、大地、火、水、血、――を中心にまわっている人生であって、――それは単に見失われた大儀なのだ。彼が生み出すことができたすべてのものは、従って、ひとつの願いなのであって、その願いとは、はっきりと物事が起こるはずがないとされる状況下で、起こって欲しいと願うことなのだ。「寛大さの高まりか、さもなければ死の高まり」と彼は言うのだが、こちら側では、寛大さの高まりなどないのは明々白々だ。だから彼はメキシコへ逃避して、45歳で死ぬのである。それは死の高まりがやってくるほんの二三年前であった。こうした人々があたかも芸術家ではなく、ひとつの“メッセージ”を伝達する伝道者であるかのごとく、私がしゃべっているように、またもや思われるであろう。そして再度、彼らすべては、それ以上のものであることははっきりしている。例えば、“ユリシーズ”を、パウンドが述べたように、“下品なデイリーメイル(訳注:新聞)”であるような現代生活の恐ろしさを、単に、見せものにしたと見るのはばかげている。ジョイスは、事実上、他の作家たちよりも“純粋芸術家”以上なのである。しかし、「ユリシーズ」は、言葉のパターンをかじったような者によって書かれるようなしろものではないのであって、それは、人生の特別な見方による所産なのであり、それは信仰を喪失した者の見方なのである。ジョイスが言っているのは、「ここに神がない人生がある。それをよく見ろ!」であり、彼の技術的革新は、それはそれで重要なのだが、第一義的にはそれは、この目的のためであるのだ。
―――つづく
くじらの中で9
しかしながら、ハウスマンは、もしも彼の中にあるもうひとつの精神的な緊張がなければ、1920年時点で若者であった人々にそんなに深くは影響しなかったであろう。それは、冒涜的で、信仰至上主義的なものであった。世代間でいつもおこる相克は、第一次世界大戦後、特に熾烈であった。これは一部分では戦争それ自体のせいであるが、またある部分では、ロシア革命の間接的な結果でもあった。しかし知的闘争は、いずれにせよ、あの時代にあっては、当然のことでもあった。イングランドにおいては、おそらく人生の安寧と安全ということのために、しかもそのことは戦争でもあまり妨げられることはなかったのだが、1880年代あるいは、それ以前に形成された思想をもつ多くの人々が、その思想を1920年代までまったく変形しないで持続してきていた。一方で、より若い世代に限っていえば、おおやけの信条は、砂上の楼閣のように崩壊していた。例えば、信仰の衰退には目を見張るものがあった。その間の数年間、老人と若者の敵対感情は、リアルな憎悪というかたちをとっていた。戦争世代がおかれた状況とは、殺戮から逃れて、彼らが見出したのは、いまだに1914年のスローガンをわめいている年長者たちであった。そして彼らよりちょっとだけ若い少年たちは、助平な独身の先生の下でもがいていた。ハウスマンがアピールしたのはこうした状況下であった。それは暗黙のうちに示された性的な反抗と、神への個人的な不満であった。彼は愛国者であって、そのことは真実なのだが、それは無害で旧式であり、鋼鉄製のヘルメットと、「カイゼルを絞首刑に!」よりも、レッドコート(イギリス軍)の歌と“ゴッド・セイブ・ザ・クィーン”であった。しかも彼はじゅうぶんに非クリスチャンであって、――ある種の反抗的な異教徒信仰の立場をとっており、それは、人生は短く、神は君に敵対しているとする信条で、若者にひろがっているムードとぴったりと符合しており、すべてが、ひとつの音節の言葉から構成されるところの魅惑的で、脆弱な詩句となっているのである。
ハウスマンは単なる伝道者で、格言や、引用されるべき“片言隻句”の発言者であるかのごとく私はしゃべっているように思われることであろう。明らかに、彼はそれ以上ではある。今ここで彼を過小評価する必要はない。なぜなら彼は、数年前まで過大評価されていたのだから。そう言ったことで、今となれば問題をかかえていても、彼の多くの詩(例えば、“殺そうとする空気が私の心の中に”、とか、“私のチームは耕しているのだろうか?”)こうしたものは、長く人気がないままでいることはなさそうである。しかしながら、その根底には、つねにその作家の作風(傾向)、また彼の“目的”や“メッセージ”があり、そのことによって彼が好まれたり、嫌われたりするのである。このことを証明しているのは、読者の最も深い信条を深刻に傷つけるような本の中に、文芸上のメリットを見出すという非常に困難な作業の中にあるのだ。しかもどんな本でも、究極的にニュートラルであることはあり得ない。ある種、他の傾向も、韻文であれ散文であれ、つねに識別できるのであって、そのことは、形式と、比喩的表現の選択を決定すること以上のものであってさえそうなのである。だが、ハウスマンのような広範な人気を獲得した詩人は、原則として、おしなべて格言的な作家なのだ。
