オーナーの読書室 -8ページ目
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リズム感のこと

リズム感のこと



 30年ぶりにケータイでFMラジオを聴いた。ウォークマンで聴いていたころ以来、モバイル状態で音楽を聴くなんてことは卒業したと思っていたのだが。


 で、大阪のFM局であるFMココロから流れるロックを聴きながら、京阪電車に乗っていると、ロック独特のドライブ感、疾走感が味わえていいものである。やがてふと気がつくと、このロックの演奏は日本人であった。これまでであれば、日本人のやっているロック音楽は、リズム的に駄目という一方的な判断で、即刻、他局へ変えるのであるが、この場合、最後まで聴いてしまった。これは私にしてみれば、重要なことである。1960年代からアメリカのポピュラー音楽(ロック)を聴いている私にとって、これまでの過去40年間、日本のロック音楽は、純粋にリズム上の観点からすれば、ノーグッドであった。このことは、もちろん、音楽としての日本のロックそのものを否定するわけではない。例えばYMO,桑田、スピッツ等は、私のお気に入りである。それでも、アメリカンロックがもつドライブ感がこれらのバンドで表現できているかといえば、答えはノーであった。このロックのドライブ感、疾走感というのは、単にバックのドラム、ベースが乗っているだけでは出てこないもので、フロントのリズムギター、ソロのボーカル、リードギター等がバックのリズムセクションと一体となっていないと駄目なのだ。そこにしかはめ込まれない箇所というものがあって、ジャズでいうグルーブ(溝)である。“グルービーな”演奏には、独特の“浮遊感”がある。これをもっている日本人アーティストは少ないと思う。演奏している全員が同じリズム上の解釈、フィーリングを共有していないと出てこないからだ。


 私はこのことを40年前から意識していた。そしていつかはこうなる日が来るだろうという漠然とした思いがあった。10年ほど前だと思うが、永六輔が、NHKのテレビで、最近の若者は、盆踊りの手拍子が「あと打ち」になっていると指摘していたのを思い出す。個人のリズム感はずっと前から確かに「欧米化」していたのだろう。だがグループによる音楽演奏となると話は別である。


 こうした事情は、実は日本人ジャズ演奏家にも言えることで、器楽演奏のみである場合、「浮遊感」の源泉であるスウィングが、特に意識されるのであって、

これが感じられるジャズアーティストは少ないと言わざるを得ない。“スウィング”とは何か? いろいろな解釈、説明があるであろうが、ひとつの説明として「フロントセクション(ソロの演奏者)が、バックのリズムセクションに対して、シンコペーションによる反応を持続させることにより、リズムセクションとの間にリズム的な一体感を共有することで、グループ全体のサウンドの中に生まれてくる“揺れ”」というのはどうであろう。基本的には、上記に述べたようにロックの浮遊感と同じものである。


 リズムは、古代からコミュニケーションのもっとも原初的な形態である。それは言葉による伝達よりももっと深い感情を伝えることができるのであり、それは、もっとも重要な音楽の要素である。このことは、アフリカや南米の音楽を見れば一目瞭然である。しかし、これほどまでにアメリカの音楽を受容しているにもかかわらず、われわれ日本人は、リズムに対して鈍感であるような気がしてならない。いや、“鈍感”ではなく、ここで言っていることは、西洋と東洋に違いということなのだろうか。冒頭に揚げた現在の若者のロックは、その東洋と西洋に違いを乗りこえているという意味で、私にとっては重要である。


 


ボルヘスとモーム

ボルヘスとモーム


昼間、自宅でボルヘス、そして夜、お客さんがいないとき店でサマセット・モームを読んでいる。どちらも最近できた「ランダム・ウォーク」という洋書店で購入したものだ。ここの店長さんはうちのご常連である。いつもおおきに。


