ジャズ雑感 | オーナーの読書室

ジャズ雑感

この「多分駄文コーナー」もちょっとあきがきた。リズムについての雑文もこれだけひっぱればもういいという感じだ。


 この次にくる理想的な段階としては、私は以下のようなことを考えている。ソロのフレーズにおけるメロディックなライン、すなわち音の高低によるソロというものにはどういう意味があるのか、その論理性の根拠になるものを探求できればと思うのだが、これは何を具体的に指しているかといえば、すなわち、各フレーズを構成する根拠として、ひとつには、これまで説明してきたジャズにおけるリズム上のポイント、これを仮に縦軸(垂直なうごき)として、ふたつめには、これとは別に、定型的なイディオムをベースにしてはいるが、プレイヤーの自由な演奏があり、これを横軸(水平なうごき)とすれば、このふたつが編みこまれている構造ということになる、(ここでいう水平なうごきとは、音の高低、上下のうごきのことではない。)


 こうした構造が論理性への根拠となると私は思っている。このフォーマットをベースにして実行されるジャズのアンサンブルにおけるソロのインプロビゼーション(即興演奏)が、その全体としてひとつの意味をもつその背景には、やはり私が以前から主張している英語自体のもつイントネーションにもとづいたものがある。このメカニズムによって、ひとつの思考、あるいは感情が、その時間上の延長線上に、ひとつの論理性をもって立ち上がってくるのである。(このことは昨年、「ジャズをやるものは、英語を理解しなければならない」と私が主張した点における根拠となっているだが・・・)


 そのことを、豊富な実例でもって詳細に例示したいところなのだが、私の知識と能力では限界がある。これは、音声学上、また即興演奏についての分析の観点から面白い研究テーマだと思うのだが、だれか挑戦する人はあらわれないかしら。それとも、もうすでにアメリカでこのような研究結果が発表されているのかしら??


 


 てなわけで、この駄文コーナーのしちめんどくさい話から当分おさらばして、突然ではあるが、ジョージ・オーウェルのエッセイの翻訳をやることにする。ネタ本となるのは、なんと私が1973年か74年ごろに購った(あがなった)ところの、ペンギンブックスのペーパーバックで、1968年版である。初版は1957年で、「セレクテッド・エッセイ」(随筆撰集)とタイトルされていて、1930年代から40年代に書かれたものをベースにしている。


 ところで、読者諸兄は、「ははー、ジョージ・オーウェルといえば、“1984年”が有名で、最近、村上春樹の“1Q84”が出たので、その評判にあやかろうとしているのだろう。さもしい根性だ」と思われるかもしれない。もしそうだとすれば、私にとってそれははなはだ遺憾である。私は、村上のストーリーテラーとしての才能を認めることにはやぶさかではないが、その作品自体は、どうも好きになれない。これには、「近親憎悪」「男の嫉妬」といった感情がからんでいるのだろう。ちなみに彼と私は同年である。話がそれたが、今回オーウェルを選んだ理由は、新刊のペーパーバックすら買えないという経済的事情なのであって、まったくしゃれにもならない偶然なのだ。つまり、読む本が手元からなくなったので、ふと昔の本を再度読んでみたら、興味深かったというだけのことなのだ。


 閑話休題。“1984年”や“アニマル・ファーム”はともかく、70年から80年前の状況について書かれたイギリス作家のエッセイを、この現代の日本において読むなんて意味があるのだろうかという疑問を呈するむきがあるかもしれない。ごもっとも。そこで先ずは、彼の略歴を紹介すると、オーウェルは1903年生まれで、イートンに学び、その後、インド帝国警察所管のビルマで勤務し、1937年には、スペインの市民戦争で共和党のために戦闘に参加し、負傷している。その後第二次世界大戦時、ホームガード(英国のボランティアの防衛軍事組織)に参加して、BBCで働いた。そしてその後、トリビューンや、オブザーバー紙の文学欄担当の定期的な寄稿者となった。1930年代、英国の植民地であったビルマで、警察官として勤務していた時期、彼は大英帝国の衰退を感じていて、なによりも帝国主義を嫌悪していた。そのエピソードがこのエッセイにもあるが、小説「1984年」を書いた動機もそのへんにあるらしい。また、70年前のイギリスの状況は、貧富の格差が激しく、英国はふたつの国に分かれているという意味のことをいっている。これは現在の日本にもどこか通じるところが感じられる。


――ということで、次回から、例によって連載形式で掲載することにする。