戦後、ハウスマンや、他の自然派詩人たちの後には、――ジョイス、エリオット、パウンド、ローレンス、ウィンダム・ルイス、アルダス・ハクスレイ、リットン・ストラッチーといった完全に異なった傾向をもった作家たちが登場してきている。20年代の中葉から後半までは、“運動”があって、それは、ちょうど、オーデン、スペンダーのグループがこの数年間、“運動”であったようにそうなのである。当時のすべての才能ある作家たちが、このパターンに適合するとは限らないのは本当のところであった。例えば、E.M.フォスター、彼は、1923年ごろにベストの作品を書いているのだが、彼は本質的に、戦前の作家であり、イェイツは、そのフレーズが20年代に属しているとは思われない。他の作家はまだ生存していて、ムーア、コンラッド、ベネット、ウェルズ、ノーマン・ダグラス、彼らは、戦争が勃発する以前に全力を出し切っている。ところが一方で、このグループに加えられるべき一人の作家、といっても狭義の文学的意味においては、“かろうじて”属するべき作家であるのだが、それはサマセット・モームである。もちろん、年代がぴったり合致するわけではないが、こうした大方の作家たちは、戦前にすでに作品を出版しているのだが、彼らは、戦後派というふうに区別されうるわけで、それはちょうど、現在のより若手が、ポスト・スランプ(不景気以後)の状況を書いているのと同じ意味である。同様に、当然、読者は、こうした人々が、“運動”であると把握せずに、たいていの文学書を読み通すことができるである。たいていの時代よりも当時は、文芸評論のお偉方が、前過去の時代がまだ終焉を迎えていないかのごとく見せかけることに汲々としていた。スクワイヤーが「ロンドン・マーキュリー」(訳者注:17世紀からつづく老舗の文芸評論誌)を主宰し、ギブズとウォルポールは貸し本屋の神であって、そこには、喝采と、男らしさ、ビールとクリケット、(イバラの木の)パイプと、一夫一婦制をたてまつるカルト(信仰)があり、“ハイブロー”を非難する記事を書けば、いつでも数ギニーをかせぐことが可能であったのだ。しかしながら、いつの時代も、若者の心をつかんだのは、軽蔑されるべきハイブローであった。風はヨーロッパ(大陸)から吹いてきており、1930年よりずっと以前から、騎士道を除いて、それは、ビールとクリケット派を裸にするように吹いていたのだ。
―――つづく
くじらの中で8
ルパート・ブルックの「グランチェスター」は、1913年に書かれた星の詩であるが、“田舎”感情の途方もない噴出であり、それは、あたかも地名でいっぱいになった胃袋からいっせいに嘔吐するようなものであった。「グランチェスター」をひとつの詩と考えるなら、価値あるものよりもさらに、何か悪質なものであるのだが、しかし、もの思う中産階級の若者が感じたところのイラストレーション(情景描写)と考えるなら、それは価値あるドキュメントである。
ハウスマンはところが、ブルックや、その他の人がやった週末のような気分で、ツルバラを賞賛したのではなかった。“田舎”というモチーフは常にあるのだが、それはたいていの場合、背景であった。おおよそ、その詩は、いわば擬似人間性であり、一種の理想化された田園生活であり、実際にはストレフォンや、コリドンを現代化したのである。これはそれ自体で深い訴求力がある。過度に文明化された人間が、田園生活(キーフレーズは、“土に寄添う”)についての本を読むのを楽しんでいることは、経験上示されているのであるが、というのも彼らは、自分自身よりももっと原始的で、情熱的であると思っているからだ。それが故、シーラ・ケイ・スミス等の小説、「暗い大地」が存在するのだ。しかも、その当時、中産階級の少年というものは、“田舎”という偏見を通して、町の労働者と同様に、自ら決してやったことのない農業労働者を、自己と同一視していたのであろう。たいていの少年は、理想化された農夫や、ジプシー、あるいは密猟者の姿を心の中に抱いていて、いつも野性的で、自由に放浪する青年の姿を映像化しており、それは、うさぎを罠で捕らえたり、闘鶏をやったり、馬やビール、女を相手にしている姿であった。マースフィールドの「マーシーよ永遠に」は、もうひとつの価値あるこの時期の作品であって、戦争前後の時期、少年たちに非常に人気があって、このような状況をひどく粗野なかたちで提供していた。だが、ハウスマンのモーリスとテレンスは、マースフィールドのソウル・ケインの場合よりもシリアスにとらえられていたはずだ。そういう意味でハウスマンは、テオクリトス(訳注:古代ギリシャの田園詩人)で味付けされたマースフィールドであるといえる。その上、彼のテーマはすべて、思春期のもので、――殺人、自殺、不運な恋愛、若い死、等であった。それらはシンプルで分かりやすい不幸を扱っており、人生の“根源的な”事実にぶち当たっていると感じさせてくれるものなのだ。
The sun burns on the half-mown hill,
By now the blood has dried;
And Maurice among the hay lies still
And my knife is in his side.