 さて、まったく関係のない両者の作品なのだが、現在読んでいるのがたまたま両方とも短編集である。その中には、興味深いエピソードが、まさに文豪の筆力で見事に語られているので、退屈しのぎにここで、各一編を紹介してみよう。私の文章では、当然ながら原作のもつ味わいはない。それでも、ここに紹介する物語は、いずれも男女の仲がいかに不思議であるかということが主題である。


 まずはボルヘス。舞台は200年ちかく昔のアルゼンチンの農場。ガウチョと呼ばれる牧場労働者の世界である。このガウチョとは、アメリカでいうカウボーイのことで、「ナイフファイト」とよばれる決闘で知られる荒くれ男たちのことである。日本では侍が刀で斬りあいをしていたのだから、これは、さして驚くことでもないのであろうが、アメリカのように拳銃で果し合いというのではなく、短剣で決着をつけるというのが、ここでの「男の美学」であったようだ。


ところで、この話の主人公は、そうした牧場を親から受け継いだ兄弟である。ある日、兄のほうが町へ出て行って、女と出会い、恋をし、その女を牧場へ連れてくる。だが弟も、兄が遠くの町へ出張した際、この女と寝てしまう。兄が帰ってくると、そのことがすぐにばれてしまい、悩んだ兄は、この女を売春宿へ売り飛ばしてしまう。しかし、どうしてもこの女を忘れられない二人は、売春宿から女を取り戻して、二人で彼女を殺害してしまう。二人の兄弟は、泣きながら、これで兄弟ふたり、これからも暮らせるというのだ。これって、究極の愛は、死であるということなのか。私にはよく理解できない。ボルヘスはこの話を、昔の思い出話のように語っているのだが、虚々実々でほんとうのことなのかはわからない。200年も前の、アルゼンチンの片田舎での出来事であると考えたら、あり得ることのように思える。もしほんとうであるとしたら、女性にとっては、噴飯ものということか。そういうことではないでしょ、と女性はいうのだろうか。


 かたやモームの話は、ある国のイギリス大使の昔話である。モームはかつて若いころ、政府の諜報機関で代理人のような仕事を秘密裡に行っていた経験があって、その頃のエピソードのひとつである。ときは第一次世界大戦前夜、各国が情報収集に躍起となっている時代である。このイギリス大使は、各国の大使を歴任した外交キャリアのトップクラスで、名門の女性と結婚し、申し分のない社会的地位にある人で、何事にも格式ばり、堅苦しい印象がある。もっと人間的な関係を望むアメリカ大使の提案から、作者自身の分身と思われる話し手が、大使館でこの大使と食事をすることになった。ウェイターとバトラーに給仕されながら、二人だけの食事が始まる。大使の奥さんが同席するはずだったが、別の会合で遅くなるので、二人だけとなったのだ。食事が終わって、大使秘蔵のブランディを飲みながら、やがて会話は彼の若い頃の話となる。彼の友人と断っているが、実はそれは彼自身のことであることがわかってしまうのだが、彼は若い頃、一人の女性と恋に落ちた。フランスのパリで、友人夫婦からある女性に引きあわされるのだが、この女性は、アクロバットの踊り子で、美人ではなく、下品で、声も低く、いわゆる下層社会出身の人間であった。それでも彼は、これも若いときの経験で、火遊びもいいだろうという軽い気持ちでデートに誘うのだが、意外にも彼女から拒絶されてしまう。何回かアタックしてようやく彼はデートしたのだが、最初なんとも思わなかったのが、だんだんと会っているうちに、彼女を好きになってしまう。パリとロンドンで何回か会ったりして、紆余曲折の末、彼が今の奥さんと婚約中であったにもかかわらず、パリで、一週間甘い生活を送り、それを最後に二人は別れてしまう。


