最近、とみに塾講師らしくなってきた。今年の春から、縁あって、サポート校で大学受験の指導を始めた。まわりは優秀な先生ばかりで刺激になる。みんないい人ばかりだし、なにより、相談(という名の愚痴笑)できる相手ができたのが有難いね。昨年までは、ほとんど自分で考えてやってたから、かなりきつかった。今年はある程度の型ができつつあるから、昨年よりは余裕がある。でも、まだ楽はできない。正直なところ、もっと稼ぎたい。スケジュールがいっぱいいっぱいのようにも思えるけど、工夫すればまだ仕事を受けられるはず。もっとも何も考えず、引き受けすぎると、キャパオーバーではまるのは、昨年も経験済みで懲りてる。お金にはならないが、過去問や参考書を研究したり、小ネタを仕入れたり、教え方について学ぶ時間も楽しいし、なにより必要なことだから、よいバランスを考えなくてはならないと思う。
一方、お世話になっている、個別教室の運営にも、成り行き上、携わることになった。昨年から、この仕事を始めて、成績をあげる、志望校合格という目標を達成しようという思いでやってきた。自慢みたいになるが、おおむね僕が担当した生徒は運良く、というか、ほぼ一定の成果が出たと思う。やはり個別教室の意味は、ただ勉強を教えるだけではなく、生徒とコミュニケーションできることにある。特に、受験生は、いろいろと悩みが多い。話を聞いてあげるだけでもいい。常に話し相手であることを意識していた。一方、弊害もある。特に、小学生、中学生だと、先生、生徒という間柄というよりは、友達みたいになってしまい、どうしてもお互いに甘えが出る。一回そうなってしまうと、変えるのは大変難しくなる。今もそういう教え子がいて、どうしようかなと考える。まあ、ある意味は仕方がないことだと割り切っている。話が脱線してしまったが、1年やってきた感想として、成績を上げたい、志望校合格という目標自体、生徒が意識していないケースがあることに驚いている。が、少し考えればわかることだが、当たり前のことなのだ。僕は、たまたま自分が行きたい高校にも大学にも自然と関心が持てた。ラグビーと勉強が両方できる学校ということで、高校を選び、運良く合格。高校では、部活の先輩がいて、受験した学校を聞いたりして、なんとなくここかな、という学校を見つけることができた。昨年も、やりたいことや志望校がはっきりした生徒は、見事に受かっていった。しかし、ほとんどの子供は、自分がどう進むか、ということについては、漠然としているのではないか。それが可能性ということであり、大人の人生とは違った意味での漠然さともいえる。成績を考えなければ、なんでも選べる。極端な話、進学しないという選択肢もあるわけだが、立場上そこは考えないことにしても、このなんでも選べるということは、なかなか難しいのだと思う。好きなことがあって、それができる学校ということで選ぶ生徒もいるが、さらなる進学、就職のことを考えると、本当にそれでいいのか、とか、考えれば考えるほど、ことは複雑になるような気がする。いや、考えるならまだいい。まったく考えないと始末が悪い。いや、もちろん中学生ぐらいだと、難しいのかもしれないし、家庭環境など、さまざまな状況から考えるところまで至らない子もいる。ただ高校生で、それだと始末が悪い。まあかくいう私も、大学で勉強したいこととか、将来何をしたいかなどほとんど考えなかった高校生だったんだけど 笑
塾の運営の上で、生徒の進路の相談に乗るということは外せないと思う。学校の先生がどこまでそのことを考えているかはわからないのだけど、家庭からは、塾にはとにかく結果が求められる。結果を出すためには、カリキュラムはもちろん大切だ。ある程度の目安がなければ、教える側もやりにくいし、家庭も生徒も納得しない。ただ、しかし、これも変更を余儀なくされる不安定なものだ。最初は、使う参考書が決まれば、それでいいと思っていたが、最近そうでもない気がしてならない。かなりできる生徒でも、テストでなんども繰り返してしまう、どうしても直せない癖があったりする。テストのトラップにあえなくはまったりする。トラップについては、本当はそんなものを作る側が良くないと思うんだが、実際あるからしょうがない。ここで、剣術の稽古になぜかつながってくる。剣術では、余計な動きを省略していく。足を下げすぎない。腕をいろいろ動かさない。しかし、相手がいると、相手の早さに思わずつきあってしまったり、余計なことをしてしまったりする。テストは、制限時間があるゆえ、早さが求められると思ってしまう、まさにその思い込みにこそ、魔が潜んでいるのではないか。早さには限界がある。スポーツを見てわかるように、どんなに、スポーツ科学の英知を集めたところで、身体的に恵まれている人を極限まで鍛えても、結果は1秒ないしそれ以下の時間を縮めることしかできない。ならば、いかに余計なことを省略するか、必要最低限のことに止めるかを考えるかである。もう少しテストの例でわかりやすくいえば、英語の長文問題を回答する上で、内容を深く理解する必要があるかないかの見極めかもしれない。
さすがに過去問をある程度研究すればわかることだが、問題ごとに効率的に問題を解くためのポイントがある。ところが内容にのめり込みすぎて、時間をロスすることが往々にしてある。わからない文章が出てくると、どうしても読みきらないといけない気がしてくる。自分自身で解いてみるとそれがわかる。ああ、あの生徒ならこういうところで引っかかるかもな。とか。かなり付き合いが長くならないとそこまでわかるのは難しいけど。
また脱線したが、結局は、本番でできるかどうかが全てだと思うので、教える中では、合格点に達するためのことをしていけばいいのだ。いいところを伸ばす、もちろん大事だが、アラ探しの要素もある気がする。まあアラと考えず、いいところを伸ばすために必要なことということにしましょう。
いずれにせよ、試験は生徒がやること。こちらは、小賢しくいろいろ考えるけど、生徒にやる気がなければ、ダメだし、あっても、なかなかうまくいかないこともある。二言目には、生徒にやる気を出させることが大事と口を並べていうが、それがどれだけ難しいことか。これまでも、今思えば何度とムダと思えることをやってきたことか。教える側も、必要最低限が何なのかを考えなくてはいけないのか。そこまでいくと人間技ではないが、とにかく生徒の将来についてみんなで知恵を絞っていく環境を作れればいいなと思う。
これだけのことを言うのに、ものすごい字数を費やす。たまにはいいか。
3月。高校入試、大学入試が終わり、受験生の教え子たちも、ほぼ全員、進路も決まり、一安心である。教え子からは、お礼の手紙をいただいたり、今後もつながりたいと、連絡先を聞かれたりと、なんだかとても感謝された。私のような人間が人を教えるなどおこがましい、と考えて落ち込んだり、授業がうまくいかない気がして悩んだり、今でも感謝されるべき何ができたか、と自問自答することもあるが、ともあれ、教えるという仕事は本当に素晴らしいと心から思うし、自信もついた。むろん満足などあり得ないし、こうしておけば、という反省もある。4月からまた1年。担当する生徒も増え、受験生の教え子は今年度の倍以上になる見込み。新しい挑戦が始まる。担当の生徒だけでなく、より多くの生徒と共に歩む。担当できる科目、分野を増やす。現在は、古文と英作文に取り組んでいる。学生時代、苦手だった理科も、最近は生徒から要望があれば、臆せず授業している。苦手というのは思い込みであることもあり、大人となった今、学び直すと意外と理解できることがわかった。今までの学習経験は無駄ではないということだろう。おそらく今までで最も勉強してきた英語も、日本語との違いを踏まえて、論理的に探求できるようになってきた。勉強は大変かもしれないが、理解が進めば、間違いなく楽しい。それを子供たちに伝えたいと思う。