半分干草の山の上で太陽が輝いている、
今では血が乾いてしまった、
そしてモーリスは干草の中にまだ横たわっている
そしてナイフが彼のそばにある
そして再度、
They hand us now in Shrewsbury jail
And whistles blow forlorn,
And trains all night groan on the rail
To men who die at morn.
彼らはシュリューズベリーの監獄でぼくらに手渡す
そして絶望的な笛を吹く
そして汽車が一晩中うめいている
朝、死んだ男たちへ向けて
それはすべて程度の差こそあれ同じ調子である。あらゆることがバラバラになっていた。「ネッドは教会の庭で長く横たわっていて、トムは監獄で長く横たわっている」さらに、絶妙の自己憐憫、――“誰も私を愛してくれない”式の感情、――に注目されよ。
The diamond drops adorning
The low mound on the lea,
These are the tears of morning,
That weeps, but not for thee.
ダイアモンドが装飾のように落ちてくる
草地の低い盛り土の上に、
これらは朝の涙、
すすり泣いている、だが汝のためではない。
残念でした、おじさん! こうした詩は、明白に思春期の若者のために書かれたものだ。そして、変わることのない性的なペシミズム(少女は常に死ぬか、もしくは他の誰かと結婚してしまう)が、少年たちにとって、何か知恵のように思われるのだ。その少年たちは、パブリックスクールに群れていて、女性というものは、到達できない何かであるかのように半分思ってしまうのである。ハウスマンが女性にたいして同様のアピールをしたかどうか、疑わしいと私は思う。彼の詩では、女性の観点は考慮されておらず、彼女は単にニンフ(妖精)か、魅惑的な美人で、そうしたものは信用できない半人間のような存在であり、君との距離を保ち、それから、君に過ちを負わせるのである。
―――つづく
くじらの中で7
II
人が、ある作家をファッショナブルというとき、特にそれは、三十歳代以下の人々に賞賛されていることを意味している。私が発言しだした最初のころ、それは戦時中と戦後まもなくのころなのだが、思索する若者にとって、最も深い影響を与えた作家は、まず間違いなく、ハウスマンという人であった。1910から1925年にかけて、思春期であった人々の間では、ハウスマンはとてつもない影響力をもっていたのだが、今となれば、それを理解するのはまったく簡単ではない。1920年、私は17歳ごろで、「ショップシャイア・ラッド」をほとんどそらで憶えていた。「ショップシャイア・ラッド」が、この時点において、同年代で、多少なりとも、同様な気質をもつ少年にどのような印象を与えたのかしらん? 彼はそれを聞いたはずであり、ちらっとでも見たはずであることは疑いなく、――安っぽく賢くなったという印象を与えたはずで、――たぶんそれだけであったはずだ。それでも以下の詩は、私と私の同世代たちが、自分たちでよく、何度も何度も、ある種恍惚状態で、朗読したものであった。ちょうどそれは、前の世代の人たちが、メレディスの「谷間の愛」や、スインバーンの「プローサーパインの庭」、等々を朗読するようなものであった。
With reu my heart is laden
For golden friends I had,
For many a roselipt maiden
And many a lightfoot lad.
By brooks too broad for leaping
The lightfoot boys are laid;
The roselipt girls are sleeping
In fields where roses fade.
後悔とともに、私の心は苦しんでいる
それは私の素晴しい友人のため、
それは一人のばら色の唇の処女のため
そして身軽な一人の若者のため。
飛び越すには広すぎる小川のほとりで
身軽な若者たちが横たわっている、
ばら色の唇の少女たちは眠っている
バラがしおれている野原で。
心がチンとなる感じだ。だがそれが1920年にチンとなったとは思われない。どうしてバブルはいつもはじけるのだろう? それに答えるためには、ある時代における、ある作家たちを有名にする“外部的な”条件を勘案しなければならない。ハウスマンの詩は、それが初めて出版されたとき、あまり注目されなかった。ただひとつの世代、1900年前後の世代に深く訴えたのであるが、そこには何があったのだろう?