 このイギリス大使は、彼女と結婚しなかったことを悔いていて、涙を流しながら、自分の一生が無駄であったと嘆く。美人で、頭がよく、名門出身の女性と、だれもがうらやむ結婚をしたにもかかわらず、彼は下品で、美人ではないあの女性と一緒になれなかったのが不幸だったと泣いているのだ。この物語の最後に、奥さんが帰宅するのだが、彼は、一瞬、その奥さんに憎悪の目を向けるが、すばやくもとの表面上おだやかな態度に変わるところでこの話が終わる。


――――ことほどさように、男女の仲とはわからないものである。


 

世代間格差

世代間格差


先日、テレビのニュースを見ていると、ディズニーランド限定の服飾品が、園内限定で販売されているという報道があった。三十五年前に二十代前半であった私の感覚からすると、まったく現実感がない。子供のころ、ディズニーのアニメの映画を夢中で見ていたのだが、ディズニーランドそのものへ行くことは、遠い夢でしかなかった。とはいうものの、私が二十六歳のとき、それはたまたまアメリカの建国二百年の年であったが、実際に、ロサンゼルスにあるディズニーランドへ行った経験をもってはいるのだが。それは文字通り、はるばる海を越えてやってきたという感覚があって、やはり遠い世界の出来事であって、とてもじゃないが、日常の延長線上にあるなどというしろものではなかったのである。


 ところが、現代の若者はどうであろう。ごく日常的に、東京のディズニーランドへ行き、例えば、ミッキーマウスのデザインをあしらったTシャツをあたりまえのように購入する。何故私は、こんな些細なことにこだわるのだろう?ある面で、経済的に、また精神的に東京のディズニーランドへ行く機会を、私は逸したからなのか? 確かに物理的にはそういうことなのだろう。だが、それだけの理由では納得できない。要するに、団塊の世代の最後である1949年生まれの私にとって、自身の十代は、戦後の貧しさの体験から、高度経済成長へと変化する時代を生きてきたわけで、文化的な事柄を含めて、現在の豊かさなるものを素直に承服できない何かをかかえているのだ。もちろん、こうした感情が一般的などとは決して私は思っていない。東京のディズニーランドを純粋にエンジョイできる同世代の人は、それはそれでラッキーなことだと思う。


 この感情の底には、70年代の左翼運動、左翼思想の挫折が影を落としていることも一因であろうが、ついつい自らの世代をベースにして、時間的区割りをしてみたい傾向がある。この場合でいうと、アメリカなるのもの象徴のようなディズニーは、私にとっては、いまだに“遠い”存在であるのに対して、私より若い世代は、それを自らのものにしてしまっている。これこそ“世代間格差”と私がよびたいことがらのひとつである。


 だから、それがどうした、ってあなたは言うかもしれない。私が言いたいのは、われわれはみんな歴史的に限定された存在なのだ、ということである。

マーク・キャリー

マーク・キャリー


私は毎日I-Tuneを聴いている。これは、アップルが提供しているインターネット上のストリーミングサービスで、日本にいて、最新のジャズを米国内と同時に聴けるのだ。こんなこと知っている人には、今や何でもないことなのであろうが、一昔前では考えられなかったことだ。


 さて今、私のお気に入りが、主題のマーク・キャリー、ピアニストである。先ず、I-Tuneで彼の曲である“タイワ”を聴いたのだが、そのラブリーで、哀切なメロディが気に入っている。美しくも、切ない感情が、抑制されたシンプルなラインに反映されていると思う。彼の曲想はオリジナルであり、そのピアノの演奏は、陳腐なイディオムにとらわれることなく、自由だ。四連譜でつくられるフレーズには、コルトレーンの影響を感じさせるが、後述するように、本人のインタビューでは、コルトレーンは一言も出てこない。それはともかく、この“タイワ”が入っているアルバム、“フォーカス”におさめられている他の曲も深い味わいがある。そこで、彼の演奏をもっと聴いてみようと思って、I-Tuneストアで探すと、2006年の録音で、もう一枚別のアルバムがあった。これは“アンティドート”(解毒剤)というタイトルで、前者のピアノトリオに対して、こちらは、サクソフォーン、トラペット、そして何種類かのパーカッションという編成になっている。この中の一曲に、“チャカパティック・ウーマン”というのがある。この曲のリズムパターンは、日本の民謡にあるいわゆる、岡林信康が提唱しているエンヤトットと少し似ている。これはどういうことだろう。黒人なので、アフリカのリズムに偶然近いものがあったのか、と思っていた。


