新年早々、手に取った本は、「紫式部日記」であった。道長から無茶振りされても、即座に返歌できる才を持ち合わせ、それがゆえに、他の女房から嫉妬されるのを恐れつつ、出過ぎた真似をしないでおこうとする式部のあり方はなんだかいじらしく思う。出家しようと思えども、世の中の目もやはり気になる。生きづらさからくる虚しさは、どの時代も変わらない。昨年からだらだらと読みつつ、ようやく完読したが、登場人物、作中の和歌や言葉を細かく味わいながら、再読したい。なにより、服装に関わる描写が色彩豊かで。興味深い。敦良親王出生五十日の節では、装束の色合わせがよくなかった、などと言ったファンション批評のような描写もあり、いやいや、社交界は今も昔も、女性の目が厳しいようである。


公家女房晴れの装い | 日本服飾史男子の束帯にあたる成年婦人の朝服で、宮中の正装である。唐衣裳姿ともいわれ、今日俗に十二単と呼ばれている。このような姿は平安時代中期、十世紀後半には成立したと考えられる。これは中後期、十一・二世紀頃...リンクcostume.iz2.or.jp



知人に、岡田英弘なる歴史家がいることを教えていただき、年も押し迫る師走、氏の著書を読み漁る日々、ただいま「世界史の誕生」をほぼ読了。昨年からこの騒ぎの最中、山川出版社の参考書やインターネットを通じて、世界史の学習を進めてきた。それまでやってきた日本史の学習の知識が、世界史を想像する上に役に立つと感じた部分もあるにはあったが、いやいや、氏も指摘する通り、日本史を含めた東洋史と、西洋史の間には大きな差異があり、ここに、日本人が西洋史を理解する困難があるのだ。さらに、東洋史において、氏は、遊牧民がユーラシア大陸を支配してきた歴史について書いており、あのモンゴル帝国が中国はじめ、その後現れた国家に大きな影響を与えている姿を描く。日本人に身近な、隋や唐でさえ、実は、鮮卑という遊牧民族の国家であることは、南北朝時代からの流れを見れば、当たり前なのだが、意識できていなかった。

他にも、突厥、ウイグル、契丹、遊牧民ではないが、ラストエンペラーで有名な清を建国した女真族など、幼き頃、学習漫画で出会った中国の歴史の多彩さは、実に胸躍るものであった。世界史だけでなく、日本史を考える上でも、このユーラシアの歴史の雄大さを意識しなければ、何も語れないのではないか。

今後はモンゴル帝国の世界史における功罪について研究するか、「日本史の誕生」のテーマであった倭国から日本への転換について掘り下げるか、ちょっと悩んでいる。ひとっとびに、遊牧民いっちゃってもいいんだが、こういうことにおいては、割と慎重なタチではある。

今、な、なんと、大映がかつて制作した、陸軍中野学校の映画を、YouTubeで全シリーズ見ることができる。

陸軍中野学校市川雷蔵主演リンクyoutube.com


陸軍中野学校とは、太平洋戦争中にあったとされる陸軍の諜報機関で、平たく言えば、スパイ養成機関だ。映画では、中国や米国方の諜報機関と、諜報戦を展開、身分や国籍を偽るのはお安い御用、巷でちょっと話題になっているハニートラップもバシバシかましつつ、軍事機密情報を盗み取る。60年近く前の映画だが、現在でも、国家機密、企業機密級の情報漏洩がたびたび問題視されており、まさに時世にあった映画といえるだろう。

主演は、言うまでもなく、市川雷蔵。冷静沈着、感情に振り回されることなく、任務遂行にのみ、己の心を尽くす、献身的な姿勢は、人の生き方として、実に見習いたい。小津映画のころから好きな、上官役の加東大介も相変わらずの存在感。小川真由美、小山明子なと、各シリーズ、女性陣も花を添える。年末年始の楽しみとなった。



新陰流稽古の話。前回の稽古で、右横下方からの打ちを、小太刀(短い太刀)で抑えるという稽古をした。武術やったことない人にとっては、短い太刀で抑えるなんて、と思うかもしれないが、たしかに勇気はいる。新陰流では、打つ、打たれる恐怖を克服しなくてはならない、という諌めがあるが、この克服に時間がかかる場合もある。

さすがに、長年やっているのと、新陰流は、撓(しない)に袋をつける独特の道具を使うため、怖いと思うことは少ないが、それが故に、打たれても平気という心持ちでいるのはどうだろうか。これが、木剣、そして、真剣となると、触れただけで、大怪我、もしくは死さえありうる。