仕事や勉強の合間は、相変わらず稽古。4年目となった舞踏は、今年秋、踊り手の1人として、公演に参加することとなった。身体運用の初歩がまだまだで、踊りへの道ははるか彼方だが、とにかく人前に出るというだけで励みにはなる。全体稽古では、立つ、座る、歩く、本当に基本的な所作を徹底的にトレーニングする。日常生活の中で当たり前になっていることが、ここまで奥が深いとは!と、驚きの連続である。例えば、歩むというと、前に進むことばかり考えがちになるが、実は前に進みつつ、後ろからも引っ張られる力が働いていること、天地とのつながりもあることを、身体で認識するのはなかなか大変である。なるほど、これらのことは、観念的にはよく理解されていることかもしれないが、文字通り体感し、認得するには、かなりの時間を要することとなるのだ。剣術でも同じことが言える。頭でわかっていても、身体がいうことを聞かないことに悶えることもある。しかし、まずはそのことを認める。同時にいろいろなことに意識を向けることが最終的には要求されるが、まずは、ゆっくり一つずつあるべき姿に近づけていくことが必要なのだ。ある時は、シナイの手の内の形に集中する。膝の向きに集中、肩や肘の力を抜く。構えの角度や高低、拳の位置、意識を向けるところは山ほどあるが、意識しなくてもにできるようになるまでは、意識してやるしかない。意識と無意識とは、表裏一体だなと思う。まずは、無意識になっているものを意識上に引き出す。あるべき姿を探求し、ふたたび無意識の中に落とし込む。その繰り返しなのだということが、腑に落ちてきた気がする。短くとも、課題を持って、丁寧にとりくむ稽古を自らに課したい。あせる必要などない。まだまだ書きたいが、また改めて。
昨日の舞踏の稽古の前。突然、思いついた言葉を10個書いてみなさい、と先生に言われた。その言葉の中には、普段頭の中で考えている言葉が出てくるのだという。言われてみれば、確かに思い当たるフレーズが出てきた。女。毎日、間違いなく考えているなあ笑。そして、女というと、人には決して見せたくない、それこそ墓場まで持ち帰りたい思いがいくつかある。まあ、それは置いておくとして、ここ数年、自分のことを深掘りすることはそれほどしてこなかったように思う。それでも普通の人に比べれば、おそらくしてるのかもしれないけど、劇団に所属した前後、半ば気が狂うくらいやって、しんどい思いもしたので、無意識に避けてきたのかもしれない。楽しければいいのではないか、と、少しおちゃらけた道化を気取り、仮面を被り続けてきた。しかし、なによりも今言えるのは、そういった姿勢を守り続けたのは、自分と向き合うことが怖かったからだということが最近よくわかった。そりゃもう本当に大変なことだ。見たくないことも見なくちゃいけないし、辛くなって逃げたくなることもある。日常が忙しいから、今は舞台とかたってないし、と言って逃げていても、生きるだけならなんとかはなる。自分が何者なのか?未だによくわからない。芸術というものに自分なりにこだわりはあるつもりだが、将来のことはよくわからないと。普通の人生、幸せというものも大切だと、正直思う。だから、留保し続けてきている。
しかし、思い出してみれば、演劇に出会った頃は、自分と向き合うことを本当に楽しんでやっていた。向き合い続けることで自分が変わり、よくなるという確信があったからだ。今は、どうだろう。立場は変わった。人目に触れることは、残念ながら少ないが、芸について様々学び、褒めてくれる人も最近多いし、自分でもある程度はできると思える部分もある。舞踏に出会って、自分と向き合うといっても色々なやり方があることも知った。芸と自分の実人生とはエチカとして切り離さなくてはいけないと思ってきたし、実人生に冷静にフォーカスすることは、時間も体力も使うので、おろそかになったのだろう。自分がなぜ踊るのか?自分の踊りとは何か?と深く向き合わずには自分の踊りは出来ない、と、先生は言う。演劇のように役を通すことも出来ないとするなら大変な作業だ。しかし、演劇を始めた頃の甘酸っぱい、懐かしい感じも思い出す。そもそも、自分の意識の可能性を広げていくことが好きで、この世界に足を突っ込んだのだ。きつい時もあるかもしれないけど、精一杯考えていけば、自分というものが広がって、密度が高まって、きっと楽しいよ。と、自分に言い聞かす。先生が言葉を書かせたのもそんな意図があるはずだ。
ひとつ今までにない言葉がひとつ。
きらめき。書いて、と言われた瞬間、ぱっと頭に浮かんだ言葉だった。なんだろうね。と思ってたら、きらめき写真が撮れた^_^
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今月は完全に仕事モードで、ほとんど毎日朝から晩まで、塾におりました。と、振り返るにはまだ早いのですが、夏期講習もあと3日。なんとか有終の美を飾りたいところです。時間が限られていた中でしたが、舞踏も剣術もいい稽古ができたな、と思います。自分でいうのもなんですが、はっきりいって、完全に身体が変わってきました。とはいっても、別にマッチョになったわけではなく、相変わらず細い身体ですが、密度が増した、という感覚です。先日、知り合いの方に以前より身体が大きく見える、と言われてうれしかったのですが、本当に両師匠には、心より感謝です。

