本年で、勉強を教える立場になって、6年目を迎えたが、例年となんだか雰囲気が違う。大学進学を希望する教え子たちは、推薦入試で早々に合格する子が大半であり、本来ならここから四苦八苦する時期なのだが、なんだか拍子抜けで、自分自身の研究に没頭したい気分である。

まあ、そうはいっても、授業は続き、大学合格した生徒と研究?に取り組んでいるのが、芥川の「河童」。雨月物語といい、どうしても妖怪から離れられないらしく、演劇部の部長(仮)からも、妖怪扱いされる始末。。。

「河童」は、精神病棟に入った患者が、入院前に迷い込んだ河童の世界について語った話を、筆記した病院の職員が語ると言う、手の込んだプロット。まだ冒頭だが、生徒と物語について話をしながら進めているが、生徒もユニークな子で、漁師のパックは、人間を捕まえていたが、河童界の文明開花後は、食べなくなったとか、その場で、さまざまな発想が生まれるのが面白い。河童は、江戸時代には、各地に発見されたという記録も残っており、日本人にとっては、身近な妖怪なはずだが、作品にも出てくるように、カメレオンのように皮膚の色を変える能力を使って、今は世知辛い人の世を避けて、どこかに隠れて、我々を眺めているのかもしれない。

10月末は、秩父で、剣術の合宿。休む間もなく、11月20日は、演武会を迎える。

このブログでは、今まではっきりとは明らかにしていなかったが、私は、月影塾という団体との出会いをきっかけに、新陰流を知り、追究し始め、早いもので今年で8年目となった。



当塾も、メンバーと共に、大幅リニューアル。鎌田師範が長年研究研鑽されてきた「疋田陰流」が今月の演武会で世に出ることとなる。



会場は、第二武道場。本物を知りたい人はぜひ見に来てほしい。


この日に会場に流れることとなる、塾を象徴する曲を私が歌うことになり、先日、レコーディングを済ませる。人生初めての経験であったが、ミュージシャンの大変さを知る。


この演武会をきっかけに、また多くの縁が広がるよう祈りたい!



本日より雨月物語の企画授業が始まった。雨月物語は、大映の映画で出会い、この世のものとは思えぬ幽玄を味わったところから、10年来、研究したいと願っていたが、いよいよ機会を得た、といえる。本日は、上田秋成の半生と、雨月物語の序文を読み解きながら、秋成の人となりを学習した。作品を読み解く上で、作者を知ることは大変大切なことだが、序文では、羅貫中と紫式部の末路を当然といいながら、2人の作風については褒めて、自分のことは下げて語っているところは、なかなか抜け目のない人間に見える。それだけに人生の中では苦労の連続であっただろうが、秋成の生の人となりもいつか掘り下げたいところではある。

作品は、道成寺の安珍・清姫伝説とも関わりの深い「蛇性の淫」である。本文の読解もさることながら、翻案元の作品との比較、登場人物の性格分析もしながら、舞台作品を作ることを視野に入れつつ、授業準備したい。

ふー、またサボっちまった。ま、再開できたから、それでよし。


歴史総合企画授業開始。

昨日は、ヨーロッパの歴史を大航海時代まで、ざあーと。個別指導だと、どうしてもしゃべりすぎになってしまう。もう少しメリハリが欲しかった。簡単なエピソードをもう少し組み込むとか。トルデリシャス条約とサラゴサ条約の境界線、奴隷船はやはりインパクト高い。

慣れてきたら、生徒に手を動かさせることもしていきたい。すぐには、いい形にはならないから面白い。ひとつひとつ反省しながら積み重ねる。

私が顧問を務める演劇部が、部員が2人になったことをきっかけに、ついに、教室を抜け出して、公園で外練習(^^)

本格始動である!