やはり、肉を切らして、骨を打つ、ではなく、触れさせない、打たせない意識を作ることが大切。

やはり、間詰りなんだよな、と思う。

相手の間合いに入るように見せて、その実、入らない。


塾の仕事以外に、ロボット教室の仕事をやっている。主に、小学生相手で、ロボットの組み立てから、動きの仕組みを学び、プログラミングをして、論理的思考を学ぶ、というと、聞こえが良いが、これが完全に体力仕事。静かに組み立てやってくれればいいが、教室中を走り回るわ、ボール投げるわ、椅子を積み上げるわ、絵は描くわで、どこにパワーがあるのか、最初の頃は、収めることが全くできず、パニックになって、怒ってしまうこともあった。怒ってはいけないんだな。あんまり怒ってると通じなくなる。ばしっと一喝。間違えていることは、間違っているとしっかり伝える。今でも翻弄されることが多いが、子どもとの接し方を肌で学ばせていただき、また、子どもから元気をもらう日々である。それにしても、最近コロナの影響か、かまって欲しがる子が多い。今日も、僕のこと、ずっと見ていてね、って甘えて、その上、いじられまくる 笑 なんだかとてもいじらしくもなるが、最近は、そんな子どもたちを受け止め、笑顔にするのが、僕の役割なんだな、と感じている。

今の世界は、さまざまな願望が強く願わずとも、自然と叶いやすい状況なんですかね。文章を書くことを再び習慣にしたいと思ったら、自然な形で、チャンスが巡ってくるし、東アジア史の研究が念願でしたが、友人から、素晴らしい書籍を紹介いただき、改めて日本史の誕生は、中国朝鮮、もっというと、シルクロードを通じて、中央アジア、ペルシア、トルコ、果てはローマ帝国!の影響を強く受けていることを感じはじめているわけで、結婚もこんな感じで、自然に行けばと思っているわけですが、今のところ、相手はいませんね。笑

文章を書く習慣が確実なものになってきたら、情報配信を積極的に行っていきたいですね。歴史研究、映画演劇研究、もちろん新陰流剣術など、さまざまなジャンルで問題提起をしていくことで、興味を持ってくださる方がいれば、意見交換して、自分の考えをさらに明確にしていくことが大切ですよね。巷はYoutubeなど、ネットによる動画配信が絶好調で、求めれば、意識変容が容易な世の中になっていることを実感しています。本当にテレビ、新聞の終焉が現実のものになってきました。世の中いろいろありますが、心が照るも曇るも己次第だと思います。どうせなら、楽しくいきたいですね。

12月。今年もあと一月。振り返りつつ、残りの1ヶ月を価値あるものにしたい。春先は大学の勉強を頑張り、ようやく教育実習ができるところまでこぎつけました。レポート、テストを終わらせるのに必死でしたが、政治学との出会いは僕にとって価値があるものでした。昨年からテレビはほとんど見なくなり、Youtubeで情報をとるようになりましたが、世界の各国との間で繰り広げられる政治の表裏を洞察することは、兵法を学ぶことにつながると感じます。残すは、法学、社会学、心理学、授業研究。少なくとも2科目のレポートは終わらせて、今年を締めたい。


講師業は、夏にかけて、オンラインで、文学部志望の生徒に推薦入試の指導を担当、本当に貴重な体験をしました。オンラインの授業は、回線状況により、コミュニケーションがとりづらいこともありましたが、それだけに、生徒の思いを想像しようという気持ちも高まりました。生徒にアドバイスをするために、心理学、文学、美術など、大学の図書館から、資料を取り寄せながら研究し、学生気分を満喫する機会となりました。満足な指導ができないこともありましたが、生徒の笑顔に本当に勇気づけられました、来年もできれば、指導の機会を得たいですね。

ライフワークである新陰流剣術は、秋に新たな仲間を迎え、大きな刺激を受けているところです。自分もまだまだ未熟ではありますが、そろそろ、教えるという立場に身を置かなくてはと思っています。そのためには。伝書の解釈、指導法の模索、刀の研究など、できるだけ剣術について考える時間を作ることが大切となります。欲張らずですが、今年中に何か一つでも具体的に形にして、来年の飛躍につなげたいですね。来年は新陰流の和を大きく広げることに貢献します。


その他、ここには書きませんが、来年以降につながりそうな経験を得ることができ、まさに、「爪を磨く」一年となりました。来年は大飛躍の年にします。もうそう言い切ります。それくらいの強い意志が必要です。来年と言わず、今日から俺は!って、どっかで聞いた言葉 笑