忙しくても、相変わらず酒もかかせません。はっきりいって、私は、別に取り立てて強くはないですが、大酒飲みです。が、最近、同じぐらい飲む大酒飲みと飲む機会になかなか恵まれません。あ、10日ほど前に飲んだか笑。こう忙しいと、1人で飲む機会が多くなります。独り酒。決して嫌いじゃないんですが、あんまりやりすぎると、人との憩いの楽しさから遠ざかりますね。ただでさえ、孤独になることやってるので、酒を飲むことも、人とつながる機会だ、ということに意識を向けたいですね。剣術の師とはよく飲みに行くのですが、あまりお酒はたしなまれず、いろいろと貴重なお話をしてくださります。私は、一杯飲むと、水のようにいっぱい飲みたくなり、すごいなあ、と思うやら、恐縮やら、なのですが、酒場でのお話も、一つの稽古だな、と思ったりします。剣術は、酒場でも、師弟関係が続くのです。舞踏や、かつて劇団でもそんなところがありますね。そういえば、久しぶりに女性の酒豪と飲んでみたいですね。まあ舞踏の師がそうですが、それ以外の方で笑。ひとり舞踏の仲間で、すごいのがいましたが、海外行っちゃいましたしねえ。下心極小で、たまに酒場を共にする女友達が欲しいですね。熱くいろいろ語ってみたい。 そして、酔った女性はなんともいえない色気がありますねえ。下心丸出しになってしまいましたが、叶うかな?