先ずもって、ハウスマンは、“田舎の”詩人であることだ。彼の詩には、忘れ去られた村や、地名のもつなつかしさ、それはクラントン、クランベリー、クナイトン、ラドロー、“ウェンロック・エッジで”とか、“ブレドンでの夏の時間”とか、藁葺きの屋根、鍛冶屋の音、牧草地に咲く野生のジョンキル(黄ズイセン)とか、“青い、思い出の丘”などがある。戦争の詩を別にして、1910年から25年におけるイギリスの詩は、たいていが“田舎”についてであった。その理由は、疑いなく、土地との実質的な関係を持っていた地主階級がこれを最後に終わってしまったことだ。しかしそこには、ともかくも、現在よりもずっと強く、一種のスノビズム(紳士気取り)が蔓延していて、それは田舎に属するもので、町を軽蔑していたのである。当時のイングランドは、現在よりもわずかに農業国であったのだが、軽工業が勃興する以前では、農業国であると考えるほうが容易であった。大方の中流階級の少年たちは、農地がある風景の中で成長し、そして、耕したり、収穫したり、干草を積み重ねたりするような、そうした絵画的な農家の生活が自然に彼らに訴えかけていた。もし一人の少年が、自身でそういうことをしなくてもよいのであれば、蕪を掘り起こしたり、朝の四時に起きて、ひび割れた乳房のある牛の搾乳をしたりするような、そうした恐ろしく退屈な事柄についておそらく気づくことはないであろう。それ以前、またそれ以後、またそのために、戦争中の期間、その時代は、“自然派詩人”の偉大なる時代であった。すなわち、リチャード・ジェフリースや、WHハドソン等の絶頂期であったのだ。
―――つづく
くじらの中で6
しかしながら正確に言えば、ある意味で、彼は経験することに受容的である、ということであり、ミラーは、目的意識をもった作家がそうできる以上に、ふつうの人々に接近することができるのである。というのも、ふつうの人というのも受動的であるからだ。狭いサークル(家庭生活と、たぶん労働組合あるいは地方政治)の中で、彼は自分の運命にたいする主人であることを感じるのだが、主要な出来事にたいしては、大自然にたいするように、無力なのだ。未来にはたらきかけようと努力するのではなく、彼は単に寝ころがって、物事が自分の上に起こるのをそのままにしている。過去の十年間、文学は、それ自身どんどん政治にかかわるようになってきて、過去の二世紀の間におけるふつうの人々にとって、その余地がせばまってきているという結果を招いている。スペインの市民戦争と、1914年から18年に起こった戦争について書かれた本を比較してみると、文芸上の態度の変化に人は気づくであろう。スペイン戦争についての本で、即、印象的なのは、いずれにせよそれは英語で書かれたものなのだが、それはおどろくほど退屈で、劣悪であるということだ。だがより重要な点は、彼らのほとんどすべて、右翼も左翼も、ひとつの政治的視点から書かれていて、しかもそれは一人のうぬぼれの強いパルティザンによって、どういう考え方なのかということが書かれているのにたいして、第一次世界大戦の本は、通常の兵士や、下士官によって書かれており、彼らは、全体の事柄について理解しているかのように見せかけることすら、やっていないのである。「西部戦線異状なし」や、「火災」(アンリ・バルビュース)、「武器よさらば」「英雄の死」(リチャード・オールディントン)、「グッドバイ・ツー・オールザット」(ロバート・グレイブズ)、「歩兵小隊長の記憶」(ジーグフリード・サスーン)「サバルターン・オン・ザ・サム」(マックス・プロウマン)等は、扇動者によって書かれたのではなく、犠牲者によって書かれたものだ。彼らは事実上、「いったいぜんたいこれは何なんだ? 神のみぞ知る、だ。われわれにできるのはただ耐えるだけだ」と言っている。そして、戦争について書いていないにもかかわらず、しかも全体的に不幸についても書かれていないにもかかわらず、これは、現在はやっている科学万能主義というよりも、ミラーの姿勢に近い。「ブースター」は、短い期間、発行された雑誌で、彼は、共同の編集者であったが、その雑誌の広告文には、“非政治的、非教育的、非進歩的、非協力的、非道徳的、非文学的、非一貫的、非限定的”とうたっていて、そしてミラーの作品自体は、ほとんどこれらの言葉で叙述できうるのである。それは、雑踏から、下級労働者から、三等車両から、ふつうの、非政治的な、非道徳的な、受動的な人からの声なのだ。
私は、「ふつうの人」というフレーズをややしまりなく使っていて、しかも、「ふつうの人」が存在していることを当然だと思っているが、これはある種の人々にとって否定されている事柄なのだ。ミラーが書いている人々とは、多数者によって構成されていることを私はいっているのではない。また彼は、プロレタリアートについて書いているわけでもない。英国やアメリカの作家がシリアスにそれについて書こうとしたことはない。そして再度、「北回帰線」にでてくる人々は、怠け者で、評判がよろしくなく、多少なりとも“芸術的”であるという限りにおいて、ふつうであることからは、ややはずれているのである。すでに述べたように、これはひとつの気の毒な話ではあるのだが、国外移住者の必然的な結果なのである。ミラーがいう“ふつうの人”とは、肉体労働者とか、郊外の持ち家居住者であるとかではなく、見捨てられた者、没落した者、冒険者、またルーツや金(カネ)をもたないアメリカ知識人たちを指しているのだ。それでも、こうしたタイプの人間の経験は、より通常の人間のそれとうまく、また広範に重なっているのである。ミラーはむしろ限定された素材から、そうしたものの大部分を得ることができたのである。なぜなら彼は、そのことを認識する勇気をもっていたからだ。ふつうの人、“平均的な性欲をもった人”は、“バラムの尻”(訳注:イスラエルの反抗的な予言者)のように、話すことの能力を与えられていたのである。
