母校での教育実習が終わった。夢のような3週間で、今でも、神様からのプレゼントのように思えるし、次に活かしてね、と激励されているようにも思える。
現役の高校生の時は、日本史選択のため、とうとう授業を受けられなかった、腕利きと評判だった世界史の先生の授業を何度となく参観、近代のロシアとアメリカ史、朝鮮史、東南アジア史を、高校生に戻ったかのように、味わいつくした。
地理の授業は、歴史の出来事の内容そのものよりも、深い真実を語ることがあることを実感。土地の地形や都市計画には、とある時代を生きてきた人々からの深い知恵が込められている。このことを次代に引き継いでいくことに、社会科教育の新しい可能性を実感した。
中学生の公民の授業では、教師と生徒の対話、考える授業が本当に実践されていることに驚いた。子どもたちは、大人が考えている以上に、社会の動きに興味を持っている。その子供たちの無邪気とも言える好奇心をたしなめながらも、温かく見守る、私が見た教師の在り方は、私の教師の在り方に今後も影響を与えつづけると思う。
日本史の授業実習では、私のライフワークである演劇を導入した「企画授業」を行い、生徒からも評判が良かった。そして、歴史で学んでいることは現代にも通じるどころか、我々ひとりひとりの遺伝子に組み込まれているのだ、というメッセージを、すべての歴史の授業において、教師が伝えていくべきだと覚醒するに至った。「企画授業」の追究と実践は、まだまだこれからの課題だが、今後の私の授業の中に常に取り入れたい要素である。
担当したクラス、部活動を通じての生徒とのふれあいも、また思い出深い。
男子校生ということで、不器用な生徒が多かったが、積極的に関われば、それなりに通じることを実感した。3週間という短い期間ではあったので、心を開くというまではいかなかったと思うが、最後に頂いた、生徒からのメッセージが書かれた色紙に書かれた熱い言葉、みんなでとった集合写真、とある子から今後の人生について相談されたこと、私は一生忘れないし、常に私の心の励みとなるだろう。
教育実習前は、やりきれるだろうか、とか、面倒くさいとか、今思えば、後ろ向きで、教職課程を履修し続けることにも疑問符があったが、教育実習を経て、あきらかに意識が変わった自分がここにいる。教育実習を通じて関わった先生、生徒の考えや思いが、私の身体に埋め込まれたかのようだ。
これからも、そうたやすい道ではないが、とにかくやりがいのある道である。日常の授業指導に加え、社会科地歴公民の教員課程修了、社会科教育、とりわけ新科目の「歴史総合」を通じた「企画授業」の研究、勤務するフリースクールでの演劇部活動の顧問としての活動、そして、ライフワークである、新陰流剣術の弘流。40半ばにして、これだけ豊かな人生が送れていることに、感謝しかない。