9月以降はどうなるんですかねえ。塾の仕事を始めてからどんどん流れがよくなっているように感じ、自由な時間も増え、また新たな展開もあるように思います。同時によくよく自重して、さまざまな方々への感謝を持って日々生活したい。自分が恵まれているのは、先祖や両親はじめ、縁のある数々の人に支えられて、はじめて成り立っていること。忙しいから、人になかなか会えないからといって、礼を欠きすぎてはならないなあ、と反省した。そういう意味では、生保で働いていた時の方が、形だけかもしれないが、しっかりやっていた。あのときのことも思い出しつつ、新しい月を楽しみに迎えようと思う。
春から夏へ。暑い、蒸す、と感じることの多い、この時期ですが、だからこそ、涼しげな感じ、たとえば、窓から爽やかな風が肌を撫でたりすると、なんだかとてもありがたく、かけがえのないことのように思えてなりませんね。不快さにばかり、目を向けていると、気がつくことのできない喜びがある気がします。本来、喜びに目を向けてただただ楽しんで生きていけばいいだけなのに、わざわざ自ら苦しいことを選んで、悲しんだり、怒ったり。なんだかさわがしい。
私というと、最近なんだかとても機嫌がいいです。学校は、夏休みに入り、生徒たちが毎日大勢塾を訪れます。私も朝から、自習する生徒と接し、夜まで授業をし、なかなか忙しい日々です。みんな成績がよく、順調なわけではありません。むしろ苦労している子が多い。勉強しない子もいる。どうしたら、この子たちの成績が伸びるのか?勉強するのか?と考えるのが、私の仕事なのかもしれませんが、それだけではありませんね。子供がよりいい方向に進めるように一緒に歩いていきたい。その中に学習することがあれば、いいと思う。学ぶことは、どんな生き方をしても、一生ですからね。成績よりもこのことが腹に落ちる方がよっぽど重要だと、本当は思うのだけれど。
先月から、死刑囚に関する本を読んでます。哀しむべき事件が世界中で頻発していますね。私たちは、それをテレビや新聞など、メディアを通じて目にした時、犯罪を起こした人物は、残忍で、またある種、異常であるとみなすことになります。もちろん犯罪を肯定することなど決してできないのですが、犯罪や間違いを犯すのも、また人間の姿である、ということです。文学の中でも、犯罪を犯す人間がたびたび出てくるのはなぜでしょう?そこには、人間の永遠の課題が隠されているからです。自分のにある、悪とどう向き合うのか、ということです。異常で片付けられるものではないのです。私たちの中にも確実にあるのですから。
さて、私が最近機嫌のいいのは、ある死刑囚の小説の中で、本当に素敵な死刑囚と出会ったからかもしれません。男性の死刑囚ですが、なんだか恋をしてしまったような感覚です。死刑囚に恋をするなんていけないことのように思いますか?確かに死刑囚となると、人を殺めたり、挙げ句の果てにものを盗み取る、強姦する、といった罪を重ねた人がほとんどです。また、房内でも、繰り返し、暴力を振るったり、異常と思える言動をする人がいるようです。しかし、その異常さに至った理由を探るには、死刑囚の犯罪に至るまでの生涯、また、死刑囚を収容する拘置所の環境にも目を向けなくてはなりません。僕が素敵だと思った死刑囚は、死の恐怖と戦いながら、死の瞬間まで、人間であり続けようとしたように思います。またこのことについては、日を改めて、書き綴れればと思います。