これは何か時代遅れな、あるいは少なくとも、流行おくれなもののように見られることだろう。平均的な性欲をもった人は、流行おくれなのだ。人生における性と真実に関しての先入観とは、流行おくれなものなのである。パリにおけるアメリカ的なものとは、流行おくれなのである。そうした時代に出版された「北回帰線」のような本は、冗漫なほどの気取り屋か、あるいは、何か尋常ではないものかどちらかに違いないのであって、これを読んだ大方の人は、前者ではないということに賛同すると私は思っている。現在の文芸上のファッションから、何が脱出されたかを見つけようとすることは価値があることなのだ。
――つづく
くじらの中で5
ところが1930年代において、ホイットマン的であることはむしろ何か興味深いものがある。もしもホイットマン自身がこの時代に生きていたとしたら、「草の葉」に最も似つかわしくないものを書いたかどうか定かではない。というのも、彼が言っていることは結局、「私は受け入れる」ということで、今受け入れるのと、その時受け入れるのでは、根本的な違いがある。例を見ないほどの繁栄の時代で、だがそれ以上に、自由というものがその語の持つ意味以上にあふれていた国、そういう国でホイットマンは書いていたのだ。彼がいつも話題にしていた民主主義、平等、そして仲間意識というものが、かけ離れた思想ではなく、目の前に存在している何かであった。19世紀中葉のアメリカでは、人は自分自身を自由で、平等であると感じ、純粋な共産主義以外の社会である限り、自由で平等であるはずだった。貧困と、階級差別さえもあったのだが、黒人を除いては、永久に埋もれてしまうような階級などはなかった。誰もが、一種の核のようなものとして、内部に自分はちゃんとした生活をおくることができるように稼ぐことができるはずで、しかも誰にも媚びずに、それができるはずだという信念をもっていた。マーク・トゥエインのミシシッピに出てくるいかだ乗りや、水先案内人、あるいはまた、ブレット・ハートによる西部の金鉱山従事者たちの話を読むと、彼らは、石器時代の人食い人種よりももっとかけ離れた存在のように感じてしまう。その理由はただ単に、彼らは自由な人間であるということだ。ところがそれは、例えば、「リトル・ウーマン」や、「へレンズ・ベイビーズ」、また「ライディングダウン・フロム・バンガー」のような東部の州の平和な家庭的なアメリカであってさえそうなのである。これらを読むとわかるように、人生には軽快で、のびやかな面があるように感じてしまう。それはまるで腹の底から感じるような肉体的なものである。ホイットマンが称揚しているのはまさにこの感じなのだが、実際のところ、彼はそのことを非常にまずいかたちで行っている。なぜなら、そのことを自然に感じさせてくれるのではなく、感じるのが当然であるとするような作家の一人であるからだ。彼の信条にとって、おそらくラッキーだったのは、大規模な産業と、移民による安い労働力が台頭することで、アメリカ人の生活が崩れるずっと前に死んでいたことだ。
ミラーの外観は、ホイットマンのそれとかなり似通ったところがある。そしてそれを読んだほとんど誰もが、そのことを指摘している。「北回帰線」の最後は、特にホイットマン的な文章で終わっている。そこにおいては、淫乱、ペテン、けんか、酒飲み競争、さまざまな愚行ののち、彼はただ単に、セーヌのほとりにすわって、過去へと流れてゆくのを凝視しながら、それ自体を受け入れるという、ある種、神秘的な状態が叙述されている。ただし、問題はひとつだけ。彼は何を受け入れているのか? 先ずもってそれはアメリカではなく、ヨーロッパの太古からの人骨の群れであって、そこには大地のあらゆる土壌が、無数の人体の中を通過していた。二番目に、拡張と自由の時代ではなく、恐怖と専制、そして統制化の時代である。われわれのような時代にあって、「私は受け入れる」ということは、強制収用所や、ゴム製の警棒や、ヒットラー、スターリン、爆弾、飛行機、缶詰食料、機関銃、傷当て、粛清、スローガン、ベドーベルト、ガスマスク、潜水艦、スパイ、工作者、検閲、秘密の獄舎、アスピリン、ハリウッド映画、そして政治的殺人等々を受け入れることを意味している。こうした事柄だけではもちろんなく、こうしたことも他のものと同じように受け入れるということである。そして、全体として、これがヘンリー・ミラーの姿勢なのだ。これはいつもそうだというわけではない。というのも、折につけて、彼は文学上の郷愁についてのごく一般的な兆候をしめしているから。