 で、彼のことをネット上で調べてみると、アメリカでも“タイワ”はヒットしていて、彼は人気者であった。本人のインタビュー記事があったので、それを読むと、自分の略歴と、上記の曲についての説明があった。その舌をかみそうな名前、チャカパティックは、ネイティブ・アメリカン、すなわちアメリカン・インディアンの部族の名前であり、彼の母親は、この部族出身のインディアンであり、彼女は、国立の保護区で、自らの部族の伝統を保存する活動をしている、とのことであった。つまり、彼は黒人と、インディアンのハーフであった。彼自身、自分は黒人とインディアンの文化を誇りに思っていると語っている。これで、この曲のリズミックパターンが、何となく日本の民謡にかすかに似ているのだ、とひとり納得するものがあった。


 上記のインタビューで、彼は自身の来歴を紹介しているのだが、ごたぶんにもれず、十代のとき、ヤクに走り、矯正施設に入っている、余談だが、その施設の名前が、RAP(ラップ)で、これは、Regional Addiction Prevention

(この意味は、常習者矯正地域施設といったところか)の略である。彼はワシントンD.C.の出身で、同じここの出身者にデューク・エリントンがいて、そのデューク・エリントン音楽学校に転入している。そして、十代の終わりごろ、すでにホワイト・ハウスで演奏した経験をもっている。


 言わずもがなであるが、やはりアメリカにおけるジャズの層の厚さには脱帽である。―――ケイズケイス緒方


アラトーリ氏のタイム・プログレッション理論

スウィング感が非記譜的記号上の「ゆらぎ」であることは理解しましたが、その法則性を一般化することは、あるいは、その事態を言語化することは、ほぼ不可能ではないでしょうか?
これは、反論、論難しているのではなく、われわれは「音楽」を扱っているわけで、難しいところだと思います。

シンコペーションが、ジャズにおける作曲(インプロビゼーションを含む)上、主要なモチーフ(契機)となっていて、それは、音楽的衝動が、深いところで話すこと、発言することという衝動と重なり合っているからだと思ます。マックス・ローチのアルバムのタイトルに、”Speak, Brother, Speak"というのがありますね。

というふうに、私はどうしても、ジャズは英語という言語に依拠しているということにこだわってしまいます。頭がかたいのでしょうか。アラトーリ氏の見解は、この非英語圏の人間の限界を弁証法的に超えるものかもしれません。もっと議論を深めたいものです。

jコルトレーンと共演

昨日、私はコルトレーンと共演した。といっても、ご想像のとおり、レコーディング上のことであるが。最近、知人からケータイにICレコーダー付きが出ていると知らされて、さっそく機種変更したのだ。このICリコーダー機能は、各メーカーから当然のように出ていのだが、他のことには何の興味もない私は、当然一番安いものにした。たまたまそれはこれまでの同じサンヨー製であった。

吹き込んだ曲は、私が常々練習している、コルトレーンのブルースの曲でもっとも簡単な、“ビレッジブルース”である。これは、アトランティック時代の

「コルトレーン・ジャズ」という比較的地味なアルバムの一曲である。それでも、ピアノとドラムは、マッコイ・タイナーとエルビン・ジョーンズだ。いわゆるコルトレーンのクラシックカルテットといわれている、ジミー・ギャリソンがまだ参加していない時期で、この歴史的なカルテットの原型ともいうべき時期のものである。