伊豆の石について書こう、と思った時から、あれこれ雑事に振り回されて、2年あまりがたってしまった。ようやく色々と落ち着いてきた今日この頃、以前書いた、伊豆の鹿島踊りに関する研究ノートのような作品と、取材にからんだエッセイをそれぞれ修正し、合わせて、「伊豆3部作(後日まだ増えるかもしれないが)」と題して、少し大々的に発表しようか、と考えはじめて、あわてて、過去書いた創作ノートを見返しながら、構想を練っている。知識の積み重ねのような内容にはしたくないと考えている。あくまで土地にある具体的なエピソードから立ち上げていくことにこだわるし、現地で取材をした自分の身体感覚を大切にしたいと思っている。伊豆の石、といえば、江戸城の石垣として使われたことが有名である。やはり、この話を入れないわけにはやはりいかないだろう。資料も比較的揃えやすそうであるし。そもそも、石に注目したのも、石を切り出すという重労働に関わる人間の身体について興味があるからである。今のように機械がない時代、当然手作業が多かったはずだが、現代の人間には考えられない身体性が、労働を通じて培われたのではないか。そうなると石切りという仕事について調べなくてはいけない。芸能。「歌わなければやってられない」のか、石切り歌というものが各地にみられるようだが、伊豆ではどうか。そして信仰。伊豆のボク石と呼ばれる火山岩は、東京の亀戸神社や住吉大社に運ばれ、庭石として使われていると聞いている。地域の民衆は、石切り場でとった石を、石屋に売ってお金にして、家計を支えたという話もある。

ま、講釈はこのあたりにして、頑張ってみます。

先週末は、昨年より参加している新陰流月影塾の稽古合宿に参加。合宿先の山梨県北杜市は、自然に囲まれた素晴らしい環境で、稽古とともに、地元でしか味わえない自然料理、温泉、で、やっぱり地酒もほどほどに満喫し、久しぶりに旅気分を味わいました。

