世代間格差 | オーナーの読書室

世代間格差

世代間格差


先日、テレビのニュースを見ていると、ディズニーランド限定の服飾品が、園内限定で販売されているという報道があった。三十五年前に二十代前半であった私の感覚からすると、まったく現実感がない。子供のころ、ディズニーのアニメの映画を夢中で見ていたのだが、ディズニーランドそのものへ行くことは、遠い夢でしかなかった。とはいうものの、私が二十六歳のとき、それはたまたまアメリカの建国二百年の年であったが、実際に、ロサンゼルスにあるディズニーランドへ行った経験をもってはいるのだが。それは文字通り、はるばる海を越えてやってきたという感覚があって、やはり遠い世界の出来事であって、とてもじゃないが、日常の延長線上にあるなどというしろものではなかったのである。


 ところが、現代の若者はどうであろう。ごく日常的に、東京のディズニーランドへ行き、例えば、ミッキーマウスのデザインをあしらったTシャツをあたりまえのように購入する。何故私は、こんな些細なことにこだわるのだろう?ある面で、経済的に、また精神的に東京のディズニーランドへ行く機会を、私は逸したからなのか? 確かに物理的にはそういうことなのだろう。だが、それだけの理由では納得できない。要するに、団塊の世代の最後である1949年生まれの私にとって、自身の十代は、戦後の貧しさの体験から、高度経済成長へと変化する時代を生きてきたわけで、文化的な事柄を含めて、現在の豊かさなるものを素直に承服できない何かをかかえているのだ。もちろん、こうした感情が一般的などとは決して私は思っていない。東京のディズニーランドを純粋にエンジョイできる同世代の人は、それはそれでラッキーなことだと思う。


 この感情の底には、70年代の左翼運動、左翼思想の挫折が影を落としていることも一因であろうが、ついつい自らの世代をベースにして、時間的区割りをしてみたい傾向がある。この場合でいうと、アメリカなるのもの象徴のようなディズニーは、私にとっては、いまだに“遠い”存在であるのに対して、私より若い世代は、それを自らのものにしてしまっている。これこそ“世代間格差”と私がよびたいことがらのひとつである。


 だから、それがどうした、ってあなたは言うかもしれない。私が言いたいのは、われわれはみんな歴史的に限定された存在なのだ、ということである。