まずはリラクゼーションのために、呼吸に集中するトレーニング。はく、吸う、これをひたすら繰り返す。生徒からは眠くなったという声があったが、それだけリラックスしたのかも。他にもさまざまなメソッドがあるが、今後、いろいろ試してみたい。

想像力のトレーニング。土方歳三とデートするとしたら、というもしもを使って、心の中で想像を広げてみる。最初は、僕が、生徒を、言葉で誘導。どんなメイク、服でデートに行くか、相手は時間通り来たのか、最初はどこに行くのか、想像するためのネタを与える。その後は、徐々に想像の世界に働きかけていくことをうながす。相手と話してみる。声や音を聞いてみる。何かに触れてみる。このような内的な感覚を開くことで、外的な感覚も開いてくる。


交流のトレーニング。俳優のトレーニング当初やりまくったリピテーション。

サンフォード・マイズナーというアメリカの演技講師が編み出したもので、文字通り、言葉を「繰り返す」だけ。

サンフォード・マイズナーについては下記のとおり↓



13年ぶりぐらいにやったトレーニングで、見切り発車だったため、生徒も??という感じだったことも否めないが、当演劇部は、「交流」を極めることをモットーとするゆえに、外せないトレーニングなのである。


あとは、また今度!おやすみなさーい♪♪

こんにちは〜!本当にいい天気で、楽しくなりますね。


さて、またブログを書き始めようと思ったことは、他でもない。「YouTuber」になってみたい!と思ったからである👏


なんてまた、軽口たたくと、あいつは、なめていやがるなあ、と、批判の声が、各方面から聞こえてきそうだが、いやいや、自分が今まで経験してきたこと、学んできたことって、自分で思っている以上に、皆さんにとっては、面白いんじゃないの?という、神の声が届く、いや、だいぶ前から、届いていた、しかし、信じきれずにここまできたが、よし、ここは、自分を信じて伝えてみよう!と、一つの決意であるわけなのである。

実際、僕が体験してきたロシア演劇、舞踏、新陰流剣術、どれを見ても、普通の人では味わえないものであり、究極といえるし、ぼくの破天荒?ともいえる人生も、なかなか味わい深いわけで、このブログを作った15年ほど前のコンセプトも、まさに、人生を破天荒に生きるというところにあり、まさに、今、原点回帰といえるのである。


まあ、そうはいっても、常に面白いもの、伝えられるかわからないし、意欲が続かず、滞ることもあるかもしれないが!みなさまに何かを伝え続けようとすることが、自分の役割かな、と、思っている。


演劇部で使う予定のチェーホフ・ユモレスカ(コント集)が届く。チェーホフの喜劇性は、短編集の中にあるといえる。

「ひどい目にあった」。眠くて仕方が無かった男が、ようやくベットで寝ていたが、となりの部屋で、どんちゃん騒ぎが始まり、眠れず、思わず激怒してしまったことによる悲劇。


「妻は出て行った」。普段あまり会話がなさそうな夫婦が語り出した顛末は、なんと別れ話になる悲劇。


悲劇だけど、どこにでもある、大っぴらにはわらえないけど、クスッと笑いたくなる、人間臭い話が、この短編集にはたくさんある。

昨日のつづき。


○小説

時間が無限にあれば、読みたいのは、やはり、ドストエフスキーである。中でも、まだ読んでいない、悪霊。この作品は、ロシアの人民をとりまく思想が渦巻いている。この作品を徹底的に味わうことで、ウクライナ戦争が起きた根本理由にもつながるような気がしている。

で、やっぱり、チェーホフ。有名な作品ではなく、短編集を読みつつ、コントを味わいつくす。演劇部の活動でも、コントがテーマになりそうなので、生徒にチェーホフの面白さを伝えていきたい。

さらにいうと、立原正明。鏡花、三島や川端とも違う、独特の美的世界を描く。春の鐘、あだし野を再読したい。小説はもちろんだが、能と日本古典への導き手ともいえるこの作家の芸術評論集も実に面白い。


○天皇家と貴族の歴史から平安文学へ


教育実習で、平城京遷都から摂関政治まで、授業させていただいたが、天皇家や貴族に関する具体的な知識が、平安文学への新たな地平を開いていくように思う。そろそろ、源氏物語を読むか。それとも、枕草子か。説話集、随筆も面白そうなものが多く、読み始めたら、果てがなさそうだ。

長らくサボっていたブログをひさびさに稼働。どうも書く量は読む量、映画なら見る量に比例するらしい、と、今更ながら、思うわけだが、確かに、読書がおろそかになっていたのは否めない。

今読んでいる本、読みたい分野を整理してみる。


今興味のある分野は、


○グローバルヒストリー

日本史のアクティブラーニングの本を読んでいたら、ぶち当たったキーワード。山川の「グローバルヒストリー入門」をばぁーと読了しましたが、平たくいうと、世界各国の比較はもちろん、歴史をさまざまな切り口から分析する学問のようですね。たとえば、ヨーロッパ優位に描く世界史をアジアの視点から描くとか。中国の一帯一路なんかも、この文脈から語られているのかなあ、と、妙に納得。日本では学ぶことの少ない地政学的視点も養えるのではと、注目しています。