稽古では、九箇之太刀(以下九箇)を中心に稽古、日曜日の朝には、燕飛六箇之太刀とともに演武会も行いました。九箇は、天才的な剣術家として知られる柳生兵庫助利厳が改良した「尾張流」を稽古しているようで、新陰流としてはめずらしく自ら仕掛ける勢法でなかなか面白いのですが、とにかく手順が覚えづらく、合宿前まで、何度稽古しても手順を忘れ、師に怒られて、とても演武会どころではない、と思いながら、山梨に向かったのでしたが、稽古してみると、最初はボロボロだったものの、指導を受けていくうちにだんだんと感覚をつかんでいくことができたのが不思議でした。演武会も九箇については、現状としては、いいものができたと思います。一年前、九箇の演武を見たときは、こんなのできるわけないと思っていたので、進歩だと思います。一歩、細かい術理や身のこなしについては、これからといったところです。まだまだ直観に頼るところがあるので、ぼちぼち少しずつ理論も入れていこうかなと。これから様々な実践的な勢法を稽古していくようなので、今までやってきた勢法と比較しながら、研究していきたいと思います。身の内の円相の中で動く、動きの無駄を省いていく。この課題については、意識することとともに、打太刀の太刀勢にびびって、瞬間的に大げさに動いたりすること、など、その他無意識のうちに行われている心の動きに気づいていくことも大切だと思っています。新陰流の勢法をひとつひとつ稽古していくことで、、自然と身のこなしも変わっていきましたが、これからはさらに正確さを求めていくこと、苦しく厳しいこともあるかもしれませんが、じっくりと取り組んでいきたいと思います。

「過去は振り返らない主義」とかいいながら、ばっちり振り返っちまいましたが、剣術、とりわけ新陰流の理念に近づいていきたい。


桜の開花とともに迎えた4月も半ばを過ぎ、そろそろゴールデンウイークのことを考える時期になった。

今年は気分次第だが、どこかに出かけるかもしれない。勉強や武術の稽古、もろもろ研究もやりたいし、文章も書きたいが、しばらく会えていない友達にも会いたい、と思う。今後のことについて、整理もしたい。

相変わらず、貪欲な僕です。何もできなかったということにならないよう、的を絞ることも大切かな。


この春は、塾講師の仕事を本格的に開始、かつてから興味のあった「人に教える」という仕事につくこととなった。ようやく私自身も徐々にではあるが、生活に落ち着きを取り戻し、かつてより動きやすくなっていることを感じている。あくまで徐々にではあるが。10年前の自分だったら、どんどん外に出て、行動していたと思うが、生活圏が都心から離れた郊外で、都心にはめったにでないためか、お金も、日々の楽しみであるお酒ぐらいにしか使わず、量も以前よりだいぶ減ったので、いたって地味な生活である。だれか強引に振り回してくれる人でもいれば、と思ったりもする。たまに、誘ってくれる人がいると本当にうれしくなる。


一方、取り戻した落ち着きに浸りたい自分も、やっぱりいたりする。落ち着きがないと、創作も稽古も、いいものは絶対できない。追い込まれた状況でやるってのも、というか、今まではずっとそうだった気がするが、独特のエネルギーが生まれて、一つの形かもしれないけど、もう今後ははっきりと卒業したいと思う。創作については、思索を続けながら、言葉を生み出しつつ、目に見えるものとして形にしていく作業を続けたい。武術は、最近、型の術理について学び始めた。どうしたら自分の身に入れられるか考え、工夫して、日々トレーニングする。今後のことについて、整理と書いたが、日々の生活を、本当に丁寧に見つめていくことで、今後もおのずと開いてくると思っている。自分らしさというのか、さんざんあがきまくって、神様もかわいそうだと思ったのか、それともご褒美なのか、ようやくつかめつつある。自らつかもうとしたというより、勝手に開いてきた感じで、本当におかげさまだと感謝したい。自分では気づいていないけど、花が咲こうとしているのかな。桜のように華やかじゃないかもしれないけど、自分らしく咲ければなあ、と。やっぱり華やかなのはいいなあ、と、人のことを羨むこともありますが、僕のキャラではないんですかね。