「ブラックスプリング」の前半の部分に長いひとつの文章があって、そこで彼は中世というものを評価しており、そこでは、散文が近年において最も素晴しいもののひとつであるとしているのだが、そこではまた、その姿勢は、チェスタートンのそれと大した違いはない。「マックスとホワイト・ファゴサイツ」では、工業化を憎悪する文学者として、通常の角度から現代のアメリカ文明に対する攻撃がある。(朝食のシリアル、セロファン等々)だが、総体としてのその姿勢は、「全部を飲み込んでしまおう」というものなのだ。従ってだから、それは人生の破廉恥さと、ハンカチの汚れた部分という見せかけの先入観なのである。それはただ見せかけなのだ。というのも、日常生活は、フィクション作家が通常認めているものよりはるかに恐ろしいものである、というのが真実だからだ。ホイットマン自身は、彼の当時の人が記述しがたいものの多くを“受け入れた”。 なぜなら、彼は草原について書いただけではなく、町へも出かけてゆき、自殺者のつぶれた頭蓋を描写していて、「オナニストの灰色の病的な顔」といっている、云々。しかしながら、疑問の余地なくわれわれの時代、とにもかくにも、西ヨーロッパでは、ホイットマンが書いていた時代よりも不健康で、希望がないのである。ホイットマンのようにではなく、われわれは今、縮小しつつある世界に住んでいる。“民主主義の展望”は、有刺鉄線の中で終焉を迎えた。創造と成長という感覚が少なくなり、いつまでもゆれているゆりかごへの注目が減り、どこまでも沸かしているお茶にどんどん注目が集まっている。現在ある文明をそのまま受け入れるということは、事実上、崩壊を受け入れることを意味している。積極的な姿勢をとることを止めて、受動的な姿勢をとること、――“デカダン(頽廃)”という言葉でさえ、その語の意味がここであるとすればそういうことだ。
――つづく
kujirano
何度も何度も私はそうした会話を聞いたのだが、しかもそうした会話をしている人々は、自身が無情であることすら意識していない。「北回帰線」は、若者のための本ではないことに留意するのは意味がある。これが出版されたとき、ミラーは四十代であった、そしてそれ以来、彼は3,4冊の本を出版したにもかかわらず、この最初の本が何年もつづいたことは明らかだ。それは、貧困と無名の中で徐々に成熟した本の中の一冊であって、その本は、何をやるべきかがわかっていて、だから待つことができる人々によってなされたのである。その散文はおどろくべきもので、「ブラックスプリング」のある部分では、それ以上のものがある。残念なことに、活字にできない言葉が随所にあって、私はそれを引用することはできない。だが、「北回帰線」を理解してみよ。「ブラックスプリング」を理解してみよ。そして特に最初の数百ページを読んでみよ。それらは、いまだに、この現代でも、英語の散文において、何が可能であるのかということをもたらしてくれることだろう。そこでは、英語は、会話体で扱われているのだが、しかし、その会話体には“おそれ”がない。つまり、レトリックや、異常なもの、あるいは詩的な言葉ということにたいするおそれがない。形容詞が、十年の流浪を経て、復活してきている。それは流れるような、膨れあがるような散文であって、そこにはリズムがあり、現在流行しているような、フラットで慎重な言い回しや、スナックやバーで使われるような方言がないのであって、そうしたものとはまったく違ったものなのだ。
「北回帰線」のような本があらわれたとき、人々が先ず気づくのは、その卑猥さである、というのはごく当然なことだ。文芸上の品位からすれば、活字不能な本に毅然と接することは容易なことではない。人は衝撃を受けるか、嫌悪感をいだくか、どちらかだ。あるいは、不健康なスリルを感じるか、または、こうしたものに影響を受けないでおこうとするものもいるであろう。最後のものは、たぶん最も一般的なリアクションである。というのも活字不能な本というのは、しばしば不当なほどに注目されないという結果に終わるからだ。卑猥な本を書くほど難しいことはない、という言い方はむしろファッションであって、すなわち、そういうことをするのは、話題性があって、金儲けのために書くのだ、云々ということになる。明確なのは、この場合そうではなく、警察裁判の意味における卑猥な本というのは、きわだって珍しいという点である。卑猥な言葉を使ってできるぼろ儲けがあるとするなら、もっとたくさんの人がそれをやっているはずである。しかしながら、“卑猥な”本がそんなにしょっちゅう出てこないことから、まったく不当なルールとして、そうしたものをひとまとめにしようとする傾向があるのだ。「北回帰線」は、他の二冊の本と何となく関連性がある、すなわちそれらは、「ユリシーズ」と、「夜の果てへの旅」(セリーヌ)なのだが、どちらもあまり似てはいない。ミラーがジョイスと共通するのは、日常生活のうつろで、むさくるしい出来事である。技術上の差異はともかく、例えば、「ユリシーズ」における葬式の場面は、「北回帰線」と合致する。その章全体が、一種の告白であり、人間のもっている内面のおそろしい無情の表出となっている。だがそこで、相似性が終わっている。ひとつの小説としての「北回帰線」は、「ユリシーズ」に比べればまったく劣っている。