 さて、最初のテーマは“ひじょうに”簡単であるにもかかわらず、とちってしまった。オーディアンスがいなくても, 録音しているというだけで、あがってしまったのである。トレーンのアドリブの部分では、やや遅れてフレーズをなぞってゆく。まったくたどたどしい。まるで子供が駄々をこねているような状態。つらつら思うに、私とトレーンのこの演奏時点での実年齢は、当方57歳にして、トレーンは当時、31歳である。トホ。前回も同じようにこの曲を録音して、ある女性客に聴かしたのであるが、彼女は・・・涙を流して笑っていた。おれはコメディアンか。


 閑話休題、それでもマッコイのピアノソロの部分では、私は自分なりのフレーズが吹けたのではないかと思っている。うそかまことか、私の店に来られれば、当店のオーディオシステムでお聞かせしますよ。店主敬白(軽薄?)

sukan conversaton club

どう言っていいのかわからないのだけれど

魔法でもないし

世界をこの手ににぎっているわけでもないし

英雄のように空を自由に飛べたら

そして僕は君を愛している誰かさんなんだ


君を遠くにある楽園へ連れて行けるのなら

君をそこの女王さまにするよ

僕にはないすべての黄金をあげるよ

それで僕は君を愛している誰かさんなんだ

それが僕のすべてさ


愛、それは音楽であり、秘密のもの

君が必要とするものを僕はすべてもっている

そして君、君は僕にとってすべて

だから君と出会った瞬間を大事に思っている

これ以上のものを得られないに違いない

でも僕の心の中を君がのぞいたなら

君のことを愛している誰かさんがいるのを

君は見つけることだろう

そう、それが僕なんだ


これは、ジョージ・ベンソンの最近作、「ジョージ・ベンソンとアル・ジャロー」の中の“オール・アイ・アム”というラブソングで、不肖緒方の駄訳です。


スカタン・カンヴァーセーション・クラブの皆様、こんにちは。ご機嫌はいかがですか? 本クラブは出席者の低迷にいつも悩んでいますが、次回(つまり明日)は、「たぶん」純粋の京都弁を話す素敵なおばさまが出席される予定です。

私なんぞは英語よりも、今では希少な京都弁を習うほうがよかったりして。

(それじゃ駄目じゃん)


それはともかく、次回のクラブでは、上記のラブソングを聴きましょう。ジョージ・ベンソンがゆっくり、はっきり、心をこめてうたっています。私の訳があっているか判定してね。


ケイズケイス緒方





アラトーリ氏への異論

アラトーリ氏のタイム・プログレッション理論について


上記の理論は、ジャズの即興演奏におけるスウィング感の生成過程でおきる時間的なずれに注目したものだと思われる。これは、私が日頃考えている領域に近いところなので、“反論”ではなく、“異論”を以下に述べることにする。


 彼は自らのサイト上で、上記の理論について、グラフを用いて説明しておられるのだが、一読しただけで理解するのは難しい。要するに、基本のリズムから徐々に時間的にずれてゆくことにより、ジャズ独特のスウィング感が醸成される、と言っておられると勝手に推察しているのだが。(間違っていたらどうかご教示願いたい)これはつまるところ、ひとつの事態をその始まりから考えるのではなく、結果されたものをベースにして、それについての一般法則を見つけ出そうとしているのではないか。これはつまりインダクション、――帰納法である。あるいは、リバース・エンジニアリングだ。


 翻って、これまでの私の理解では、ものごとの始まりから考える、つまり通常の思考法でいけば、以下の知見が、すでに私ではなくいろいろな人々によって述べられている。そのニ三を紹介すると、