あれ、何を書こうとしたんだっけ。ものすごいとりとめのない文章になってしまった。

そうそう・・・

自分では気づいていないけど、花を咲こうとしている、と書いたが、自分の花を知ることは大事ですね。

教えている仕事をしていて、また武術の先生と話していて思うのですが、例えば、私は勉強は小さいころから得意だったので、今、塾講師という仕事にありつくことができたわけですが、なせ自分は勉強が得意なのか、ということを自分で突き詰めて考え、生徒に伝えていくことが大事なんだなと思います。武術の世界でも、達人必ず名伯楽ならず、といいますか、達人は、日々の鍛錬の中で身につけてきたことを、必ずしも他の人に伝えることができるというわけではないようです。達人にとっては、あまりにも自然なことになりすぎているので、本当は、色々なポイントがあったとしても、あまり本人の中では重要視してなかったりすることがあるのではないでしょうか?武術の先生は、無意識を顕在化するということをよくおっしゃいますが、それとともに、武術については、僕は苦手なことなので、様々な課題を解決するために、トレーニングを工夫して考え、なぜそのトレーニングをやるのか、身体に問いながら丁寧に意識化しながらやっていきたいと思います。ちょっと強引ですが、このことは面白いのでまた書きます。

ブログを再開してみました。今まで通り、稽古や日常もろもろ書いていきます。いきなりですが、のんびりすることに罪悪感を覚えること、ありませんか?ゆっくりはダメ!なんでもかんでも期限。とにかく早く早く、と。そういう時代なんですかね。仕事などで、あんまりせかせかすると、正直、生きづらさを感じること、ありました。ただ、生活する上ではそうも言ってられず、最近は世の中のペースにだいぶ慣れてきましたが、慣れるってのもホントはどうかしてるんでしょうがね。そういう意味で、2年ほど前から、月1~2回取り組む、舞踏家の最上和子先生との稽古は、のんびりじっくり取り組むことが許されて、貴重な場だな、と、しみじみ感じてしまうのです。お人柄も本当に素晴らしい方ですし、稽古場が千葉県の野田市というなーんもないところ(失礼^_^)もまたほのぼのとしていて、よいのです。昨日の稽古は、ひとりでした。実は前々から、最上先生と一対一で稽古したいと思っていた(最上先生もそうだったようで)のですが、最近は稽古場を訪れる人の数も増え、なかなか叶わず、ようやく念願が結ばれました~。姿勢の作り方、軸の作り方などについて、かなり細かい指導をいただき、贅沢な稽古でした。身体は劇団の時からいろいろ取り組んではいるのですが、故障があったりで、未だに硬いところが多く、嫌になることもあるのですが、最上先生はその硬い、動かないという状態から始めていくことを考えてらっしゃるようです。人間の性格もいろいろな部分があるのと一緒で、いい部分だけじゃなく、嫌な部分もありますが、どんな自分も受け入れ、そこからスタートするということ。演劇の役作りでも、そのことを大切にしていたなあ。と。
床に10分以上寝そべる床稽古も、最初稽古始めたころは、正直何やってるんだろ、ってかんじで(すみません)、演劇の時習った調律というテクニックの延長でやってましたが、昨日は、モゾモゾと足掻いたり、ねがえり打ったりしてると身体のいろいろな部分が動いて、面白かったです。だいぶ繊細に動くことを楽しめるようになったなあ。昨日は寝そべる、立つ、歩くという動作をゆっく~り50分ほど稽古しました。舞踏なので、踊る稽古は?と思う方も多いかも知れませんが、実はこういう日常動作の地味な稽古(これまたすみません)が多いです。昨日も、床稽古以外ではバケツの水にゆっく~り手を入れる、バケツをゆっくり持ち上げるとか、空手家との師弟関係を描いたベストキッドの世界。表現する人なら誰でも派手なことをしたい、自分もやっぱり演劇ならエチュード稽古とか好きでしたが、最上先生のところに通い始めて、こういう基本的な稽古の大切さがだんだん身に染みてきたようです。昨年から武術も並行してやってることで、まだおぼろげながら、身体というものがあることは、劇団にいた時よりも明確に掴んできたようにも思います。ここまで来るのに少し時間はかかりましたが。
