くじらの中で11
しかし、こうした作家たち全員について注目される点は、彼らの“目的”とするもののほとんどが漠然としていることだ。現在の緊急の問題については、何の関心も払われず、結局、狭義の意味で没政治的なのである。われわれの視線は、ローマへ、ビザンチンへ、モンパルナス、メキシコ、エトルリア、無意識、太陽神経叢(解剖学、――胃の後方)、へと向けられていて、――それは、実際に起こっている場所以外なら、どこへも向けられているのである。20年代を降り返ると、ヨーロッパで起こったあらゆる重要な出来事が、英国の知識人の関心から抜け落ちているということほど奇妙なことはあるまい。例えば、ロシア革命は、この十年間、――レーニンの死と、ウクライナの飢饉との間、イギリス人の意識からは消滅している。この間のロシアでは、トルストイ、ドストイェーフスキーであり、さらに、国外移住してタクシーの運転手となった元貴族を意味している。イタリーでは、画廊であり、廃墟、教会、美術館なのだが、――黒シャツ(訳注:ファシスト集団)ではない。ドイツでは、フィルム、ヌーディズム、そして精神分析であり、だがヒットラーではない。彼については1931年になるまでほとんど誰も聞いたことがなかった。“文化的な”サークルでは、芸術のための芸術が、無意味さを崇拝するまでに、実質的に拡張されていた。文学は、言葉を操ることに血道をあげているというふうに思われていた。主題によってひとつの本を判断することは、許されざるべき罪であり、そして、その主題を知悉することさえ、趣味の堕落と見られたのである。1928年ごろ、第一次世界大戦以来、「パンチ」誌から生まれた三つの本当に面白いジョークのうちのひとつがあって、それは、がまんできない一人の若者の話で、彼は自分の叔母さんにむかって、「書こう」と思っていると言う。「何について書こうというのかい、お前は?」とその叔母さんがたずねると、「叔母さん」と彼は勢い込んで言った。「人は何でもいいから書くってもんじゃない、ただ書くだけなんだ」 20年代における最高の作家たちは、この原則に同意していたわけではなく、彼らの“目的”は、ほとんどの場合、明白であったのだが、通常それは、道徳的かつ、宗教的かつ、文化的なラインに沿った“目的”であった。また、政治的な用語に翻訳可能であれば、それは、“左翼”ではない。いずれにせよ、このグループに属するこうした作家たち全員の傾向は、保守的なのである。例えば、ルイスは、“ボルシェヴィキ運動”の後でも、逆上した魔女狩り、それは、まったくありそうもない場所を探索することが彼にはできたのであるが、そうした精神状態で数年を過ごしている。最近になって彼は、自らの観点を若干変更していたのだが、おそらくそれは、ヒットラーの芸術家にたいする扱いのせいであろうが、しかし彼が極端な左翼に走ったということは、まず間違いなくないであろう。ファシズムにたいしてポンドは、確実に膨張しているように思われるのだが、いずれにせよ、イタリアの多様性というものがある。エリオットは、お高くとまっていたが、しかし、ファシズムと、他のやや民主主義的な社会主義のどちらかを選択するようにと、ピストルをつきつけられて強要されたなら、おそらく彼はファシズムを選ぶであろう。ハクスレイは、例によって、“人生の悲惨さ”から出発して、それから、ローレンスの“暗い腹部”の影響をうけ、“人生を崇拝すること”のようなものに挑戦し、そして最終的には、平和主義へと行き着いたのであって、――それは、社会主義の拒絶を含む長い期間、もちこたえられるものであった。このグループにおけるほとんどの作家たちは、カソリック教会にたいして一定のやさしさを有していることは、注目される点であるが、それは正等なカトリック教徒が通常受け入れる種類のものではない。
ペシミズムと反動的な見方との精神的な接点は、疑いようもなく、明白に存在する。ただ、やや不明りょうな点は、20年代を代表する作家たちが何故、その大部分がペシミスティックなのだろう、ということだ。いつも、デカダンス(頽廃)、頭蓋骨、サボテンといった意識や、信仰を失った後での渇仰、そして不可能な文明なのだろう? これは結局のところ、こうした人々は、例外的に安楽な時代の中で書いていたからではないのだろうか? それは、まさに“宇宙的絶望”が開花することができる時代なのだ。腹に何ももたない人間は、森羅万象に絶望することは決してない。1910年から1930年の全期間にわたって、それは繁栄の時代であり、しかも戦時であってすら、連合国の一員でも、戦闘要員でたまたまなかった人であれば、現実的に許容できたのである。20年代に関する限り、彼らは“不労所得”のインテリであり、その時代は、かつて例を見ないほどの無責任の時代であった。戦争は終わっていて、まだ全体主義的国家は出現しておらず、あらゆるかたちでの道徳的、宗教的なタブーが消滅し、そして現ナマが転がり込んできた。“幻滅”というのが、すべてにおけるファッションであった。年間で500ポンドの預金をもつ者なら誰でも、ハイブローとなり、“厭世観”を養成すべく自己を訓練し始めていた。それは、ワシと、クランペット(女たらし)と、甘っちょろい絶望と、裏庭のハムレットと、夜明けまでの安っぽい往復チケットの時代であった。この時代のマイナーで、特徴的な小説「愚者の語り」といった本は、“人生にたいする絶望”が、自己憐憫からトルコ式風呂のような雰囲気にまで到達したのであった。そして時代の最高の作家であってさえ、自信をもって、過度にオリンピア的な姿勢をとり、身近にある緊急の問題から手を洗うことに対して、過度に準備万端になっているような有様であった。彼らは人生を非常に複雑に見ていて、彼らの前後の世代よりずっとそうなのであった。が、彼らはそれを望遠鏡の反対側から見ていたのだ。そのことは、彼らの著作が有効性をもたないということではない。どんな芸術作品でも、その最初のテストは、生き残れるかということであって、1910年から1930年にかけて書かれた多くの作品は、生き残っているし、今後も残ってゆくであろうということは事実なのだ。「ユリシーズ」や、「人間の絆」や、ローレンスの初期の作品、特に彼の短編等、そしてまた、1930年頃までのエリオットの詩の全作品等について、現在書かれているものが簡単に消えてゆくことを考え合わせると、それはどういうことなのだろうと、人は思ってしまう。
―――つづく