○小説

長らく止まっていた大菩薩峠を、第8巻から、冒頭からちょっと読んでみる。

とにかく大峰を登るがごとく、長い長い作品なのである。しかも未完w


な、な、なんと、面白いのだ、道庵先生(^^)


っていっても、この作品を知っている人にしか分からないだろうが、この方はお医者さんなのだが、いきなり寄席が始まったかのような語り口なのである。


泉鏡花もそうだが、口語りすることを想定して、書かれた作品なのではないか?


声に出して読もう〜


続く


母校での教育実習が終わった。夢のような3週間で、今でも、神様からのプレゼントのように思えるし、次に活かしてね、と激励されているようにも思える。

現役の高校生の時は、日本史選択のため、とうとう授業を受けられなかった、腕利きと評判だった世界史の先生の授業を何度となく参観、近代のロシアとアメリカ史、朝鮮史、東南アジア史を、高校生に戻ったかのように、味わいつくした。

地理の授業は、歴史の出来事の内容そのものよりも、深い真実を語ることがあることを実感。土地の地形や都市計画には、とある時代を生きてきた人々からの深い知恵が込められている。このことを次代に引き継いでいくことに、社会科教育の新しい可能性を実感した。

中学生の公民の授業では、教師と生徒の対話、考える授業が本当に実践されていることに驚いた。子どもたちは、大人が考えている以上に、社会の動きに興味を持っている。その子供たちの無邪気とも言える好奇心をたしなめながらも、温かく見守る、私が見た教師の在り方は、私の教師の在り方に今後も影響を与えつづけると思う。

日本史の授業実習では、私のライフワークである演劇を導入した「企画授業」を行い、生徒からも評判が良かった。そして、歴史で学んでいることは現代にも通じるどころか、我々ひとりひとりの遺伝子に組み込まれているのだ、というメッセージを、すべての歴史の授業において、教師が伝えていくべきだと覚醒するに至った。「企画授業」の追究と実践は、まだまだこれからの課題だが、今後の私の授業の中に常に取り入れたい要素である。

担当したクラス、部活動を通じての生徒とのふれあいも、また思い出深い。

男子校生ということで、不器用な生徒が多かったが、積極的に関われば、それなりに通じることを実感した。3週間という短い期間ではあったので、心を開くというまではいかなかったと思うが、最後に頂いた、生徒からのメッセージが書かれた色紙に書かれた熱い言葉、みんなでとった集合写真、とある子から今後の人生について相談されたこと、私は一生忘れないし、常に私の心の励みとなるだろう。

教育実習前は、やりきれるだろうか、とか、面倒くさいとか、今思えば、後ろ向きで、教職課程を履修し続けることにも疑問符があったが、教育実習を経て、あきらかに意識が変わった自分がここにいる。教育実習を通じて関わった先生、生徒の考えや思いが、私の身体に埋め込まれたかのようだ。

これからも、そうたやすい道ではないが、とにかくやりがいのある道である。日常の授業指導に加え、社会科地歴公民の教員課程修了、社会科教育、とりわけ新科目の「歴史総合」を通じた「企画授業」の研究、勤務するフリースクールでの演劇部活動の顧問としての活動、そして、ライフワークである、新陰流剣術の弘流。40半ばにして、これだけ豊かな人生が送れていることに、感謝しかない。

久しぶりのブログ。三十代後半から、歌う機会がめっきり減った。会社勤めをやめて、人付き合いが少なくなり、夜の光にもまどわされなくなったせいだが、大勢で飲む酒は歌があるのがいい。こんなご時世で、ますます消えてきそうなのが、歌垣文化。歌うことで、友情を確かめる、はたまた生きる悲しみを癒す、そして、惚れた女性を振り向かせる、そんな粋だった時代はもう来ないのだろうか?

映画「歌行灯」は、伊勢桑名の芸者街が舞台作品であるが、とにかく歌が街中にあふれている。桑名といえば、桑名の殿様。

「おい、何か歌え。桑名の殿様だ」という酔客の声が今にも聞こえてきそうだ。


うまい酒と粋な歌。

歌垣文化の復活を期して、今日もあゆむ。