ここ数年、別に誰かに言う必要も義務もないと思ってきました(別に聞きたい人もいないとへそ曲げてた)が、今後、自分の表現の道をどうするか、ということを昨日最上先生と話したこともあり、少しその辺りを書きたいと思う。結論から言えばやる、ということになる。先生もいう通り、一度この道を歩きだしたら、絶対にやめられないんだと思う。公演もそのうちやるのだと思う。たぶん友人とモノ好きしか来ないだろうけど。昔ほど公演にこだわりはなくなったけど、表現者として認知される場として、やはり大事だと思う。では、今後は舞踏家になるのか?武術家になるのか?せっかく始めたことなので、おろそかにせず、両方ともまだまだ続けることになる。演劇をベースとして、舞踏や武術のエッセンスを加えた舞台が創作できればと考えている。以前演じた白痴のムイシュキンでも今思うと、舞踏っぽいシーンがいくつかあった。昨日、最上先生と話したアンジェイワイダの「ナスターシャ」、ニーチェのいう強度、ある文学作品のワンシーンのエッセンスを強め、煮詰めて、形にするという方向性がいいヒントになりそうだ。こんなこと、自分一人じゃキツイので、当然誰かの手を借りなくちゃいけないが、今の所あまりアテがないので、それまでは、白痴の再読、下手なシナリオでも書いていようか、と思う。まあごく一部の方、どうかお楽しみに。武術も演劇と密接な関わりがあると思っている。どこが?と言われるとまだうまく表せるか不安だが、きりあいという中に様々なドラマがあることだ。ただ切ればいい、強ければいいとか、単純なものではない。人の感情や欲というものが密接に働いているのだ。特に今取り組んでいる新陰流は、その中できらない、という理念に達したことが興味深い。その理念に反すれば、決してうまくいかない。忠実に新陰流の世界に入り、役を演じるのだ。流派の文献や絵目録を通じて交流するというのも、シャーマスティックだ。伝えるとは何か。教えるとは。師弟関係とは。こういったことももっと見えてくるであろう。これ以上書くと、面白くないからこの辺りにするか。新陰流については、またこのブログで触れたいと思う。長くなったが、一番大切なことは、芸能、芸術、また身体というものをどのように社会の中で有機化していくか?ということに一番こだわっている。最上先生に言わせると、一つの文化活動である。やっぱりどこにいっても、表現者には風当たりは強い。一言で言ってしまえば、あってもなくてもどっちでもいい。日陰者。そういう宿命なのか、とも思うけど、表現するってことは、きっと誰かの、何かの役に立つとは、僕は思うんだけどね。
先日、誤って、街中で転び、右膝を強打、全治4週間の怪我。一緒にいた方には大変ご迷惑をおかけいたしました。大変反省しております。この場を借りて、再度お詫びいたします。
で、舞踏や剣術の稽古はしばらく休むことになるなあ、と、実はなぜか少しだけほっとしていた私。だったが、先週末、剣術の師匠に怪我したことを報告すると、片足稽古法というのがある、ということで、しぶしぶ笑、習ってきました。やっぱりサボれないのね。体軸の強化につながるそうな。合わせて、戴氏心意拳という中国武術の訓練法が書かれた雑誌のコピーを渡されまして、、、丹田功、虎歩、五行拳、、、あの~難しそうですが、これもやるんですかね、と聞きたくなる。。。
泣き言かましてきましたが、半分は冗談ですので。中国武術はじっくり取り組みたいと思っています。舞踏の稽古にも取り入れられそうなものもたくさんある。さすが、中国四千年。怖いくらい凄まじいです。身体と向き合っている時間は面白いし、少しでもわかってくる、ある動きを体得できるようになると、単純に嬉しい。
怪我してると、階段の上り下りなど、何かと不便なのですが、こういう時こそ、身体が動くということの有り難みを深く感じますね。