ジョイスは、ある意味で、一人の芸術家であって、その点においては、ミラーはおそらくそうではなく、あるいはそうであることをのぞんではいないのであって、そしていずれにせよ、彼はずっと多くのことを企図しているのである。彼は、意識や、夢、夢想、(“金のブロンズ”の章)や、酩酊状態などにおける異なった状況を追及していて、そしてそれらを、まるで“ビクトリア朝”のプロット(筋書き)のごとく、ひとつの巨大で複雑なパターンに適合させようとしているのだ。ミラーは、人生について語るには、端的にいってハードボイルドな人物である。彼は言語にたいしての知的勇敢さと、才能を有した一人の普通のアメリカ人ビジネスマンである。彼が、アメリカ人ビジネスマンについての誰もがいだく感じのように見えるということは、たぶん重要なことなのであろう。「夜の果てへの旅」との比較でいうならば、その点よりこれはさらに踏み込んだものなのだ。どちらも、活字不能な単語を使用していて、どちらもある意味で自伝的であるのだが、だがそれだけのことだ。「夜の果てへの旅」は、“目的をもった本”であって、その目的は、現代生活、――それは実際のところ生そのものなのだが、それへの恐怖と、無意味さから守ることである。それは、耐え難い嫌悪感からの叫びであり、汚水溜めからの声である。「北回帰線」は、ほぼそれと正反対である。物事がおよそふつうではなくなって、ほとんど異常とも思えるほどになっているのだが、これは、幸福であるところの一人の男についての本なのだ。「ブラックスプリング」にしてもしかり、であるが、ただし、少しだけそうではない。というのも、郷愁に彩られた場面が数ヶ所あるからだ。何年ものルンペンプロレタリアートの生活で、飢えと放浪、泥沼と不首尾、野外で過ごす夜、移民局でのけんか、わずかなキャッシュをめぐる果てしない苦闘などの中で、ミラーは、楽しんでいる自分を発見するのである。セリーヌを恐怖で満たした人生が、まさに彼にアピールしているのである。それまで“抗議していた”のが、彼は“受け入れて”いたのだ。そしてまさにこの“受容する”という言葉が、もうひとりのアメリカ人、ウォルト・ホイットマンへの共感を呼んでいるのだ。
―――つづく
くじらの中で3
しかし、それはどういった種類の経験なのか? どういった種類の人間なのか? ミラーは、通りを歩いているような平凡な一般人について書いており、そこの通りがたまたま売春宿の巣窟であったのは、偶然にせよ遺憾であった。それは故郷を去った者の罰なのだ。それは自らのルーツから、より浅薄な土地へ移動することを意味している。画家より、あるいは詩人さえよりも、作家というものは、流浪するということにおそらくダメージを受けるのではないか。というのも、その結果たるや、働いている生活という感覚が取り上げられ、通りや、キャフェ、教会、売春宿や、スタジオといったせまい活動範囲にその作家が落とし込まれているからだ。全体としてミラーの本というのは、国外追放者の生活についてとか、飲んだり、話したり、瞑想したり、私通したりしている人々にまつわる話であって、働いていたり、結婚したり、そして子供たちを育てている人々の話ではないのである。お気の毒様である。というのも彼は、他の人と同様に、ワンセットになった行動を描いているからだ。「ブラックスプリング」では、ニューヨークについての素晴しいフラッシュバック(追憶)の場面があって、それはO・ヘンリーの時代で、群れをなしたアイルランド人がはびこっているニューヨークがあるのだが、それにしてもパリの場面がベストであり、しかも、社会的な型として完全に無価値であることを当然視しており、キャフェにいる酔っ払いと、無銭飲食者たちについて、キャラクターを感じさせるかたちで扱っていて、その技術は、最近の小説ではまったく及びもつかないほどである。それらすべては、ただ信憑性があるだけではなく、完璧に親しみのもてるものとなっている。彼らのすべての冒険は、読者自身に起こったかのような感じがある。彼らのその火遊びは驚くべき内容のものではない。ヘンリーは、憂鬱な感じのインド人の学生と一緒に職にありついたり、また別の職では、寒波の時期、便所が凍りついているぞっとするようなフランスの学校であったりした。また、彼の友人であるコリンズとル・アーブルで酒の飲みくらべをしたり、また、友人で小説家のヴァン・ノーディン、その頭の中には世界的に偉大な小説がつまっているのだが、書き出す気分にならないでいるような、その彼と素晴しい黒人の娼婦のいる売春宿へ出かけたりしている。また別の友人であるカールは、飢餓線上をさまよっていて、彼と結婚したがっている裕福な未亡人に拾い上げらようとしているところで、そこにはハムレットのような果てしない会話があって、カールは、よろしくない決断をしようとしているのだが、すなわちそれは空腹でいるか、おばさんと寝るか、なのだ。彼がその未亡人を訪問し、自分のもっている中で最上の服を着て、そして部屋に入る前に小便するのを無視したため、その夜、一晩中、ひとつの長い苦痛が高まっていく、等々、そういうことを緻密な描写で表現している。そして結局のところ、そこには真実はひとつもなく、その未亡人さえ実在せず、――カールは自分を何か重要な人物に見せようと、単に彼女を創り出したのであった。