1) ごく最近(2006年)、丸山繁雄というジャズのボーカリストで、ジャズ研究家が「ジャズ・マンとその時代」という包括的なジャズの解説書を書いたのだが、その最初の章で、彼は、スウィング感は、アフリカン・アメリカンによる英語の同化現象によるものであるという論を展開されている。その中で注目されるのは、ジャズのシンコペーションは、英語を基本にしている、と言う点である。というのも、英語だけが、世界でほとんど唯一子音が二つ以上重なって言葉を形成する言語であるというものだ。またもちろん、文節における英語のイントネーションが、ジャズのフレーズをかたちづくる上で重要な要素になっていることについても彼は解説している。

2) ブルースの解説書で有名なイギリスのポール・オリバーも、アフリカの黒人が奴隷としてアメリカ大陸において、白人と接触することにより、自らのリズム感はそのままに、英語を体得してゆく過程を説明している。その過程そのものがフィールド・ハラー、そしてブルースのルーツである。そしてそれらが、ジャズのフレーズのルーツであることは論を待たない。

3) 1976年、黒人でハーバード大医学部の学生であったC.O.シンプキンズが、史上初めてジョン・コルトレーンの伝記を書いた。彼はその中で、アフリカの伝統を説明するのに、カウント・ベーシー楽団のメンバーであったレスター・ヤングが以下のようなテクニックを駆使したと述べている。それらはすなわち、

      オーバートーン(倍音)

      スクリーム(叫び声)

      ホンクス(クラクションのような音)

      リーピング(跳躍する音)

  

   彼(シンプキンズ)は、また別の箇所で、ジャズのフレーズは、西アフリカの部族の言語にあるニュアンスを、楽器で表現しているようだとも述べている。


従って、これらの事柄を理解、体得しないとジャズの演奏は出来ないと言ってしまうのは言いすぎだろうか? 私は自らもサクソフォンを演奏するので、くちはばったいのであるが、日本人のプレイヤーには、これが解っていない人が多いような気がしてならない。これは日本人だけではなく、ヨーロッパ人のジャズも同様である。例えば、最近澤野工房から出ているフランスのピアニスト、ルネ・ユルトルジェの演奏を聴くと、もちろんそのテクニック、ジャズ独特のフレーズ、情感等素晴らしいのであるが、肝心のスウィング感が平板なのだ。サイドのベーシスト、ドラマーとのインタープレイにしても、どこかクラシック音楽の正確さがあって、真にリラックスしないのである。もちろんこういうテイストが好きなリスナーがいることも私は十分承知しているが。


 話がそれてしまったが、計測不能であるような領域に挑戦しているアラトーリ氏には興味深いものがある。妙なたとえだが、それはまるで、これまで一見不可能であるかのような課題を与えられて、それを克服してしまう日本人の姿に重なってしまうのである。それは例えば、電車の無人改札機や、高速道路の自動課金装置等々。

 

英会話クラブ

スカタン・カンヴァーセーション・クラブの会員の皆様、ちわ。店主の不肖緒方です。


私は、自称日本のジョン・コルトレーンを目指している関係上、興がのれば、カウンターの内側、キッチンからコルトレーンのレコードに合わせて演奏する、キッチンドリンカーならぬキッチンプレイヤーですが、昨夜は、「トランジション」に挑戦したのですが、上のハイノートの音は、ソプラノでは全然出せず、思わず、”John, I can’t.”とつぶやいてしまいました。それじゃ駄目じゃん。翔太です。


ところで、参加者の数の低迷をものともせず、こりもせず、しぶとく例会を続行していますが、前々回のいつもの参加者であるK氏は、プロの翻訳家ですが、独自の英語解釈を披瀝されて、非常に興味深いものがありました。彼によると、英語は擬態語であると言うのです。例えば、put, これはプッと置く。Push,

ぷしゅーっと押す。てな具合。その他にも、学校英語、受験英語では決して出てこないような英語学習法を講義されて、刺激的でありました。今週は、彼の仕事が極めて忙しく、やむなく欠席されましたが、次回の講義が楽しみです。

彼との英会話もネイティブ並みです。よろしくね。

ケイズケイス緒方


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