来年のことを考えるのは早すぎるかもしれないが、なんといっても、来年5月に、教育実習という大きなイベントを迎えるため、今からさまざまな準備をすることに迫られている。授業設計の方法を学ぶ、グループワークについて学ぶ、経済や政治、地理など、社会科に関連する知識について学ぶ、および、学んだことを、仕事の中で、実践していくことも日々意識しなくてはならない。兎にも角にも、この半年は、非常に大切な時期であるが、大きな成長の機会にもなるだろうから、ワクワクもしている今日この頃である。

教育についてがっつり学ぶ、この数年の体験は、新陰流や演劇を伝えていく上でも、大きく貢献するであろうと考える。新陰流については、まだ見えないが、演劇については、授業の中でも、俳優のトレーニングや、スキル、役作りのメソッドが、教育効果を大きく高めることがわかってきた。今は「教育方法としてのドラマ」という書籍を読みながら、研究を進めているが、いずれは、自分独自のメソッドを作って、事業化したいと考えている。

来年、40代も半ばを迎える、これから、50代にかけて、一表現者だけでなく、教育者、演出家、作家、そして、事業家として、マルチに働いていくことになるのかな。これ一つだけというのが、カッコいいと思ってはいるが、人生を生きていくなかで、さまざまな立場で働くことは、人としての厚みを作る上でよいことだと思う。肩書はどうでもよい。世のため、人のために役立ちたいと思う。

今日は、この後、仕事もあるが、久しぶりに心がゆったりしている。教職過程も、来年、教育実習を迎えることとなり、3年前の入学当時の行き詰まりが、ウソみたいに急ピッチで進んでいる。今週は、予定通り、大学の経済学レポート、政治学の在宅試験も片付け、ホッとしている。
ふと、本棚を読むと、読みたい本がたまっている。立原正秋という稀有な才能と出会ったことがきっかけで、平安時代の女流文学や和歌に興味が出たのが3年前。蜻蛉日記、更級日記、紫式部日記など読んできたが、今年は、大学のレポートを毎月書き続けていたせいか、とまっている。本棚にある建礼門院右京大夫集からまだ読み進めていこうか。
立原に影響を与えた川端も気になっている。美しさと哀しみと。どこでみたんだか忘れたが、美しい題名と、設定の斬新さに惹かれる。中公文庫でフランス語版が出ているが、日本語はないか。
石川雷蔵の文芸作品。歌行燈、婦系図、ぼんち、炎上と立て続けに視聴。原作である小説と映画の差異について考えるというテーマ。泉鏡花の歌行燈からやっていこうと思い、先日再読したが、文語体のせいもあり、やや難解。ただ、朗読してみると、独特の言い回しが、とても気持ちが良い。音読することから何か開けてくるかもしれない。
昨年、現在の騒ぎの間隙をぬって、ひさびさに旅に出た。金はほどほどだが、時間は有り余るほどあるので、各駅停車の電車に揺られながら、窓に映る景色を見ながら、ちょっぴり?酒を飲みつつ、浸る旅、なによりもぜいたくに思える。木曽川の流れはとりわけ美しかった。
泉鏡花の歌行灯も、能役者の旅の話から始まり、東海道中膝栗毛を気取った2人が冗談めかした話をし始めるところから始まる。私は、正直江戸文学は、近松と秋成をかじった程度で、あまりよくはわからないが、泉鏡花の作品の中に出てくる登場人物から、江戸の「粋」を感じ取ろうとしながら読んだ。背中が張っている様子を「身を皮も石になって固まりそうな」とか、この現代なら冗長的とも取られそうな言い回しでたとえるのも相手をクスッとさせようとする話術の一工夫。ちょっとした人とのやりとりを大切にしようとする心配り。いいねえ。
映画は、市川雷蔵と山本富士子の二大キャストで、衣笠貞之助という監督が作った作品があるのを知り、DVDを購入して視聴。こちらは喜多八とお袖の、仕舞を通じた師弟関係がやがて恋に転じる点をクローズアップしており、少し小説とは視点がずれた気がしたが、雷蔵好きとして、純粋に楽しめた。神社の森で稽古するシーンは、さすが大映!やりすぎとも思えるぐらいの、映像美。ラストシーン、雷蔵のなんとも艶かしい表情。雷蔵といえば、眠狂四郎、机龍之介などの殺し屋者のイメージが強いが、源氏物語、三島の金閣寺など、文学作品を原作とした作品も多く出演しており、今後追っていきたい。