この本全体がこうした無意味さに満ちている。ことの大小はともかくとして。ではなぜこうしたばかげたトリビア(瑣末事)がこんなに面白いのだろうか? それは単純に、この雰囲気全体が、とてつもなくなじみがあるからだ。なぜなら、こうしたことは、“君”にも起こるという感じを君はずっと抱いてしまうからだ。そして君がそうした気分になるのは、すなわち誰かが、通常の小説のような型にはまった言葉を破棄してしまい、心の内側にある“リアルポリティーク”(現実政治、現実のうごき)をおおやけにしたからなのだ。ミラーの場合、日常生活での出来事や、日常生活上での感情と同じように、心のメカニズムを探求することは、大した問題ではないのである。というのも、多くの通常の人々、おそらく事実上大多数の人々は、ちょうどここに記録されているようにしゃべり、行動するということが真実であるからだ。「北回帰線」にある無情で、下品な登場人物たちは、フィクションでは非常にまれであるのだが、しかし現実の生活では、きわめてありふれたことなのだ。
―――つづく
くじらの中で2
最初「北回帰線」のページを開けてみると、そこには活字にできないような言葉がいっぱいあって、そのときの私の反応は、鑑賞することを拒絶するというものであった。大方もそうであろうと思う。であるにもかかわらず、一定の時間が経過して、その本のもつ雰囲気が、その無数のディテイルをともなって、私の記憶の中に奇妙なかたちで漂いだしたように思われる。一年後、ミラーの二作目である「ブラックスプリング」(黒い春)が出版された。その時までには、「北回帰線」は、私の中で、最初に読んだときよりもずっとはっきりとした存在になっていた。「ブラックスプリング」についての最初の印象は、堕落することを表現しているということであって、これには、他の本に共通する一貫性はないという事実であった。それでも、さらにその一年後、「ブラックスプリング」には、私の記憶の中で、それ自身として根ざしている数多くの文節があったのである。明らかにこれらの本は、その背後にひとつの味わいを、ある意味で、宿しているように思われるのであって、――すなわちこれらの本は、その言い回しからして、「彼ら自身の世界を創造する」ことであった。このことを行っている本は、必ずしも良い本とは限らないが、「ラッフルズ」や「シャーロックホームズ」のストーリーや、あるいはまた、「嵐ヶ丘」や「緑色のシャッターのある家」といった、ひねくれて、ゾッとするような、そういう良質でなおかつ悪本、なのかものしれない。だが今や、そして再び、不可思議なものを解き明かすのではなく、身近なものを解き明かすことによって、新しい世界の扉をあけるような一つの小説がここに現れたのだ。例えば、「ユリシーズ」の真に着目すべき点は、その扱う素材がありふれたものであるということ。当然「ユリシーズ」には、このこと以外に他の要素もたくさんあるのだが、というのも、ジョイスは一種の詩人であって、そしてまた巨大な衒学者でもあるからなのだが、しかし、彼がほんとうにやり遂げたのは、身近なものを紙上に載せたことなのである。彼は、心中の低能さをあえて、――この“あえて”ということは、テクニックであると同時に、大胆さという事なのだが、――露呈し、そうすることで、彼は、誰もの目の前にあるひとつのアメリカというものを発見したのである。ここには、意思疎通することができないもの、それを誰かが四苦八苦してできるようになったもの、そうしたものの世界の全体があるのだ。そのことによるはたらきは、人間が生きてゆく上での孤独をいずれにせよ、絶えず解体することになる。「ユリシーズ」のある文章を君が読むとき、ジョイスの心と、君の心がひとつであるように感じられ、そして彼は、君の名前すら聞いたことがないにもかかわらず、君のことをすべて知っていて、そして、君と彼とが一緒にいるようなある異次元の時間と空間が存在しているかのように感じられるのだ。そして、その他の面では、ジョイスとは似ていないにもかかわらず、ヘンリー・ミラーにおいては、こうしたことの片鱗があるのだ。このことは、あらゆる面でそうだ、というわけではない。というのも彼の作品にはひどくむらがあり、そしてときには、特に「ブラックスプリング」においては、冗漫な、あるいはつぶれやすいシュールリアリストの宇宙へと滑り落ちる傾向がある。だが、彼の作品を5ページ、10ページ読んでみると、理解したというより、“理解された”というところからくる奇妙な安堵感を、君は感じることだろう。「彼は俺のことを全部わかっている」と君は感じるのだ。「彼は俺のために特別にこれを書いたのだ」一人の声が自分に話しかけているのを、君は聞いているかのようであり、それは一人のひとなつっこいアメリカ人の声であって、そこにはごまかしもなければ、道徳的な目的もなく、ただ単に、われわれはみんなよく似たようなものじゃないのかと、暗に想定しているのだ。とりあえず今、君は、通常のフィクション、たとえそれがりょうしつのものであってさえ、そうしたフィクションにあるうそや、単純化したもの、定式化され、操り人形のようなものから逃れているのであり、人間の目に見えるかたちでの経験というものに、君は接しているのだ。
―――つづく